第八十話 義弘
北上しつつ、乱破、素破ら胡乱なものや没落したもの達を吸収した義弘の軍は1万ほどになっていた。
中核の島津の兵は300ほどしかなく、大半がそれ以外の者達の為、普通であれば統制が難しく烏合の衆となってしまうものだが、義弘の統率により、軍として機能し乱れることなく、北上することが出来ていた。
ただし、島津軍が進軍した経路の村々は略奪され、荒廃してしまった。
義弘としても百姓に苦しみを与える気はないが、戦となれば致し方なしと黙認していた。
「殿」
「どうした」
「物見達が戻ってきました」
「分かった」
討伐軍の動きを知るために、義弘は複数の物見を放っていた。
また、乱破、素破も使い情報を集めていた。
「どうだ」
戻って来た物見頭達に義弘は問いかけた。
「軍勢を率いているのは、幟を見る限り黒田孝高、加藤清正」
「そうか、商人たちの話は本当だったか」
義弘は、港や町に立ち寄った時に、商人と取引をしながら情報を集めていた。
九州各地で蜂起したことは予定通りだったが、どれぐらいの豊臣の軍を分断できたかが勝つために必要な情報だった。
大軍であっても打ち破ることは出来る。かつての強大な大友家を打ち破った経験もある。
耶蘇教に狂った宗麟は、寺社を破壊し豪族や民の反感をかい人民の心が離れつつあった。また、大友家臣団の武の双璧ともいえる道雪や紹運などは居なかった。
軍配者の角隈石宗など、軍略面で支えられる人材はいたが、宗麟や田原親賢などが生かすことが出来なかったのも大友家の敗因だったと義弘は考えた。
有能な人材を活用できない、呆けた大将を戴いた軍は苦しくても勝てる自信はあった。
各地で蜂起させることにより、手ごわいもの達をばらけさせることが出来ると義弘は思っていた。
確かに、宗茂を始め、手ごわいもの達はこちらに来ていないが、一番厄介な孝高がこちらに来たと聞いて、義弘は眉間にしわを寄せた。
それだけ、こちらを重要視しているとも考えられた。
「それ以外にも、何名かいるようですが、加藤、黒田家が主力の様です。兵力は1万ほどでこちらと同等程度と思われます」
「他の者もそう見えたか」
義弘の言葉に、他の物見頭も頷いた。
「黒田がこちらに来ている以上、油断が出来ない。見える者以外にも何か策があるやもしれん」
「殿」
「なんだ」
「素破の者たちも帰ってきました」
「通せ」
素破の者たちも、入って来た。
「どうだった」
「各村や町の者たちに話を聞きましたが、今向かってくる以外に、兵を少し分けたとの話です」
「なに、どこに行ったと」
「聞いた話では、糧道の確保のためとの事です」
「……まことか」
「はい、いくつか反抗的な村や豪族を討ったとの話がありました」
「それで、その兵たちは、再度合流したのか」
「いえ、合流した兵もありますが、糧道確保のためとして戻っていない者達もいるとのことです」
「殿、何か気になる事でも」
「策士の孝高が相手だ、その戻ってきていない兵たちがどこにいるか、間に合わないかもしれないが探ってこい」
義弘はそう言って、素破の者たちに言い渡し、素破は頷いて、その場から去っていった。
「糧道確保であれば、怪しいこともないのでは。まして、話を聞いた限り兵も少ないようですし」
「その少数の兵が、加藤・黒田の本隊と戦っている時に、側面や後方から攻撃されたらどうなるか」
「……」
義弘の指摘に、家臣は黙った。
相手が清正だけであれば、考えすぎ、おびえ過ぎと義弘にも進言したが、孝高が居る以上、油断はできないと気持ちを引き締めた。
「釣り野伏せを試す。しかし、孝高ならばそれぐらい読んでいるだろう」
「はい」
