6、「アユム、大地に立つ!」
「――じゃ、そろそろわたしは帰るね。うちの担当エリアに来たときはよろしく~」
デイジーちゃんはそう言って、小さく手を振りながら空中に開いた小さなドアの向こうに消えてしまった。
「デイジーちゃん、ありがとねー」
手を振り返しながら。
「……担当エリアってなに?」
グレイスちゃんに尋ねる。
「ん? えーっと正式サービスに伴って、プレイ可能な解放エリアが大幅に増えたんだよ。SYSーCOシリーズが全部で十二人って話はしたと思うけど、世界を同じく12のエリアに分けてそれぞれが担当してるの。まあ、そこまで多種多様ってほどでもないんだけど、結構、それぞれのエリアごとの特色とかもあるんだよ」
「へー」
12人のシス子ちゃんが各1000人づつ担当してるとか言ってたし、各地域それくらいの人数になってるってことか。
「つまり、人数が一か所に偏らないように割り振られてるってことなのかな?」
「そんなかんじー。わたしの担当エリアはちょっとばかり、SFちっくな雰囲気のあるとこだよ。もちろん、ファンタジー要素もあるけど」
グレちゃんが、にやぁ、とした顔でボクを見つめてきた。
……なんか含みのある笑顔だよね。
「んー、グレちゃんに不満があるわけじゃないけど、そのエリアって選べないの? ボク、どっちかっていうとコテコテのファンジーっぽいのが好きなんだよね」
「ごめんねー。βテスターの人はほら、βの時に仲良くなった子たちもいるから、βテストの時に使ったエリアか、それともランダムかって選択できるんだけど、基本的に新規の人はこっちで年齢とか性別でわりふっちゃうことになってるんだ」
「まあ、しょうがないよね」
wikiには大きな二つの街があるって書いてたけど、いくら大きくたっていきなり人口が一万二千人も増えたら大変だしね。
「ちなみにデイジーはあの格好からわかるとおり、ちょっと和風なエリア担当だよ。島国じゃないけど」
「へー」
さむらーい、すしー、げいーしゃ!
あー。でもそうなるとβテストの情報を元に書かれていたwikiの内容ってほとんど当てにならなかったりするのかなー。紹介されてたNPCの人とかにも会ってみたかったのにな。
ふむー、とうなりつつ。
そういえばデイジーちゃん、あんなに裾が短い忍者服とか着てたのに、結局一度もパンチラしなかったなーと、どうでもいことを考えた。
えーっと、契約なしでも一応、影族の能力は使えるって言ってたよね。
ボクの場合、1つしかカードセットできないし、いろいろ使える影族をメインに考えた方がいい。攻撃力の不足は何かいい武器を探すとして、影移動からの近接攻撃とか練習してみようかな。
背後に回り込んで、後ろから首をずばっ、とか……カッコイイネ!
ぼんやりと基本的な連携を考えていると。
「あ、そだ。忘れてた。アユムに初期装備あげなきゃね」
グレちゃんがそう言って、ぽぺぽぺん、と謎の効果音とともに、木の棒とお鍋のフタをどこからともなく取り出した。
「おー。wikiに書いてた通り、ほんとに木の棒とお鍋のフタなんだね」
渡されたのは、本当にただの木の棒とお鍋のフタだ。お鍋のフタは取ってが付いてて持ちやすい。木の棒も軽くて振り回すのは楽そうだ。
……その分攻撃力もなさげだけどねー。
「まあ、初期装備といえばーっていうお約束だからね。正式名称は、”聖なる木の枝”と”事象改変の円盤”だよ。一応システムで用意されたアーティファクトだから絶対に壊れないし、所有権がアユムに固定されてるから、もしどこかに落としてもプライベートルームに戻ってくると自動で回収される便利仕様だよ!」
「……それって呪われているっていわない?」
「いうかもしれない!」
なぜか得意気に胸を張るグレちゃん。
「認めちゃうんだ……」
……まあいいや。武器もらったことだしさっそくちょっと試してみようかな。
さっき魔法の矢を撃って倒れたままだったボクのダミーを起き上がらせる。魔法の矢が貫いたはずの胸の傷はいつの間にか消えていた。自動で復元される仕様らしい。
そうしてダミーから少し距離を取って。
忍者っぽく、胸の前でそれっぽい印を結んでみる。てきとーだけど。
「……影渡り」
つぶやいた瞬間、ぱすん、と気の抜けたような効果音がした。どうやらスキルの発動に失敗したらしい。
ある程度知っている物の影って、ダミーは対象外なのかな。
いや、デイジーちゃんはボクの影に移動していたし、物じゃなくて人じゃないとだめなのかも。
じゃあ、さっき考えたみたいに影移動からの連携を試してみようか。
「影移動……ひゃ」
口に出した瞬間、するんと床に吸い込まれ、思わず声が漏れた。
次の瞬間、ボクは真っ黒な空間にいた。
ここが影の中の世界?
