若返ってサバイバルをしてみる
心地の良い風が頬を叩いた。澄んだ風の香りが鼻をくすぐる。
薄く目を開けると木漏れ日が目に入り込んできた。周りを見渡す限りに木が見える。聞こえる音は鳥の囀りと微かに水の流れる音。
――ここはどこだ?
見知らぬ森だ。前に長野に行った時に見た森に酷似している。だが、俺が住んでいるのは絶え間なく密接した建物が並ぶ東京の都市部。よって、自動車の免許も碌に持っていない俺が簡単に来られる場所ではないことは容易に分かる。
「どこだ、ここ……うん?」
違和感を感じた。自分の体がやけに軽い。羽でも生えたようだ。いや全く自慢ではないのだが俺はメタボだ。こんなに体が軽い訳が無い。
寝起きで体の調子がおかしいのかもしれない。寧ろいいのかもしれない。
兎に角、土でズボンも汚れてしまうので立ってみる。
「おっと」
立ち上がろうとして躓き、自分がバランスがとれていないことに気が付いた。
しかし、何故だろうか。何故バランスがとれないのだろうか。寝起きだからだろうか。
いや、きっと違うな。前に一度寝起きにコケた事があったが、あの時は引っ張られるように崩れた。だが、これはもっと根本的な何かによって立てない。
「えっ?」
自分の手を見てみるとその変化に気が付いた。細くなっていたのだ。
体も急いで見てみるが、やはり細くなっていた。
あの憎き肉々しいまでに醜い自分の身体だった筈のものが繊細で今にも折れそうな華奢な身体へと変化していたのだ。
それに加えて若返っている。今年三〇代に突入するおっさんが若々しい肌になっているのだ。見違える様に張った腕の皮膚を見れば分かる。一五歳か十六歳辺りだろうか。
寝惚けた頭が一気に覚醒して行くのを感じた。
前もって若返ると分かっていたならば、それは大層に喜んでただろう俺は、唐突に、あまりにも突飛なこの現象に取り乱す他無かった。
眠気が一気に醒めた頭で夢かと一度考えたが、俺は首を振った。ここまで詳細な夢は見たことがない。森特有の木の香り然り、小鳥が囀る声然り、日光と木の陰でてぎたコントラスト……。
夢ではないと断言できよう。
「これはどういうことだ? 状況整理、状況整理。……まず、ここは何処だ? 森だな。何故こんな所に俺がいる? わからん。何故俺は若返っている? わからん……うむ」
口に出すことで一つずつ状況を整理していこうとするが、情報が少なすぎて判断のしようがなかった。何も解決できなく、初めての状況に戸惑うことしかできなかった。
記憶喪失を疑ったが、俺の名前が御子柴肴であることと、約三〇年間の記憶があることを覚えていることで安堵する。
短期的な記憶喪失を疑えばきりがないので深くは考えるつもりはない。
「もしや、これは噂の……」
心当たりがあった。嗜む程度には知っている。
そう、勘違いして欲しくないのだが、決して、決して深入りをしているわけではない。
俺はヲタクではない、ここに明言しておこう。
こうでも言っておかないと信じない輩もいるからな。
「異世界転生……なのか?」
荒唐無稽な話のはずなのに欠けていたパズルのピースがピッタリと嵌るように俺の頭の中で納得が生まれる。
今の状況にしっくり来るのは異世界に転移とかそんな風な状況だった。
女神様に天啓と天恵を貰って冒険とかをするあれだ。
重要なのは女神様になんて会っていない事なのだが、今の俺にはどうでも良かった。
退屈の日々、仕事にやりがいを見いだせず、灰色となった世界に色が付いていくのを感じる。
そして何より――
「異世界と言えば、エルフとか猫耳の獣人とか兎耳の獣人とかか……よしっ」
そこに居たのはガッツポーズを決めながらもヲタクの世界にどっぷりと深入りしていたかもしれない俺だった。
◇◆◇◆
