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異世界の哲学  作者: 玄徳
運命の哲学
5/12

村という組織の中で

 その日の惨劇の全様を、少年、業蘭(ごうらん)(とおる)に語らせるのは酷というものでしょう。というより、語ろうと思ってもその大部分を少年は直接的には見てはいないのでございます。どうやら二階はマタネの部屋だったようで、彼女は少年に部屋から出ないよう告げると、村の住民達と共にジャーナの処刑へと向かったのです。


 処刑は言い過ぎなんじゃないかって? では血祭りと言い直しておきましょう。外から聞こえる怒声や打撃音を聞けば、処刑という言葉もあながち間違ってはいないということがお分かりいただけるかと存じます。


 少年は毛布にくるまりながら、ずっとルイ16世の処刑を思い浮かべていました。


(そういえばルイ16世って、そこまで悪逆非道の独裁者ってわけじゃないんだったっけ・・・)


 果たしてそれがジャーナにとってせめてもの慰めになるかは定かではありませんが、少年は彼が生きて明日の朝日を拝めることを願いながら眠りにつきました。








 翌朝。いえ、もう朝とは言えない昼間近に少年は目を覚ましました。一階に降りると、昨夜ジャーナを大馬鹿者と怒鳴りつけたお婆さんが、食卓の椅子に腰かけ編み物をしていました。


「おや、起きたかい。昨日はとんだ恥を晒しちまって悪かったね。あの畜生のことは忘れておくれ。アタシの子はマタネだけさ。」

「はあ・・・」


 なんと返答すればいいか困る少年でした。ジャーナが言うところの「村を捨てる」行為の代償の大きさを思い知り、少なからず血の気が引いてしまったのでございます。実際は、仲が悪いドワーフと一緒に旅をでたことも合わさってのあの処刑だったのでしょう。少年は、ジャーナの生死が気になったので、尋ねてみることにしました。


「あの、ところでその人はどうなりましたか?」


 マタネのお婆ちゃんは苦虫を噛み潰したように顔をしかめました。


「流石に殺すのも気が引けたから森の外に放り出したよ。どこぞで野垂死んでくれるとありがたいんだがね。あの裏切り者が・・・次にまた村に足を踏み入れたら・・・」


 ぶつぶつと怨みを漏らすマタネのお婆さんに少年は後ずさりしそうになりましたが、なんとか気を落ち着かせました。それよりも、ジャーナがまだ生きていることにひとまず胸をなでおろしました。


「まあゆっくりおし。飯でも食うかい?」

「いえ、お腹は空いていないので・・・あれ?」


 少年はあることに気付きお腹をさすりました。しかし何度さすってもお腹が空腹を訴える気配はありません。体はいたって健康でございます。・・・それこそが、少年が抱いた違和感でありました。


(どうして僕は()()()()()()()()()()? この世界に来てから一度も食事をとっていないはずなのに・・・)


「あの、変なことをお聞きしますが、生きるために食事は必要ですよね?」


 少年は自分でも何を言っているのか分かっていませんでした。これで必要ですと答えられたら、自分は病気ということになるでしょう。でしたら、結論は一つしかありません。


「ああ、神の連れ子なら戸惑っても無理はないね。この世界じゃね、食べたい、寝たいと思うことはあっても、食事も睡眠も生きる上では必要じゃないのさ。」

「そう、なんですか。」

「まあ、食べたくなったら言いな。といっても、うちで作れるものなんてたかが知れてるがね。」

「ありがとうございます。」


(そうだよね。食事が必須じゃないんだから、料理の発達も遅れているはずだ。楽しみが一つ減ったな・・・)


 食事がいらない体になったことに喜ぶべきでしょうが、少年の顔からは落胆の色が見てとれます。こんなことなら前の世界でもっと美味しいものをたくさん食べておけばよかった、とその心境はすぐに後悔へと変わりました。


