汝、森へ行くべし
はて、今日は何日だったかな?(すっとぼけ)
夏休みが終わり、学校のゴタゴタと部活が重なって忙しい日々が続いたという言い訳を手土産に、ここに謝罪させていただきます。
更新遅れて申し訳ございませんでした!!!
少年、業欄透の頭は苦悩に震えていました。どうすればこの八方塞がりな修羅場を乗り越えられるのか、手を上げ白旗を振ろうとする脳細胞を叱咤し、何度目かの脳内会議を開き、画策するも企画倒れ。
少年の心幹は雨風にさらされ今にも折れようかといったところでした。
「あのねぇ、話が終わったなら帰ってほしいなぁ。僕らも暇じゃないんだよぉ。」
「考える人」の姿勢でうんうんと唸る少年を尻目に欠伸をかくこの男は、鐃街区で衛兵を勤める勤務二年目の兵士でした。鼻の横に大きなほくろがあるのが特徴的です。他の衛兵は巡回に行ったようで、詰所にはこの男しかいませんでした。兵士といってもこの様子では肩書きだけでしょう。あなたの世界における警察に似た組織だと思ってください。これでも国からお給金が出ているのです。
なぜ少年がこんな面倒くささをおくびも隠さないほくろ男を相手に若い脳細胞を死滅させなければならないのでしょうか。それは、少年がマタネ・グッバイに役立たずの烙印を押されることを恐れて大見栄をきってしまったことが原因でした。
ただ、少年もなんの考えもなく衛兵を説得させるなどとのたまったわけではございません。
森で火遊びした輩がいた。このままでは森が燃える。
それだけでも衛兵が数人動くには十分な動機だろうとたかをくくった少年でしたが、対する返答はこのようなものでした。
「森ってさぁ、アトリス王国とエストリーカ王国との間じゃ不可侵領域なんだよねぇ。ほら、僕らって一応国に雇われてるわけでしょ? あんまし下手に手を出したくないんだよねぇ。」
たかが火遊び消火させるくらいで何を大袈裟な、と噛みつく少年を歯牙にもかけない衛兵に少年はこれはまずいと焦りを見せました。
(どうする? 煙はエストリーカ王国の宣戦布告の狼煙ってことにして・・・って何大事にしようとしているんだ! 普通に森が焼け落ちたら大変だからって感じじゃダメなのか?)
「こういうのはさぁ、森に住んでる連中がなんとかしてくれるって。ほら、エルフとかドワーフとか。知ってるでしょ?」
「え、ええ。」
知ってるどころか、そこで厄介になっている身でございます。
「でも、もし森から街道近くまで火が移ったら・・・」
「心配なのは分かるけどさぁ・・・その時は自警団がなんとかしてくれるって。」
「・・・自警団?」
首を傾げる少年に衛兵は目を丸くしました。
「あれ、まさか知らないの? 区の自警団っていったら便利屋みたいなもんだし、名前くらいは聞いたことあるはずだけど、もしかして君ここの人じゃない?」
少年が次に行くところは決まったようです。
一方その頃、森の中では。
吹き荒れる土埃、みしみしと音を立てて倒れる木。そして轟音の最中に繰り広げられる、二人の男の死闘。それらは今まさに熾烈を極めていました。
「ちっどこに隠れやが・・・そこかァ!!!!」
橙色の光を纏ったエルフ、ジャーナ・グッバイが背後を振り向きつつ回し蹴りを放ちました。ただそれだけ、足を振り抜いたそれだけのことで辺りには風が吹き荒れ、地面は抉られ、大木の幹が弾け飛びました。
「ハハハ、猛々しいものよ! それでこそ英雄!! 神に選ばれし者!」
それを枝に足をかけながら眺め喝采を上げるジュリアス・シーザーには、先程までその一蹴の射線上にいたという危機感がまるでありません。いつ肉塊にされるかという紙一重の状況でなお笑顔を絶やさないその精神力は、一体どこから生まれるのでしょう?
