第八十六話 中央
秀永の本陣に向かってくる兵は、竹で作られた盾を前面に押し出して進軍してきていた。
ひとつに固まるのではなく、数名に分かれていた。
大筒による攻撃を避けるためと思われ、秀永の本陣の後ろから大筒が放たれているが、被害が最小限に抑えられていた。
「やはり、手を打ってきますか」
「散開して、重点的な火縄銃と大筒の運用をそらしていますね」
秀永の呟きに、岩覚は答えた。
「直政さん、流石ですが……」
直政の動きを見て、軍配を預かっている氏直は、眉をひそめた。
「大筒を炸裂玉に変更、投石器をうち始めよ」
鉄の玉を撃つだけから、着弾時に爆発する玉に変更するように指示を氏直は出した。
それと同時に、投石器もこぶし大の石をまとめた袋を敵勢にうち始めた。
空中でばらけれるように苦心して作った袋が、敵兵の先陣の上空でばらけ、降り注いだ。
こぶし大とはいえ、空中から落ちて来た石が当たった兵は、その場にうずくまった。
その兵の状況を見た、井伊勢の物頭が前面に押し出した盾の後ろに隠していた、板を頭上に掲げるように指示しているのが見えた。
それによって、一部では被害を受けているところもあるが、被害が格段に下がったように見受けられた。
そして、炸裂玉に変えられた大筒がはなたれ、着弾した周辺は被害が出ていた。
敵の進軍が滞り始めたが、大筒は連射がしにくい為、怯みながらも、進軍が止まることはなかった。
「寄せ集めにしては、結束力が高いですね」
「短期間にまとめれるとは思いませんが、どのような策を直政殿は使ったのか」
秀永と岩覚は首をひねった。
直政が徳川から逐電し、高槻城に合流してから、そんなに日数は経っておらず、胡乱なあぶれ者をまとめ切れるものだろうかと思った。
類まれなる才がある直政と言えど、まとめ切るには時間が足りなさすぎると。
少しひるみながらも進軍を止めず、敵は先陣がぶつかる距離になって来た。
先陣には北条の一門衆が固められていた。
敵が近づいてくると、長槍を突き出し、柵を盾に侵入を防ごうとしていた。
しかし、敵は被害が出ても止まることなく、屍を踏み越えて敵の進軍は止まらなかった。
異様な敵の動きに、秀永は眉をひそめていた。
まるで、酒に酔っているのか、何かの薬物を飲まされたか、宗教による狂信的で心が壊れた信者のような兵たちに不気味さを感じた。
「殿下」
「何かありましたか、小太郎さん」
「敵の兵たちの動きについて、報告があります」
「なんでしょう」
「南蛮から何か精神状態を狂わす薬を服用させられているようです」
「そうですか、でも、兵全員にですか」
「酒に混ぜ込まれ、一人ひとりの服用した量は少ないですが、それでも、恐怖心をかなり抑えられるようです」
「量が少なかった為に、そこまで判断能力は落ちずに、恐怖心だけ抑えられているのかな。でも、その効き目はどれぐらい続くものですか、量が少なければ、持続は難しいのではないですか」
「そこは、何を使っているのか分からないので、判断できませんが、この戦の間はきれることはないかもしれません」
「死兵と変わらないという事ですね」
「岩覚さん」
「氏直殿に伝令を」
「……そうですね、氏直さんに敵兵を火縄銃を集中させるように、近づかせないようにと。無理であれば炮烙玉の使用を」
秀永の言葉に、伝令は頷き氏直の元に走っていった。
「邪魔になるかと、氏直さんを中軍で差配することをお願いしたのは失敗でしたかね」
「我々がいると、気がちると思うので、良いと思います」
「そうですね……小太郎さん、相手は外道な手を使っても勝とうとしています。周囲の警戒を更に密にお願いします」
「はっ」
小太郎は秀永の指示を聞いて、その場から消えた。
「勝った後のことは考えていないと思うのですが、どう考えます」
「殿下の言われている通り、この地を直政殿は、死に場所と考えているかもしれません。勝ったとしても、生きる気はないと思います」
「そうですね、鬼気迫るというか、直政さんのやり方としては、本来は薬を使って戦う方法を取るとは思えないですね。私の首を取る、差し違える覚悟ですか」
「かもしれませんね」
「そうなれば、家康さんの天下ですかね」
「いえ、今の日本は家康殿では治められません。国の外を知ったものが多い現状では、国の内しか見ない家康殿に従う者も少ないと思います。それに、今の家康殿はそこまで大きな影響力はありません」
「そうなると、日本を治める体制はどうなりますか」
「秀次殿もいますし、他の一門もいます」
「秀次さんであれば、豊臣に縁の深いもの達も協力することでしょう」
「差し違いさせるほど、我々は脆くありませんよ」
「そうですね。信頼してます」
「はい」
「しかし、この状態では、騎馬隊の政実さんの投入の時期が難しいですね」
「騎馬隊の数も五百程度ですし、瀕死のもの達に縋りつかれたら厄介だと思います」
「あれは厄介だな」
「そうだな、兄上」
直政の兵の動きと、薬物を使った死兵と聞き、政実と実親は話していた。