 さて、食事の必要がなくなったからといって、二階に戻ってごろごろするなどという引きこもり的選択肢は少年にはありませんでした。この村という組織の一員である以上他の住民と同じように組織に貢献しなければならない。これはマタネとの約束でもありました。


「あの、他の方達は普段何処で何をしていらっしゃるんでしょうか。その・・・マタネさんとかは・・・」


 ここで彼女の名前が出てきたのは、馴れない環境で少年が心を開ける数少ない人物がそのエルフだったからというだけのことです。昨日一日話した限りでは、多少男としての矛理(プライド)が傷つけられたこと以外ではそこまで危険な人物ではないと少年は判断しました。世話焼きなお転婆娘といったところでしょうか。後は村の門番をしていた男性も悪いエルフではないと思ったのですが、そこで女性の方を選んだことに関しましては、思春期男子のささやかな下心のせいとしか言う他ありません。


「あの()なら今は薬草の採取さね。本当なら昨日やっとくはずだったんだが、途中で抜け出してなにやら拾ってきたみたいだからね。」

「・・・すいません。」


 それは間違いなく少年のことでございました。少年は申し訳なく思い頭を下げました。すると、マタネのお婆さんも気まずそうな雰囲気を嗅ぎ取ったのか、取り繕うように笑いました。


「気にしないでおくれ。そんなことより、新しい村の一員が出来たことを祝おうじゃないのさ。ようこそエルフの村へ。森の恵み以外は何もないところだが、ゆっくりしていっておくれ。」

「・・・こちらこそ、挨拶が遅くなって申し訳ありません。今日からこの村でお世話になるトール・ゴーランと言います。右も左も分からず、色々とご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いいたします。」


 少年は今度は床に正座して佇まいを直すと、床に手を添え、深々と、敬意を払うように頭を下げたのでございました。いわゆる、土下座でございます。改めて、異世界で路頭に迷っていた自分を受け入れてくれたこの村に対する感謝を示そうと思っての行動でした。エルフ族の村にはこのような慣習はなかったようで、マタネのお婆さんは物珍しそうに目を細めて少年の土下座を眺めていました。






 さて、家を出た少年はマタネのお婆さんに教えてもらった場所を目指しました。途中道行くエルフの皆さんと挨拶しながらでしたので、その歩みはゆっくりとしたものでしたが、ようやくたどり着きました。村を出て少ししたところの、青い花が一面に広がる花畑でした。道案内には昨日も会った門番の男、ヴィスムが付き添いました。


「坊主、昨日は済まなかったな。本来ならエルフの村は迷い者を歓迎するのだがな。ドワーフ族以外は。」

「いえ、いいんですよ。むしろヴィスムさんのお心遣いには感謝しています。それと、僕は坊主ではなくトールです。」

「そうか。ではトール。俺からも歓迎しよう。ようこそエルフの村へ。お前の強さはこのヴィスム・バーモンが保証しよう。」


 ヴィスムの力強い声に、少年もまた力強く頷きました。


 花畑にはマタネと、数人のエルフが採集に勤しんでいました。採りすぎないように、個数を決めているのでしょう。全員が手持ちの籠の中の薬草とにらめっこしながら腰を屈めて薬草を抜いていました。


「あ、トール君とヴィスムだ! おはよう!」


 彼女はすぐに二人に気が付いたようでした。顔には汗が滲んでいますが、彼女の笑顔は太陽のように眩しく少年を照らしました。


「おはようございますマタネさん」

「精が出るなマタネ。今日はふらふらと寄り道しないことだ。」

「もう! 分かってるわよ! ほら、道案内ご苦労様。行った行った。」


 しっしっ、と手を振るマタネにヴィスムは軽く舌打ちしながらも、では俺はこれで、と少年に軽く頭を下げて村へ戻っていきました。


「いやあ、トール君昨日はごめんね。本当は昨日の内に歓迎会とかやろうと思ってたんだけど、ヴィスムが変な試練をやろうとするわバカ兄貴が戻って来るわで大変だったよ。」

「いいんですよ。村に入れていただいただけで十分・・・」


 謝る仕草すら可愛い・・・などと見とれていた少年でありましたが、バカ兄貴、という言葉を聞いた途端、昨夜のやりとりが脳裏に蘇りました。ジャーナの切実な声はいまだ朝の微睡みに沈む少年に冷や水を浴びせたのです。


