2話
1週間かけてたどりついたのは待機所、夕方になっていた。当たり前だが空気は重たい。負傷者もいれば死人もいる香るのは血と泥と...。とにかく生臭い。普段の生活でみることのなかったそれらに、頭が痛くなる。胃が逆流するのをおさえる。下は見ずに前だけ歩いて少尉のテントに向かう。中にいたのは無表情の茶髪の男性。
「貴女がエーファ・ルディグリフの令嬢ですか」
「はい。いや、いいえ。私はもうルディグリフの人間ではありません。ただのエーファです」
「それでは、エーファ。私がここの隊の少尉ロナルド・フォンです。陛下から事情は聞いています」
「そう...ですか」
「事情は知っていますが、ここは戦場です。そんなものはどうでもいい。必要なのは戦場で何人殺すことができ、そして...生き残れるかです」
ロナルドの言葉に少しの嬉しさと不安が混ざる。事情のことをどうでもいいと言われたことは嬉しいが、生き残れるかどうか、人を殺さなければならないこと...それが不安だ。
「貴女は令嬢として学園に通っていた頃、魔法の成績はいい方だと聞きました。だがしかしここでは...戦場では経験のない貴女などすぐにあの世行きです」
「はい」
「生きたいなら、迷わず殺りなさい」
「ッ」
ロナルドはそういうと「もう下がっていいです。明日出撃します。準備しておいてください」と言って書類に目を落とす。その言葉に従いテントから出ようと布に手をかける。
「そういえばその白い服に銀髪...全身白色とは皮肉ですね」
「...殿下たちの餞別ですから」
苦笑いで答える。ロナルドはそれ以上何も言わなかった。私は黙ってテントを出る。
案内人に自分のテントまで案内されるがその間の視線がすごかった。『白』というのは目立つ。兵士の人たちは目立たないカーキー色の服なのだから特にだ。
「ここがエーファ・ルディクリフ...おっと今はちげえーな、あんたのテントだ。言っとくがここじゃあ我儘はきけねーぞ」
案内人さんの皮肉など全くいたくない。私はありがとうございますとだけ言ってテントに入る。1人部屋だ。
「明日出撃だなんて...。私は明日にはここのテントにすら帰って来ることもないかもしれないのね...」
私は明日死ぬ。だけど私は死なない。矛盾しているが、つまりは死という未来を必ず書いたしてみせるということ。生き残る。神の思い通りに物語は終わらせてたまるものか。
「問題は...」
問題はどう戦い生き残るかだ。最前線で戦うとなると近戦になる。魔術師が前線で戦うなんて無謀すぎるがそれは既に決まっていることだからどうしようもない。じゃあどう戦うべきか。イメージよ。まず、身体にバリアを張る。強めのをね。連続で打てる魔法はファイヤーボールくらい。そして、私が全快でそれを打てる数はせいぜい150発くらい。バリアの事を考えてもそれくらい。つまり、150発打ったら後は肉弾戦...ともいかない。体力と魔力切れでバテている筈。ということは『150発をいかに多くの人間にあてることができるか』か...。
「これについては実践...よね」
何となくのイメージはできてきた。イメージは。本番はどうなるかどうか分からないしきっと必死になってるから頭が回らないとも思うけど大事なのは気持ちよ。
「飯の時間だぞ!」
外からの声が聞こえる。もう、そんな時間なのね...。そういえば私の夕食ってあるのかしら...。そっとテントかた顔を出してみる。
「おお、ちょうど今、アンタを呼びに行くところだったんだ」
「私の夕食もあるのですか?」
「ああ。あるから呼びに来たんだろ」
「ありがとうございます」
テントを出て、配給所へいく。私が来るのが遅かったのかしら、あまり並んでなくて、すぐに私の番になった。
「ほらよ」
渡されたのは少しカビのはえたパンと少しにごっている水。
「ありがとうございます」
思ったよりも豪華ね...。もっとひどいものだと思ったのだけど。
受け取ると自分のテントの前で食べ始める。パンを一口サイズにちぎりながら。食べられる事が幸せだということを少しずつ噛み締めながら。
「...変わった令嬢だなアンタ」
「あなたは?」
声をかけてきたのは私より少し年上だと思われる紺色の髪をした男性。
「俺か? 俺はノヴィー」
「私は、エーファです。ただのエーファ。もう令嬢ではありませんから」
「エーファ、だな」
「はい。それで、その変わったというのは...?」
「あー...ただの偏見だ。令嬢ってこんな所普通は来ないだろ。だからよ飯とかもこんなの嫌ーとかいって我儘いうのかと思っててな」
「あははー...。そういう令嬢もいらっしゃると思います」
大半は、普通はそうだと思う。まあ、ここに私以外の令嬢が来ることはないだろうけど。
「だろ? だからやっぱりアンタは変わってるって思ってな。それに...」
「?」
「噂ってのはアテにならねえことも分かった」