思えば三〇年間は灰色の人生と呼ぶに相応しいものだった。
嘗て面倒くさがり屋だった俺は努力というものを社会的に必要最低限でしかしなかった。そして、手に入ったものは味気のない思い出と楽しめそうにないこれからの人生だけだった。
それを気が付いた頃には時すでに遅しで、鏡を見れば醜く肥え太った己の身体と歳を無駄に食った顔が映っていた。
しかし、そんな人生も身体もおさらばだ。今日、俺は昔の俺とは別の人間として人生を歩んで行くのだ。
「水の音がしたのはこっちだったか?」
嘗ての思い出はともかくとして、俺は水を確保しようとしていた。
本来ならば、異能力に目覚めたりしてないか検証したかったところだが、それは後のお楽しみに取っておく。
因みにデザートは後に食べる派である。
寝起きで喉も空っ空だ。朝はあまり腹の減らない体質なので、食糧はこの際一番後回しにするつもりだが、喉は直ぐに渇く。数日飯を食わなかったところで死ぬわけではなかろうが、水分が無ければ肉体的にそして精神的にも来るものがある。
と言う訳でまだ覚束ない足で川の上流へ向かうこととした。
下手に歩いて動物に襲われて死亡……なんて目も当てられないことにならぬよう慎重に警戒しながら歩いてはいるが、元々アウトドア派ではない俺の警戒なんてザルもいいところだろう。
それでも続けるに越したことはないので、そのまま続けるつもりだが。
「見えてきた見えてきた」
川が目に入ったので警戒を強める。川の周りには生物が沢山住んでいるだろうからだ。
どんな動物であっても大抵は必ず水分を必要とし川に寄ってくる。至って単純な理屈だ。
一人で見知らぬ場所にいると流石に寂しくなってきたが、熊と遭遇したい訳でもないので、足音なるべく立てないように行動をした……筈だった。
前方の暗闇から獣の低い呻き声が聴こえ、鳥が羽ばたく音が聞こえた。
そちらに目をやると暗闇から這い出た灰色の獣が赤い瞳でこちらを見ながら低い体勢で飛びかかる準備にかかっていたのが見えた。
……拙い。
やはり自宅警備員のスキルはアウトドアな場面で役に立つ代物ではなかったようだ。
……まあ、家にいるだけでなれる簡単なお仕事だしな。しかも土日のみ出勤だし。仕方がない。
更に言うと今の本調子になれていない俺には足音を立てないと言う極普通の動作すら、とても難しい事だった。
今の状況といえば、小川を隔てた先にいた狼らしき動物がこちらをじっと観察しているといったところだ。
くわばらくわばら。
対して威嚇されている俺と言えば、大きめの木の陰でひっそりと息を潜めて、狼らしき動物を見据えている。心臓の鼓動は早まり、微かな震えと発汗が止まらない。蛇に睨まれた蛙とはまさにこの事。
そして、そんなアホなことを考えていても、緊張など解けやしなかった。
何故見つかったのか、そんなものは単純明快だった。
ズバリ、この落ちている枯葉の所為である。枯葉はよく音を立てて鳴る。パリパリッと。小川を挟んでいるとは言え、人間の聴覚ならいざ知らず、相手は森の住人。聴こえない道理がない。
ああ、先に魔法使えるか試して、安全を確保することを優先にした方がよかったか……。しかし、一概に魔法があるとは言えないし、たらればの話をしていてもしようがない。全ては後の祭りだ。
俺の後悔など知らない狼らしき動物はこちらにゆっくりと歩み寄って来る。その足取りは軽くなく、体勢を低くして、いつでもこちらに跳んで来れる準備をしているようにも単に警戒をしているようにも見える。
そうして、狼らしき動物は何歩か歩くと遂に小河に辿り着く。
小川まで辿り着いた狼らしき動物は小川で喉を潤し、どういう訳かビクリと大きく震えると駆け足で小川の向こうへ去って行った。
「ふう、何だったんだ?」
怯えて逃げて行ったことは分かるけれど、何故だろうか。