……いや違う。ここって、さっきまで居た場所とまったく同じだ。少し離れた場所にマヌケなポーズをしたボクのダミーが立っているし、すぐ隣にはグレちゃんがふわふわと浮かんでいる。
――ただし、白黒が全部反転していた。
今時はデジカメだからボクだって実物を見たことなんてあんまりないけれど、光学式のカメラで写真を撮るときに使うフィルム、そのネガってやつみたいだった。
真っ白だった部屋はどこまでも真っ黒で、辺りを照らす光も真っ黒。
白いグレちゃんも2Pカラーみたいに真っ黒だ。
ただし、ボクにだけは影が無い。
なるほど、影の世界って白黒逆転してるんだね。
ふむー、と息を吐いたらちょっと苦しくなってきた。息ができない、というのとはちょっと違うんだけど、なんだか息苦しい。
そっか、ずっと影に潜っていられるわけじゃなくて、この息が続く間だけ影に潜っていられる感じなのかな?
とりあえずもう少しは持ちそうなので急いでダミーのそばに駆け寄る。移動速度は普通にボクが動く速度のままだった。すり抜けられるかな、と思ってダミーに触れてみるが、無理なようだった。
つまり、表の世界では影だけになってるけど障害物とかはすり抜けられないってことか。
意外に不便そう?
ダミーの背後に回り込んで、表の世界に戻ろうと意識する。
とたんに、ぐるんと世界をひっくり返したように白黒が逆転した。
「……うわ、酔いそう」
つぶやきつつも、ダミーの背後から木の棒を首に突き付ける。
「ここでスラッシュとかできたら、いい感じだよね」
とりあえず。モミモミっと。真正面からだと恥ずかしいけど、背中からだと意外にイケル。
「……アユム、何してるの?」
グレちゃんの冷ややかな眼差し。やっぱりイイネ。
「え、せっかくだからダミーのおむね揉んでみた。でも、我ながら揉みがいがないよね……」
グレちゃんはダミーの中身はカラッポだっていったけど、普通に柔らかいんだよね。ボリュームはだいぶ足りないけどさ。あ、でもなんか変な気分になってきた。
「やっぱり変態だ……はやくこの人なんとかしないと」
「もー、ダミーだからいいでしょー?」
あ、このダミーってもってけないのかな?
影収納に入れといてさ、攻撃食らう瞬間に出して、自分は影移動で潜り込んじゃえば”身代わりの術”みたいなことできそうじゃないかな?
