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聖なる魔女は海を抱いて眠る  作者: 朱居とんぼ
第一章 囚われの魔女
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 カイティーリヤの商船を襲い、当座の食料と水の提供を受けて艦長室に戻ってきたアレクシスは、魔女の意地の悪い笑みに迎えられた。彼女を柱に縛り付けていた縄をほどくアレクシスに、魔女がさっそくいやみを言う。


「お前の号令がよく聞こえたぞ。あきれるまでの手際の良さだな。こちらの負傷者が無しとはお前はできのいい略奪艦艦長だ。これでエドワード四世を簒奪者呼ばわりするとはな」

「やかましい。靴が欲しくないのか?」


 アレクシスはごとりと戦利品の靴をほうった。男物のごつい編み上げ靴だが、サイズはだいたいあっていそうだったので、持ち帰ったのだ。

 魔女が床に座り込み、もそもそと靴紐を解きつつ、歌うように言う。


「お前の望みはブラン王国海軍という肩書がなければ叶わないことなのか? やっていることは同じなのだし、いっそ海賊になったらどうだ。そちらのほうが実入りがいいぞ。どうせ望み薄なのだろう」

「俺は国王陛下に忠誠を誓った海軍士官だぞ。ならず者などになれるか」

「忠誠、ね。会ったこともない男によく命をかける気になれるものだ。牢にも噂は届いていたぞ。寵臣にかまけ、国政を顧みない愚王。反逆をおこした者に理がある話ばかりだったが」

「……王は確かにそうかもしれん。が、王女殿下は違う」

「なぜ言いきれる。顔も見たことないのだろう?」

「お顔なら拝したことがある」

「お前、貴族のおぼっちゃまだったのか?」

「違う。偶然だ。十年前、俺がまだ士官候補生になったばかりのことだ」


 アレクシスは何度も思い出し、一枚の絵のようになっている光景を脳裏に描いた。


 まだ、海軍に入ったばかりの見習い、士官候補生だったころのことだ。

 初めて大洋に出て、ようやくブラン王国に帰ってきた。感慨深く停泊していた艦から、崖の上にある王家の離宮を見あげていた時、崖から落ちる人影を見た。

 空中にふわりと広がる緋色のドレス。

 落ちたのは泳げそうにない女性だと知って、海にあわてて飛び込んだ。水をかき、近寄った。そこで相手が年上の少女であることに気がついた。


 ゆらゆらと水の中に広がった長い髪、青い陽光が髪に透けて光っていた。

 長い睫毛が揺れ、海の色を映した大きな青い瞳がこちらを見ていた。


 必死で手を伸ばして少女の腕を掴むと、水面に出ようと水を蹴った。が、少女のドレスが水を吸い、重りとなって海底へと引きずり込まれた。そして意識が途切れた。


「……気がつくと俺は岸に引き揚げられていた。当時の艦長が教えてくれた。その少女は兵士が助け、連れて行ったと。ただの少女にあれだけの数の兵士は出てこない。崖の上には王家の離宮がある。年齢からするとその少女は王女殿下だったのかもしれないと」

「なるほどな。初恋の君なわけだ」


 魔女が自分の髪をいじりながら気がなさそうに言う。アレクシスは大切な想い出を汚されたような気がして眉をしかめた。


「下世話な言い方をするな。あの方は俺の命の恩人だ」

「どこがどう命の恩人なんだ? 話だけ聞くと馬鹿な姫が海に落ち、もっと馬鹿な少年が後追いして溺れただけだろう。助けたのは結局、別の男たちだ」

「最終的にはそうだったが。俺は水中で王女殿下にお助けいただいたのだ」


 アレクシスの脳裏に、揺らめく水越しに見た白い顔が浮かぶ。朦朧とした意識の中で彼女の手がそっと頬に添えられて、そして……。


「口うつしで空気でももらったのか」

「なっ、お前、なぜそれを知っている!」


 思わずアレクシスは口走っていた。


 魔女が眼を丸くする。


「図星か。冗談だったのだが。それにしても使い古された恋愛劇のような展開だな。ひねりがなさすぎて笑えんぞ」

「き、貴様……」

「怒るな。まさか初めての口づけだったわけでもあるまい」


 アレクシスの顔がみるみる朱に染まっていく。


「……ま、さか、そう、だったのか?」


 無言のにらみは肯定だ。魔女が遠慮もなく盛大に噴きだした。


「お前は本当にかわいい奴だな。見ていて飽きん」

「……勝手に笑っていろ! どうせもうすぐお前ともおさらばだ」


 笑いを納め、目尻の涙をぬぐいながら魔女が口を開いた。


「そのことで提案がある。お前、私の力が欲しくはないか?」

「何?」

「今の私は死なないだけでほとんど力はない。お前の大事な王女とやらを助けることはできん。が、私が力を取り戻せば軍艦など何隻かかってこようが敵ではないぞ。私は嵐を起こす海の魔女だ。敵か味方か分からんカイティーリヤに援助を求めるよりましだと思うが」