「そこで、中央の兵には、死兵となって加藤・黒田の軍を食い破る事を命じる。わしが行きたいが……」
「私が行きます」
「……任せた」
「はい」
義弘は家臣に死ねと命じた。そして、家臣は死を受け入れた。
「わしも後から逝くから待っていろ」
そう言って、笑って家臣の顔を義弘は見て、家臣も笑った。
「さて、この戦は、島津の武威を天下に知らしめるものだ。清正や孝高を討つ」
力強く、義弘は言い切り、家臣は応と声を合わせ吠えた。
「孝高様、さて、義弘殿はどう動くと思いますか」
島津軍の兵の動きを見ながら、清正は孝高に声をかけた。
「まあ、釣り野伏せを手始めに使うかもしれんが、あっちも、こちらが策を仕掛けることは理解しているだろうからな。釣り野伏せと見せかけて、こちらを突き破るという手で来るかもしれんな」
「あり得ますが、兵の大半は寄せ集めですよ。そこまで強いですか」
「突き破れれば良いし、引き付けられれば、左右の兵が進んでくるだろう。もしくは、回り込んでくるか」
「本隊ではないので、鉄砲の数も少ないことが助かりますが」
「一久殿や長政がどれぐらいの時期に後ろに回り込めるかだな。それに、義弘殿もそれぐらい見破っているかもしれん」
「確かに」
「まずは、こちらから使者を出して、降伏を進めてみるか」
「受け入れることはないでしょうが……しかし、何故、挙兵したのでしょうか」
「さて、心の内はわからんが、色々因縁があるからかもしれんな」
「因縁ですか、琉球の事ですか」
「まあ、それもある。後は、亡くなった歳久殿、家久殿あたりの事もあるかもしれんな」
「歳久殿、家久殿は病だったと思うのですが」
「まあそうだが、歳久殿は豊臣と戦うことに反対していたが、出来ればこちらに引き込みたかったがな。それは置いておいても、豊臣に敗れなければ、二人とも死ななかっただろうし、琉球も手に入れていて九州を支配できていた」
「挙兵の理由としては弱い気がしますが」
「確かに、島津家が滅びる可能性を考えれば、この度の挙兵は無謀としか思えないな。殿下が落命されれば分からないが……」
「不吉なことを……」
「戦は何が起きるかわからん。暗殺を生業にする者もいる、殿下も理解しているだろうが、戦場では予測できん」
「分かっておりますが……」
「まあ良い。だが、義弘殿のことを考えても致し方あるまい」
「そうですね、受けて立つしかないですね」
孝高は家臣を呼んで、義弘の元に使者を出した。
「その方が、孝高殿の使者か」
「はっ」
使者になった若者は、義弘に臆することなく返事をした。
場合によっては、切り捨てられる可能性があるにも関わらず、堂々としていた。
その姿に、義弘達も感心して見つめていた。
「して、何と言われている」
「降伏の意思の確認のみ」
その言葉に、義弘はふむと頷き眼を一瞬閉じた。
使者の言葉に、こちらが降伏する意思はないと分かっていることを感じた。
「戦場でお会いすると伝えてくれ」
「はっ」
そう言って、懐から書状を家臣に渡し、家臣は使者に手渡した。
「これは」
「戦が終わった後に、読んでもらいたいと伝えてくれ」
「はっ」
使者は疑問を口にすることなく、頷きその場から去っていった。
「者ども、戦の支度をせよ、一刻後、兵を進める」
「「応」」
使者から義弘の書状を孝高は受け取った。
「戦の後で読んで欲しいと言っていたのか」
「はい」
受け取った書状を手に取り、左右に振りながらどうしたものかと孝高は思案した。
「見ないのですか」
「ふむ、読んでも良いが……義弘殿が死を以て、読むことを願った書状だから、どうしたものか。わしが討ち死にする可能性もあるから難しいな」
