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聖なる魔女は海を抱いて眠る  作者: 朱居とんぼ
第三章 サルサーラ ー輪廻の海ー
11/14

 そこは環状諸島にある無数の無人島の一つのようだった。

 切り立った崖が小さな入り江を遮断し、外から見えないようにしている。


 ボートに乗り、砂浜に降りる。透明な水が白い砂の上を行き来していた。砂浜の向こうには緑の森。椰子やマングローブの茂った奥に即席の祭壇があった。


「眼が覚めたか、艦長」


 祭壇の上、木を組んで作った玉座のような椅子に、魔女がふんぞり返って座っている。


 環状諸島の巫女装束なのだろうか。

 白い生成りの布をほっそりとした体に巻き付けている。裾の長いそれは、彼女を悪戯で偉そうな魔女から神聖な存在へと、見る者の印象を変えさせていた。


 魔女の隣に腕を組んだテニスンがいた。アレクシスを見るなりテニスンが眼を瞬かせ、うなり声をあげて走りよってくる。


「艦長……!」


 テニスンの顔がくしゃくしゃに歪む。


「俺、艦長を守れなかったです。側にいながら……」


 アレクシスは頭を下げたテニスンの肩をぽんと叩いた。肩を貸してくれたフォルマスに礼を言い、テニスンの肩によりかかる。


「肩を貸してくれ」


 テニスンが鼻をすすりあげて笑った。

 テニスンの手で祭壇にかつぎあげられ、丁重に座らされる。席に落ちつくなりアレクシスは魔女に言った。


「……お前、俺の体に何をした」


 魔女がかすかに眼をそらす。


「助けてやったのに人聞きの悪い。私とお前の体を繋げた。それだけだ」

「どういうことだ」

「私の体は海と同じ。死と再生を常に繰り返している。とぎれることなくな。その流れに一時、お前の体を繋いだだけだ。妙な力は使っていない。お前は自分の力で治癒したのだ。私にそんな大それた力はない」


 魔女が言葉を切り、アレクシスに運ばれてきた水を飲むようにうながす。

 久しぶりに飲む真水はうまかった。体の隅々にまで染みわたっていく。

 

 アレクシスが水を飲み干すのを待ってから、魔女が口を開いた。


「私の力が及ぶのはこの海域のみだ。それに神殿に立たなくてはならない。あそこでないと力を振るうことはできないのだ。どこでもいつでも使える。そんな都合のいい力があればとっくに自力で塔から出てここに戻っていた」

「では、お前は無力なままなのか?」


 アレクシスは驚いて言った。


「ではなぜこんな所でふんぞり返っている。なぜ神殿とやらへは行かない……」


 そこまで言ったところで。さっき見た長い夢を思い出す。

 海の中から現れる壮麗な石の神殿。あれは確か七十年に一度、夜にしか現れなかった。そして、その現れる場所は……。


「神殿は三日後に現れる。だが、問題は場所なのだ」


 魔女が眉をしかめて言う。


「私は北へ連れ去られて知らなかったが。神殿の現れる真正面の入江に、ブラン王国の砦が築かれてしまったのだ」


 アレクシスは南方勤務の海軍士官なら誰もが知っている南大洋環状諸島の地図を頭に描いた。


 薄い三日月の形に広がるサンゴ礁、その上にある島々。その真ん中、弧の内側を向く形で本島がある。

 サンゴ礁の内を散らばる島の中でひときわ大きく目立つ島。

 その入江は三日月の内を指し、なぜかそこを出ると海底はすぐに深くえぐれ、外洋へと繋がっている。


 その立地関係から、本島の入り江には港が築かれている。

 他の島では沖に停泊しなくてはならない大型艦がここでは入り江の内に停泊することができるのだ。


 王に任命された総督がそこを支配し、数隻の戦列艦が護衛を務めていたはずだ。


「長老が言っていた。あの海は聖域だった。小船で神殿までサルサーラを迎えに行き、入江で祭事を行っていた、と。が、今はできない」


 サハが言う。魔女が手をふり、言葉を繋げる。


「この際、祭事はよいのだ。私さえ神殿へたどり着ければ。が、あれの大きさは半端ではないからな。大きな波もおこる。夜とはいえ、浮上すれば嫌でも砦の人間の眼につく。そうすれば当然、艦が出張ってくる。波が収まり、小船をこぎ出すまでの時間。それが足りない」


 確かに大型艦なら多少の波はものともしない。


「力を貸せ。陸からはこのサハ達が攻撃をかけ、人目を引きつけてくれる。が、海上にいる艦から砲撃を受ければ終わりだ。駐留している艦どもの足を止めて欲しい。私が神殿に還るまで」


  ***


 説明の後。魔女がアレクシスの傷の具合を見ると言って引き止めた。不満そうにうなるテニスンを先に行かせ、魔女に向き直る。


 魔女はアレクシスのシャツをはだけ、傷痕を見た。


「……痕が残ったな。が、男なのだしかまわんだろう」


 ぽんとアレクシスの胸に拳を打ちつけて、にやりと笑う。


「今度からは気をつけるのだな。もう奇跡はおきんぞ」


 白い手がアレクシスの胸から離れる。その手首をアレクシスはつかんだ。引き止める。そして口早にたずねる。


「十年前、俺を助けたのはお前か? 囚われの魔女がなぜあそこにいた!」


 魔女が肩をすくめる。


「あの時はたまたま扱いが良かったのだ。海から離され体が弱っていたこともあってな。回復すれば協力するという言葉に皆、ころりと騙された。もっとも脱走に失敗したからその後は石牢暮らしだったが」


 アレクシスは詰まった喉からもう一つの問いを絞り出した。


「……なぜ、俺を助けた」


 魔女の蒼い瞳が、鋭くアレクシスの眼を射る。


「勘違いするな。単なる気まぐれだ」


 魔女が言い放つ。


「強いて言うならその瞳のせいかな。木々の緑の色。私が海の底で焦がれた色だ。それに無垢で純粋な子どもは嫌いではない。あの時のお前はまだ子どもだった。ただそれだけだ。自惚れるな」


 冷やかに言うと魔女が背を向ける。誰をも拒絶する、真っ直ぐに伸びた背。誰にも寄りかからず、すがらず生きてきた、魔女の人生そのものの背だ。


 遠くなるその背にアレクシスは言った。


「眠っている間に、夢を見た」


 魔女の背が止まる。


「聞かせろ。あれもお前か」


 魔女が振り返りアレクシスを見返す。蒼い瞳に怖れと、そして期待の色が見えたのは気のせいか。


 魔女が唇を動かす。


「……見た、のか」


 アレクシスはうまずいた。魔女が自嘲の笑みを浮かべる。


「私も甘いな。誰にも見せるつもりなどなかったのに。体を繋げたせいか、それとも私の心の弱さか」


 再び魔女が背を向ける。


「忘れろ」


 そっけなく言うと、魔女は祭壇の下に控えていた島の娘たちのほうへと歩みよった。娘たちの垣が魔女を包み、その姿を隠す。歩きだした集団はすぐに緑の帳の向こうへと消えていった。


ここは艦上ではない。ブラン王国でもカイティーリヤでもない。

ここでは魔女はかしずかれ、敬われる、帳の向こうの存在なのだ。距離が遠かった。


 一人祭壇に残されたアレクシスは頭上を見上げた。

 漆黒の闇に無数の星が煌めいていた。ブラン沿岸では霞に遮られ、よく見えなかった星が、ここではくっきりと見える。


 アレクシスは口を開いた。


「今さら……。反則だろう」


 小さなつぶやきは、誰にも聞かれることなく暗い夜空へと昇っていった。

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