こんなひょろひょろな体に怯える筈もないだろうし、まさかと思い後ろを振り返るが、あるのは木、木、木。
全く、静かなものだ。小川の流れる音しかしない。
俺みたいな絶好の獲物逃す筈もないだろうに。余程腹が膨れていたのだろうか。
命の危機もさり、緊張が解けた体でそんな的外れな推理をしながらも小川に辿り着く。
「豪く澄んでいるな、やはり森の天然水は違うのか? でも、澄んでるということはここは上流ってことでいいのかな?」
そんなことをブツブツと一人寂しく呟きながら喉の渇きを潤す。
かなり喉が渇いていたようで沢山飲み過ぎてしまい、歩くと腹の中からチャポンと音が鳴る。
「さて、どうしましょうかね……」
いつもより独り言が増えてきていた俺は元より若干高くなった声が未だになれない。周囲を見渡すが植物か虫しか見当たらない。
子供の頃追いかけていた筈の虫も大人になるにつれて、寧ろ忌避の対象でしかなかったが、身体を新調した為か忌避感を感じない。
しかし、虫と言うのは病気を運ぶ輩もいるので警戒は怠らない。
「やることもないし、お楽しみと行きますか」
異世界物の定番。魔法が使えるかの実験である。心が躍る。
まずは小手調べから。
「ステータス……。ステータスオープン……。能力開示……。ふむ。成る程、スキル云々系ではないのか」
前に見た異世界転生物アニメの様に指を動かしてみるものの何の反応もない。
周りに人はいないが、こそばゆいものがある。振り付けまでして何もないと結構恥ずかしい。
では、改めて。
「ファイヤー……。フャイヤーボール……。ウォーター……。ウォーターボール……。サンダー……。サンダーボール……。これでも駄目か」
色々と唱えてみたが駄目なようだ。その後、恥ずかしくて悶えてしまうような詠唱なんかも先頭に着けてみたりなんかもしたが何も起こらなかった。
恥ずかしい……。死にたい。
そんな軽い自殺願望とまではいかないまでも少しの自己嫌悪を覚えた時、何故だか、七つ集めると願い事がかなうボールを探す物語を思い出した。
彼の仙人は言っていた。
体内の潜在エネルギーを凝縮させて一気に放出させろと。
これは試さない手はない――。
結果的に言えば、実験は失敗に終わった。しかし、成果は出ていた。あの青白いビームは出せなかったのだが、光の粒が宛らスローモーションカメラで写したシャワーの映像が如くに発射されたのだ。
無いんじゃないかと諦めかけていたが、やはりあったのか!
謎の光は重力に囚われ無いようで下に落ちず、まるで宇宙空間を粒か何かが彷徨うかのように散らばる。そして、眩しい豆電球のような輝きの光の粒が電池が徐々になくなって逝くかの如く弱まり、次第に霧散する。
「と言うことはやはり異世界って事で良いのか……」
魔法の類のものにしか思えない現象を起こしたもののやはり現実味がない。
次第に魔法があったことに対する歓喜はさらなる探究心に変わっていった。
しばらく検証してみると、あの物語の様にポージングを決めなくても、体の中にある何かを手から、体から放出できことがわかった。
だが、体からでは手から謎の光の粒を放出するより燃費が悪いらしく、体の中の"何か"の消費が激しい。
その"何か"を消費しても精神的疲労や身体的疲労はなく、強いて言えば、謎の光の粒の放出の速度と放出されるタイミングが遅くなると言ったところだ。魔術的疲労としておこう。
そんなこんなで、俺は魔法のような力の使い方を試しかめながら、川沿いに山を下って行った。
◇◆◇◆
あれから一時間くらい歩いたくらいだろうか、この緩やな山道も遂に降りきり、池のような場所も終わりかけ、新たな坂が見えだした所。二つ目の山に差し掛かっている時である。
「あっ」
