生きるために、己のために
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広大なハミットの森の入り口付近に、その二人はいました。一人は長身のエルフ、もう一人は背の低いドワーフでした。森を目前に、二人は同時に歩みを止めました。その姿は冒険者といった風貌でございました。
「・・・つけられてるな。」
「ああ。」
エルフの声に、ドワーフが応えます。二人は横目に短い眼遣鳥をとりました。一体なんのやりとりが行われたのかは二人にしか分かりません。二人は息ぴったりというように同時に頷きました。
と、次の一瞬のことでございました。ひゅう、と風を切る音がしたかと思えば、すでに二人はそれぞれの得物を手に、自分を狙ってきた投手刃を弾いていました。エルフの方は腰の短剣、ドワーフの方は背中に担いでいた闘斧。いつの間に手に取ったのか、まさに熟練の早業でございました。
キンッ
音は思い出したかのように二人の耳に訪れました。地面に落ちた投手刃の持ち主、いや、持ち主達は、ぞろぞろと囲むように二人の前に立ちはだかりました。
「げひっよく避けたな。敵ながら天晴れだ。それでこそ正面から戦う価値がある。」
華白格とおぼしき男が下卑た笑みを浮かべながら懐から手刃を取りだしました。背丈はエルフの男と同じほど、若干細身の四肢を持ち、長い黒髪を後ろで束ねていました。いかにもならず者たいった様相の集団は華白格の男に続くように各々の錆びた得物を手に取ります。
「ふんっ。どの口が・・・」
ふてぶてしい男の言い草にドワーフが苛立ちを見せましたが、前に進み出たのはエルフの方でした。
「任せろ。」
たったそれだけの一言。この一言にドワーフが抱く信頼ははかり知れません。ドワーフはエルフを心配するどころか、先に行ってると言って男達に背を向け走り出しました。
「いいねぇ。熱い友情だねぇ。げひっげひっ、それでこそ真剣勝負する価値がある。」
「その割には悪質な観衆が多いじゃねえか。一応言っとくが、この森には金目のものなんてそこまでねえぜ。」
「げひゃげひゃ! 無駄だぜぇ。教えて貰ったんだよ。万金に勝る極上の獲物がここにあるってな。役とかはどうでもいいが、俺天才だから? 力を求めちゃうんだよねぇ! げひっげひっげひっ。」
汚ならしく手刃を舐め唾液を走らせる男に、エルフはやれやれと肩を竦めました。
「あんたも役持ちか。全く、哀れで見てられねぇぜ。」
「威勢がいいねぇ。げひっ、それでこそ拳を交える価値がある。」
そう言って手刃を構える男に、エルフはもはやこれ以上は語るだけ無駄だと悟り、口をつぐみました。
「だんまりかい? じゃあ最後に俺から、一つ言わせてもらうぜ。天才ってのはな、誰にも見えない的を射るんだぜ。例えば、森の中に消えたあのドワーフとかなぁ!」
「それがお前の神理か。」
男が持つナイフが不穏な輝きを放ちました。毒々しい深緑色の光、それこそは、神理の証でありました。しかし、神理の輝きを放ったのはその男だけではありませんでした。
「いくぜぇ!『見えざる的を射よ』!!」
「『英雄の時間」
エルフの体は、全身が淡い燈色の光を帯びていました。
戦いは、朝はのどかに、夜は深く辺りを包むハミットの森の中でも起こっていました。二人の男女の言い争い、もとい取っ組み合いが今、熾烈を極めているのでございます。
「結構ですって! これ以上は本当に、あなただけでなく村の皆様にまで迷惑が・・・」
「大丈夫! 村の皆とっても優しいから、絶対分かってくれるって! 遠慮しないの!」
マタネ・グッバイというこの女性、どうやら相当な世話好きなようでございまして、少年、業欄透が行く宛も帰る場所もないと知るや否や、自分達の村へ連れていき、しばらく住まわせてくれるよう交渉するというのです。
少年はこれ以上お世話をかけさせては顔を上げて表を歩けないと言い断ろうとしましたが、女性の方は連れて行くと言って聞きません。しばしの問答の末、無理にでも逃げ出そうとした少年でしたが、とうとうマタネのお縄についたのでございます。ぐるぐる巻きでございました。
「ふっふ~ん。森での生活に縄は必需品だからね~」
「くっ・・・」
少年の抵抗はあっけない敗北に終わりました。