「馬の脚に取りつかれたら危険だな」
「相手は死兵で、精神がおかしくなっているから痛みも感じない可能性があるな」
二人は頭を振りながら、どうしたものかと悩んでいた。
「突入時期は、殿下が決めるだろうが……」
「炮烙玉を投げながら突っ切れとの話だったが、皆に注意を促す必要があるな」
「ああ、実親頼んだ、俺は殿下の処に行ってくる」
「わかった」
大筒によって、重傷を負った者達の中で、痛みで正気にもどっているものが見受けられた。
「邪魔だ、斬れ」
直政は、家臣に正気に戻ったもの達を着るように命じた。
「正気に戻って、いらぬことを叫ばれても問題だ。それで、正気に戻るもの達が出る恐れがある」
そう家臣に言い排除させた。
多くのもの達に飲ませるには、薬の量が少なく、効果が持続する時間も、脳に与える影響も軽かった。
ただ、痛みや衝撃さえなければ、この戦の間は持つと直政は考えていた。
「どうせ、あぶれ者、命は惜しくあるまい」
牢人や乱破や素破などの素行に問題のある、強盗や山賊になっていたもの達だ。
なかなか指示に従わない者達も多かった。
ひと当てして、即崩壊もありえた。
使えそうな牢人達は、物頭として薬を飲まさず使っているが、状況が不利になれば逃げだすだろう。
そうなれば、家臣に指示して切り捨てるだけと、直政は考えていた。
「やはり、こちらの対策は織り込み済みか。効き目がないとなると、砲弾や迎撃の方法を変えてくる」
「軍配は、北条のものとか」
「ふん、落ちぶれた者達だ。豊臣にしっぽを振るとは、矜持もなく情けないものだ」
直政は家臣と戦況を見ながら話していた。
「轒轀車を出せ。今の大筒の攻撃であれば、防げるはずだ」
「はい」
「確か、20両ぐらいあったな」
「すべて出しますか」
「一気に押し出させ、柵にぶつけて道を開かせろ」
「はっ」
家臣は、轒轀車を前進させるように指示しに向かった。
小屋に車輪を付けたような轒轀車の屋根には竹が置かれており、竹の中は水で満たされ火の対策が施されていた。
その分重くなっており、移動には人数が必要になっていた。
「殿、被害が大きくなっておりますが」
「かまわん、全ての兵が死しても問題はない。我らが秀永の首を取る為の道を作ることが出来ればそれでよい。そういえば、狙撃に向かった者達は、何か言っていたか」
「いえ、特には。ただ、豊臣の忍びが多く、場所を選ぶのが難しいだろうと」
「そうか」
直政としては、差し違えても秀永を討てれば良いと思っていた。
しかし、兵力と兵器の差は大きく、偶然と奇跡がなければ秀永の本陣に突入するのは難しいと思っていた。
狙撃による秀永殺害は、井伊の家名を落とすと直政は思っていたが、最重要事項は秀永を討つことであって、家名は二の次と割り切った。
ただ、狙撃をするもの達の言う通り、秀永や指揮官の周りには最低1人の忍びがおり、不意打ちが難しい状況だと物見や右近、教如からの情報提供があった。
「遠いな」
そう直政は呟いて、秀永の本陣を睨みつけた。
「ちっ、狙撃の場所がない」
「焦るな」
「昨日まで潜んでいた場所に、豊臣の忍びが来なければ良い場所だったんだがな」
「仕方あるまい、あちらさんもそれを理解しているからこそ、あの場所に来たのだろう。まあ、今は居ないだろう」
「ならば戻るか。やつらも人手はそこまで多くあるまい」
「やめておけ」
「何故だ……いや、罠が仕掛けられているか」
「恐らくそうだろう」
秀永や中央の指揮するものを狙撃する為に、教如から派遣された二人は、潜んでいるところに豊臣の忍びがやってきた為、潜んだ場所から移動したことに腹を立てていた。
「腹立たしいが、戻った瞬間爆発してはたまらん」
「地面が爆発するというやつか」
「そうだ」
「そんなものあり得るのか」
「ある」
「見た事があるのか」
「ああ、昔、秀吉を襲撃するために動いていたんだが、その拠点に仕掛けられていた。俺は偶然拠点の外にいたから助かった。爆発で飛んできた焼けた木が顔に当たって、このざまだがな」
そう言いながら、焼かれた右半分を指さした。
「そうか……しかし、忌々しい。我らの親、子、そして友の敵を討つことは叶わず、秀吉の子に復讐するしかないとは、情けないことだ」
「まあ、仕方あるまい、忌々しい秀吉は死んだんだ。秀永を討つことで、皆の供養とするしかあるまい」
「……そうだな」
二人は話しながら、豊臣方に見つからないように移動する。
狙撃しやすい場所がなければ、身をさらけ出しても撃つ気で二人は居た。
戦が終われば、秀永の周囲の警備はさらに厚くなるだろうと考え、最後の機会と捉えていた。
秀永を討てなくても、誰か、豊臣家にとって、秀永にとって重要な人物を討つことでも良いと思いつつ移動していた。
二人は、この戦に味方が勝てるとは思っていなかった。
そうなれば、勝利に沸いている時に、秀永を仕留めれば一矢報いることになるのではと考え、雑兵に紛れ込んでいた。
毎回、誤字報告ありがとうございます。
皆様方のご健康とご多幸をお祈りいたします。