「そう言いながら、読む気はないですよね」
清正の言葉に、孝高は笑って答えた。
「おそらく、挙兵した理由も書いていることだろうな」
「かもしれませんね」
孝高は書状を懐にしまわず、桐の箱に入れて旗持ちに持たせた。
「本当は、殿下に渡した方が良いのだが、戦が終わった後の事を考えれば、わしが読むしかないか」
「殿下から全権を任されているので、問題ないでしょう」
「いやはや」
頭を掻きながら孝高は苦笑した。
「さて、使者を返した以上、攻めてくるだろう。中央は任せたぞ」
「分かりました。押し返してやりましょう」
「本当は、大筒あたりで壊滅させても良いのだが……」
「まずはひとあたり」
「攻め込むなよ」
「分かっておりますよ」
二人は不敵に笑い合い、双方の陣に戻っていった。
しばし後に、清正の守る中央に、島津の先鋒が攻めて来た。
逆茂木を二重に置き、弓と鉄砲で清正は島津に反撃した。
島津軍は兵士ひとりひとりに、竹や木で作った盾を前に出して進んでいた為、島津側の犠牲は少なかった。
島津側からも、盾の後ろから弓を射ってきており、加藤軍に被害も出ていたが、序盤であり崩れる気配はなかった。
その後、島津軍が逆茂木に近づいてくると、加藤軍から長槍が突き出され盾を構えた上から、しなった槍が兵にあたり傷つくものが多くなったが、それを恐れることなく、逆茂木に取りつき倒していく。
その状況に、素早く加藤軍は後ろの逆茂木まで軍を下げた。
二つ目の逆茂木には、一つ目の逆茂木に配置した鉄砲の倍以上を配置し、一つ目の逆茂木に取りついた島津軍の兵を狙い撃ちした。
島津軍は、逆茂木からいったん離れ、盾を固めて押し倒された逆茂木の場所から前進する。
その後ろでは、押し倒した逆茂木を数人で持ち上げて加藤軍に進んでいた。
盾に隠れている為、逆茂木を持っている兵に加藤軍は気が付いていなかった。
その為、二つ目の逆茂木に島津軍が近づいたと同時に、鉄砲や弓を防いでいた盾を持った兵が左右に分かれ、逆茂木を持った兵が二つ目の逆茂木に突入し、力任せに投げつけた。
同じ状況が何か所でも行われ、丸太に当たった逆茂木が崩れ、逆茂木の後ろに居た兵がなぎ倒された。
逆茂木の後ろに居た兵たちは混乱したが、その後ろで弓を射る指示をしている者は冷静に、丸太を投げ飛ばした兵を射るように兵に命じた。
前線を指揮したものは、後ろに下がるように命じ、長槍をしならせて攻撃するように命じた。
混乱して被害を受けた兵を下げることが出来た。
長槍をくぐり抜けたものが増え始め、切り合いが始まり、一進一退の状況になった。
「互角か、今のところは、思った以上に島津が粘るな。まあ、この後、崩れて……。しかし、士気が高いな。釣り野伏せする気がないのか、それとも、そう考えさせるためか」
清正は首をかしげながら、戦況を見ていた。
島津の先陣の強さを見つつも、防ぎきれると考えていた。兵には島津軍がどのような形で退却しても追撃をするなと厳命していた。
ただ、島津軍の後ろに回った、一久や長政の動きもある為、前進する必要があると考えており、孝高の動きと同時に、進むことになっていた。
孝高が左を、孝高の弟の利高が右を受け持ち動いていた。
義弘は、前線の状況の報告を受け取っていた。
「突き崩すことがやはり難しいか。加藤の兵は精強だから仕方ないが、かといって、引いたとしても今の状況を考えたら食いついてこないか」
義弘の言葉を聞き、周囲の家臣たちは難しい表情を浮かべた。
簡単には勝てない。それは分かっていた。
出来れば、加藤・黒田の軍を撃退し、膠着状態に追い込めば、南蛮の軍を呼び込める。
