10、「はいよる恐怖」
「……今の、なに?」
思わず漏れたボクのつぶやきに。
「おそらく、小玉鼠というやつではないだろうか」
ダロウカちゃんが、弾け飛んだ内臓の一部を憮然とした顔で服から払い落としながら答えた。
「こだま、ねずみ?」
聞いたことが無かったので問い返すと、ダロウカちゃんは小さく頷いて説明を続けた。
「割とマイナーな妖怪なので知らなくても当然だ。秋田の猟師の伝承で、山の中で小動物の姿で現れていきなりぷくーっと膨れて内臓を弾け飛ばすだけという迷惑な妖怪だ。山の神の警告の意味で現れるらしいが、まあこの場合、この迷宮に挑むものに対する警告を意味するのではないだろうか」
「……まおちゃん、天然そうにみえて実はインケンだったりする?」
こういう、すぷらったぁ、な感じの仕掛けを嬉々としてやって来るような子だとは思わなかったよ……。
「いや、まお殿は意外にノリがいいというか悪戯好きなところはあるが、こういった物はさすがにどうだろう。監修を名乗った、さっきの狐面の趣味ではないだろうか」
「ふむー」
何にしても、さあ冒険に出発~!ってところに、アレでいきなり出鼻をくじかれてしまった感じなのは否めない。すっかり足が止まってしまっているし、今後あれよりひどいものが出て来ることを想像したら今すぐ引き返したくなったのは事実なのだ。
……んー? そういや、クリア条件は聞いたけど。敗北条件は聞いてないような。
一本道で、一番奥まで行けたらクリア。
あ、ってことはもしかして。
「途中で引き返す、探索する気を無くす、リタイヤする、あきらめる。それが敗北条件で、つまり、この迷宮ってボクたちの心を折りに来るってこと?」
「その可能性は高いのではないだろうか」
むふー、とダロウカちゃんが腕組みして息を吐いた。
「雰囲気があるからお化け屋敷ダンジョンだなどと言っていたでござるが、まさにその通りとは……」
ユキノジョウもうんざりした顔で肩を落とす。
「わたし、スプラッタなの平気!」
ファナちゃんはなぜかワクテカしてる。ホラー映画とか好きなのかな。
暗闇でキャー!ぎゅー!計画はだめっぽいね……。
「……気をつけよ。気配が変わった」
不意にナィアさんが弓を構えた。
「え?」
通路を照らす提灯の明かりが、ろうそくの赤い炎から得体のしれない蒼い色に変わりつつあった。
なんだか、寒くもないのに背筋がぞくりとする。
何か、ろくでもないことが起こりそうな予感。
「これは、化け提灯、だろうか?」
「んー。一定時間同じ場所に留まると先に進むように促す仕組みとかかなぁ」
ファナちゃんがのんびりした声を上げた。
確かに、単に時間経過を視覚的にわかりやすく示してるだけなのかもしれなかったけど。
嫌な予感がじりじりする。このまま、ここにじっとしていると、何かが起こる。そんな予感が、胸の中でガンガンと警報を鳴らす。
進むにせよ、戻るにせよ。
とにかくこのままじっとしていたらイケナイ。
「もしくは、恐怖に囚われてその場を動けなくなる、なんてことを考えたら、強制的に迷宮から排除する仕組みとかもあるかもしれないけどね」
「ファナちゃん、のんきに話してる場合じゃないかも」
思わずファナちゃんを空き寄せた。
「むきゃー。どしたのアユム」
「たぶん、このままここにいると、よくないことが起きる」
「ふむ、時間制限ありタイプの可能性か。では、試しに先に進んでみようではないだろか」
「ふひぃーっ!? これ以上の恐怖はのーさんきゅーでござるーっ!?」
ユキノジョウは先に進むのを少しためらっていたが、それでもパーティ唯一の男性として情けない姿を見られたくない気持ちの方が勝ったらしい。
壁に貼りついた内臓のカケラや真っ赤な血の跡に目を向けないようにしてしばらく進むと。
「あー、提灯の色が戻ったぁ!」
「推測は正しかったみたいだね」
とりあえずひと安心。
「……けど、あのままじっとしてたらどうなったんだろ」
「興味はあるが、たぶんろくな目に合わないのではないだろうか」
「……同意。なんか、すっごいヤバゲなのが出そうな雰囲気あったよね」
「ところで。襖らしきものが左右に見えるが、もしかして部屋だろうか?」
「んー」
漆喰で固められた通路の先、左右に襖がいくつも並んでいた。
「神社の奥に襖っていうのもなんか変な感じするね」
「和風ダンジョンってことで細かいことは気にしなくていいのではないだろうか」
何はともあれ、斥候としての仕事しなきゃね。
先行して前にでて、まずは左の襖を調べてみる。襖の上は欄間になっていてわずかに中の明かりが漏れている。右の襖の奥は真っ暗なようだ。盗賊の”罠感知”に反応はなし。襖なだけにカギもかけようがないし。
耳を襖に寄せて音を探ってみる。左の襖からは何か念仏の様なぶつぶつとしたつぶやきが聞こえていて、右の襖からは何も聞こえなかった。けど、ボクの勘が右はヤバイと告げている。
「……って感じだった」
戻って左右の様子を告げる。
「一本道、というからには部屋から別の通路につながるような構造はないと考えられるのではないだろうか」
「……じゃあ、この部屋って別に無視してもいい感じ?」
「クリアするだけならおそらく必要最低限の探索でいいのだと思う。しかし、迷宮に潜るにはそれなりの利益を求めてのことだろう? おそらく、こうした怪しい部屋を探索して回らねば迷宮で得られるものはないのではないだろうか」
「ダロウカちゃんの言うとおりだよ! まおちゃんがせっかく用意したんだから、遊んであげないと!」
ファナちゃんはやる気満々みたい。
「……そろそろ進まねばまずいぞ?」
ナィアさんが口を挟んできた。提灯の色が変わりつつある。
「では、どちらを先にするか多数決にしようではないだろうか」
「……ボク、すっごくイヤなんだけどー。気が進まないんだけどー」
「すまないが斥候役はアユム殿しかできないのではないだろうか」
異邦人にまかせる、とナィアさんは投票を棄権し。ボクに従うシェラちゃん以外の全員が右の襖を選択した。嫌な予感の内容を口で説明できなかったボクが悪いのだろうけど、明らかに誰か居る、妙な念仏が聞こえる左の部屋よりは、右の真暗な部屋の方がよかったらしい。
「――開けるね」
いつでも影の中に逃げ込めるように、ふん、とお腹に力を入れて。
右の襖をそーっと開けた。
「……」
不自然なくらいに真っ暗だった。
通路には、提灯の明かりが揺れているのに。
まったく部屋の中が見通せない。真っ暗だ。
……いや、真っ暗というか真っ黒?
