5話
美しい薔薇園に綺麗に飾られたお菓子、そして美しい陶器のカップに入れられた紅茶。おいしい、和やかだ。
「姉上、今日の衣装もかわいらしいですね」
「そうかしら、アレク。ありがとう」
「もちろん、お前も可愛いぞエーファ」
「で、殿下?!! あ、ありがとうございます」
ピンクのフリルが付いた可愛らしいドレス。公爵家令嬢らしい振る舞い、そして恋。日々が美しく、日々が楽しい。生きているだけで楽しい。
「はあ? 何言ってんの? エーファ・ルディグリフは悪役令嬢でしょ」
「あ...いかさん?」
アイカは私の肩を突き飛ばす。
「さようなら」
「まっ!」
落ちていく、どんどん暗闇に自分が堕ちていく。
「アイカヲイジメルナ」「シツボウシマシタ」「コウシャクケノニンゲンデハナイ」「ケガラワシイオンナメ」
頭の中に響く悪魔の声。耳を塞ぐ。違います。私は何もしていません。無実です!
「ああ、無実だよお前は」
「え?」
堕ちていく私を受け止めてくれたのは
「ノヴィーさん!」
だけど、とノヴィーさんが口を開く。
「オマエノセイデオレハシンダ」
ノヴィーさんの口の端から胸から垂れ流れてくる、赤、あか、アカ、朱、緋、紅...。
「あ、い、いや...」
「オマエノセイデ...」
ゆっくりとその血から炎が燃え上がる。
「ッ!!」
飛び上がる。息が切れる。夢か...いや、夢のようで夢ではない。追放されたし、ノヴィーさんは死んだ。
息を整えて少しだけ落ち着かせる。身体の震えはとまらないがまずは状況の確認だ。
「...ここはどこだ?」
私はベッドの上で寝かされていたらしい。服も着せられていた。特にフリルもないシンプルな青色のワンピースだ。辺りを見渡すと本棚やクローゼットに机。机の上には誰かの飲みかけの水が入っているコップがあり、ベッドの横には水の入った器にタオルがあった。生活感のある部屋。ゆっくりとベッドから出ると窓に近づく。この部屋には窓が一つとドアが一つある。もし、何かあったら逃げなければいけない。そっと外を覗こうと窓に触れる。
「ああ、起きたのかい」
「?!」
ガチャとドアを開けて入ってきたのは腰にエプロン、長い黒髪を一つに束ねた女性。
身体に力が入って身構える。
「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。アンタをどうにかするなら、わざわざ拾って帰って来やしないさ」
生き倒れていたのか、私は。それをこの女性が助けてくれたということか。
「全く、若い娘がボロボロで、しかも裸で倒れてるもんだから変な輩にヤラレたんじゃないかと焦ったよ。だけど、そうじゃないみたいだしねえ...」
女性は机に新しい水の入った器を置いて椅子に座る。アンタもベッドに戻りなと促され、言われたとおりにベッドに戻る。
「あたしは、カトリーヌ。アンタは?」
「......」
「もしかしてしゃべれないのかい?」
「.........」
「まあいいさ。誰にだって話したくないことはある。無理には聞かないよ」
カトリーヌさんはそういうと私の頭を撫でて、部屋を出た。もちろん器も換えて。
もう一度眠ってしまおうか。いや、彼女が敵じゃないという保証はない。そうだ指輪とネックレスは? よかった...。机の上に置いてある。結局ここがどこなのか分からなかったが、きっと帝国領だろう。私が王国軍だとばれただろうか。もし、ばれてゴタついたらその時は...。
ぎゅっと手を握りしめる。眠ってはいられない。悪いが少しこの部屋を調べさせていただくとしよう。
私はベッドからもう一度出るとクローゼットをそっと開ける。入っているのはもちろん服だ。薄い茶色のワンピースや白いシャツ、落ち着いた色あいだ。中を漁ってみるが特にこれといってない。
次は机だ。引き出しを開けてみるが、ここも大したものは入っていない。
「収穫全くなしか...」
最後は本棚だ。目につく本はあるだろうか。
「パンの作り方...小麦粉について...」
パンについての本ばかりだ。
「...チッ」
本当に何にもない部屋だ。出てみようか。ベッドに寝とけって言われはしたがわざわざ聞く必要もない。
私は机の上にある指輪とネックレスをつけてドアを開ける。
「...パンの匂い?」
さっきは混乱してよく分からなかったが、ほのかに香るパンの焼きたての匂い。部屋から出ると向かいにドア、右にもドアがあった。右のドアを開ける。トイレだ。ということは...。
前のドアをゆっくり開ける。
「...パン」
パンだ。パンがたくさん並べられている。
「ん? なんだい、お腹がすいたのかい?」
「...」
「お腹がすいたんじゃないのかい...」
カトリーヌさんが私を見つけて笑いかけてくる。
「ここは見ての通りパン屋だ。食べたいものがあったら言いな」
パンを見て回る。色々ある。見れば見るほど忘れていた空腹感が襲ってくる。腹は減った。だけど、今は喉が食べ物を通す気がないらしい。自分の唾さえも拒まれる。
私は今はいいと首を振る。
「そうかい...食べないと元気にならないと思うんだけどねえ...」
少し困ったように眉を下げるカトリーヌさん。困った顔をされても食べられないものは食べられない。どうしようか。このまま外に出て逃げようか?
