渓谷村にて 上
今日は少なめ……
魔法陣が有用なことが分かると俺はシュリに協力して方程式の簡略化などに努めた。魔法陣に組み込まれていた方程式にはかなりの無駄な部分が含まれていて、見ただけである程度の簡略化ができるほどだった。
魔法陣を研究するユーザーが極端に少なかったのはおそらく魔法陣の本を入手するのが非常に困難だからであろう。図書館などで模写しようにも少しでも作図がずれようものなら発動ができないし、専門の知識を要する。そうなれば研究者は減り、研究も進まないのも頷ける。
儘ならないものである。
「この術式、長すぎるんですけど、どうにかならないでしょうか?」
「ああ、そこはこの公式使うと楽になるよ」
昔、学校で習った公式を思い出せる限り箇条書きをする仕事をしながら、シュリに公式の一部を見せてアドバイスをした。
学校以来使っていない計算を思い出すことは中々出来なかったが、中学生レベル辺りまでの計算式ならば殆ど思い出すことができた。
シュリの発見は俺の現代知識を使ったイカサマより確実に褒められるべき物だったが、異世界から来ていることを未だ明かしていないこともあり、俺がイカサマをしていることを知らないシュリは俺が公式を書き出した頃から俺を崇め始めていた。
「ありがとうございます!」
礼を言って離れて行くシュリの背中を見て、紙とインクが足りないなぁ、と思い出す。
もう底を尽きる。魔法でインクは作れても紙は作るのが難しい。次の機会に買いこんで置かなければ。
「ご主人、そろそろセイレンに着くぜ」
セイレン。そこは王都と大きい町を挟んで位置するが、山の渓谷と言うこともあり、然程発展していない。
また、高くて急な山がある所為で閉鎖的な空間のこともあり、独特の文化が芽生えているらしい。期待に胸が躍る。
「小麦が沢山ですね!」
シュリは手を一旦止めて顔を上げるとそう言った。
「何かな? スィー?」
淡く二回、魔法石が光った。スィーは何かあるとこうして合図を送ってくるが、大人しいその性格もあってあまり魔法石から外には出ない。
《解除》
銀の風を吹かせて軽やかに着地したスィーは馬車の外を覗いた。
「綺麗……」
翌々思えば、スィーは森の中は幾年も放置されて飽きるほど見ていたかもしれないが、森の外は町にいた頃以来見ていなかったか。
森に飽きているのに森の中に突っ込もうとしていたから、拗ねて余り魔石の外に出ていなかったかもしれない。配慮が足りなかったか。
そう思う俺を他所に彼女達は持ち前の絶世の笑顔で生い茂った小麦が風に揺られるのを眺めていた。
「旦那ァ、ちょいと村長に顔を見せに行きたいんだが、かまわねェか?」
なんでもカインは村長の知り合いらしい。こんなところに位置する村でも、チラホラとレンガ造りの家が見える。さぞ村長の家も立派なのだろう。
そこにホームステイすることができれば嬉しいことこの上ない。
「そうだね。かまわないとも」
俺の返事を聞くとカインは懐かしそうな表情を浮かべていた。
馬車を進め、他と比べて少しばかり華美な家の前で停車した。
仰々しい門などはなかったが、中々良い物件であった。
「やあやあ、ようこそ」
そう言って迎えたのは一人の爽やかな青年だった。両手を自在に操り、挨拶を述べた彼はまるで道化師のようであった。
「久しぶりだなァ、フレリッグ」
「はい、久しぶりですね。カイン」
二人は腕をクロスするように打ち合った。挨拶のポーズだろう。
「ところで」
村長のフレリッグはそう切り出した。
「そこにいる方々は誰ですか? 団員はどうしたのですか?」
少しの沈黙が生まれた。カインは旧友に出会って初めて笑顔を崩した。
「こちらの方々は商人様だ。……団員は俺だけになった」
カインの言葉は暗に団員のことは何も聞くなと言わんばかりであった。
「そう……ですか。残念です。長旅でお疲れでしょうから、余り立派な屋敷ではありませんが、お上がり下さい」
「助かります」
そう言って案内をされた屋敷は中々に立派であった。絵画や彫刻などの煌びやかな物品は殆どなかったが、かなり広い。
