第八十三話 高槻
※二千二十一年五月一日、文章修正。
高槻城では、直政、右近、教如がそれぞれの家臣を伴い話し合いを行っていた。
高槻城下には、豊臣軍は攻め込んでいないが、城や櫓からは、布陣が見て取れた。
その中に、徳川家の旗印を確認した時、教如は直政が内応するのではないかと、騒ぎ出した。
直政は相手にせず、右近は教如の疑いを否定して、騒ぎを鎮めた。
しかし、教如は直政に威圧されたことを忘れることが出来ず、何かにつけて、直政に対抗していた。
鼻で笑い、時には脅しながら直政は教如を抑えていた。
その状況に右近は静観し、介入することはなかった。
「やはり、大楠公の故事にならって、千早、赤坂で挙兵した方が良かったか。近くにある烏帽子形城などを修復し、支城を使えば、大軍とて容易に手が出せなかったはず。このままでは、大軍に押しつぶされるぞ」
「確かに、山城に籠り、支城を使った籠城は大軍には有効かもしれませんが、今更です」
右近の言葉に、教如は顔を顰めた。
確かに、豊臣軍に包囲された状況で、あれが良かった、これが良かったと言っても、手遅れでしかなく、現実逃避でしかない。
教如の言葉は、相手にするだけ無駄と直政は切り捨てる。
「忠興殿は、何時動かれるか聞いておられますかな」
「聞いていない。包囲している中には細川の馬印はないな。あるのは、父藤孝殿の長岡の馬印のみ」
「まさか、此処にいたって、忠興殿は裏切るのではないか」
「教如殿、それはないでしょう」
「何故だ!連絡もなく、まして、包囲にも参陣していない。高槻に集まれと助言したのもやつだぞ!」
豊臣軍が攻めてくると、便りが来た以降、忠興からの連絡はなかった事に、教如はいらだっていた。
兵糧不足、武器弾薬もいきわたらない。思い通りにならないことに、教如は周囲に当たり散らしていた。
直政は、まとめるようにと話が来ていたことから、忠興はこちらを使い捨てる気でいると考えていた。もし、こちらを制御して利用するつもりならば、便りは頻繁に出され、細かく指示が来るだろうと、忠興の性格を考えて思っていた。
こちらが秀永を斃した場合、罪をこちらに押し付けて、包囲した豊臣軍の主導権を握り、攻め寄せようと考えているかもしれない。
だが、三成を含め、豊臣の幹部がすべて居なければ可能だろうが、まず、忠興が指示する事は不可能だと考えたい。
右近は、忠興の妻玉が耶蘇教徒だから繋がりはあったが、人となりを信用していなかった。文武の才あれど、猜疑が強く、冷淡であること見定めており、この度の事は信仰の為の試練としかとらえていなかった為、頼る気はなかった
「頼りにならぬものを期待しても無駄だ」
「確かに、教如殿も日ごろから忠興殿の事を悪しざまに言われているではありませんか」
「な、何のことだ」
右近は、手の者に情報を集めさせていた。教如の元にも配下を忍ばせいた。
流石に直政の元には送り込むことは出来なかったが、城内で情報を集めればある程度の予測を右近は立てることが出来た。
その為、教如の日ごろの言動や動きについては、把握していた。
「では、右近殿のお考えは如何!」
誤魔化すためか、教如は右近にかみついた。
その教如の態度を気にするようなそぶりもなく、右近は直政に話しかけた。
「当初の話通り、打って出るしかありません。籠城したところで兵糧が持ちませんし、援軍が来る予定もないので」
「忠興殿が来られるのでは」
右近の言葉に、皮肉な笑いを返した。右近ならば分かっているのに、質問するのは教如に聞かせるためと理解した。
「来たところで、五千程度では戦況をひっくり返せるとは思いません。豊臣軍が烏合の衆であれば、可能だろうが、ありえんな」
「確かに」
「だが、打って出たところで鉄砲や大筒で討ち取られ、無駄死にだぞ」
「門徒には、死ねば極楽というのに、自らは極楽に行く気がないと」