 アレクシスは一瞬言葉につまった。


 カイティーリヤに援助を求めるのはアレクシスも乗り気ではない。前線に立つ者だからこそ分かる。かの国を信用してはならないと。が、王党派の頭の一人、ラドウィック提督にはそれが分からない。己の器量で利用できると考えている。


 甘い、と思う。


 が、一艦長にすぎない自分に異を唱えることなどできない。決定されたことに従うだけだ。それが忠誠というもの。しかし……。


 アレクシスの迷いをつくように魔女が身を寄せてくる。


「どうだ? 交換だ。私の力を取り戻す手助けをしないか? お前のために敵の艦を沈めてやろう、盛大にな」


 視界いっぱいに広がった魔女の白い顔。その唇が三日月の形をして笑っていた。


 彼女ならできるのだろう、アレクシスはそう思った。



  ****



 大航海時代。

 人々は新たに訪れた時代をそう呼んだ。


 航海技術と造船技術の向上。外洋に乗り出した人々は次々と新しい天地を発見した。停滞していた母国にもたらされた資源、富。それは今までの勢力図を大きく変えた。海を制する者が世界を制する時代になったのだ。


 探索に出遅れ、新大陸への中継補給港を作れずにいたブラン王国が目をつけたのが南大洋環状諸島だった。大洋の真ん中にあり、中継基地をつくるのにちょうどいい。が、問題があった。なぜすでに進出している他国が手を着けずにいたのか。


 魔女、がいたのだ。


 嵐をおこし、船を沈める魔女が諸島に暮らす原住民に祭られ存在していた。


 魔女は海底深くに住む。人の手出しができない聖域だ。そしてそこから嵐を海上へ送る。おかげでこの海域は誰も手出しできずに守られていた。


 伝説の冒険家、キャプテン・グレッグがその祭儀を知ったのは偶然だった。七十年に一度、魔女は海の底から神殿と共に海上に現れる。その夜は島に上陸し、人々の供物を受けとる。そこを急襲したのだ。


 陸の上の魔女は無力だった。

 縄をうたれ、凱旋の馬車に繋がれた魔女。嵐に夫や子を奪われた女達が石つぶてを投げる。拷問のすえ、刑場で魔女が首をはねられたのは七十年前の出来事だーーー。


「それが巷に伝わる魔女の最期ですよね。以来、南大洋環状諸島はブラン王国のものとなった」


 艦長室から船尾甲板に戻ったアレクシスに、副長が確認するように言う。


「が、魔女は生きていた」

「生かされていたと言った方が正しいな。教会や民衆が煩いからひた隠しにしていたらしいが。当時の宰相、アーカード卿が替え玉を使って魔女を自分の物にしたらしい。不老不死。そのうえ嵐をおこせるという存在だ。使いようによっては絶大な力を得られると思ったのだろう。カイティーリヤが欲しがるのも同じ理由か」

「ということは。本当にあの女にそれだけの力があると? ならば他国に与えるなど危険ではありませんか」

「それを言うならカイティーリヤの軍事支援を受けるなど愚の骨頂だ」

「ですがあなたは協力している」


 副長の眼がまっすぐにアレクシスを見る。アレクシスは眼を逸らせた。


「他に選択肢はあるか? 俺一人では王女を盛りたてるのは無理だ。そして国内の派閥をまとめているのはラドウィック提督だ」

「軍人は命令に従うもの、ですか。いっそ、本人が言うように我々が魔女の力を手にしては。事がなった後も影響力を振るえます」

「副長殿、君は従順そうに見えて過激だな」


 アレクシスは眉を吊り上げると警告を発した。副長がにっこりと穏やかな笑みを浮かべる。


「あなたは過激そうに見えて従順ですね、艦長。私には妻子がいるんです。身軽な独り者と違って命令だからと即座に従って命を落とすわけにはいかないんですよ」

「勘違いするな。俺達はあくまで大義のため動いている。権益目当てなど、それこそ海賊と変わらん。それにあの女の力が本当にあるのか怪しい。利用できるならとっくにしているはずだ。できなかったからあの塔に放置してあったのだろう。だいたいどこまで信用していいのか。耳当たりのいい言葉を吐いて俺達を騙そうとしているのかもしれん」

「魔女、ですしね」


 副長が胸の前で魔よけの印を結ぶ。海の男は迷信深いものだ。薄い板の下は底の無い地獄だと知っているからだ。


「計画の変更はない。海上でカイティーリヤに魔女を渡し、折り返し親書を受け取る。それで俺達の任務は終わりだ」


 アレクシスは結論をつけると椅子から立ち上がった。副長も立ち上がる。


「うまくいくといいのですが」


 含みを持たせた副長の言葉がアレクシスの耳に嫌な余韻を与えた。

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