侵入者の事情
読んでいただきありがとうございます。しばらく毎日投稿していくつもりです。
『業欄君は、どうしてそんなに強いの?』
薄暗い快晴でありました。遠くより微かに流れる怒号や足音を聞き流しながら、少年、業欄透は砂利を払いました。黒の学ランが惨めにも砂にまみれ、口元を拭うシャツの袖には血が滲んでいました。
『それは皮肉の類いですか?』
少年の声は色が抜け落ちたように冷静で、機械的でした。純白と言ってもいい少年の心の有り様を表していたそれは、何者も寄せ付けない一種の気迫を感じさせました。少年は何事もなかったかのように立ち上がると、人を見ているのか物を見ているのか分からないような目で自分に質問を投げかけた男子生徒を見ました。視界に収めたと言ってもいいほどに形式的な対面でした。
『皮肉なんかじゃないよ。あんなに殴られても眉一つ動かさないなんて、普通はできないよ。』
『それを言うなら君は先生を呼んでくれたでしょう。君の方がよほど強い。』
『ううん。殴られる君を見た時、僕は真っ先に助けるべきだった。でも、自分が殴られるのが怖くて君を・・・』
『いいえ。君は正しいことをしました。正しいことをしたのに、それに負い目を感じるのは間違いです。』
『・・・』
その時の男子生徒の顔を、少年は見逃しました。すでにその目は男子生徒へと向けられてはいなかったからです。もちろん、その後に男子生徒がなんと呟いたかも、少年は聞いてはいませんでした。
『正しければ強いとは限らないのに。君はどうして・・・』
少年が目を覚ましたとき、辺りはすでに日が沈んでいました。なんだか長い夢を見ていたような気がしましたが、その内容が全く思い出せません。少年はしばらく天井を眺めていましたが、深呼吸の末ようやく体を持ち上げました。
まず目についたのは体を包む毛布と、白い布を巻かれた左腕でした。次に右肩です。意識せずに首を回そうとした少年を襲った痛みが、グーリアスとの試練を鮮明に思い出させます。そして少年は自分がいる部屋をぐるりと見渡しました。木特有の落ち着く匂いが鼻をくすぐります。やけに生活感のある、それでもって手入れの行き届いた部屋でした。自分が寝ている寝台は窓際にあり、窓からは月の光が射し込みます。否、ここは異世界なのですから月ではない別の星の光なのでしょう。
(誰か・・・いないのかな)
静かな夜の気配が辺りに満ちていました。世界から自分以外が全て消えてしまったかのような虚無感に陥った少年は、部屋から出ようとベッドから降りました。少年はぼろ布の代わりに簡易な麻の服を着ていました。
どうやらここは二階だったようで、一階へ続く階段を少年は一歩一歩慎重に降りていきました。
一階には食卓と台所、そして寝台が一つ置かれていました。寝台には誰も寝ていません。唐偶汰と思われるものが詰め込まれた木箱が片隅にぽつんと置かれていることが気になりましたが、特に目につくようなものはないようでした。
扉の向こうから騒ぎ声が聞こえます。それが随分遠くに聞こえて、少年は祭り騒ぎに取り残されたような寂しさを覚えました。しかし、よくよく聞いていると、それは楽しそうなものではなく、むしろ喧嘩の類いの騒ぎのように思えました。一体向こうで何があったのでしょう。なんだか首を突っ込んではいけないような気がして、少年は浮き足立ちながら二階へと戻りました。
(明日の朝、何があったのか聞いてみよう)
少年は喧騒を耳の片隅に引き留め孤独を和らげながら、寝台に寝転びました。
ようやく喧騒が静まってきた頃。少年は寝ようにも眠れず目をぱっちり開けたまま天井の木目を凝視していましたが、誰かが一階の扉を開ける音を聞きつけました。
(この家の人かな・・・)
そう思っていた少年でしたが、二階に少年が寝ていると知っていても中々上がってこないのはおかしい、それどころかやけに物音が少ない、と疑心を募らせました。もしかしたらと思い、少年は物音をたてないようにゆっくりと階段のところまで寄ると、一階に顔だけを覗かせました。一階は真っ暗でしたが、ただ一ヶ所、あの唐偶汰の詰まった木箱の近くに、角灯の光が灯っていました。そこにいるのは、唐偶汰を漁る一人の人物。体格的に男でしょう。少年は息が詰まる思いですぐに顔を引っ込めました。
(もしかしたら、さっきの喧騒は泥棒がでたから・・・?)