前の世界ではアパート暮らし、こちらに来ても洞穴や宿屋で寝泊りをしていた俺は驚愕した。
敷地を贅沢に使ったその屋敷は東京に、それも猥雑に入り組んだ住宅街に住んでいた俺は新鮮味を感じていた。
「それで、商人様たちは何を売りに?」
フレリッグは何か言いたげだったが、飲込みこちらに話を振った。
「香辛料を売りに」
「ほう、香辛料ですか」
「娯楽に飢えていらっしゃるのでしょう?」
村は決して、沢山の余裕があるようには見えなかったが、ここには商人も通ることが少ないと聞く。
村人はさぞ使い道のないお金が有り余っているだろう。そこを狙うのだ。
娯楽というのは何もサーカスだけではない。食事も楽しめれば立派な娯楽なのだ。嘗てのローマ人は食べた物を吐いてまで新たに美味しい物を食べてたと聞く。
それだけに食欲の刺激は効果的なのだ。
「成程。それはありがたいです」
「いえいえ。ところで、ここらの特産品はなにがありますかね?」
了承を得ると特産品を尋ねた。独特な文化を持つ地域は得てして特産品がある。俺は経験的推測でそう決めつけた。
「蜂蜜と……"カーム"ですかね」
「カームとは?」
「夏に咲く黄色の花です。この村では"ノリバナ"とも呼ばれています」
タンポポの事だろうか? しかし、それだったら態々特産品で言う意味が分からなかった。タンポポが余程珍しいのだろうか。
「分かりました。では、蜂蜜とカームはどこで買い付けられるでしょうか?」
「そうですね……。お泊まりになさるのであれば、明日以降にさせていただきたいです。村の皆にきちんと伝えなければ不平がでるので」
「では、御言葉に甘えて」
そうして、俺は無償での一週間の滞在期間を手に入れたのだった。
◇◆◇◆
「こちらがカームになります」
カームという花は変わった花だった。花は水を貯められるような形をとり、磨り潰すと白っぽい糊のようなものがでる。有り体に言えばボンドだ。
カームは樹木に寄生し成長する花だった。また、カームの寄生する樹木は一つの種類の木に限定されていた。
「このカームは糊として栽培されています。それ故にノリバナと呼ばれているのです」
「なるほど。因みにこれはどれだけ採れているので?」
「そうですね……。森で自然に生えてくるのを採集する程度なので一年通して一キロを超えれば良い方でしょう。飽くまでも本業ではありませんからね」
一キロが多いか少ないかは兎も角、自然栽培と言うことは安定した供給を求めることはできない。
そもそも紙を束ねる時は大抵、紐を使うこの世界において需要もどれだけあるのか疑問だが。
「この木は使わないのかァ?」
カームの寄生していた木を指差しカインが口を挟んだ。
「そうですね。このカームを寄生させる木は何故だか大量の樹液を有しているようで木材としては使い辛いですからね」
「樹液は食べれないのかァ?」
「食べたことのある木こりは口が一生開かなくなりました。それだけに接着力が強く、すぐ固まるため非常に扱いにくいのです」
カームとカームの寄生する樹液が豊富な木。この二つの関係性は深い筈。
見本で見せてもらった木の樹液は生えている時しか出ないので見れないらしい。
何れにせよ、調査は必須だ。
「少し、生えてる状態の木を拝見させてもらってもいいですか?」
蜂蜜とカームの花と香辛料の取引を終えた俺は新たな儲け話を嗅ぎ取り尋ねた。
「ええ、いいですよ」
村長としては木材としてすら利用できていなかったカームの副産物を買い取ってくれるかもしれないと喜んでいたくらいだった。
「これがカームを寄生させる木になります」
「へェ、」
「これが……ですか」
林の中に来た村長が紹介した木は若干根の広がりの大きいだけのどこにでもあるような木であった。
と、言っても日本では中々見かけることはないが、このガラパゴスな世界においてはさして珍しい事ではない位のレベルである。
「これは……」
二人の反応とは別に俺は期待に満ちた声を漏らしていた。
「なんか気になることでもあったかァ? ご主人」
「どうかしたんですか?」