『このままだと村が危ない。エルフの村も、ドワーフの村も。』


 危ない、という表現に、少年はジャーナの気遣いを感じました。実際にはどれくらい危ないのか、かなり事態は深刻なものになっているだろうかと、少年は気を張りつめます。少年の様子がおかしいことに気付いたのか、マタネは訝しげに少年の顔を覗きこみました。


「・・・どうしたの?」

「マタネさん、これはあなたのお兄さんがおっしゃってたことですが・・・」


 本当は誰にも言わないように言われていたこと。しかし、もしこの事が本当なら、もはや悠長なことは言ってられません。村が危機なら、情報は一刻も早く共有しなくてはならない。それが、少年が出した結論でした。


「・・・うーん、そんな話すぐには信じられないかな。そんな情報バカ兄貴がどうやって知ったかも分からないし、ただの勘違いかもしれないもんね。まあ一応長老に相談してみるよ。ありがとね。」


 そこまで事態を重く見ていないのか、マタネの言葉は軽いものでした。


「そうですか・・・」

「あっはっは! そう心配しないでも大丈夫だよ! ちょっとやそっとで村が危なくなるなんてあり得ないから! 私たちが何百年ここで暮らしてると思ってんのさ!」


 マタネは朗らかに笑うと顔を曇らせる少年の頭をぽんぽんと叩き、その触り心地が気に入ったのか撫で始めました。少年は自分の身長に劣等感(コンプレックス)があったようで、わしゃわしゃと髪を撫でる手を不機嫌そうに払い除けました。


「からかわないで下さい。それより、何か手伝えることはありますか?」


 とりあえず肩の荷が下りた少年は、ここに来た本来の目的を思い出したようでした。


「そうだね~・・・、じゃあ一緒に薬草を採集しよっか。ここら辺に生えてる青い花はブーリカっていってね、根っこをオルフ草と一緒にすりつぶしてポプテクの木の樹液と合わせればどんな病気も治る秘薬になるのよ。この村の名産なの。たまに町に出すとよく売れるのよこれが。」

「へえ、勉強になります。」

「それにね、この花びらも貴重なの。体力が回復する回復薬の原料になってね。だからこのブーリカはとっても大事。採りすぎないように注意しなきゃいけないのよ。絶対に他の種族のやつらにこの場所を教えちゃダメよ? すぐになくなっちゃうんだから。」

「分かりました。」


 マタネが教えてくれる知識を、少年は裸児(スポンジ)のように吸収していきました。未知を知る、未知を学ぶ。少年にとっては至福の時でございました。マタネもまた自分の話を興味津々に聞いてくれる少年に気分をよくしたのか、どんどん饒舌になっていきました。


 危険な動物、樹液のとりかた、虫や鳥の生態・・・果てには森の外のことまでマタネは知っている限りの知識を湯水の如く少年へと注ぎました。


 マタネの話によれば、採集や狩りをして、薬や装飾品、衣類を作り、干し肉などと合わせて月に一度町へ売りにいく。稼いだお金で日用品や武器などを揃える。それがエルフの村の日常でした。


 さらに、北には誰も越えたことのない断崖絶壁にして頂上は極寒の山脈がそびえ立ち、南には海が広がっていること。西と東には国があり、ハミットの森は、丁度二つの国の架け橋となっている不可侵領域だということも少年は教えられました。昔はこの森の所有権をめぐって幾度も戦争が起きたんだとか。


