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そこはカイティーリヤの王都ではなかった。
海沿いではないが、内陸部とも言えない、地方都市だ。
十日という短い日程では内陸にある都まで運べなかったのか、それとも王都にいる王や大司教が魔女という忌むべき存在を近くに置くことを嫌ったのか。 魔女の尋問は海にほど近い都市の一つで行われていた。処刑もそのままそこでおこなわれるらしい。
街の広場にはずでに張りつけ台の下に薪がつみあげられて、生贄の到着を待っている。周囲には大勢の市民が集まっていた。
娯楽の少ない地方都市では、罪人の処刑すらもが見世物になるのだ。
領主夫妻が広間の上座に設置された高台に現れる。
群衆が快哉を叫んでいる。
彼らは恐ろしくないのだろうか。今から処刑するのはただの罪人ではない。恐ろしい力を持つといわれる海の魔女だというのに。
だがむりもないのかもしれない。
魔女が力を振るっていたのは七十年も前のこと。当時を知る者は少ない。
海に出ていた父や兄弟、息子が魔女の起こした嵐で殺された、そういった直接の恨みを持つ者はいないといっていい。それでも群衆は熱狂していた。
教会が、国王が魔女の烙印を押した罪人。その処刑を楽しむのに罪悪感は必要ないからだ。石礫を投げても罰せられることはない。魔女に火をかけるのは自分ではない。
教会が言ったから。国王が言ったから。だから自分は悪くない。自分は見ているだけ。
生贄の羊。
礫を投げながら群衆は胸をなでおろす。あそこに縛られて焼き殺されるのが自分でなくて良かったと。魔女がそこにいる限り自分は無事ここにいられるのだと。何もせずとも自分が生き残れた実感を味わえて満足なのだろう。子どもの虐めと変わらない。
「神のためだ!」
罪悪感を欠片も持っていない聖職者が叫ぶ。日頃の鬱憤のはけ口を見つけた群衆が口々に魔女をののしる。
「神がこんなことを望むだと? 自分の良心に聞いてみろ」
アレクシスは帽子を目深にかぶり、小さくつぶやいた。
アレクシスは臨時の処刑場となった広場の出口と対角にある隅の石段に立っていた。背後には壁のようにそびえるテニスンの体がある。
「私は命じられただけ」「従っただけ」魔女を取り巻く兵士、執行人達の眼は一様にそう言っている。
「命じた者が他にいればそれで罪がなくなったつもりか?」
アレクシスはもう一度つぶやいた。今度のそれは自分にあてた言葉だ。
『一刻も早く逃げなくてはならない時に何をお荷物を拾っているんです? まあ、確かに何かの交渉に使えるかもしれませんが』
あきれた声を出しながらも銃を扱える水夫を選抜した副長の声が蘇る。自分は本当に交渉の駒として魔女を救おうとしているのだろうか。
違う。
自分は責任を取りたいのだ。
安心しろ、と。大丈夫だ、と言った自分の言葉。哀しそうに去って行った魔女の顔。あの顔は知っていたのだ。こうなることを。
命令だったから。任務だったから。
言い訳ならできる。だが、それではこの聖職者達と、群衆達と同じだ。
アレクシスは顔をあげ、もう一度警備の状況を見る。
魔女を救おうとする者などいるわけがない。警備は手薄だった。どちらかというと興奮する群衆を押しとどめるための隊列の組み方だ。群衆を暴走させることができれば少数でも充分魔女を奪還できる。
遠目に、銀色の髪をした魔女が引き出されてくるのが見える。台の上に立てられた柱に縛り付けられ、周囲に柴が積み上げられて行く。
まだだ。
アレクシスは飛びだそうとする自分の体を意思の力で抑え込んだ。
執行立ち会い人が罪状を読み上げる。たいまつを持った黒頭巾の男達が台の下に歩を進める。
まだだ。まだだ。
たいまつが柴の底に突き刺さる。立ち昇る白い煙。やがてパチパチという音とともに赤い炎が柴を舐めはじめる。激しくなった煙にむせる小さな白い顔。
群衆が腕を突き上げ、叫ぶ。
熱狂が頂点に達する。
今だ!
アレクシスは帽子をはねあげ、合図を送った。広場を見下ろす家屋のそこかしこから銃声がおこる。胸や腹を押さえ、前のめりに倒れるカイティーリヤの兵士達。
「何だっ」
「襲撃だっ、海賊だぞっ!」
群衆に交じった水夫達の煽りに、興奮しきった群が崩れる。
群衆は狼に襲われた愚かな羊の群れよろしく、先頭を走る者について雪崩の如く広場から逃げ始めた。当然、広場の中央に設置された処刑台と兵士は群衆に飲まれる。兵士が空に向け、まばらに威嚇射撃を行うがそれも火に油を注ぐ効果しかない。あっという間に押し寄せる波に倒されてしまう。
アレクシスは走り出した。後ろではテニスンが背を丸め、ぶつかってくる群衆の体を押しのけアレクシスを守る。
処刑台に飛び乗り、魔女の縄を解く。テニスンが柴を蹴散らし、白い煙を辺り一面に撒き視界を遮る。カトラスを振るい、飛びかかってくる兵士を薙ぎ払う。
アレクシスはぐったりとした力の無い体を抱え下ろし、その白い頬を叩いた。
「おい、不死身なんだろう? 目を開けろ!」
胸に耳をあて、鼓動を確かめる。煙にむせつつ、魔女の体に眼を走らせ、大きな外傷がないか確かめる。白い屍衣の下は分からない。が、むき出しの足や手には痛々しい火ぶくれが無数にできていた。
「……そ、んなに、見るな。私は淑女だ、ぞ」
せき込みながら魔女が閉じていた瞳を開ける。久しぶりに見た真っ青な海の色の瞳。アレクシスの胸に安堵と、何か熱いものが満ちる。
思わず細い体を抱きしめそうになった自分に驚きながら、手早く上着を脱ぎ、魔女の体を覆う。
「背負っていく。揺れるぞ。我慢しろ」
「だ、い丈夫だ。煙でいぶすやり方、は、燃やされるよ、り回復が早い……」
しわがれた声で魔女が答える。その言葉にアレクシスの動きが一瞬とまる。にやりと魔女が笑う。
「……七十年前が、今よりお上品だったと、思う、のか? 私は何百年も生き抜いてきた、魔女だ。これく、らいで萎えると、でも思ったか?」
魔女が煤だらけの顔にいつもの傲慢な表情を浮かべる。
「ふ、ふ……。カイティーリヤ、の司祭どもをたぶら、かしてやろうと、思ったが時間が足りなかった。まさか本当に騎士よろ、しく助けに来るとは、な。つくづくかわい、い男だな、お前は」
「うるさい。無駄口をたたく余裕があるならしっかりつかまっていろ」
アレクシスは軽い体を背負いあげた。肩に細い腕がしっかりと絡みつく。
委ねられた重み。
安心したような魔女の柔らかな吐息がアレクシスの背にゆっくりと染みわたっていった。