「後で、お粥でも作って持っていくから部屋戻りな」
私の考えていることが分かったのか、タイミングよくそういうとカトリーヌさんは、店の看板を裏返しにする。そして私をベッドに寝ころぶのをしっかり見届けてから台所に行った。
「どちらにしても、今は休息が必要か...」
何か起きてからでは遅いが、だからと言ってこんな身体では何にもしようがない。反抗さえできない。それなら休めた方が得策...。
私は、少しずつ襲ってくる睡魔に身をゆだねそのまま意識を飛ばした。
嫌だ、苦しい。
「エーファ、アンタのせいで俺が死んだ。妹に会う事も出来ず、アンタ等貴族がいるから」
ノヴィーさん...。
「クルッテルクルッテル! ひひひひ!」
あ...。そうだ、私はノヴィーさんだけではなく、初めて人を殺した。
あ、ああ。私は...。
「いやぁああああああああ!!」
「落ち着きな! それは夢だ!」
「離せ! 触るな! やめろ、違う! 私は!」
私は何をした? 私のせいで?
「全く...落ち着けって言ってるのが分からないのかい?!」
「う...あ」
抱きしめられる。誰に?
「深呼吸しな」
「カト...リーヌさん...」
「なんだ、しゃべれるんじゃないかい」
カトリーヌさんが私を抱きしめている。私は...。
「夢...?」
「みたいだね。なあ、一体アンタに何があったのか知らないけど...。話を聞くことくらいならアタシにもできる」
「......」
「無理にとは言わないけどね」
「...わ...たし」
この人に話してもいいのか? じっとカトリーヌさんの瞳を見つめる。ああ、真剣だ。嘘をついてない、優しい瞳だ。私は何をうかがっているんだ。
「私は...王国の人間...です。公爵家...娘だった。罪...それで戦争に...」
言葉詰まる。うまく文章にならない。手が震える。体が震える。
「ゆっくりでいいよ」
「あ...。私は、王国の人間で、公爵家の娘...でした。その...罪を犯し、罰として戦争に出ました。そこで良くしてもらってた人が庇って...。怖くて、目の前で人が死んで...私のせいで」
公爵家の令嬢だった。私は皆を愛し、そして愛されていると思っていた。それなのに有りもしない罪を着せられ戦死しろと言われ、味方してくれた人は自分をかばって死んだ。そして、初めて...
「人を...殺した」
焼いて殺した。口を閉じてカトリーヌさんを見つめる。
「...アタシから言わせてみれば色々とおかしいところがありすぎて何とも言えないけど、そうだねえ...。アンタは生かされてるんだ」
「生かされてる?」
神にか?
「ああ、アンタを庇った人間にね」
「庇った人...」
ノヴィーさん。
「庇ってまで助けたんだ。アンタをそこまでして死なせたくなかったんだろう」
「でも、彼には妹がいる」
「だから何だい? 助けたいと思ったんだ。そいつはよくやったよ。アンタを命がけで守った。それなのにアンタは...そのシケタ面はなんだ」
腰に手を当てて立ち上がる。彼女は真剣な瞳で私を射抜くように見つめる。
「自分のせいだって思っているのかい? なら、生きてみな! 生き延びてみな! 全く、王国も帝国もくだらない戦争をするから、若い娘がこんな目に合うんだ」
「ッ...」
「とにかくだよ! アンタが今、しなければならいこと、そして、庇った奴の本当の気持ちなんてアンタが一番わかってるはずだよ!」
「私が一番...」
彼は正義感が強くて、救われて...。私ができることは何だ。やりたいことは何だ? 彼のネックレスを触る。
『もし...。もしも...おれ、の妹に会う...ことがあったら渡してくれ...』
そうだ、このネックレスを妹さんに渡さなければならない。
「私は、自分が殺した人の事も死んでいった人の事も忘れない。それが、私にできること...。そして、これを彼の妹に渡す義務がある」
「決まったかい?」
「はい、ありがとうございます。貴女のおかげで私は...」
「カトリーヌ」
「へ...?」
「あたしは、カトリーヌ。アンタは?」
「...私は」
エーファ、と言おうとして止まる。違う。私は新しい自分になりたい、いや、なったんだ。そもそも戦場に出た時点でエーファ・ルディグリフの名は捨てた。だから、私の名は...。
「私はイヴ。ただのイヴです」
「イヴ、ね。よろしく。しばらくはウチにいな。あたしは独り暮らしだし、アンタくらい養えるさ」
「はい、お言葉に甘えて...ありがとうございます」
深く頭を下げる。
イヴは聖書では悪女という意味にも使われていると確か前世の人生を送っている時に見た。何となく覚えている記憶からつけては見たが少し自虐的だったか? いや、このくらいが丁度いい。どうせこの先の未来は誰も分からないんだ。好きに生きてやるさ。ノヴィーさんのためにも。
窓から目の光が入って眩しい。
「あ...」
やっと震えが止まった。