「私たちは西の町と深く交流してるんだけど、ドワーフたちは東の町と交流しているの。鉢合わせすることがなくなってこっちとしてはありがたい限りね」

「マタネさんは、ドワーフのことをどう思ってるんですか?」

「それはもう!」


 マタネさんの変貌ぶりに少年は薬草を入れた籠を思わず落としそうになりました。マタネの体から、髪の毛が逆立っていると錯覚するほどの怒気が溢れます。


「あいつら考えらんないのよ!? 男は獣女は売女! 気性は荒いわ性犯罪起こすわ酒臭いわ、あんなの森の恥よ! おまけに出来の悪い薬を作ってエルフが作った薬だって言って売り付けるのよ!?」


 どうやらそれがエルフのドワーフに対する共通認識でありました。ただ、それも突き詰めれば究極的な原因は森の縄張り争いでしょう。エルフではドワーフを森から追い出そうという過激派がかなりの割合を占めるそうです。


 少年はそれらの恨み辛みを鵜呑みにすることはせず、頭の片隅に留めつつも適当に相槌を打つことで事なきを得ました。


 そんな中、少年が樹液のとりかたを教わっている時のことでした。ポプテクの木の幹を熱心に見ていた少年でしたが、突然、木の幹から生えてきた半透明の緑色の顔に思わずうわっと叫び大きく仰け反りました。半透明の顔はいたずらが成功したとばかりにくすくすと笑いました。マタネもこんなことは日常茶飯事なのか仕方なさそうに半透明の顔を一瞥すると、体勢が崩れて転んでしまった少年に手を伸ばしました。


「あーあれは精霊よ。いたずら好きだけど悪気はないから気にしないでね。私達にとっては無くてはならない存在だしさ。」

「これが・・・精霊・・・」


 木と木の間をすり抜けながら楽しそうに飛び回る人型の存在に、少年は呆けたように口を開けたままでした。背は少年より低く、中性的な出で立ちに透き通るように綺麗な(実際半透明なので透けてます)目をしていました。


「あははは、おもしろーい! うわっだって! あははははは!」


 無邪気な笑顔に少年はどことなく憎めなくなりましたが、ふと、ジャーナの話を思い出します。


(もし神理(トゥルース)が危険な力だとしたら、今のいたずら感覚でこの子は神理(トゥルース)を使いかねないのか・・・)


 少年はその無邪気さに若干の恐怖を抱きながら、マタネの手をとってゆっくりと立ち上がりました。すると、指先にちくりとした痛みが走りました。慌てて手を見ると、指先の皮がすっぱりと切れ、血が流れていました。どうやら草の葉で指を切ってしまったみたいです。この世界でも血は流れるのかと、少年はしげしげと指先を見つめました。


「あら? けがしたの? たいへんね。」


 精霊が近寄ってきます。他人事みたいな口ぶりにちくりと腹を立てた少年でしたが、精霊はそんなことなど露知らず、少年の指に手を添えて一言、


「『癒し(ヒール)』」


 と唱えました。するとどうでしょう。少年の指に温かい熱がこもり、傷口をみるみる内に塞いでいったではありませんか。精霊はにこっと笑うと、また愉快そうにどこかへ飛んでいきました。おそらく目的地などないのでしょう。気の赴きに身を任せているだけでございます。


「・・・」

「ね? 無くてはならない存在でしょ? 大怪我を負って死にかけたエルフが精霊に助けられるなんて、よくあることなのよ。」


 唖然としていた少年に対しマタネは優しく微笑みました。少年はただただ、精霊が去っていった方向をじっと見つめていました。遠くでモードルの群れが走っているのが見えました。