二人は俺の反応が気になったのか尋ねてきていた。
二人の表情は対極的で、カインは何か面白そうなことを嗅ぎ取ったような顔、シュリは俺のことを気遣い心配をしている顔だった。
「ほら、あれだよ」
俺は自分の目線の先にあるモノを分からないだろうと思いながらも指差した。
案の定、何なのか分からなかった二人は小首をかしげた。
「あれが何だって言うんだァ? 村長が言ってた樹液だろォ?」
「そうですよ。あれは直ぐに固まってしまう上、臭いがキツイって村長さんも言っていたじゃあないですか」
反論をする二人に俺はひけらかすように答えた。
「あれはノリバナより売れる」
勿論、村長には聞こえない声でそう言った俺に二人は絶句した。
「ノリバナって意外と高くつくんですよ」
「そうだぜご主人。あの嗜好品の蜂蜜よりも高いくらいなんだぜ、それより高くなるなんてにわかには信じられねェなァ」
絶句から立ち直った二人は説教を始めるときのような体勢になって世間知らずの俺にレクチャーをしようとしたが、俺はそれをひらりと躱して彼らの耳元で告げた。
「馬車の移動を楽にできる道具になってもかい?」
「そ、そんなことが……」
「ハッ……」
シュリは目を回し、カインは引き攣った笑みを浮かべた。
そんな二人を残して俺は村長と採集をしている人に声をかけた。
「この木、買い取ってもいいですよ」
彼らは顔を見合わせ一度間を開けて驚嘆した。
「ほ、本当ですかッ?」
「本当ですよ」
詰め寄ってきた村長に苦笑いでそう返した。
やがて自分の行動に気が付いた村長は謝罪を入れた。
「はしたない真似をいたしました……」
「いえいえ」
「本当に買い取ってもらえるんですか? いくらくらいになるんですか?」
カームの採集を得意とする村長の弟が尋ねてきた。
「そうですね……」
ここで渋っても後の関係が悪くなるだろう。ここを後々去ることは決まっているが、今後使いを出して取引を行う関係まで持っていきたい。
更に言えば、独占契約まで持っていければいいと思っている。
何せその樹液の需要は計り知れない。これからのあらゆる産業で引っ張りだこになるような物である。
だが、それはノリバナの何一〇倍もをいっぺんに採れる代物だ。価格を吊り上げすぎても自分の首を絞めるだけだし、彼らにそこまでしてやる義理立てもない。
ぼったくりにならない程度の金額に少し色を付けてやればいい。
「ノリバナの一〇分の一でどうでしょう?」
「そ、それはいくらなんでも……」
村長たちは難色を見せた。どうやら勘違いがあるらしい。
「同じ重さで、ですよ?」
「はっ?」
村長は口をあんぐりと開けた。
「それではこの木一本でノリバナの一〇〇倍以上の樹液が採れてしまいますが……」
こちらの採算が合わなくなる。そう踏んだのだろう。申し訳なさげに言う村長だったが、こちらにはかなり利益がある。
「大丈夫です。この木を使って"ゴム"が作れますので問題はありません」
「ごむ?」
聞きなれない単語に村長は首をかしげた。
そう。この木はこの世界のゴムの木である。
それから出る樹液。ゴムを使えば、革のボールが使いやすいゴムボールへと変わり、金属や木材でできた車はゴムでできたタイヤになれる。
特にタイヤは売れるだろう。確実に。
誰もが馬車で尻を痛め、痛くしない為には何度も慣れるまで乗り、尻を鍛えるしかない。
それが改善できるなら皆こぞって欲しがるだろう。
調合量と調合内容などのレシピさえ教えなければいいと思い村長たちに教え込むと彼らは納得して、尊敬の眼差しで俺を見つめてきた。
できればそのような目は女性から当てられたいものだったが、悪い気分はしない。
「物知りですね。ご主人様は」
「物知りとかそういうレベルをはるかに超えていると思うけどなァ」
相変わらずシュリの尊敬は心に悪く、カインの疑問は真をついていたのであった。
途中の敵が呆気なさすぎるのと幾つかの矛盾点の改善のため、しばらく投稿ができません。
もしかしたら、そのままお蔵入りになるかもしれません……。
申し訳ございません。