とりあえず、部屋の中に踏み込もうとして気が付いた。
踏み込めない。というか。これ。
カサカサ、と乾いた小さな音。
「――、――!?」
あまりの衝撃に意識が飛びかける。
これ、暗いんじゃなくて。
部屋いっぱいに。
――Gが。
「 」
次の瞬間、部屋からGが、通路になだれ落ちてきた。
「ぎゃーっ!」
「と、飛び回るっ!?」
「ゴキ、ぶー!?」
一匹だけでも、恐怖の対象なのに。これだけいたら、もう、笑うしかない。
「わぁーっ!?」
操影術で影を作って。
襖の代わりに貼りつける。
零れ落ちたのはもう知らないっ! もう気を失ってもいいかなっ!? 限界なんですけどっ!?
ってゆーかここで倒れたらGまみれになるよっ!? うぎゃー!
「プ」
がくんと崩れ落ちそうになったボクを、シェラちゃんがそっと支えてくれた。
「ええい、皆、その場を動くな! "灰塵呪殺"」
ナィアさんが何か魔法を使ったらしい。
黒い、雪の様な、埃の様な、何かが。
床に、通路に、あふれたGに降り注ぐ。
すると、カサカサうごめいていたGが、ぼろり、と粉のようになって崩れて消えた。
「そのまま、動くなよ。この魔法は、あまり細かい制御は出来ぬ」
それ、下手するとボクらも灰になって消えるってことですかー!?
しばらく、じっと動かずにいると。
タン、タン、とナィアさんの長いしっぽが二回床に打ち付けられ、どう、っという風が吹いて灰をどこかに吹き飛ばした。
「……もう動いても大丈夫だ。アユムはその紙でできた扉を閉めた方が良いぞ?」
「あ、うん」
とっさに影でふたをしたけど襖、閉めなきゃね。
びくびくしながら襖を閉じる。
あれだけのGをこんな襖一枚で閉じ込めておけるってゆーのも信じがたいけど。なんとかなってたんだからきっと大丈夫。たぶん大丈夫。じゃないと困るしっ。
「……みんな大丈夫?」
声をかけてぐるりと見回す。
正直、ボク自身まったく余裕がなかった。
一番最初にファナちゃんを守らなきゃいけないはずだったのに。そんなことさえ頭に浮かばないほど混乱してた。
「ふ。ふひー! もう、いやでござるよぉ……」
鎧の隙間からイヤンなものの残骸を叩き落としながらユキノジョウが泣いた。マジ泣き。ボクも泣きたい。
「これ、下手に強力なモンスター出るダンジョンよりきつくない?」
「お家帰りたいでござる……」
「激しく同意」
「ピ」
って。
ナィアさん、シェラちゃん、ユキノジョウ。この場にはボクを含めて四人しかいない。
「ファナちゃんと、ダロウカちゃんは、どこ?」
「拙者、他人のことまで気に掛ける余裕が無かったでござる」
「……ダロウカとファナは、反対側の扉の方に逃げ込んだのが見えた」
ナィアさんがひとつ息を吐きながら言った。
「しかし、アユムと居ると退屈せぬな。油虫は、ナィアーツェもあまり好きではないが」
「ボクのせいじゃないからね!」
そう返して、反対側の襖に手をかける。
「ファナちゃん、ダロウカちゃん。もう大丈夫だから、出ておいでよ」
力をかけるが、なぜか襖は開かなかった。
「……?」
誰かが向こうから押さえている、という感じでもない。
まるで、最初から開かないただのオブジェであるかのように、左の襖は微動だにしなかった。
「ナィアさん、ほんとにファナちゃんたちこっちに入ったの?」
振り返ると。
――ボクの他には、だーれもいなかった。