森の中をずるずると引きずられながら、少年は一人物思いに更けていました。
(さっきはこれ以上厄介になるのは相手に悪いと思っていたけど、よく考えてみれば、僕は今かなり危ない状況なんだよなぁ。寝るところを探さなきゃいけないし、何が食べられるものかも分からない。猛獣が潜んでいるかもしれないし、一人でこの環境を生きていくのはかなり危ない、というか絶対死ぬ。また僕は自分の命を投げ捨てようとしていたのか。これはいけない。僕はもう心に決めたんだ。自分の身を軽んじたりしないって。)
少年はその場で足を地面に叩き付けました。柔らかい土と枯れ葉がそれを受け止めます。
「トール君、どうかしたの?」
マタネは少年の突然の行動に疑問符を浮かべながら立ち止まりました。
「今更逃げようとしても無駄よ。ここで身寄りのないあなたを見捨てたとなったら末代までの恥なんだからね。」
「そう心配せずとも、もう逃げも隠れも致しませんよ。ただ、このまま縄で縛られた姿で村の皆様のお目にかかられるのは忍びないと思っただけです。これはあなたの名誉のためでもあります。」
引きずられ過ぎて体が痛いのでやめてほしいということが少年の本音でありましたが、少年の言い分はマタネにとって一考の価値があるように思われました。彼女は唸るように首を傾けながら頬に指をあてました。
「うーん、それもそうだけど・・・。あなた、絶対に逃げたりしないって約束できる?」
「誓います。そもそも、僕があなたから逃げられないということは先程証明されたばかりです。僕もそこまで往生際の悪い真似はしませんよ。」
彼女はまだ何か言いたげな様子でしたが、次の少年の言葉によってその態度は崩されました。
「ここまで言っても僕を信用しないというのは、それこそ末代までの恥なのでは?」
「分かった分かりました~、ほどけばいいんでしょっ。」
流石にここまで言われては勝ち目がないと思ったのか、マタネはあっさり手の平を返しました。縄はみるみるうちにほどかれていき、少年は自由の身になったことを喜ぶようにその場で背伸びして体をほぐしました。
「誤解しないでほしいけど、私はあなたを信用していない訳じゃないのよ。あなたがあまりにも遠慮して付いてきてくれないものだったから、仕方なく、よ。むしろあなたの方こそ、右も左も分からなくて不安なはずなのに遠慮しすぎじゃない?」
「あれは、僕の性分でして。これからは他人の厚意に甘えてみようと思っています。」
「言い心がけね。でも、何もせずぐうたらしてていいって訳じゃないからね? ある程度仕事は手伝ってもらうわよ?」
「当然です。働かざる者食うべからずって言いますからね。」
「あら、いい言葉ね。それがあなたの真理なのかしら?」
「いえ、それほどのことでもありません。僕が以前いた世界で有名な言葉だったというだけです。」
少年は転生前のことを思い出しながら、森の中をひよこのようにマタネの後ろにつきながら歩いていきました。
さて、マタネについていくこと十分、少年はエルフの村へ後少しといったところで、何者かに行く手を阻まれたのでございます。それがモードルであったならなんのその、しかしその者は村の門番であると思わしき、少年の体格では万に一つにも勝ち目のない屈強なるエルフの男性だったのでございます。燃えるように赤い髪をざっくばらんに切り揃え、肌は岩のようにごつごつとしていました。長い耳がなければ、その風貌はエルフというよりオーガに近かったでしょう。
突然木の上より姿を現したかと思えば眼前に槍を突きつけられ、恐怖に震える少年を庇うように前へ飛び出たのは、端正な眉を僅ばかり潜めた見目麗しい女性、マタネ・グッバイでございます。こちらもまたエルフでした。エルフ同士が一歩も退くことなく、両の目をぴたりと合わせ睨み合っていました。
・・・どれ程の時間が流れたでしょうか。実際にはその睨み合いはほんの10秒ほどでありましたが、少年にとってそれは永遠を思わせるほどでありました。不意に、男性の方が槍を降ろし、無骨な口を開きました。
「・・・またお前か。相変わらずの拾い癖よ。だが今度ばかりはモードルやサンスクインとは訳が違うぞ。それは人間だ。もといた場所に帰すのだ。」