予想が悪い方向へ向かっていた少年は、この侵入者を見逃すか咎めるか、問答無用で人を呼ぶかを迫られていました。しかし、人を呼んで万が一にもこの家の住人だった場合を考えると、いきなり人を呼ぶわけにもいきません。さらに、ここで見逃して家のものが盗られれば、自分の仕業だと疑われかねません。少年はとうとう意を決しました。
まずは窓を開け、退路を確保。最悪飛び降りても下は土なのですぐに動けると予想します。そして部屋の中を見渡し、使えそうなものの中から弓矢を手に取ります。何本か束ねて持ち、何かあれば投げつければ足止めになるだろうか、あって損はないだろうと考えます。
そして、少年は顔を強張らせながら一階へと慎重に、一切の音をたてないように息を殺しながら降りていきました。侵入者はいまだに唐偶汰の木箱を漁っていて、時々いくつかを手にとって懐かしそうに眺めていました。
「誰です!!」
少年は震える口を懸命に湿らせ、ようやくその言葉を発しました。侵入者の男は暗くてよく見えませんでしたが、はっとした顔で少年の方を振り返ったのだと思われました。唾を飲み込む音が聞こえました。
「お、俺は、ジャーナだよ。ジャーナ・グッバイ。そういうお前こそ、ここのやつじゃねえだろ。なにもんだ。」
「ぼ、僕は村の前で倒れていたところをここで介抱された身です。あ、あなたはここで何をやってるんですか?」
「あ? そうなのか? なるほどね。いやなに、久々に家に帰ったら懐かしいもんがあったからよ、思い出に浸ってただけさ。」
少年がこの村の者ではないと知ると、その侵入者、ジャーナ・グッバイは警戒心を弱めました。普通は逆なんじゃないか? と少年は首を傾げました。
「この家の人ならどうしてそんなこそこそとしていたんですか?」
「何でって言われると、ちょっとばかしややこしい話になるんだがな。かいつまんで説明すると、俺はこの村の連中に嫌われてて、見つかったら追い出される。だから隠れてるってわけ。さっきはえらい目に遭ったぜ。なあ坊主、悪いんだけどしばらく匿ってくれねえか?」
どうやら先程までの喧騒の原因はこの者にあったようです。頼むよ~と大仰に手を合わせる姿は門番の男とは全く違う印象を少年に与えました。ある種社交的ともいえるのりの軽い兄ちゃんといった風貌でしたが、頬にできた十字傷には、何やら並大抵ではない人生の痕が垣間見えました。
「匿うと言われましても、僕はここの人じゃありませんし、どうしようもありませんよ?」
「いいんだよ。ババアと妹には俺から説得するし、流石にあいつらも家族の俺を追い出したりしねえって。ただ、それ以外のやつらにチクって欲しくないってこと。」
「まあ、それくらいなら・・・ん? 妹?」
少年は彼の名前を思い起こします。ジャーナ・グッバイ。グッバイ・・・妹?
