オレは邪悪に捕らわれた
「ぬ、ぬおお?
いかん、いかんぞーっ!」
火山が噴火するがごとく、巨躯から噴出する青いオーラ。
噴き出したオーラが、人間―――死んだ人間を守っていた魔法陣に触れて霧散するのを見て、慌ててオーラを自分の周りから離れぬよう身体に留める。
もし魔法陣がなかったなら、今の噴き出したオーラだけで死体は塵も残さず消し飛んでいただろう。
「ああああれだ、そうだあれだ、こんな時こそ!」
巨体は機敏に振り向くと、自分の後ろにある巨大な椅子に走り寄った。
どたどたという足音とともに、床がばぎんばぎんとひび割れるのを無視し。跳躍とともにクレーターが出来たことにも気づかず、椅子の肘掛けに飛びつく。
「システィアシリーズ 八〇五三九『魂タイーホくん』起動!」
その巨躯がさらなる青い光に包まれたかと思うと、肘掛の先端の宝珠にその青い光がすごい勢いで吸い込まれていく。
光を吸い込んだ宝珠が煌々と輝くと、すぐに巨大な室内に半球形の青いドームが形成された。
形成されたドームを、そしてその中心で横たわる躯とその周囲を確認したものは、宝珠から手を離してガッツポーズを取った。
「……よ、よし!
セーフ、セーフだ! 問題ない!」
およそ表現することも出来ぬほどの、魂が感じられる邪悪さで。
子供どころか大人でも見ただけで心臓が止まりそうな、笑顔で。
その巨大なものは、握り拳を突きだすと、セーフセーフと叫んだ。
その腕を振る風圧で壁にひびが走り、拳の衝撃で天井に放射状のへこみが出来る。
それでも、そのものにとっては、これは『セーフ』であった。
青い光に照らされた顔。一番近いものをあげるなら、ワニではないだろうか。
青灰色の、ワニ。
ただし、頭頂部には植えたかの如く真っ直ぐ揃った青いモヒカンがたなびき。
額に、その巨顔にあまりにも不釣り合いな、ただの刺やくせ毛にさえ見える小さな黒角が生えていた。
「おっと、感慨に耽っておる場合ではないな。
魂タイーホくんでとりあえず捕らえたが、早く我が力で救わねば!」
表情は、一言で言えば、邪悪。
もう一言付け加えても、邪悪の具象化とか邪悪の根源とか、邪悪さを補強する形容詞が付くくらいだろう。
大きく裂けた口からは、肉食獣のような二本の長い牙と、鮫のように鋭く尖った歯が並び。
吐かれる呼気には、意識せずとも瘴気とも呼ぶべき死の煙が満ち溢れている。
「こうして、魂の契約を施せば……
くくく、全ては我が意のままとなるのだ!」
四本の太い指と、指と同じぐらいの長さを持つ、牙のような爪。
そんな両手を打合せると、まるで刃を研ぐかの如き鋭い音が響いた。
「さあ、蘇るがいい!」
高らかに叫び、両手を振り上げる。
邪悪な顔に明らかな歓喜を見せ、邪悪な儀式を讃えるかの如く口元に笑みを浮かべて。
巨大な異形は、地に伏した遺体に向けて己のオーラを解き放った。
床に倒れ伏した遺体が、ぼんやりとした青いオーラの輝きに包まれる。
そんな様を、オレは、真上から見下ろしていた。
―――オレが誰かって?
オレはそこで横たわってる、遺体の持ち主だよ。
多分、魂とか霊体とか、そういうやつなんじゃないかと思う。
なぜって?
そりゃぁあんた、身体を抜け出して、天にふわーっと引き寄せられていったからな。
だが途中で、あの巨体が作った青いドームに阻まれて、オレは昇天できなかった。
天への重力とでも言うべき力に引かれ、ドームの天井にべちゃりと貼りついたまま、何もできなくて様子を見ていたわけだ。
しかし……相変わらず、我ながら平凡な顔つきだよな。
取り立てて崩れるでもなく、さりとてモテるでもない、平凡な顔。
背だって高くも低くもなく、体重も痩せても太ってもなく。
没個性。平凡。中肉中背。そんな、ありふれた有象無象を現す言葉がよく似合う男である。
人として、唯一珍しい事を挙げるとしたら―――もう、死んでることくらいだろうな。
そんな平凡の固まりの死体に向かって叫ぶ巨体には、平凡さの欠片どころか、粉一粒さえ感じることはできない。
……そもそも、こいつはさっきから何をしているんだろう?
ワニ顔で四本指の、見るからに凶悪でこれ以上ないほど邪悪な顔をした存在。
家並の巨体に、身長と同じくらいのどっしりした横幅で、歩くだけで部屋が揺れる。
ジャンプすればクレーターができ、拳を突き上げれば天井が凹み。
およそ、ゲームの中でしか見たことがないような、異形。怪物、とでも呼ぶべき邪悪な存在。
体のバランスは、いっそコミカルなほどに五頭身。きっと顎をあげて上を向けば、三頭身くらいまでランクアップするだろう。ワニ面で鼻が長いから。
―――というか、多分オレ、こいつの声一つで死んだ……ってこと、なんだよな?
あまりに現実味がなくて、すでに恐怖とか怒りとかそういうものが浮かんでこないんだが。
姿も、顔も、目も、声も、表情も、笑い声も、全てが邪悪な。
世の邪悪を統べる存在、と言われても納得してしまうような、邪悪の権化と呼ぶべき存在。
―――お?
お、お、おおお?
オレの霊体をドームの天井に貼りつける、天への重力。
その力が急激に弱まり、徐々に身体が地面に―――オレの遺体へと近づいていく。
いや、肉のある身体は横たわった遺体で、今のオレの身体は霊体なんだけども。ややこしいな、これ。
ともかく、霊体が青く輝く身体に引き寄せられていく。
ドームの天井とほぼ同じ高さだった邪悪の権化の目線が、降りていくオレの霊体にあわせて徐々に下がり―――って、オレのこと見えてるっぽい!?
そうか、自分だから気づいてなかったけど、幽霊って目に見えるんだなぁ……
初めて知ったよ。知りたくもなかったよ。
「志半ばで倒れし、不遇なる命よ」
え?
オレ、邪悪な何か……とりあえず、仮に邪悪さんでいいや。
邪悪さんに話しかけられてる?
「我が眷属となりて、その命を今一度現世へとつなぎとめることを許す」
邪悪さんの言葉に従い、オレの眼前に契約書が浮かんだ。