9、「キミと合体したい」
「じゃあ、まずは影憑依のおさらいだね」
デイジーちゃんが、空中を滑るようにして近づいてきた。そのまま、匂いでも嗅ぐようにボクの周りをくるりと回る。
「ん、もう本契約は済ませてるんだ?」
「うん」
「おっけー。ハナちゃんは詳しくないと思うし、まずはどういったものか説明するね」
「うん、お願いね」
ファナちゃんが、こくりと頷く。ちらり、とボクを見て、なぜか恥ずかしそうにモジモジする。
おトイレなら行って来ればいいのになー。
「影憑依っていうのは影族のスキルで、通常は対象の影に潜む程度なんだけど、契約者に対して行った場合は違った意味になる。文字通り、身も心もひとつになるのが影憑依」
「某少年漫画である、ひゅーじょんとかゆーやつみたいな感じなんだよね?」
ボクがファナちゃんとひゅーじょんしたら、ファナトリーア+アユムでファユムかアナトリーアって感じかなー。シェラちゃんとだとアユラかシェム? 三人だとどーなるんだろー?
「んー、正確には、基本的には身体は契約者で、そこに影族の能力がごそって乗る感じだから、融合とは少し違うかもね」
「そうなんだ?」
んー、とするとボクの能力がファナちゃんに乗っかるのかー。
「そうなの。精神的にはどっちが主体になるのかは選択可能だけどね。あと、前にも言ったけど、笑えるくらいに理不尽な足し算になる。これは、単純なステータス的な意味での数値の合計って意味じゃない。数値に現れないような、表せないようなものまで全部加算される。相性によっては、足し算どころか二乗にも三乗にもなる。さらにはプレイヤー同士だと、スロットがそのまま上乗せされる」
「うわ、それすごい」
もしかしたら、と思っていたけれど。やっぱりカードとかスロットも共有されるんだ。シェラちゃんもカード差してるし、三人分っ! ボクはスロット1個しかないけどっ!?
だとしたら、うん。やっぱり。アレで行けそう。
「まあ、こないだは試せなかったけど、本契約してるんなら実際に試してもらった方があとは早いかなー」
「そだね。プラクティスモード起動してくれるー?」
「ん、ハーマイオニーは忙しそうだからわたしがやっちゃうねー」
ハーマイオニーちゃんはまだ上と色々調整中だったので、暇そうにしていたグレちゃんがウィンドウを開いてプラクティスモードを起動してくれた。
豪華なホテルか、貴族の居室みたいに整えられたボクのプライベートルームが、すーっと白一色の何もない空間に変わる。ただ、ぽつんとダミー人形だけが転がっている。
「……あのアユムそっくりの人形、なに?」
ファナちゃんが首を傾げている。シェラちゃんが、「ピ」とつぶやいて、ダミー人形を抱えて持ってくる。
「プラクティスモードの的になるダミー人形なんだけど、グレちゃんがイタズラしてボクのアバターのデータで作っちゃったんだよね」
「へー、そうなんだー」
ファナちゃんはそうつぶやいて。なぜかおもむろにダミー人形にぎゅうと抱きついた。
「わー、本物みたい」
ダミーのお胸に頬をすりすりして、ファナちゃんがうふふと微笑む。
「……本物がここにいるのに、それはないんじゃないかなー?」
ボクはいつだってウェルカムなのにっ。
「ん、だけどさ、アユムって、わたしのこと嫁とか言うくせに、全然そういうことしてくれないじゃない。いちばん最初のキスだって、わたし嬉しかったのに。アレ、単に影族との契約って意味合いだったんでしょ……?」
「え、ファナちゃんのこと、ちゃんと嫁だと思ってるよ?」
もう、これは誘われてるってことだよねっ!?