 今日もまた、星の綺麗な夜がやってきました。


 エルフの村にとっては特に代わり映えのない夜でしたが、その日は特別な夜でした。少年の歓迎会が行われたのでございます。


 老若男女様々なエルフの方々が、今宵は宴と意気揚々と酒を配り、料理を皿に盛ります。この世界では、食事には儀式的な意味合いもあるのです。


 村は全くのお祭り騒ぎでした。採集から帰ってきた少年は、近くで夏祭りをやっている時のような興奮を胸に抱いていました。祭をこよなく愛する日本人の性でしょう。


「これは・・・」

「言ったでしょ? 歓迎会をやろうと思ってたって。ほら、主役は真ん中に! 長老も皆も待ってるよ!」


 直前まで少年に告知しなかったのは粋計(サプライズ)のつもりだったのでしょう。マタネはふふんと鼻を鳴らし、少年の手を引きました。


「おお! 来てくれたか! ワシが長老のミナーガじゃ。よろしく頼むの。」


 長老と呼ばれたそのお爺さん、年期の入った大層な白髭をわっさりと蓄え、樹の幹のようにひび割れた焦げ茶色の肌が、その御年を感じさせます。


 マタネに手を引かれた少年は、長老のすぐとなりに座らされ、色とりどりの果物や肉料理の類いが少年のもとへ運ばれます。どこかから太鼓に似た音が響き、少年の腹の底を揺らします。


 料理と酒が配り終わったかと思われた頃、それを見計らったミナーガがうおっほんとわざとらしく咳払いをして立ち上がりました。その咳払いが合図だったかのように、太鼓の音がはたと止み、喧騒も徐々に静まります。


「皆の衆! 今宵の主賓が揃ったところで、我らの新たな仲間を紹介しよう! トール・ゴーランじゃ。少年、自己紹介を。」

「あ、はい。ご紹介に預かりました。トール・ゴーランです。不束者ですが、よろしくお願いします!」

「おう!」

「よろしくな!」

「よろしくー」

「よろしくね~!」

「めでたいのう。」


 老若男女のエルフ達の、暖をとるような優しい声が少年を温めました。余所者を邪険に扱うような反応をする者は一人とていません。長老の一声にそれほどの重みがあったのだろう、と少年は推考します。


「皆の衆! この少年は神に選ばれし連れ子じゃ。まだこの世界に慣れてはおらぬようだが、この少年の強さを! ワシは知っておる! この少年が村の前で何を語ったか、お主らにも教えてやろう! 『我は何者にも屈せず! 何者をも傷付けず! 血を流さずして敵を征す、これが我が強さなり!』、と!」

「「「おおおおおおおお!!!!」」」

「言ってません!」


 脚色増し増しの長老に少年は思わず叫びを上げました。よく見れば、すでに長老の顔は茹でたこのように真っ赤になっていました。宴が始まる前に酔い潰れるとは、これいかに。


「今宵は無礼講じゃ! 食糧庫も開け放て! 我らの祝福の喝采を、先祖代々に捧げるのじゃ!!」

「「「うおおおおおおおおおおおお!!!」」」


 それが開会の宣言になり、再び喧騒が舞い戻りました。酒の臭いが辺りに満ちていきます。松明の灯火がゆらゆらと揺れ、活気と熱が空気を伝い少年の肌をじっとりと撫でました。


 少年は前の世界の名残で、未成年の自分が酒を飲むことに抵抗があったようでした。ちびちびと舌を濡らしておくに留めます。


「ちょっと~、トール君が主役なんだからもっと飲まないと~」


 そんな少年を不満に思ってか、顔を上気させたマタネがふらふらと少年に寄ると、手にした木製のコップになみなみとお酒を注ぎました。心なしかスキンシップが多いようにも感じます。少年はお酒による高揚感とは別の意味で顔を赤くさせました。