直政の言葉に教如は、言葉を詰まらせ顔を真っ赤にして、直政を睨みつけた。
「ふん、私はそのような功徳を積まなくても、極楽浄土にいく事が決まっている。功徳を積んでいない者は、功徳を積んでこそ、極楽に行けるのだ。何も知らぬものが知ったように言うな」
うすら笑いを浮かべながら直政は、教如を見た。
「ならば、功徳のない門徒を極楽へ送り出せばよいのではないか。お主は後ろでおびえ震えておればよい」
「な、貴様!」
教如は立ち上がり、直政に掴みかかろうとしたが、右近が止めた。
「ご両所、落ち着きなされ、仲たがいしている時ではないでしょう」
肩を怒らせながら、教如は乱暴に座りなおした。
直政は腹帯にさしていた扇子を取ろうとした手を膝の上に戻した。右近が止めず、教如が掴みかかってきたら、直政は扇子で教如の喉を突く気だった。
命まで取る気はないが、下手をすれば教如は死んでいた可能性があったのだが、本人はそれに気が付かず、直政を睨んでいた。
「さて、配置はどうしますか」
「中央は教如殿、一向宗に。右翼は右近殿、耶蘇教の者達。左翼は私が牢人衆が受け持つ」
「おや、中央は直政殿では、臆病風に吹かれましたかな」
教如の嫌味を無視して、直政は話を進める。
「教如殿」
直政に名前を呼ばれ、冷めた目で見られていることに気が付き、教如は息が詰まった。
「……何かな」
「前に言っていた根来の者たちはどうなっている」
「……準備は終わっている」
「どこにいる」
「既に城外に出ている者と、城内にいる者に分かれている」
「ふむ、何名だ」
「7名だ。そのうち、腕が良いのは2人で、城外に出ている」
「そうか、ならば、1人をこちらに寄こしてくれ。右近殿にも1人」
「何故だ」
「どこで、秀永に会うか分からない。ならば、機会を得るために、人を分けた方が良い。それに討ち取れば、そちらの功績だ」
「……分かった」
「右近殿もよろしいか」
直政の言葉に右近は頷いた。
「では、明日、出陣する事にする」
右近は物静かに頷いたが、教如はしぶしぶ頷いた。
家康は秀永の本陣に来ていた。
三成は不信の視線を向けていた。直政が逐電の後、高槻城に入城した事が知られた際、三成は家康の策略だと考えた。
その旨を秀永や岩覚に進言したが、その心配はないと秀永は三成に応えた。
風魔や石川一党から集めた情報から家康に蜂起の心配はないと、秀永と岩覚の意見は一致した。
家康が蜂起したとしても、他の大名の大半は同調するものは居ないと考えていた。
この度の蜂起は、没落した大名か武士、耶蘇教と一向宗の過激派のみで、唯一島津義弘のみが連動しただけだった。
他の大名は日本の外に目が向いているか、領内の開発に目を向けている者と、豊臣に刃向うより開発や国外進出をすることによって、豊かになる事に力を注いでいる。
秀永が強権をもって、大名の利を奪おうとするならば、豊臣への蜂起に賛同したのかもしれない。秀永が各大名に積極的に開発支援を行い、相談なども行う事により、各大名の不満は低く抑えられていた。
「この度は、我が家臣が殿下に不忠を働き、申し訳ございません」
家康は、秀永に頭を下げて詫びた。
厳しい目を三成は向けていたが、家康は気にした様子はなかった。
正則や信繁、秀範などは表情を変えず家康を見ていた。
「直政殿の事、殿下は気にしておりません」
「岩覚殿ありがとうございます」
岩覚の言葉に、家康は岩覚に頭を下げて礼を言った。
「ならば我々に、汚名を晴らすため、先陣をお願いいたします」
家康の言葉に三成は厳しい表情をした。
「殿下」
三成の声に、秀永に顔を向けた。
「殿下は家康殿を疑っておりません。しかし、その家臣たちはどうでしょう。誼が深いもの達も多いでしょう。その者たちは手心を加える可能性もあるかと」
家康に対して、三成は裏切る可能性があるのではないかと、直政と繋がっているのではないかと秀永に進言した。