「てめぇ、ちょこまかしやがって! 正面からかかってきやがれェッッ!!」
今にも目が血走りそうなジャーナと、それを闘技場の猛獣を観る観客のように眺めるジュリアス。今のところ両者ともに致命的な傷は負っていません。いや、ジャーナについて言えば、一度は瀕死の重傷だったわけですが。
「くっくっくっ、戦とは何も裸一貫の果たし合いとは限らぬのだよ。いやはや、改めて見ると凄まじいの一言に尽きる神理だ・・・なァ!」
枝から飛び降り華麗にジャーナの攻撃を回避するジュリアスと、ジュリアスが足場にしていた枝を木ごと吹き飛ばすジャーナ。本人は森に被害が出ないよう精一杯の加減をしているつもりですが、目の前の敵を葬ろうとするあまり力が入ってしまい、森はみしみしめきめきと幾度も悲鳴を上げる始末です。
「逃げんじゃねェ!」
「では遠慮なく、『賽は投げられた』!」
木を破壊したジャーナが着地すると同時に大量の土埃を舞わせる中、ジャーナの怒号に応じたジュリアスが宝剣を両手に構えてジャーナに剣先の照準を合わせました。それは、既に一度ジャーナに冷や汗をかかせた初撃の再来でした。
ドッ!
ジュリアスの姿が消え、ジャーナの懐に現れます。もちろん、剣が構えられた体勢で、です。
土埃がジャーナの視界を塞いだと判断しての一撃。剣をジャーナに突き立て、今度こそ息の根を止めようとしたジュリアスでしたが、ジャーナはそれに気付いてなお、避けようとする素振りすら見せません。
今度は、ジュリアスが驚愕する番でした。
ジャーナの皮の服を破り、肌に届いた宝剣の剣身が、半ばからぽっきりと折れてしまったのです。鋼鉄の鎧に突き立てたとしても、これ程の事態には陥らないでしょう。
さて、ジュリアスが驚愕に顔を歪める暇を、果たしてジャーナが与えるでしょうか。いいえ、与えません。ジャーナがこれ程の好機を逃す阿呆なのだとしたら、とうの昔に挽き肉にでもなっていたはずです。
その左手は逃がさんという確固たる意思をもってジュリアスの右肩を掴み(ついでに肩の鎧ごとくしゃりと握りつぶし)、その右手は短剣を以てジュリアスの首をよし飛ばそうとしている真っ只中でした。宝剣の柄から右手が外れ、せめて剣を離すわけにはと左手に力をこめるも、時既に遅し。ジャーナの瞳に映ったのは恐るべき強敵ではなく、最早死を待つだけの獲物の姿でした。
ひゅっ、と息を飲むより先に、ジュリアスは動き出していました。それはほんの刹那の決断でした。背に腹は代えられないと、体が理解していました。
「『賽は投げられた』!!」
次の一瞬、ジュリアスの剣、ジャーナの短剣ほどまで刃渡りが短くなってしまった宝剣は、その刃を再び血に染めていました。しかし、それはジャーナの血ではありません。もしジュリアスがジャーナに刃を突き立てたとしたら、今度こそ宝剣は根本から砕け散っていたはずです。
そう、それはジュリアス自身の血でした。
ジュリアスは左手の剣で右腕を肩ごと切り落とし、ジャーナの左手から逃れ、後ろに倒れたのです。
狂気の沙汰だと普通は思うでしょう。ええ、普通はあり得ないことです。躊躇いもなく自分の右腕を斬るなど、常人にできることではありません。しかし、この者にはできたのです。ジュリアス・シーザーという、一騎当千の武将として生まれたこの男には、それを為し遂げるだけの力と器が備わっていたのです。
外れることはないと思っていた剣突がかわされ、掴んでいた右腕の血の元を絶たれたジャーナは、堪らず前のめりに倒れそうになりました。立て直そうと咄嗟に踏ん張った足が地面を粉砕し、今度は後ろに大きく跳ぶこととなったジャーナ。
どれだけ使いこなそうと鍛練を重ねていても、こうした予想外の場面になると超越的な力に振り回されてしまうのが、ジャーナが抱えていた往年の課題でありました。
図らずも距離をとることとなったジャーナでしたが、対するジュリアスは放って置いても出血多量で死にかねない体。もはや勝負はついただろうと誰もが感じるでしょう。
「ハァ・・・ハァ・・・くっくっくっ・・・・・・ハハハハ・・・・・・」
なのにどうして、どうして彼は、
「面白い・・・じゃないか。」
ジュリアス・シーザーは、笑っているのでしょうか。眼帯の隣に据えられた右目は、絶望を宿すことなくジャーナを眺めます。
「見誤ったよう・・・だな。全く、攻撃力もさることながら防御力もこれほどとは・・・。文字通りの無敵状態、か。」
