猫がマッハで逃げるまで
青い光で形作られた魔法陣。
それは、一見すると床に書かれているように見えるが、実際は床から少し離れて宙に浮いていた。
刻まれた文字や模様が時折瞬く様子は、イルミネーションのように綺麗である。
「それではこれより」
床の魔法陣の他には、我々の周囲を囲む燭台の蝋燭だけが空間を照らし。
聳え立つ魔王様の顔は闇の中に飲まれて朧気にしか見えない。
それが、余計に魔王としての迫力を増していた。
「我らの悲願を達成すべく」
広い部屋には二人きり。
直径がオレの身長より大きな魔法陣を挟んだオレ達は、顔を見合わせ頷き合う。
「召喚の儀を行う!」
邪悪さの中にも、どこか厳かさや神聖さを宿し。
魔王様が、高らかに宣言した。
夢にまで見た、猫と一緒の生活。
もちろん、この身のアレルギーが治ったわけじゃない。
だけどそれでも、今度こそオレは、頑張りたい。
夢にまで見た、撫でたり一緒に寝たりできる猫色生活のために……!
高く掲げた魔王様の手のひら。
その上に青い輝きが灯り、ばちばちと稲光のようなスパークを纏って巨大化する。
「境界の魔王の名の下、我が城にらぶりーにゃんにゃんを招かん」
恐ろしげな声が真顔でらぶりーにゃんにゃんとか、とっても微妙な詠唱を唱える魔王様。
何を隠そう、オレは不意打ちには弱いのだ。吹き出しそうになるのを腹に力を込めて必死に耐える。
魔王の手の中の青雷がゆっくりと宙に放たれ、静かに魔法陣の中央に降りていき―――
「我らの喚び声に応え、異界より来たれ愛しき猫よ!」
青い雷が光の柱となり視界を灼く。
まぶたを閉じても青く染まる世界に轟音が轟き、やがて―――
にゃぁーん、と声高く。
猫の鳴き声が響いた。
「う、うおおおおお!」
魔王様が怒声をあげ、ばんっと結界を叩いてへばりつく。
その様子を振り返って見た猫は飛び上がり、ぎにゃああああと鳴き叫んで反対側の壁、つまりオレのすぐ目の前に貼りついた。
ああ、猫……猫……!
野良なので雑種かとは思うが、おそらくマンチカンなんじゃないだろうか?
子どもと大人の中間くらいの体躯に、短めの足。
ふわっとした少し長めの毛の色は白、ところどころに茶色い房が混じっている。
恐怖にぷるぷる震える瞳が、すがるようにオレに向けられ―――
ぶぱっと、オレは鼻から噴いた。血ではなく、透明でぬるぬるとした鼻水を。
「あああ、魔王様、いや魔王、いじめんな魔王! 猫ちゃん怯えてるだろ!」
「ぬ、ぬうう、そんなはずはない、怯えているのはお主を見たからだ!」
涙を流し鼻から噴いたオレを見て、なぜか猫がびくっと跳ねて2センチくらい後ずさる。しかも二本足立ち。
オレと魔王の間で揺れる瞳が、猫の目のように気まぐれで愛らしい。
「おお危ないよ、そっちには危険な魔王がいるんだ。さあおいで、ぼくが守ってあげる」
「誰が危険な魔王であるか!」
「お前だよお前、顔邪悪なんだよ!」
「ええい、それを言ったらお主は顔面べちょべちょではないか!
えんがちょー!」
「なにおー、アレルギーの辛さを思い知らせてやる!」
思わずにやけてしまいつつも唾を飛ばしながら言い合うオレ達の間で、ぷるぷる震えながら足の間に短いしっぽを挟む猫ちゃん。
ああ、魔王に怯えて可愛そう、でもそんな様子も可愛い……!
「―――って、魔王なんかと言い争ってる場合じゃなかった。
魔王、様。まずは防御の術を!」
「お、おう、そうであったな。
ばっちぃお主の相手なぞしている場合ではない、まずはそれであった!」
魔王様が、ゆっくりと、ゆっくりと、猫の入った結界の中へ手を伸ばす。
オレの上半身ぐらいはある爪が、1秒に1センチくらいずつ、本当にゆっくりと猫に迫っていく。
きゅぅぅんと泣き叫び、オレの前の壁に向かって飛び跳ねて怯える猫。
ああ、ぴょんぴょんしてて可愛いぃ。
大丈夫だからね?
オレもまた、隔てる壁に手を触れて涙ながらに語りかけた。
「あの邪悪な魔王様に何をされても平気になるように、おまじないかけるだけだからね?」
息を飲むように猫が硬直し、なぜかオレの顔と背後の爪をきょろきょろと見比べ。
中間で耳を伏せ、ぺたーんと小さくなって目を閉じた。
どうやら、敵意がない、愛情がいっぱいだってわかってくれたらしい。嬉し涙が邪魔で前が見えない。
やがて、秒速で進んでいた魔王様の爪が、動かなくなった猫の背に触れて。
「境界の魔王が身に宿す、全てを隔てる衣。
我を護りし全てを賭して、我が汝を護ろうぞ!」
落雷のような声とともに、魔王様の身を包んでいた青いオーラが腕を通り爪を通って猫を青い輝きで包み込んだ!
びにゃああうぅぅという雄叫び。
やがて光は全て猫の中に吸い込まれて。
それとともに、オレ達と猫を隔てていた結界も消えて―――
その瞬間、猫はマッハで逃げ出した。
「ああ、逃げてしまった……でも可愛いぃ……」
がっくりと両手をついて落ち込みながら、邪悪に口元を歪め、縊り殺すような視線でにやける魔王様。
見るからに十八禁……というか、何歳であっても関係なくチビるくらい怖い笑顔であったが、オレとしてはもう大分慣れた。
「ここから、これから、ですよね、魔王様」
だから、落ち込みつつもどこか嬉しそうな魔王様に向けて。
顔面を涙と鼻水と脂汗でどろどろにしたオレも、荒い息で身体を掻きむしりながら笑顔で応じたのだった。
区切りの関係でプロローグと一話を分けましたが、ようやく猫登場です。
ここまでが導入部。
ここからは、猫を中心にした魔王城での日常が始まります。
引き続き、どうぞよろしくお願いします☆




