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聖なる魔女は海を抱いて眠る  作者: 朱居とんぼ
第一章 囚われの魔女
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 アレクシスは暴れる麻袋をかつぐと艦尾甲板にある艦長室に直行した。


 船倉の一室に監禁するつもりだったが、その前に身なりを改めさせる必要がある。魔女が着せられている服は麻袋越しにも悪臭を放っていた。


 艦長室を満たす温かなカンテラの灯りになぜかほっとする。石牢の湿気とみじめさは思った以上に精神にこたえていたようだ。

 待機していた士官候補生に盥と湯の用意を命じる。麻袋の口を解きかけて思い出した。着替えがいる。アレクシスは立ち去りかけた候補生に声をかけた。


「ジェレミー、お前の服をこいつに貸してやれ。この艦ではお前が一番体が小さい」

「嫌だ」


 拒否の声は麻袋のほうからした。


「私は大切な交換品だぞ。艦で最上の物を用意しろ。下っ端の服など着られるか」


 袋からもぞもぞと芋虫のようにうごめきながら抜けだした魔女が、後ろ手に縛られたまま前に出ると、ジェレミーの頭の先から足までを見る。


「汚い。食べ物の染みはついているわ、油と煤だらけだわ。それにその袖口。鼻を拭いただろう。海の男は綺麗好きと聞いたがお前は違うようだな」


 ジェレミーが真っ赤になって腕を後ろに隠した。


「艦長、僕も嫌です。この女、魔女なのでしょう? 水夫たちが言っていました」


 アレクシスは深いため息をはいた。


 魔女がしれっとした顔で、アレクシスに向き直る。


「おい、アレクシス。お前の服をよこせ。お前は艦長、この艦で一番偉いのだろう? そういう者の服こそ私にふさわしい」

「何を言っている。俺とお前ではサイズが全然違う」


 アレクシスはあきれて言った。偉そうな魔女だが背はアレクシスの胸のあたりまでしかない。


「袖を折るなりなんなり自分でしてやる。言っておくが他の服は絶対に着ないぞ。私に着替えをさせたくば、お前の服をよこせ」


 要求できる立場ではないのに、魔女はてこでも動かないとばかりに、波に揺れる床を両足で踏みしめて立っている。ここまでくるとかえって潔い。


 襲撃の後で疲れている。こんな小さな問題で言い争いたくない。


 アレクシスはため息をつくとジェレミーに艦長の櫃から服一式を取り出すよう合図した。自分は魔女に近づいて、縛っていた縄を外す。すえた牢獄の臭いが立ち昇っている。


「この服は処分するからどこかに置いておけ。沐浴は一人でできるな? 見張りは置くが後ろを向かせるからさっさとすませろ。扉の外にも見張りはいるから逃げようなど考えるなよ」

「ああ、分かったから早く湯浴びをさせろ。もう何年も着替えすらしていないんだ。すっきりしたい」


 アレクシスは心底嫌な顔をして魔女から手を離した。室内の見張りをおしつけようとすると、ジェレミーはちゃっかり逃げた後だった。舌打ちをして艦尾窓に向かい、魔女に背を向ける。


 湯に飛び込んで跳ね返す音と、はしゃいだ笑い声がする。囚われの身だというのによく笑えるものだ。まあ、あの地下牢と比べればここは天国なのかもしれないが。


 やがて満足したのか、湯からあがる音と、服を着る衣擦れの音が聞こえてきた。

 と、突然、魔女が驚いたような声をだす。


「大きいな。ぶかぶかだ」

「当たり前だ」

「とても大きい。見ろ、袖など三回も折り返さなくてはならなかったぞ」


 嬉しそうな声に思わず振り向く。


 真っ白いシャツを身につけた魔女の、どこか無邪気な、愛おしむような笑顔がそこにあった。魔女は腕を伸ばして、袖の長さと自分の腕を見比べながら笑っていた。


「よくもまあ、ここまで大きく育ったものだ。神とやらが本当にいるのなら、感謝したくなるな」

「どういう意味だ。俺が大きく育って何が嬉しい」

「ああ、嬉しいさ。嬉しいよ。お前にはわからないだろうがな」


 生乾きの髪を揺らして、魔女がこちらをふりあおぐ。その青い瞳には慈母のような色が揺れていた。


 どきりとアレクシスの心臓が跳ねる。

 また、既視感がある。アレクシスは魔女の顔を見返した。


「……どこかで会ったか?」

「口説いているつもりか?」


 魔女の顔は人を小馬鹿にしたようないつものものだ。そこに偉そうな笑みを浮かべて、魔女は宣言した。


「今日から私はこの部屋を使うぞ。お前はどこか他で寝ろ」

「はあ?」

「私はか弱い女だぞ。あんな荒くれ者と同じ階層で眠れるわけがなかろう」


 それだけ言うと魔女はさっさとアレクシスの吊寝台を占領して寝息をたてはじめた。



  *****



「で。艦長室を追いだされて海図室で寝ておられたわけですか」


 あきれたように朝の報告にきた副長が言う。


「床に寝たから体が痛い。今夜からはハンモックを吊るそう」


 そういう問題ではないでしょう、と副長が白々とした眼で語りかけてくるが、アレクシスは無視した。みっともないのは百も承知だ。魔女とはいえ、相手が女だとどうも勝手が違ってやりにくい。男であれば一発殴ってそれで終わりにできるのだが。