その声は渋くも優しく、諭すようにマタネへと投げ掛けられました。しかし、彼女は口を尖らせます。
「いいじゃないヴィスム。この子は神の連れ子よ。行く宛がないから村で預かりたいの。同じ森で出会った縁なんだから、助け合わなくっちゃ!」
「だが、人間は面倒だ。それにすぐ死ぬ。こんな弱い子が独り立ちできるまで匿うのはお前一人の承認ではとても決められない。」
「大丈夫だもん! 一人でちゃんと世話するもん!」
「マタネ!」
会話の内容が捨て犬を拾った子を叱る親のようであることに、少年は不服でした。しかし、ここで追い返されては少年の冒険はそこで終わりかねません。少年は渋々と、苦渋の末にマタネに便乗することにしました。マタネと門番の男の間におずおずと進み出た少年は、必死に瞳を潤わせながら、ただでさえ背丈に差がある門番の男を上目遣いで見つめ、手を合わせて懇願したのです。少年のプライドはその場の貞操よりも、生き残ることにあったのでございます。
「・・・お願いします。ど、どうか情けをおかけ下さい。ただとはいいません。出来る事なら何でもします。この恩は命を賭してでも代えさせていただく所存です。どうか、どうか・・・」
果たしてこの庇護欲を誘う作戦が男に通用するか定かではありませんでしたが、結果はどうでしょう。門番の男の顔には動揺が見え隠れしているではありませんか! それを見届けたマタネは追撃とばかりに門番の男に打って出ます。
「ね、この子が森を一人で生きていけるまででいいから。森の常識は私が教えるし、ここで生きていけば自然と力もつくでしょ? だからお願い、長老たちに会わせて!」
「む、むむむ・・・」
門番の男は顔に汗を浮かばせ悩んでいました。あともう一押しか、と思われた丁度その時でした。
「グウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ」
それは、誰かの腹が空腹を訴える音ではありません。森の茂みより現れた、狼の唸り声でした。少年の膝までの高さがあるその狼のような生き物は、まだ子供のようでした。銀色の毛が波打つように風に揺れていました。
この狼のような生き物は、少年を敵と認識したのか、他の二人には目もくれず少年を睨みつけました。それを目にした門番の男は、はっと目を見開いたのち、我妙案を得たりといった様子で少年に向き合いました。
「小僧。このグーリアスは森の番犬とも呼ばれていてな、余所者には厳しいのだ。この森は力なき者が生きていける場所ではないのだよ。これからここで生きていくなら、せめて子供のグーリアスくらいは相手にできねば話にならぬ。汝の強さを見せてみよ!」
「強さ・・・ですか?」
「ちょっと! これから力をつけさせようって言ってるのよ? 今はまだ勝てないわ!」
「何も勝てとは言っていない。力量を量るだけだ。それに、ここで怖気ずくような腰抜けなら何年たとうが一人では生きていけぬ。」
「そんな、私たちだって一人で生きてるわけじゃないでしょ!? 皆で助け合わないと・・・」
「いいんです、マタネさん。やらせて下さい。」
門番の男に食って掛かるマタネを、少年は遮りました。まさか少年が受け入れるとは思わなかったのか、マタネはあっけにとられたように少年を見つめました。
「集団で生きるということは、個人が力を持たなくていいという意味ではありません。それに僕だって、村の皆さんに何も出来ない木偶の坊と烙印を押されたまま生きたくないんです。」
「トール君・・・」
「だからやらせて下さい。僕の強さを示したいんです。」
少年の眼には覚悟が宿っていました。自分とあまり年が違っていない(ように見える)マタネに捨てられた子犬のように扱われたことに、少年の奥にしまわれた矛理の紐が少なからず緩められたのです。もはや闘志すら感じさせる少年の瞳に、門番の男は頷きを持ってその意志を認めました。
「・・・」
少年の変化にグーリアスというらしい狼も気付いたのでしょう。少年を真正面に見据え、顎を引きました。少年もまたグーリアスを見つめました。
「では・・・行きます!」
試練の始まりを示す宣言が、ハミットの森にこだましました。
才人は、誰にも射ることのできない的を射る。天才は、誰にも見えない的を射る。 byショーペンハウアー