「あの、もしかしてその妹さんって、マタネ・・・」
「そう! マタネ・グッバイ! なんだ坊主知ってんのか。」
「あの、もう少し静かにしないと気付かれますよ?」
木造のこの家は、防音機能が備わっているわけではありません。木が音を吸収するといっても限度があるでしょう。侵入者として隠れているにしては、その行動は不用心にも感じられました。しかしジャーナは特に気にした様子ではありません。
「大丈夫だって。他のやつらは別の場所を探してる。俺の相棒が上手く撒いてるんだ。」
ジャーナは、誇らしそうに笑みを浮かべました。余程その相棒を信頼しているのでしょう。少年はその相棒のことを羨ましく思いました。
「これは言いたくなければ言わなくていいんですが、どうして村から追い出されることになったんですか? この村の住人は村の一員を蔑ろにするようには思えません。」
それは、少年はずっと疑問に思っていたことでした。この村の住人が優しいというのは、村に入る前の二人のエルフの会話から予測したことです。すると、ジャーナは分かりやすく顔をしかめました。やはり触れられたくないことだったのでしょうか。
「・・・ああ。この村のやつらは皆優しいよ。皆が村を大切にしている。だからこそ、村を捨てたやつには厳しいのさ。」
「村を、捨てた?」
穏やかではない響きでした。少年は事情を詳しく聞いてしまったことを今更ながら後悔しました。
「久々に家に帰った、つったろ? 大体40年くらい前かな。俺が村を出たのは。」
「よ、40年!?」
それは少年の感覚でいえば久々の範疇を大きく逸脱したものでした。
「し、失礼ですが、今おいくつで・・・?」
「野郎の年聞くのに失礼もくそもあるかよ。178だ。」
「!?」
「ちなみにマタネは115だ。」
「失礼しました!!」
少年はとてつもない罪悪感と共に、大きな失望を抱えました。エルフが長寿だということはなんとなく分かっていましたが、いざ実年齢を聞くまではその事を失念していたのです。
(あのマタネさんが115・・・僕のお婆ちゃんより歳上だったとは・・・いや、ここは人生経験豊富だと楽観的に捉えるべきかな)
ジャーナはその後もエルフの平均寿命が600歳であることなどを少年に話しました。ざっと人間の7倍ほど。マタネさんの年齢も人間に換算すれば16といったところでしょう。
「・・・ということは、あなたは138年生きてきた村を出たんですか?」
「おうよ。こんな村なんざくそくらえってな! ジジイババアがとにかくうるせえんだよ。うちじゃ生きてきた年がそのまま村の中での権力に繋がるからな。他の子をいじめるなだ物を大切にしろだドワーフと遊ぶんじゃねえだとな。」
「それは当然のことでは・・・ドワーフ?」
少年はドワーフという単語は知っています。背が低く、髭をはやし、酒に強く、鍛冶能力が高い。そんなイメージの種族です。エルフと同様ファンタジーの世界の種族だと記憶していますが、それがどう関わるというのでしょう。いまいちピンときていない少年を察してか、ジャーナは補足しました。
「知らないのか? この森をエルフと二分する種族なんだが、エルフとは昔から仲が悪いんだよ。だからドワーフの相棒と一緒に旅に出るっつったら、マジで勘当されたぜ。」
「でしたら、どうしてまたこの村に戻ってきたんですか?」
「・・・」
ジャーナの顔に陰りが差しました。彼はしばらくの間独り言をぶつぶつと呟きながら迷っていましたが、やがて心を固めたようでした。
「これから言うことは、出来れば村の連中には秘密にしてほしいんだが・・・」
「別に無理に言わなくていいんですよ。というか言わないで下さい。」
少年は今度こそ面倒事に首を突っ込むのを回避しました。しかし、それは自分に関係のない話だった場合であり・・・
「だが、協力者が欲しいのは確かだ。このままだと村が危ない。エルフの村も、ドワーフの村も。」
こんなことを聞かされては、少年としても見て見ぬふりは出来ないというものです。
「・・・何が起きてるんです?」
村が滅ぶ。心底穏やかでない響きでございます。自分が転生した日の夜にこんな話を聞かされるとは、これが運命というものでありましょうか。少年は場合によってはこのエルフがなんと言おうとも村の住人にこのことを言わなければならないと思っていました。その話の信憑性次第でございますが。
「その前に坊主、精霊は知っているか?」
「・・・いえ、この世界の精霊がどのようなものかは分かりません。」
「そっか。じゃあ神理は?」
「それは知っています。神様が試練と称して与える超能力だと。」
「その通りだ。その神理が、この森の精霊に与えられてしまったんだ。神理を付与する神理によって、な。」
「神理を・・・付与?」