その事に家康は表情を変えることなく、秀永を見つめていた。
「三成さんの言、一考の余地はあると思います。人は理性よりも感情が先に出るものです」
秀永の言葉に、家康は左眉をぴくりと上げたが表情は変えなかった。
「しかし、此処で家臣たちが不穏な動きをすれば、徳川家は滅びます」
家康は瞑目した。
「戦乱の元亀天正の時ならば、家臣たちは平然と主家を無視するでしょう。忠義の為であれば、己の行動が主家の為になると勘違いして、成り上がるならば戦功をあげる為に」
「徳川家は古武士が多いです。殿下の言われている事を考えている者もいるかと」
三成の言葉に、秀永は顔を左右に振った。
「いいえ、彼らも分かっているでしょう。今、勝手に動けば、主家に咎が及ぶことを、立身出世も不可能なことも。まして、今は若いものも多い、家康殿に逆らってまで動く者はいないと思います。いるならば、すでに徳川家を逐電しています」
「しかし」
「あまり疑心暗鬼になっても仕方ありません。家康さんを信じます」
家康は眼をあけ、秀永に頭を下げた。
「殿下の信頼を裏切らないよう、務めさせていただきます」
三成は不満な表情を浮かべたが、秀永の言葉に不承不承ではあるが頷いた。
「先陣は任せたと言いたいところですが、敵は三手に分かれて攻めてくるようです」
「……なるほど」
家康も高槻城内の情報を集めており、内部で三派に分かれていることは理解してた。
その為、協調して攻めてくるよりも、三手に分かれて好きに攻める方が問題が起きにくいと、直政が考えたと思った。
「直政さんがまとめ役のようですが、内実は協力できるような状態ではないようですね。耶蘇教徒と一向門徒は争いはなくても反目している状態のようです。牢人衆はまともなものが頭になってまとめているようですが、野盗崩れもいて、統率もむずかしそうです」
秀永の説明は、家康の把握してる内容と同じであり、頷いた。
「直政さんと右近さんは協力が成り立ちそうですが、教如さんは勝手に動きそうです。そこで、家康さんには教如さんと戦って欲しいのです」
「ほう、何故ですか」
秀永は家康を疑っていないと言った。逐電した直政を葬り疑いを張らせるべきであり、相対させないという事は、信じていないという事か、家康は考えた。
「一向門徒には家康さんも思う事があるはず」
苦笑を家康は浮かべた。
「昔の事ではありますが、確かに、思う処はあります」
「それに、一向門徒は手ごわいですが、家康さんならば粉砕できるでしょう」
「さて、一筋縄にはいかないでしょうが、往年の怖さはないかもしれないですな」
「ええ、ですので、早々に粉砕してもらい、右近さんや直政さんの後ろに回ってもらいたいのです」
「ふむ、なるほど。分かりました」
家康は秀永の説明に納得をして頭を下げた。
「一向門徒や耶蘇教徒は死を恐れないでしょう。教如さんより、右近さんの方が手強いと思います。そこで、正則さんが当たってください」
「はっ」
「秀範さんは正則さんの指示に従ってください」
「はっ」
正則は自らの出番に表情を綻ばせ、秀範は黙って頷いた。
「直政さんには私たちが対応します。信繁さん、政実さんお願いします」
信繁と政実の二人は頷いた。
「ただ、皆さんに注意してもらいたいことがあります」
「殿下、何かご懸念でもありますかな」
秀永の言葉に、家康は問い返した。
武器弾薬や兵数を考えれば、油断さえなければ高槻方に負けるとは家康は思わなかった。
「狙撃の危険があります」
「狙撃ですか」
正則は首を傾げた。
「……なるほど」
「家康殿、何か思いつくことでも」
「ええ、一向門徒には、雑賀などの鉄砲の腕の良いものが多い。それに雑賀は鳥銃など、離れた位置から狙撃する火縄銃があったはず。教如あたりの呼びかけに応じるものもいるでしょう。秀吉殿に討伐された根来も、雑賀との繋がりから高槻にいるかもしれませんな。信長殿も杉谷善住坊というものに狙撃されたと聞いています。何処にいるかもわからず、狙撃は防ぎにくいですな」