「影収納」
ダミーのお胸をつかんだまま、つぶやいたけれど、ブブーと何か警告音みたいなのが鳴って収納できなかった。
「はぁ……。アユム、備品の持ち出しはだめだよ? ダミーはプラクティスモードのみで使ってね」
グレちゃんがちょっとあきれたようにため息を吐いた。
「ちぇー」
「さて、じゃあそろそろいっちゃう? 冒険しちゃう?」
「おーいぇーす! 冒険しちゃう!」
グレちゃんがプラクティモードを解除する。なぜかダミーが残ったままだったので部屋の隅に立てかけておく。しぇーのポーズもそろそろ飽きてきたので、だっちゅーのポーズにしておく。
……うん、虚しい。何がとは言わないけど。
「あそんでないで、こっちきてアユム」
グレちゃんがひよひよと、部屋にひとつだけあるドアの前に移動した。
「はーい」
木の棒は持ったし、お鍋のフタも腰の後ろに括り付けた。冒険の準備はばっちりだよ。
「冒険に出る前に簡単に説明をしておくね。プレイヤーはいつでもこのプライベートルームに戻って来られる”リターン”というコマンドが使えます。思うだけでいいから、緊急離脱にも使えるよ。あとは”ログアウト”。プライベートルームを経由せずにゲームからログアウト出来るコマンドね。普通はプライベートルームを経由した方がいろいろ便利だからあんまり使わないと思うけど」
「うん、ログアウトするときはちゃんとグレちゃんにもバイバイしたいから戻ってくるよ」
ぱちんとウィンクしたら、グレちゃんがさっとかわすように横に移動した。しつれーな。
「……あ、もうひとつ渡すものがあったんだった」
取ってつけたようにグレちゃんがそう言ってどこからともなく取り出したのは、スマホくらいの大きさの黒い板状のモノ。
「スマホ? 持ち込み禁止なんでしょ?」
「ん、これはね、わたしからアユムにシステムメッセージを送るためのものなんだ。あと、ゲームっぽいいろいろ便利機能がつまってる。まあ、使い方は追々ね」
「へー」
受け取って画面に触れると。
≪アユムは システムタブレットを てにいれた!≫
画面にちっちゃなデフォルメされたグレちゃんが表示されていて、マンガのフキダシのようにそんなメッセージが表示されていた。
「ほえー。ちっちゃいグレちゃんカワイイ」
「ん、表示は簡易化されてるけど、そこにいるのもわたしだから。プライベートルームにいるわたしほどはコミュニケーション能力はないけど、普通に受け答えできるから何か質問とかあったらそのシスタブを有効利用してね」
「うん、ありがとね」
とりあえず、画面に映る2Dグレちゃんのお胸をつついてみた。
画面のグレちゃんが、顔を赤くして、イヤイヤとかぶりを振る。反応が面白くて、何度かつついていたら、ひょい、と2Dグレちゃんが画面端に消えてしまった。
顔をあげると、グレちゃんが腕組みしてじろりとみつめていたた。
「……アユム? そこにいるのもわたしだって言ったでしょ?」
「ごめんなさーい」
あふん。パリパリは、やっぱりちょっと癖になりそう。
「……非常に不安なんだけど。説明を続けるね」
「オネガイシマス」
「このドアは、最後にリターンまたはログアウトした場所と、各神殿などの転移ポイントにつながるようになっているよ。まずは近くの街の神殿でお祈りして、転移ポイントを記録するといいね」
「ふむふむ」
「ちなみに周囲にある転移ポイントやダンジョンなんかは、さっき渡したシスタブでサーチ出来るよ」
「了解」
「ふう、それじゃ最後の注意だよ。現地では、基本的にアユムの持ってる現代的な常識にしたがって行動すれば問題ないよ。現実と違うからって無法が許されるわけじゃない。特に、現地の人はプレイヤーと違って本当に傷ついて、死にます。安易に冒険に巻き込まないようにね」
「……うん」
「あと、特にアユムは注意なんだけど。特に種族的な特徴に関していくつか言っておくね。まず、獣族のお耳やしっぽに断りもなく触れるのは痴漢と同罪です」
「えー」
「竜族や竜人族のツノに断りもなく触れた場合、殺されても文句は言えません」
「なんとー」
「もっと注意したいことはいーっぱいあるんだけど、とりあえずこのくらいかな」
「はーい」
なんかグレちゃん、ハンカチもった?ちり紙持った?ってお出かけ前に聞いてくるお母さんみたい。
「……じゃあ、アユム。ルラレラティアへようこそ。あなたの望む通りの冒険の旅へ、いってらっしゃい」
グレちゃんがドアに触れると。
ドアに備え付けの小さなウィンドウに砂と岩場が映し出された。その場所の名前なのだろうか、画面端にすっと文字が浮かび上がってくる。
「はじまりの砂漠……ね」
ドアノブに手をかけてゆっくり回す。
とたんに、熱い砂交じりの風がどう、と吹き込んできて。
――気が付くとボクは。太陽がカンカンと照りつける砂漠に立っていた。