「しかし、こちらは冷えるな」


 鼻をすすりつつアレクシスは言った。久しぶりに南の大洋からブラン王国の沿岸に帰ってきたせいか、どうも寒さがこたえる。年々ひどくなっているような感覚は気のせいだろうか。


「ここ数年の冷害は陸でも深刻らしいですよ」


 そこまで話したところで、どんどんと奥の寝室との境の扉を叩かれる。


「さっさと出してくれ、アレクシス!」


 よく眠れたのだろう。晴れやかな顔をして、憎らしい魔女が入ってくる。ぶかぶかの靴しかなかったので、足は素足のままだ。


 まだ体が膨らみを帯びていない少女なら、男の格好をさせれば少年のように見えるものだと思っていた。だがそれはどうやら違うらしい。少女はどんな格好をしようと少女だった。

 膝丈のズボンがぶかぶかなのを、強引にベルトで細い腰に巻き付けている。華奢な体に大きめの男もののシャツを折って着て、その上に青い海軍の上着をはおっている。


 その姿はどうも無防備で危なっかしげで、眼のやり場に困る。確かにこの格好の魔女を水夫たちと同じ階層にはおいておけない。騒乱の元になるというか、頭痛の種を増やすだけだ。


「……ここの窓は開かないように塞ぐとして、こいつを縛り上げないで部屋に放しておくとなると、扉の外にも常時見張りが必要だな。四六時中、俺かお前がここにいるわけにはいかん」

「そうですね。口が固く信用できる者となると……」


 阿吽の呼吸で副長と話しはじめたアレクシスの袖を魔女が引っ張る。


「おい、ここは海の上だろう? どこへ逃げられると言うんだ。見張りをつけるならそれは人的資源の無駄としか言いようがないぞ。それよりも朝ごはんはまだか?」

「魔女も人のように食べるのか」


 アレクシスは驚いて尋ねた。


「なくても生きられるが、幽閉されている間は何も口にさせてもらえなくて退屈だった。久しぶりに食べてみたい」


 青い瞳がきらきらと期待にうちふるえて輝いている。まるで子どもだ。昨夜からさんざんふりまわされている。恨みを晴らしたくなったアレクシスは、意地悪く言ってみた。


「艦の食糧資源は限られておりましてね」

「そうか。お前達は哀れな敗残兵だったな。で、朝ごはんは?」

「必要ないなら食うな! ずうずうしい!」


 アレクシスが一喝したところで、副長が首を振りつつため息をついた。


「魔女殿のことがなくとも、食糧その他は補給の必要がありますね。主計長の報告では、南方で積んだ塩漬けの肉が一樽、ぼろ布で底上げされていたそうですよ。水もそろそろぬめってきましたし、ビスケットも無視だらけです。環境が劣悪だと秩序が保てません」

「なんと、そこまで劣悪な環境にお前たちはいるのか。みじめだのう」


 魔女がくつくつと笑う。老獪なのか無邪気なのか。どちらが本質なのかよく分からない。ふりまわされている。アレクシスは眉をしかめた。


 その時、声がして、甲板の見張りたちが海を行く他の船の存在を知らせた。


 カイティーリヤ王国の商船だ。

 アレクシスはにやりと笑った。


「ちょうどいい。援助を頼もう。どうせ合流予定時刻にはまだ早い」

「そうですね。商船なら、砲弾などをのせない分、軍船より贅沢な食料品を積んでいるでしょうしね」


 副長が心得顔に頷くと先に部屋を出る。やがて上の甲板から、戦闘配置を命じる声が聞こえてくる。魔女が目を丸くして尋ねた。


「いいのか? 他国の商船を襲って。この艦は軍艦なのだろう?」

「かまわん。私掠船を装ったカイティーリヤの軍艦もさんざんブラン王国の商船を襲ってくれているんだ。お互いさまだ」

「そんな国に私を渡して反逆の援助を受ける気か? これ幸いと攻め込まれるぞ。正気ではないな」

「上の決めたことだ。俺は任務を果たすだけだ。お前も囚人の役目をおとなしく勤めていろ。ここの砲は使わないでおいてやるからゆっくり観戦するんだな」


 アレクシスは魔女が邪魔をしないように柱に縛りつけると、三角帽をかぶり直して、海戦の指揮をとるべく甲板へと向かった。


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