頷きながら家康は、信長が狙撃されたことを例に出して、危険性に納得の表情を浮かべた。
「その通りです。数名腕の良い人たちがいるようで、2名ほど城から抜け出て、行方がつかめない者がいます」
「……危険ですね」
家康はそうつぶやき、他の者たちは小さく頷いた。
「はい、家康さん配下の忍びの手も借りたいですが、良いですか」
「分かりました」
「忍びの者たちに周囲の監視を強化しますが、狙撃手は気を消し、野に隠れ、同化します。見つけるのは難しいでしょうが、狙いはわかっています」
「殿下ですね」
「家康さんの言う通り私です。が……」
「が?」
「家康さんも、他の皆さんも対象です。指揮するものがいなければ、統率は崩れます。彼らが勝利の条件をどこに置いているかにもよりますが」
「確かに、我らも狙われる危険はありますな。して、敵の狙いは何だと殿下はお考えで」
「一向門徒も耶蘇教徒も信仰の自由と権益、生活圏の確保でしょう。牢人衆は立身出世、領地を得る事」
「烏合の衆の極みですな、統一された目的がないのは……だから怖い」
経験上家康は、烏合の衆は一撃で統率が乱れることがあるのを知っている。
しかし、敵が恐怖から狂乱になり、死兵となって強襲される事がある事を理解していた。その際は、ごく少数の兵であっても甚大な被害が出る恐れがあった。
特に一向門徒や耶蘇教徒は、信仰の為に死兵となる恐れがあった。
「生存本能だけで戦えば、牢人衆は逃げ出すものも多数いるでしょう。でも、直政さんが率いる以上、そう簡単に崩れるとは思えません。一向門徒は貧しさの為に行き場がなく死ぬ為に戦いに参加しているものも多そうですので、油断できません。耶蘇教徒は否定されている信仰を認めさせる為に戦っているでしょうから、これも油断できません。斬りあいをすれば被害が大きくなると思いますので、まずは、大筒と投石機で攻撃します」
「投石機というのは、投石という以上、石を投げるのですかな」
家康は大筒は理解できるが、投石機は使ったことが無く首を傾げた。
「そうです。投石は戦ではよく使いますが、投石機は人ではなく大きな石を投げるものと考えて頂ければと思います」
「ふむ、唐で使われいたと聞いたことがありますな」
「ええ、城攻め、砦を攻める時に使われる事が多いですが、巨石ではなく拳大の石を多数まとめて投げることにより、敵に被害を強いることが出来ると思います」
「兵が投げるのでは駄目ですかな」
「兵が投げても離れたところは投げれませんし、威力も人によって変わります。投石機ならば空高く石を投げ、遠くに飛ばすことと落下してくる事により、威力がまします。また、空から石が降ってくれば、敵も驚くでしょう」
「確かに、空から弓ではなく、石が降れば敵も何事かと思うでしょうな。まして、信仰心の強いものならば、天罰と流言を流せば動揺するかもしれないですな」
秀永は家康に己の策を言われ、油断できないなあと思った。
秀永の兵器の活用と、心理的な揺さぶりに手を打っていると考え家康は、隙がないと思った。
「投石機の遠方からの攻撃と流言で、敵の士気を下げます。その後、近づいてきた敵に鉄砲と弓を撃ちかけ、敵を削りつつ後方へは大筒で攻撃を仕掛けます。家康さん鉄砲、大筒は大丈夫ですか」
「大筒はこの度は持参しておりませんが、鉄砲であれば問題ありません」
「では、氏直さん、投石機と大筒を率いて、家康さんを援護してください」
「はっ」
「皆さん、問題が発生すれば、伝令もしくは狼煙を上げてください。伝令の方が詳しくわかりますが、狼煙の方が早く伝わります。狼煙が上がれば、予備の兵を送りますので」
その言葉に、皆は頷き返した。