「ああ、そういうこった。」
「ならばなぜ最初から使わない? 敵を目にしたその時から神理を行使していれば、我が小隊は壊滅の一途を辿ったであろうに。」
「・・・教えてやる筋合いはねーな。」
「・・・そうか。なるほど、使い道を選ぶ能力らしいな。時間制限か? 道理で勝ちを焦っていたわけだ。くっくっくっ・・・」
大方を察してくつくつと肩で笑うジュリアスに、ジャーナはますます訝しげな視線を送ります。
「何が楽しい。てめぇ、死ぬ間際くらい笑って死にてぇってハラか。」
能力の制限について否定はしないジャーナ。全くその通りだったために否定の言葉がすぐには出てこなかったのです。この男は嘘をつけない星の元に生まれたのです。
一歩一歩距離をつめるジャーナ。短剣はすでに鞘に納められていました。今のジャーナでしたら、素手で人の四肢を引き千切り腸をぶちまけることなど容易いことでしょう。
「確かに死に顔を破顔一笑を以て彩るというのも誉れであろう。だがな、我が死に時は今ではないのだよ。」
「・・・何?」
ジャーナはジュリアスの余裕の正体が掴めずにいました。初めて会ったときからというもの、この男は生死の狭間を渡っていながら、そこに投げ出されているのがまるで自分の命ではないかのように悠然とした笑みを絶やさないのです。
当初はこれが戦場を幾度も乗り越えた猛者の肝っ玉かと思っていましたが、その割りには体に刻まれていてもおかしくはない歴戦の古傷はどこにも見当たりません。
この男からどことなく漂う紛い物の匂いをジャーナは嗅ぎとっていました。
「逃げられると思ってるのか?」
「はて、これ程の出血だ。逃げ延びたとしてどうしたものか。我一人では命脈を繋ぐのは難しいだろうな。」
くっくっくっ
やはりジュリアスは笑いました。見栄とも自虐とも一味違う、滑稽さを纏った笑いでした。
「難しい、じゃない。できないんだ。」
そんなジュリアスに冷声を浴びせた人物がいました。一際大きな血の匂いと殺気に、ジュリアスとジャーナは揃って振り向きました。ジャーナはその声に聞き覚えがあります。何年も何年も旅を共にしてきた相棒でありました。
「オッス! 来てくれたか!」
「煙上げるから何事かと思って来てみりゃ、黒豆が湧いていやがったもんでな。ジャーナ、その金ぴかが本丸か? 虫の息じゃねぇか。」
血塗れの闘斧を担ぎながら髭を揺らし、ジュリアスを見定める姿には少年と酒を呑んだときの豪快な声量は伴っていませんでした。これが普段のオッス・ハローという人物なのでしょう。
「その血・・・我が部下の血か・・・」
「恨むのは筋違いってもんだ。キラリもん振りかざすってことは殺られる覚悟があるってことだからな。」
「然り・・・全くその通りよ。」
ジャーナの隣に並ぶオッス。二人の圧気にさらされなおジュリアスの顔に恐怖だの憤慨だのといった激情は生まれません。オッスもそれを不思議に思いながらも、とにかく・・・と言葉を続けます。
「てめぇはもう終いだ。」
陰鬱に微笑むジュリアスを不穏に思ったジャーナが不気味なその顔を今度こそかき消してやろうと思ったその時でした。
「お、兄ちゃ・・・ん・・・」
その震える声はジャーナの首筋を打ちました。ひやりと、空より降り落ちた雨のように。振り向き、目を見開くジャーナと対照的に、オッスは苦々しく奥歯を噛みしめます。
「・・・なぁ、タイタス。一先ずは幕引きといこうか。」
「畏まりました。」
タイタスと呼ばれた銀の鎧の男が蛇のように長い舌をちろりとなめずり、目を細めました。その手に握られた剣はしっかり人質の首に当てられており、引けばスッパリ斬れるのでしょう。
タイタスが現れたのは街道の方角から。どうしてそこに人がいたのか。そんな疑問はジャーナからすれば遥か彼方にあるもの。ジャーナの頭の中を占めるのはもっと別の問題でした。
はてその問題とは、その人質とは誰か、ということです。ジャーナを兄と呼べる者など一人しかいないでしょう。まぁ、本人はジャーナを日頃兄と呼びたいとは思っていなかったようですが、極限の状況ではうっかりと素の自分が出てきてしまうものでしょうね。
ジャーナが纏う橙色の光がすぅっと消えていきました。その目からは覇気が失せていき、代わりに動揺が沸き上がりました。
「マ・・・タネ・・・?」
兄妹の再会は、感動的な演出とはならなかったようです。
次は一週間後になるかも・・・