オレは契約で握られた
……何語で書いてあるのか、さっぱり読めないんですが……
「肉体なき今、実際に署名することは叶わぬであろう。
魂にて、宣言するが良い。その言葉をもって、我は汝を眷属と為そう」
いや、そんなこと言われても。
一文字たりとも読めない契約書にサインしろとか、流石に無理だって。
そんな気持ちを込めて、邪悪さんの方を見ようとした。
しかし目線を動かしても、まるで視界を塞ぐかのように視線の正面に読めない契約書が回り込んでしまう。
何かを見ることが、できない―――!
「……どうした?
まさか不服か? 我が眷属となりたくないと申すか?」
いやいや、そういうんじゃないんだけど。
契約書の内容、読めないんだって!
そうは言っても、霊体の身体では声が出ていないっぽい。
邪悪さんにも、どうやら姿は見えても声は聞こえてないようだ。
一生懸命視界をぐるぐるしても、まるで視線の先に縫い付けたかの如く契約書がぐるぐる回転するだけだった。
「どうしたのだ、そんなに契約書を回して。
まさか、それがお前らの世界の流儀なのか!?」
違います!
「はっ、聞いたことがあるぞ。
確かお抹殺だったか、ぐるぐる回して口をつけて次の人に毒々しい毒を回すのであったか」
一文字違う、そこ大事な所が一文字違う!
毒々しい色はしているかもしれないけど、根本的に毒じゃない! お飲物だから、人体に有害じゃないから!
これが唯一の意思表示と信じて、必死で視線を左右に振る。
「む、円運動から直線運動へ―――これが蒸気機関か!」
ちげーよ!
ピストンは、直線運動を円運動に変える仕組みだよ!
ああもう、どうすりゃいいんだこれ!?
「―――はっ。
いかん、いかんぞ!」
邪悪さんの言葉に、遅れること一瞬。
急激に、遺体を包む青い光が弱まっていき。
足が地を離れるように、地への重力に引かれて肉体に触れていた霊体が、ほんの少しだけ浮き上がった。
「魂タイーホくんの持続時間が切れてしまったら、お主の魂は消滅してしまうぞ!
早く契約書にサインするのだ!」
え、ええー……
何それ、これって何の違法勧誘なの?
あー、なんかあったかいし、どうでもよくなってきたなぁ。
ゆらり、ゆらりと揺れながら、本当にゆっくりと、ミリ単位で身体が浮かび上がる。
まるでシャボン玉のように、過去の情景が周囲におぼろげに映る。
子供の頃。
大きくなってから。
泣いた頃。
独り暮らしが始まった頃。
そして―――
「ぬ、おおお、待て、行ってはいかん、いかんぞおお!」
さっきは一声でオレの意識を消し飛ばした、落雷のような声。
そんな轟音さえ、今のオレには遠くで響く子守唄のようで。
「いっ、今ならなんと!
我以外誰一人として使うことを許されておらぬ魂の傑作群、システィアシリーズの永久利用権をプレゼントだっ!
やったね、この国の者ならだれもが欲しがる超☆サイコーの栄誉だよっ!」
邪悪な音声が、きゃぴるん★って感じで怪しい勧誘をし出した。
相変わらず、目線の先に契約書があるせいで、邪悪さんの姿は見えないんだけれど。
なんか、こう。声が必死だな?
「え、栄誉、なんだよ!
すごいよね、欲しいよね!?」
いや、全然。
オレはため息とともに、視線で契約書を横に振った。
「まっ……まさか、これで靡かぬとは……!」
どどうっとすごい音がして、視界の端で地面にひびが走るのが見えた。
どうやら、邪悪さんが倒れるか膝をつくか何かしたらしい。
……さっき見た範囲では、手も足も超短かったんだけど。膝ってあるんだろうか。
「ぐ、ぐぬぬ、このままでは本当に、いやしかし、ぬおおお」
苦悶の呻きが聞こえる。
後から魔力を追加うんぬんとか、魂の時間がどうとか、そんなことをあーでもないこーでもないと呟く邪悪さん。
邪悪さん、困ってるんだなぁ……
「たっ、頼む!
我と契約し、我が眷属となってくれ!
それしか汝を救う方法がないのだ!」
ごづっ、と音がして。
視界の端、床に走るひびが増した。
……まさか。
土下座……しているのか……?
「頼む、我には汝の協力が必要なのだ!」
どうしてそんなに必死なんだろう?
どうして、そんなに一生懸命になれるんだろう?
なぜ、オレなんかの何が、邪悪さんを一生懸命にさせたんだろう?
目に見えないけれど、その一生懸命な姿を、一目だけ。
柔らかな温もりの中で、けれどオレはそんなことを考えてしまって。
「ええい、最後の手段だ!」
オレは―――
「今契約してくれた、あなただけに!
この国で!
一番の美少女を紹介して!
我が直々に、仲を取り持ってやろうぞ!!」
―――契約します!
オレの魂の叫びとともに、辺りが青い輝きに満たされて。
気づけばオレは、ひび割れた天井を見上げていて。
「お、おおおお!
ありがとう、契約してくれてありがとう!」
見上げた天井を遮るように、ぬっと突きだされた満面の邪悪な笑み。
……あ、やべえ。これ失敗した?
怖すぎる、顔を見ただけで心臓が止まるかと思った。無理むり、死んじゃう。
そんなことを考える間もなく、オレの身長の半分ぐらいある巨大な手がオレの身体に伸ばされ―――
「よろしく頼むぞぉ、今日から汝は我が眷属―――あっ」
ぐちゃり、と握りつぶされた。
つまり、オレは、死んだ。