鹿がいた。まだこちらに気付いてはいないようだ。
角を木に擦り付けている。それは角を研いでいるのか、はたまた木に傷をつける事で縄張りでも作っているのだろうか。木に擦り付けている角はその体で支えられているのが可笑しいくらいに大きい。あんな物で突進でもされたら溜まったものではないだろう。
しかしながら、あの凶暴そうな面構えも新たな力を手にした俺の敵ではない……多分だが。
あの謎の力、即ち魔力を使う内に分かった事がいくらかある。
魔力とは言うなれば不可視の粒。意識的に可視化しようとすると、見えるようになる。
目に付与させれば、忽ちそれは『魔眼』の如く、不可視であるはずの魔力を見る事ができるようになる。
身体のどこにでも付与できる魔力だが、粘膜等の敏感な部分に付与すると、魔力を感じ取る器官として働くことができるのだ。
どこに付与をするかという問題であるが、全方位三六〇度を比較的高感度で認識できる点において鼓膜に魔力を付与させる『魔聴』は優れ物であった。そして、より正確に魔力を認識及び、選別ができるのは例の如く『魔眼』であった。
また、視覚に謎の力を注ぎ込んで分かったことだが、俺は無意識に謎の力を垂れ流していた様だった。始めは意識しないと垂れ流し状態だったが、今では無意識に抑えられるようになった。
さて、目の前にいる鹿だが、角から若干魔力が漏れている。魔獣と言う奴なのだろうか。若しくは生きる物には魔力が宿る的な理屈で、実は魔力は発してはいる物の、 只の動物という線もある。
しかし、どうせだったら人に会いたかったと思う。まあ、食料としてこの鹿は狩るつもりだからいいけれど。
俺は魔力でできた長めの糸を腹に何重にも巻き付けて、もう片一方を木に括り付ける。これは失敗して撤退する際、逃げ切れなかった時の保険だ。
何故、糸と言う如何にもしょぼそうな手段を採るのか、それはまだ俺が糸という形でしか魔力を実用的に使えないからであった。
全く持って不甲斐ない話である。
改めて目の前の鹿に意識を向けた。鹿に聖なる太陽の光が当たり鳥と戯れる姿は森の神秘、これ以上なく神聖なものに感じられる。
このすきっ腹さえなければ少年誌の戦闘が如く殺し合いをせずに済んだのかもしれない。
そんなことを考えつつも、俺は若干漏れていた魔力を息を潜めるように抑えながら鹿の背後から近づく。これは魔力を抑えないと相手が魔力を察知してしまうかもしれない可能性を考えての事だ。
前回の事も活かして落ち葉の無いところを踏んで歩く。失敗は成功に繋げてこそ意味を為すという物だ。
狼の時の様に運の良い事など二回と無いだろう。
そうして、後十数歩というところで、鹿に気付かれた。
一番確実で安全な方法――暗殺で方を付けるのはやはり困難であった。
鹿は角を構えて臨時体制を取り、対する俺は腰を屈め両手を突き出した。
見る者が見れば直感する――中国拳法の構えである。正確に言うとモドキであるのだが。
ゴクリ、と俺が唾を呑むと、同時に鹿が角をこちらに向け突進を始める。
その迫力は常人ならば、尻尾を巻いて逃げるようなものだったが、何故だかワクワクが止まらなかった。
いつから俺は戦闘狂になったのやら。
よく見れば、あの鹿は濃い魔力を角に纏わせながら土を削るようにして突進している。魔力付与の応用と言ったところか。
流石はこの世界の住人なだけはある。
その動作を見計らい、俺は手元に掻き集めた魔力を両手の平の間に繋がるように無数の糸状に放出させ、それを長く伸ばす。
今の俺の手は傍からみたら長めの綾取りをしている様に見えるだろう。
その動作を終えると既に鹿は目の前まで来ており、俺は全力で右に回避する。
――回避距離が足りない!
このままだと、あの厳つく巨大な角が俺に直撃してしまう。
――だがまだだ!