「あ、赤くなった~。かわいい~」

「やめて下さい。」


 しかし、頭を撫でられるのは許せない少年でありました。


「おいトール! 俺チェケラッチョっつーんだけどさ、ちょっと力試ししようぜ!」

「恒例の腕相撲大会だ!」


 そんな少年に絡むのは、比較的若者に分類される男達でした。この村では女性の方が数が多いため、たとえエルフでなくても少年のような同性が増えるのは嬉しいのでしょう。


「トール君はあんたらみたいな脳筋バカとは違うのよ。ねぇ?」


 男達に絡まれる少年を、マタネが追い払います。少年としても運動神経は決して誇れるものではないのですが、この世界で力があまりにないのも考えもの、そう判断した少年は、酒の力も相まって、歩き疲れているにも関わらず威勢よく立ち上がりました。


「いいでしょう。お手合わせ願います。」

「と、トール君!?」

「そう来なくちゃ! マタネにいいとこ見せてみろ!」


 囃し立てるように周囲から歓声が漏れました。周りの大人達を見渡せば、揃ってその白肌の内に武骨な塊を蓄えた者ばかり。一日の日課を終えたエルフは暇をもて余して鍛練に励むことが多いそうです。それも何年も何百年も続けば上等な鎧に仕上がるのは当然のことでしょう。


 それに挑んだ少年は、その外観に似合わぬ腕力を発揮・・・することはなく、これもまた当然のことながら全敗。エルフの中では幼い(それでも齢30年は下りません)子どもにまで憐憫をかけられる始末でした。







 時は流れ、宴もいよいよ最高潮。もともとエルフはお酒に強くないのか、皆一様に顔を真っ赤にして、ある者はへろへろと踊り、ある者は近くの者と肩を組んで陽気に歌いだしました。少年も愉快そうにその光景を眺め、簡素な味付けの料理をつまみ、酒をちびちびと舐めていました。


「どう? 皆いいエルフばかりでしょ?」

「ええ。心優しい方ばかりで、今日は本当に充実した一日でした。本当に、本当に───。感謝してもしきれません。」


 顔を餅のようにだらしなく緩めるマタネに、少年は感慨深く答えました。マタネはその返答に満足した様子で、自然と笑みを強めました。ぐびりと酒をあおります。


「この村では住民が増える度にこのような宴会を開くのですか?」


 ふと、気になって尋ねた少年でしたが、それに答えたのはマタネではありませんでした。


「ああ。エルフ族は長寿だからな。中々子を産まないのだ。」


 少年が顔を上に向ければ、ヴィスムが微笑を浮かべていました。自ら村の門番を務めていた彼は、万が一村に危機が迫った時に備えて、酒をあまり飲んでいなかったのです。


「薬もあるから怪我や病気で死ぬこともなく、住民が減りにくい分子孫を残そうとする本能が薄い。マタネのお母様のように、一生に二人も産むことは稀なのだ。だから、住民が増えた時には最大限の感謝をこめて宴を開く。村から離れないようにな。」

「村から離れないように・・・」


 その言葉は少年に大きな圧力となってのしかかりました。


(この村はいいところだ。他の村との因縁があるみたいだけど、皆村の住人には優しくしてくれる。僕を一生住まわせてくれるし、向こうもそのつもりだろう。でも・・・)


 少年の心はちくり、またちくりと痛み続けます。少年は彼らの善意を踏みにじることを躊躇っていました。村の中で安寧を享受するだけの日々、そんな怠惰を少年は望んでいませんでした。しかし、それを口に出そうとすると、途端に想いは繋ぐべき言葉を失い、終いには見えない何かに口が縫い合わされるのです。


「トール、安心するといい。この村は決してお前を無下には扱わない。望むなら、新しい家を建てよう。同じ村の仲間として、手を取り合って生きていこうではないか。」


 少年の心の内を読み取れなかったヴィスムには、少年が村で生き続けていくことに抵抗がある等という発想は微塵も浮かびませんでした。幼き頃より、ずっと村のために生きてきたヴィスム。村の外に出たいとさえ思ったことのない彼は、少年の心持ちを推し量る術など持ち合わせてなかったでしょう。


 少年は極めて曖昧に、首を縦に上下させました。

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