「ああ。本来神理ってのは選ばれたやつにしか与えられないし、使えるようになるにはそれなりの時間が必要なんだ。その力は使い方次第で恵みにも災いにもなるからな。だから神は使い手を選んできたというのに、それが一般民や、さらには精霊にまで与えられてしまった。これがどれ程恐ろしいことか・・・」
そう語るジャーナの顔は深刻そのものでした。果たして先程ののりの軽い表情と、どちらが素なのでしょうか。少年はジャーナの話を聞きながら、その内容に疑問を抱くばかりでした。
「いくらか疑問がありますが・・・その精霊を見つけ出してどうするんですか?」
「そのためにはまず、精霊について知らないとな。精霊ってのは俺達のような実態のある存在とは違って通常触れることができない存在のことだ。性格は一部の高等な精霊を除けば皆自由気ままで特に何も考えず気まぐれに生きている。基本的に無害な連中だ。」
「だったら特に問題ないのでは? 神理を悪用することもなさそうですし・・・」
「気まぐれに生きているっつったろ? いたずら感覚で神理振りかざされたらたまったもんじゃねえし、それに精霊そのものを悪用しようとする奴もいる。」
ジャーナは何かを思い返したのか、苦虫を噛み潰したように顔を歪めました。
「精霊そのものを?」
「精霊は俺達の命令なんてまず聞かないが、一つだけ例外がある。その精霊と契約を行うことだ。精霊側の合意のもとに契約を行えば、精霊はそいつの命令に従わないといけない。」
「・・・精霊が契約するとは思えませんが。精霊にとって不利益しかないのでは?」
「契約したら精霊は契約者には触れられるようになる。まあだからなんだって話だが、やつらも基本後先考えずに生きてるからな。契約者が死ねば契約はきれるし、精霊には寿命もなければ外傷で死ぬこともない。そいつにいたずらできるってだけで契約することだってあるし、命令できるって言っても絶対じゃない。どうしても嫌なら拒否することもできる。それに契約したからといってずっと契約者の側にいなきゃいけねぇわけじゃないしな。」
「なるほど。・・・ん?」
「どうした?」
「精霊って実態のあるものには触れられないのですよね?」
「ああ。」
「じゃあ契約したところで大したこと命令できないのでは?」
少年の中で、精霊は前の世界でいうところの幽霊という印象になっていました。それが目に見えるようになり、言葉を交わせるようになったといった認識です。今回のように精霊が大きな力を持ってしまった場合は別ですが、契約してもあまり契約者側に利益があるとは思えませんでした。精霊にも契約者にも大きな利益がないと思うと、契約という行為が魅力のないものに思えてきます。
「ああ・・・うーん。そこを説明するとややこしいんだがな。精霊ってのは生まれたときの土地・環境によって性質が変わる精霊術ってのが使えるんだよ。森の精霊の場合は、傷を治す『癒し』と植物の成長を早める『成長』、そして土を操る『土操術』が使える。高等な精霊になるとさらに強力な精霊術が使えるが、基本はこの三つだ。」
「なるほど。これは確かに使えたら便利ですね。神理より強いんじゃないですか?」
「ま、神理は人が作り出した便利能力じゃねぇからな。飽くまで神の試練だ。つっても、神理の中には高等精霊と張り合えるような強力なやつもある。俺のとかな。」
ん? と、少年が不自然な流れに気がついたのも束の間・・・
「よし、ここらで神理がどんなものなのか、見せてやろうじゃねぇの。」
「え、本当ですか? ・・・っていうか見せるってことはもしかしてあなた・・・」
角灯の光が照らす彼の顔は、やはりというべきか、自信に満ちていました(ドヤ顔というのでしょうか)。少年の弓矢を握る手に汗がにじみました。
「そのもしかしてってやつだぜ坊主。実は俺、神理持ちだったんだな~!」
一体神様は何を血迷ってこの男に神理を授けたのだろうか。少年が思い描いていた、心理に到達した賢者の理想像から大きく外れていたことに、少年は一人呆れるより他にありません。少年の呆れた心境はなんとか表情にには出ずに収まりました。
「驚いたか? 驚いたよな! どんな能力か知りたいよな? 見てみたいよな?」
自慢の玩具を見せびらかしたがる子どもみたいにはしゃぐジャーナに少年は苦笑いするしかありませんでした。
「よし! 広い場所に案内してやるよ。俺についてこい!」
そう言って立ち上がるジャーナ。果たして彼の神理はどんな能力なのか。少年も好奇心に揺さぶられ立ち上がりました。しかし、それが明かされるのはもう少し先のお話になりそうです。なぜなら・・・
「ここにおったのか! こんの大馬鹿者がァ!!」
勢い良く開かれた扉の向こうには角灯を片手に怒号を飛ばすお婆さんと、その後ろにエルフの皆さんがずらりと並んでおり、こちらを、より正確には顔面を蒼白に染めあげたジャーナを睨んでいたからです。