腹に巻き付けた魔力でできた糸に多めの魔力を流し込み糸を縮ませる。
そうすることで、木に引っ張られる形で回避の飛距離を伸ばす。
奥の手と言うには余りにも大仰でチンケな小細工だったが、このまま行けば回避には成功するだろう。
回避動作の最中に右手を左に突き出し、弧を描くようにして回し、さっきまで俺がいたところに突進をかまそうとする鹿に魔力でできた糸を絡みつける。
絡みついたところで、糸を強く握り、握った部分以外に鋭くなるように念じた魔力を伝える。すると圧縮が行われピアノ線よりも細く、強くなった糸を漁師が網を引くようにして手繰り寄せる。
そうして、俺は鹿の体を引き裂き、絶命させることに成功した。
「またつまらぬものを斬ってしまった……」
また、と言ってもこれが初めてだったのだが、言いたかっただけなので良しとした。
画して、俺は初めての狩りは然程の危険もなく、相手を仕留めるのに至ったのであった。
魔力の糸を霧散させ、切り刻まれた鹿を見た。
顔を覗くと罪悪感が芽生えたが、ここは弱肉強食の地であると再認識すると、その罪悪感も消える。
寧ろ、終わって暫くすると達成感すら芽生えてくる。
しかしながら、終わってみると反省点も多い。
腹に括りつけた糸がなければ大怪我を負っていただろう。しかも今回の戦闘で回避する時に軽い怪我を負ってしまったが、罠を張ったり、武器を作って措けば怪我を負わずに勝つこともできたかもしれない。慢心していた。
何れにせよ、終わったこと。次に活かせば良い。
鹿の死体は斜め二つに切られている。角は固そうだったので角と角の間から切った形だ。
「血抜きしなくてはなぁ。しかし、血抜きってどうするんだろうか」
血抜きをしなくてはいけないことくらいは知っているが、方法を知る機会なんてものは住宅街に囲まれてのうのうと生きていた俺にはなかった。
そもそも字の通り血を抜けばいいのだろうか。
血抜きも何も分からないから、取り敢えず上流の方の水で洗うことにしよう。そうすれば血液も洗い流せるだろう。
しかし、一頭丸々を持っていくとなると重すぎるので、食べられそうな部分と武器になりそうな角を取り、毛皮を魔力の糸によって剥ぐ。これを魔力の糸で縛り持っていくことにする。
毛皮をあまり上手に剥ぐ事ができなかったのは御愛嬌である。
それから一〇分がたった頃だろうか。
「もう無理。疲れた」
二つ目の山は先程登った山より急で足が辛い。それだけではなくて、今回は荷物まで持っている為に疲労が激しい。
ましてはこんなヒョロヒョロな身体だ。これだけ歩いて疲れない訳が無い。いや、前の俺の場合は少し歩いただけでダウンか。……ぽっちゃり系男子だったからな。男子と言う歳ではなかったが。
それは一度休憩しようと思い、岩に座った途端に閃光の如く閃いた。
何故思いつかなかったのか、身体強化魔法。
身体強化魔法とはその名の通り身体を魔力を使って強化することができる魔法のことだ。物語などでは自分の三倍もの重さの物を軽々と持ち上げたりすることができたり、様々だ。
これができるだけで今の状況はあっという間によくなるだろう。
まあ、やってみようと。小手調べから。
魔力を身体に張り巡らせてみる。
そこら辺にある木を蹴ってみるものも身体が強化された感じはしない。
と言うか、普通に痛かった。体育でサッカーボールを思いっ切り蹴った時よりも遥かに痛かった。
「じゃあ、これでどうだ」
もう一度木を軽く蹴ってみた。
……成功。一回目はビクともしなかった木が大きく揺れて葉を落としていた。あまり強く蹴ってはいないから折れてはいないが、本気で蹴ったら折れる勢いだ。
何をやったかと言えば、身体に力を入れて、力が入っている部分、筋肉に魔力を通したのだ。
全部の筋肉に通しても仕方が無いから、疲労を感じている手、肩、腰、脚の特定の部分にのみに魔力を通す訳である。