それによって、九州を豊臣から切り離せれば、と、無理だと分かっていながら義弘は、蜂起をするもの達と書状のやり取りをしていた。
畿内で、秀永が討ち死にすればあるいは、可能かもしれないが、今の豊臣家であれば多少の混乱はあっても、分裂することはないと考えていた。
家康あたりが動くかもしれないが、文武の豊臣家臣団が手を握っている以上、崩せるとは思えない。
それに、南蛮の手を借りれば、南蛮が日本の支配を考えるかもしれない。いや、日本の外の状況を考えれば、日本を支配しようと考えていてもおかしくない。耶蘇教徒の言動を考えると、耶蘇教徒以外は人と認めていない者たちもいた。
勝つためとはいえ、そのような者達の手を借りることに、義弘も内心忸怩たるものがあったが、勝たなければ意味がないと割り切ることにしていた。
「殿、加藤軍の左右から、黒田軍が進んで居ます」
「三方を囲まれるか」
「はい」
「釣れるか……無理か」
「おそらく、無理かと。黒田様がそのような愚をおかすとは思えません。それならば、もう少し早く動くかと」
家臣の言葉に、ため息を吐き、義弘は決断した。
「全軍、突撃する」
「周辺の監視はどうされますか」
「そのまま置いておけ、敵が来たらのろしを上げさせろ」
「分かりました」
「後ろの備えを置いておく」
「来ますか」
「来る」
義弘の断言を聞いて、疑うことなく家臣は頷いた。
「後ろは気にすることはない。ただ、ただ、死兵となり加藤、黒田を食い破れ。この一戦、生きることを捨てよ。そうしなければ勝つことは出来ぬ」
一度の戦いで、決まることはなく、本当であれば数度の決戦を考えても良かった。
しかし、豊臣側とは違い、義弘には増援はない。いまさら兵を集めたとしても、役に立たない。
この一戦で、清正、孝高の首を取るか、大損害を与えないと、それ以後の戦いも出来ないだろうと思えた。
だからこそ、この戦いで命を惜しめば、烏合の衆である島津軍では負けるだろうと義弘は考えた。
「出るぞ」
「「はっ」」
「義弘殿の馬印か」
「はっ」
「孝高様も見えているだろう。来るか」
清正は、切り合いをしている島津軍の後ろに、高々と掲げられた義弘の馬印と思われる小さな姿を見つけた。
「釣り野伏せの罠では」
家臣の言葉に、清正は左右に顔を振った。
「そんな真似はせぬだろう。誘いに乗らぬと読んで強襲してきたのだろう。島津の兵は強兵でも、その中核は数百程度。だが油断するな」
「はっ」
「前線の敵に弓をかけよ、相手をひるませ、その間に兵を引かせろ。そして、兵を入れ替え防備を固めよ。こちらで抑えている間に、孝高様の黒田軍が包囲するはずだ」
「後ろに回っている一久だちが攻めれば、逃げ場がなくなるので危険ではないですか」
「孝高様の事だ、囲いの一部を開けるだろうが……島津が死兵になるとやっかいだ。遠距離で攻撃する備えもするべきだったが」
島津の兵が強くても、大半はうろんなもの達だ。真正面以外の攻め方もあり得る。
逃げ場がなくなれば、烏合の衆でも死兵になる。
「義弘殿は考えてのことか」
「何か」
「義弘殿は、釣り野伏せが無理でも、包囲されれば烏合の衆も追いつめられて死兵になる。そう考えていたかと思ってな」
「……」
「大筒を用意しろ、義弘殿の馬印を目印に打ち込めるように準備しろ」
「はっ」
城攻めと違い大した被害を与えることは出来なくても、動揺させることができると考えて、清正は大筒の準備を命じた。
「義弘殿を破れば、九州は蜂起を潰すことが出来るだろう。海は嘉隆殿に任せれば大丈夫だろう」
清正はつぶやきながら、義弘の馬印を見ていた。