「噂...ですか?」
「ああ、アンタが殿下の婚約者の立場を利用してひどいことやらかして殿下の怒りを買ったとか、なんか色々とな。それでこっちに飛ばされたって」
「...間違ってはいませんよ」
間違ってはね。
「というと?」
「そう、事が進んだというのでしょうか...。私が知らない間にやってもいない罪がきせられただけです」
「はあ?!」
「ちょっ! ノヴィーさん、静かに!」
ノヴィーさんの声で周りの人がこちらを見る。
「わ、悪い...ってじゃあアンタは無実の罪をきせられて死にに来てんのか? その目立つ格好で?!」
「は、はい...。服は殿下から餞別に」
「餞別?!」
「ノヴィーさん声!」
「何で言わなかったんだよ!」
「へ?」
ノヴィーさんは私の方を掴むと揺さぶる。このままでは何事かと騒ぎになる。私はノヴィーさんをテントの中に通すとそっと閉めた。
「えと...」
「無実だったんならちゃんと言えばよかったじゃねえか!」
「お、落ち着いてください」
「落ち着いていられるか。何も悪くない奴が何で死にに戦場に送られてくるんだ。しかもまだ子供で、女だぞ!」
「ノヴィーさん...」
優しい人だ...。
「ノヴィーさん、私はいいました。だけど私には力がなく、結果、無実を証明できませんでした」
いきなりでしたし...。と付け加える。
「にしてもだ! アンタの親父は何にもしてくれなかったのか?!」
「してくれました。しかし、相手は王族ですから」
「くそ...。わりぃ...俺、下町育ちの騎士見習いだから、権力についてはいまいち分からねえんだ...それなのに適当なこと言っちまった」
「いえ...優しいんですね」
「へ?! いや、そんな事ねーよ!」
「優しいですよ。だって、ノヴィーさんは私が言ってること嘘だと一つも疑ってないじゃないですか」
もし、これが全て演技でココから逃げようとしていたら?
もし、噂通りの悪役令嬢で騙して楽しんでいるだけだとしたら?
「わざわざ死ぬかもしれない戦場を目の前にして嘘つくやつがいるか。いたとしたらそいつは間違いなく一番最初に死ぬな。エーファ、アンタは何もかも諦めたような言い方だけど、本当は生きたいんだろう?」
「ッ...」
驚いた。まさかほんの少しの時間で私の本当の気持ちが分かるなんて。
「ええ...。生きたいです」
「だろうな」
「馬車でここに来る時、私は死ぬ覚悟と生きる覚悟をしていました」
ハハッと乾いた嗤いをする。
「あ、そういえばノヴィーさんは騎士見習いなのに何故こちらへ?」
普通は見習いの騎士は戦場に行かないはず...ということは。
「それほど、現状が悪いってことだろ」
やっぱりそうでしたか。国内ではそのような雰囲気は何一つなかった隠していたのだろう。
あれ? でもアレクは戦争への出動命令はなかった。
「まさか、ノヴィーさん」
「下町育ちの平民は貴族とは違うからな」
圧倒的な格差。私が知らないところではこんな...ここまで国は腐っていたのか。
「その、私が言ってもあれですがすみません」
「謝らなくていい」
「でも、やっぱり私は申し訳がないです。こんなに大事なことを知らずに王妃になるところだったのですから...」
自分の事で精いっぱいだった。まるで悲劇のヒロインのような、そんな木森が少しでもあったかと思うと恥ずかしい。
「人は変われる、だからこれから知ってけばいいんじゃねーの? といっても生き残ればだけどな」
「そう...ですね」
もしかしたら私はここに来て正解だったのかもしれない。気づいたことがたくさんある。生死の事を除けばだが。
「ノヴィーさんは何故騎士になろうと?」
「金かな...。一番の理由は。妹と暮らしたくてその為には金が必要でさ。勉学はあんまりできねえけど、力はある。っつーことで騎士かなみたいな、そんな軽い感じで」
「妹さんがいらっしゃるんですか?」
「ああ、エーファと同じくらいのな。名前はフレアっていうんだ。気が強いようで、まだまだ子供でさ...」
ノヴィーさんは懐かしむように首にかけているネックレスを撫でる。
「だから、アイツのためにも生きて帰らないといけねえんだ」
いいなと思ってしまう。いい兄妹だ。
「っと、俺の話になっちまったな」
「いえ、何か少し緊張がほぐれた気がします」
「そうか。長居して悪かったな。明日のために俺はもう寝るけど何かあったらここから2つ隣のテントまで来たらいい」
「ありがとうございます」
「いや、ありがとな。おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
ノヴィーさんがテントを出るのを待って寝ころぶ。
明日...か。
「明日の事は明日...考えよう」
考えすぎたらきっと眠れない。明日は朝早いんだ。寝ないと。
でもこれだけは絶対だ。
「必ず生き残る」
そっと瞼を閉じた。