「かなり楽になった。魔法様々だよ、全く」
それにしても、俺の魔力の回復速度は些か早過ぎはしないだろうか。身体強化と魔聴を使ってやっとプラマイゼロになる。例えば俺の魔力の回復速度を五とすると身体強化は四、魔聴は一消費する。
やはり、秘密の特訓もなしに平常装備が整い過ぎてる気がしてならない。
まあ、強い分には良いのだけれども。それにもしかしたら、魔力や魔力の回復速度は一生固定という線もある。
どちらにせよ、アニメや漫画の修行回を流し見する俺には丁度いいという事だ。
さて、そんなこんなで歩いていた訳だが夕方になってきた。
川も上流まで来たことだし、縛っていた素材を綺麗に隅々まで洗う。
「いやー、冷たくて気持ちがいい」
この世界でも夏の様で綺麗で冷たい川に入るというのは乙な物だ。
素材を全て洗い終えるといつの間にか夕陽が出ていた。
「拙いな、いくら夏でも夜は寒くなる……よな」
忘れていた。暑かったからか寒くなることを考えていなかった。
さて、どうするか。サバイバルで火を起すと言えば、火打石が有名だったりする。だが、あれは只単に石を打ち合うのではなくて、鉄鉱石を打ち合うものなので、持ち合わせがない今の俺には無理な相談だ。
そういえば、只の石で小学生くらいの時やってはみたものの火花すら散らなかったっけか。却下だ次。
では、サバイバル環境での火の起こし方と言えば、自分が思いつくのではペットボトルや虫眼鏡を使った火起こしだけれども、生憎ペットボトルも虫眼鏡も無いし、代わりの物も無いので却下。
「どうしようか。何かなかったかな。……あっ、そう言えばあれがあったな」
脳裏に閃いた。"あれ"とはこすり付けた摩擦で火を起こすアレである。マッチではない。
もみぎりと言うやり方で、木の棒を両手ではさんで、揉むように回して摩擦力だけ利用して火種を作るのだ。
まずは木の板と木の棒、ぜんまい綿のような物を用意。そして木の棒を木の板の上で回転させる。
この時、ある程度固定させるために板と棒の接する部分に軽く穴を空けて置くとやり易かったりする。
棒の先端を足で固定した板に当て、回転をさせた。
「点かない……」
これが中々点かない。微かな煙しかたたなかった。やはり、スピードが足りないのか?
せめて紐さえあれば……。
「あっ、そうだ」
俺には魔力の糸があったのだった。忘れていた忘れていた。
では、気を取直して。
湾曲していて、頑丈そうな木の棒を拾い、その木に糸を引掛けて弓の形にする。弓の弦に棒に巻きつける。これで準備はできた。後は弓を前後に動かすだけ。これはゆみぎりと言う手法である。
弓を前後に動かして木の棒を回した。
するとグリグリと棒と板の接触している部分が熱くなり、やがてジュウと音を立てた。
「おっ、漸く点いた」
ここからが勝負だ。俺は焦げ目ができ、煙が上がっている部分にある火種をぜんまい綿のような物の真中に落とした。
その後、ぜんまい綿のような物に息を吹きかける。
フウーと息を掛け続けると軋むように火が鳴り、小さな火が燃え上がった。
「燃えた……」
遂に炎との闘いに勝利した。時間が掛かったがこの際何も言うまい。今は達成感に浸っていたいのだ。
早速、他の木材に点火して焚き火をつくる。
焚き火ができた頃には日が落ちていた。
そして、焚き火で鹿肉を焼いて食べたりした。臭くて美味しくないはずの鹿肉も空腹の前には勝てなかったようだった。ただ、調味料が欲しかったと述べて置く。
そうして、少し湿ったままの鹿の毛布にくるまり、初めての異世界での夜を過ごした。
◇◆◇◆
あれから何日たっただろうか。……いや、まあ正確に言うと一週間たったのだけれども。
大分、この体、世界にも馴染んで、摩訶不思議な能力もそこそこに使えるようになったと自負し始めてきた。
最近では狩りでは罠を使うようになり、武器も充実して、安定した狩りがてきるようになってきた。