えーい、と。ダミーを押しのけて、ファナちゃんに抱きつく。ファナちゃんちっちゃいから、ちょっと抱き上げる感じになっちゃう。
「……キスしていーい?」
「みんな見てるからだめでーす」
「あー、ひどーい。人をその気にさせといてー」
口を尖らせたら、ファナちゃんがボクの耳を引っ張って。
「(わたしのこと抱きしめておいて、怖くて震えてるだなんて、ちょっとひどいかも?)」
……そんなことを、耳元でささやいた。
ああ、全部見透かされていたんだ、って。
ボクは震える腕のまま。ファナちゃんを抱く手に力を込めた。
――うっかり突き飛ばしてしまわないように。
「グレイスから聞いてたけど、やっぱりアユムってばエロ杉。まあ、ほら、とにかく試して見なよー。いちゃいちゃばっかりしてないでー」
デイジーちゃんがパンパンと手を叩きながら、急げ急げとこちらを急かす。
「じゃ、最初はアユムとシェラちゃんでいいかな? わたし見てるから」
ファナちゃんがそう言って、ボクの腕の中からするりと抜けだした。
少しの寂しさと、安堵を感じる。
「ピ」
準備万端!とばかりにシェラちゃんがボクの背後に立ち。そっと背中からボクに抱きついてきた。慣れ親しんだ、柔らかい感触にほっと息が漏れる。
「ピ」
そのままシェラちゃんが小さくつぶやくと、ボクの脳裏に。
≪シェラさんから、影憑依の許可を求められています≫
≪許可しますか? はい いいえ≫
そんなメッセージのようなものが浮かんだ。
シェラちゃん相手なら、何も迷うことは無い。ボクはシェラちゃんの心の中に入ったことだってあるし。迷わず「はい」を選択する。
すると。
「……あっ」
ずぷり、と自分の中に何かが入って来るのを感じた。文字通り、シェラちゃんの身体が、ボクの体の中に沈み込むようにして、溶け込んでくる。
「ピ」
「え、ちょっと、これ」
やばい。
シェラちゃんと何度も肌を重ねて、ただひとつの不満だったこと。
いくらくっついても、物理的に肉体の壁は越えられないから、どうしてもそれ以上近づけないという限界があった。そんな当たり前のことが、あっさり覆されつつあった。二つの心臓が、とくん、とくんと脈打ちながら。ひとつの音を奏ではじめる。
『アユム様』
「え、シェラちゃん喋って!?」
『わたしの全てを、アユム様に』
ピ、とか、プ、じゃなくて初めて意味のある言葉として聞こえたシェラちゃんの声は。
まるで天上の歌声の様に脳裏に響き渡って。
ボクと、混ざり合って。
ひとつになって。
何もかもが、一斉にボクの中になだれ込んで来て。
ああ、シェラちゃんって、こんなにもボクのことを想っていてくれたんだって。
涙がこぼれそうになって。
シェラちゃんの孤独と、不安と、そんなものも全部わかってしまって。
「……ありがとう」
そうつぶやいたボクは、アユムだったのかシェラだったのか。
起きていたはずだったのに、深い眠りから目が覚めたような気分だった。
「……アユム、だいじょぶ? 見た目は変わりないみたいだけど」
ファナちゃんが心配そうに、ボクに抱きついた格好で見上げていた。
「はい、大丈夫です。ファナトリーアさん。心配してくれてありがとうございます」
そっとファナちゃんの頭をなでながら、小さな額に口づけする。
「アユムが壊れたっ!?」
「そうですね、普段のアユムは少し、自分を作っているところがありましたから、その意味では壊れた、というのは正しいかもしれません」
自覚はあるんだよね。けど、しょうがないじゃない。
「……んー? シェラちゃんの方が主体になってるのかな?」
デイジーちゃんがボクの顔を覗き込むようにしてきたので、にっこりとほほ笑んで返す。
「シェラちゃんは、アユムを主体として完全にバックアップに回ってくれていますが、ボクの方がやっぱり影響を受けてしまって。自分がアユムだという認識はありますが、普段とは違うかもしれませんね」
強いて言うなら、混ざり合った第三の人格的な? うん、この状態をアユラってしようかにゃ。
「うわー、これヤバいやつだー。相性良すぎて自我が混同しかかってるっ!? いったん解除した方がいいよっ!?」
デイジーちゃんがぺしぺしとボクの頬を叩いてくる。
「いえ、せっかくですので能力の検証を済ませておきましょう。離れてください」
メインのカードである影族は共通だし、特に変化はないはず。
あとはシェラちゃんがセットしてた魔法の矢が使えるはずだよね。
……ん、なんとなくわかる。
シェラちゃん魔法の矢をカスタマイズして、威力より弾数と連射性能に比重を置いてるんだね。さらにいうとこっちの世界の魔法も併用してるみたい。
「万条の光矢」
気分は宝物庫の鍵を開いた某黄金の財宝王。ボクの背後から百を超え、千を超え、万をも超える数の光の矢が出現する。
「ちょ、アユム、それやばいかもっ!?」
グレちゃんが慌ててる気がするけど。大丈夫、大丈夫。根拠はないけど。
「撃て!」
わずかに時間差をつけて、全部ダミーに叩き込む。
あ、腕がとんで。あ、れ、あっという間に塵も残さず?
それどころか。
真っ白な床が、えぐれてないですかー?
え、壁も? 何もない空間に、穴が。え?
何もないはずの、白い空間が、がりがりって削られるように無くなってくんですけどー?
「総員退避~っ!?」
グレちゃんが何事か叫んで。
デイジーちゃんとハーマイオニーちゃんがファナちゃんに抱きついて。突然現れたドアとともに消えた。
「アユムもこっちーっ!?」
体当たりするようにして、ボクにぶつかってきたグレちゃんが手早く何か操作すると。空間がドアの様に開いて。
「アユムのばかーっ!?」
突き飛ばされるようにドアに押し込まれて。
――気が付いたら、知らない部屋に居た。
普通の、どこかの家のリビングっぽい感じ。
「……え」
「ピ」
影憑依も解除されたようで、シェラちゃんも一緒にいた。
「あれー? なんで君がここに?」
ソファーに座って、ポテチをかじっていたのは。普段着なのかスウェットを来た女神ティア様。
そういやこの人、前カップ麺とか持ってたし。意外に普段はズボラな生活してるんだろうか。
「ティア様、緊急事態につきごめんなさいですっ! 緊急避難なのですっ!」
グレちゃんがペコペコ頭をさげている。
「なんか騒がしいのー」
「誰か来たのー?」
さらにやってきたのは、いつぞや宿屋でちょっと会った、双子の女神様。
「……えーっと、ここどこなの?」
もしかして、女神様たちの控室みたいなところ?




