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聖なる魔女は海を抱いて眠る  作者: 朱居とんぼ
第2章 生贄の羊
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3

 艦長室の外では、索具を操る水夫たちの声がする。艦の揺れが大きい。揺り籠を思わす、波の穏やかな沿岸部を抜けつつあるのだ。


 これからどうするべきか。

 アレクシスは艦長室の書き物机に座り、海図を眺めていた。


 海峡をはさんでブラン王国とカイティーリヤの陸地がある。どちらにも寄らずに南へ進めば広い大洋が広がっている。その先には新大陸、そしてそのさらに先にはまだ見たことのない肌の色が違う人々の暮らす大地がある。


海は自由だ。艦とそれを扱う手さえあればどこまでも行ける。

自由すぎて、広すぎて、途方にくれる。


 アレクシスはとんとんと机の表面を指で叩いた。


 ブラン王国軍艦として母港に戻るべきか。王党派が崩れた以上、他に選択肢はないはずだ。何をためらっているのだろう。


 処罰を恐れているわけではない。艦長たるもの、王党派につく決意をした時から覚悟は決めてある。

巻き込んでしまった士官や主な水夫も尋問を受けるだろうが、そこは自分の一存でやったと押し通せばいい。自分以外の部下は無罪の判決が出るはずだ。熟練の水夫はいつの時代も足りていないのだから。部下の行く末を考えればそれが一番いい方法だろう。

魔女はどこかの陸地で降ろしてやればいい。したたかな魔女のことだ。自力で生きていけるだろう。


 ジョージ八世や王女が心配でためらっているのか。


 連絡員から仕入れた情報や、魔女奪還までの間各港を走りまわってブラン王国から来た水夫から仕入れた情報から推測すれば、王も王女も軟禁されているが、身の安全は保障されている。新王は自らの治世を血族の血で汚すつもりはないようだ。

ラドウィック提督が捕えられても、二人に対する扱いが変わっていないことからも分かる。


 つまり、今、自分が騒ぎを起こせば、それだけ王と王女に対する監視の眼がきつくなるだけということだ。


盛り立てる動きがなくなれば徐々に許され自由を与えられるだろう。


機は逃した。

これ以上の行動は無意味であるだけでなく害になる。再度王権復活を計るにしても時間を置くべきだ。


今、王と王女に自分の忠誠は必要ない。

むしろ邪魔だ。


 そこまで考えたところで。アレクシスの心に冷たい空虚な風が吹き込む。


「迷いは、これか」


 小さく声に出して呟く。支えを失った頭が重い。アレクシスは机に肘をつき、手に顔を埋めた。


 今回の行動はラドウィック提督の指示に従ったもの。直接、王と王女に王位を求める意思があると確かめたわけではない。それでも自分は従ってきた。


 認めるのが嫌だったのだ。

 自分が必要とされていないということが。


 どっと疲れが押し寄せてくる。海軍に入って以来の疲れだ。今まで懸命に駆けてきた。自分の十年間はなんだったのだろう。王に仕える。それだけを胸にこの海原で戦ってきた。今さら他の生き方などできない。


 手で頭を覆う。机につっぷしそうになったアレクシスの耳に当番兵の呼ぶ声がした。艦内で騒ぎが起こったらしい。


  ****


「で。この騒ぎの原因はなんだ」


 アレクシスは連れてこられた水夫たちを見た。互いに殴り合ったことが明白な者たち。それだけでも立派な軍紀違反だというのに、士官にまで手をあげたとは。反乱の意思を持つ疑いありとみなされて懲罰は必須だ。


 痛そうに頬を押さえた当直士官が口を開く。


「艦長。フォルマスはじめ、数人が他の水夫達を扇動していたのです。王党派は滅んだ。このまま国へ帰れば俺達は反逆者として吊るされる。それくらいなら艦を乗っ取り、脱走しようと」


 アレクシスは息をのんだ。


 反乱の意思を持つ疑いあり、ではなく、これは立派な反乱だ。

 他の艦と違い、ウィンダム号は水夫の質が良かったはずだ。強固な絆で結ばれていたはずだ。それが。


 アレクシスは手を握りしめた。拳が震える。


 今までのアレクシスは規律を重んじるが他の艦長のように体罰を課すことはなかった。忠誠心と恐怖は違う。そう信じていたからだ。だから甘いと言われようと水夫達に説いてきた。明かせる限りのことは明かし、任務の重要性を彼らの頭に叩き込んでいた。


 だが、ここ数日は何も話していない。理解を得ようにも説明のしようがなかったのだ。アレクシス自身が判断がつかなかったのだから。


「艦長。どうかいつものように指示をしてください。皆、不安がっています」


 当直士官が言う。


 いつものような指示、とは国王への忠誠による任務の遂行だ。だが、今のウィンダム号に新たな司令は届いていない。当然だ、今のウィンダム号に主君はいない。


 アレクシスは眼を閉じた。


 脳裏に風が吹く。

 風の向こうには荒涼たる海が広がっている。どこまでも広く、厳しい海が。そこにいる人間がどんなに小さく孤独な存在であるかを思い知らす海が。


 そして背後には命令を待つ男達がいる。

 今規律を緩めれば艦は崩壊する。ブラン王国へ帰るにしてもそこまでもたない。


「鞭うちだ。全員、十回ずつ。竜骨くぐりよりはましだと思え」


 アレクシスは歯を噛みしめて命じた。

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