武器や罠等は腰に直接装備したり、木でできた箱の中に収納していつも持っていってる。
魔力量と魔力回復速度は着実に上がっている。
魔力の使い方、レパートリーが拡がったりもした。
皮膚の硬化ができるようになると、グッと安全性が高まり、狩りの幅が拡がった。
嬉しい限りである。
閑話休題
そろそろ人肌恋しくなってきた。始めは美少女と会いたい等と言っていたりしていた物だったが、今はおっさんでも何でもいいから人に会いたいという気持ちが強くなってきた。
元々は自称一人が好きな俺だが、もしもこの世界の人間が俺ただ一人しかいなかったらと考えると寂しいものがある。
そんな訳で村とか町とかどこかにないかなー、早く見つからないかなー、などと考えながら俺は足を速める。そうは言っても、本当に足を使う訳ではなく、鞭状にした魔力を木の太い枝に引掛けそれを手繰り寄せる事で進んでいるのであるが。
傍から見ればターザンかスパイダーマンの真似かと勘違いしてしまいそうな光景である。
これをするようになってから、魔力を縮ませる時に発生するタイムラグが短くなってきている。
魔力も鍛えれば成長するということだ。
暫く跳んでいると遠くから沢山の魔力を感じた。
七……いや、八体はいるな。その場に留まりながら激しく動いているところを"聴く"と戦闘中だろう。
なんて素晴らしきスカウターなのだろうか。魔法使い限定ならば戦闘力も測れちゃうんだぜ!
戦闘力、一? まだまだだな。フッ。
脳内茶番をしつつも魔力をほぼ漏れないように抑え、対象に近づく。
途中から声が聴こえだした。人がいる!
見つかって怪しまれたりするのも癪なので、暫く見つからないように木の陰から観察してみる。
「******!」
「************!」
「***!」
……全く聞き取れないとは。これはまた厄介な。スキル云々がないと思われるこの世界で言語が違うとか致命的過ぎるわ!
あー、もう萎えた。どーしよ。まずは観察していいタイミングで違う村出身ってことで紛れ込むかな……。
辛いよ。ハードモードかよ。やっと魔力とかが自由に使えるようになってきて、イージーモードになってきたかと思えばこれだよ。
意識を戦闘をしている七人と一頭の熊に向け直す。
人間側は全員男。そして、そいつらは細マッチョか太マッチョで、如何にもな感じであった。また、隊長らしき男は目の模様をした刺青が入っていて周囲を威圧しているようだった。
装備から文明のレベルはある程度予想が立った。無骨な金属の曲刀に赤で彩られた素材不明の関節の防具と軽そうな金属でできた胸板の防具。
後ろ二人のみ黒光りする弓が武器になっているだけで全員ほぼ同じ装備だ。
着ている服の生地はあまり判らないが、麻ではないことは確かだろう。黒く染められたその服は暗殺者を連想させるが、防具の御蔭で派手で格好良く見える。
人間側の戦術は簡単なもので一人が斬りつけて、注意がそちらに向かうとその後ろから斬りつける。そして、危なくなったら弓で牽制をする。その繰り返しであった。
単純だが効率的な方法なことは確かだった。シンプルイズザベストとは良く言ったものだ。
危ないところは何度かあったが、ある程度の余裕を見せて人間側は勝って魅せた。
討伐を終えると連中は歓喜の声を挙げて喜び出した。
彼等は嬉しいのだろうが、俺としてはガッカリであった。確かに連携は見事だったし、剣捌きは目を見張るものがあった。
しかしながら、魔法を一度も使用していなかった。一度も、だ。剣と魔法の世界なんだから魔法を使いやがれ、魔法を。
若干垂れ流れている魔力を見るにその魔力を刃先に与えれば十分威力が見込める筈である。
そうこう毒づいて、移動する原住民の狩人と思しき人達が獲物を背負って山道を進むのを、俺は尾けて行くのであった。
長ったらしい文を最後まで読んでいただきありがとうございます。