04 アムブロシア
警察の事情聴取には、沙柚から聞いたことをそっくりそのまま答えておいた。
沙柚の話によれば、男は俺に突き飛ばされた後、急に自分の腹を刺して倒れたらしい。
気の触れた変質者の人騒がせな自殺、ということで、この一軒は片付いた。
事情聴取を終えた頃には、既に全校生徒が下校を済ませていた。
あんな事のあったその日に、活動しているクラブは一つも無い。
「わたし達も帰ろっか、お兄ちゃん」
そう笑う沙柚の目は真っ赤に腫れていた。
あれだけ泣いたんだ、当然だろう。
「そうだな」
俺が頷くと、沙柚が右腕に飛びついてきた。
沙柚は兄の俺から見ても、かなりかわいい女の子だ。
丸みを帯びた大きな瞳には誰もが釘付けになり(おもに俺)、綺麗にまとめられたサイドテールには誰もが思いを馳せる(おもに俺)。
だから沙柚さん?いくら兄妹でもこう密着されてしまうとですね、兄の威厳とか男のプライドとかそんないろんな物が壊れかねないというかなんと言うか、おや、この柔らかい感触はそうですね間違いないですねこれは……。
「沙柚!もう高校生だろ!ちょっと離れろ!」
よく、実際に妹がいる奴は妹に対して何も感じないというが、絶対嘘だよね?
こんなかわいい子にお兄ちゃんお兄ちゃん言われてお兄ちゃんのお兄ちゃんがお兄ちゃんしないやつなんてそれはもうお兄ちゃんではない。
俺は何を言ってるんだ?
「嫌だよー。だってお兄ちゃん、今日も沙柚のこと助けてくれたもん!どうして?どうしていつも沙柚がピンチなの分かるの?」
「それは……」
近づいてくる沙柚の顔を手で遠ざけて、そのまま頭を撫でてやる。
幸い、今は腕が思うように動かせる。
「俺はお前の兄ちゃんだからな」
「……」
え、なんで何も言わないの?さすがに今のはくさかった?
死のうか?もう死のうか?
一瞬自殺も考えたが、沙柚を見ると、どうやらその必要はないらしい。
沙柚は猛スピードで指を動かし、スマホを操作していた。
『わたしのお兄ちゃんかっこよすぎ!!もうほんとこんなお兄ちゃん他にいな――』
そんなことを呟くな!
「ほら、帰るぞ」
そう言って組まれたままの腕を引くと、沙柚は顔を上げ、嬉しそうに頷いた。
ドキッとするから頬を赤く染めるのはやめろ……。
* * *
「晩ご飯の用意するね」
家に着いてすぐに、沙柚はエプロンを着けてキッチンへと向かった。
俺と沙柚は二人暮らしをしている。
俺が物心ついた時には、既に両親はこの世にいなかった。
詳しい話はじいちゃんにでも訊けば話してくれるだろうけど、沙柚も別に気にしていないようなので、俺も別に気にしていない。
この家は両親が一括払いで買ったらしい。
特に大きい訳じゃないが、二人で住むには部屋が余った。
自室に戻った俺は、鞄を床に投げ、ベッドに深く倒れこんだ。
ズボンの左ポケットから、黒一色のカードを取り出す。
軽くカードを振ると、黒い表面に赤い線で区切りが入り、滴り落ちた血のようなスタンプが滲んでくる。
五つ空いていたはずの空欄は、残り四つになっていた。
女子トイレでの光景を思い出す。
「俺が……殺したのか……?」
わえの間から戻ると、そこでは男が死んでいた。
イヴがやったんだろう。
あの男は、俺の代わりに死んだんだ。
でもそもそも俺を殺したのはあいつなんだから、俺の変わりにあいつが死ぬのは当然か?
いやでも……。
「お兄ちゃんご飯できたよっ……て、電気も付けないでどうしたの?」
唐突に開いたドアの先には、沙柚が心配そうな表情で立っていた。
時計を見ると、帰ってから随分と時間が経っている。
「ああ、今行く」
「……大丈夫?」
「大丈夫だよ」
カードをポケットに押し込み、俺は部屋を出た。
「……これは?」
食卓には、白い液のかかったフルーツが盛られた皿一つだけが置かれていた。
「アムブロシアサラダっていってね、なんと、食べると不老不死になれるんだって!凄いでしょ?あんなの見ちゃった後だから、食欲湧かないかと思って……嫌、だったかな?」
不安そうに俺を見る沙柚の頭を軽く撫でて、俺は席についた。
「いや、気遣ってくれて嬉しいよ。さ、食べよう」
「うん!」
沙柚が俺の隣に座る。
それにしても、なんていいタイミングだ。
不老不死。
その言葉が、頭の中で回り続けた。