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第九話 発語

※二千十六年二月九日、誤記修正。

※二千十七年六月三日、誤字、文章修正。

「岩覚様、寧々様の状態が落ち着いたようです」

「分かりました。孝蔵主様もお疲れ様でした」

「……この度のこと、防ぐことができず、申し訳ございません」

「この度のことで心を痛めておられるのですね。しかし、この度の事は、防ぐ事は出来ますまい」

「しかし……」

「お気持ちは分かりますが、寧々様は、心を患っておられました。あの方は、そのような心の乱れを表に出すことはなく、気が付くのは難しいでしょう。それに、常に寧々様を見ることはできますまい」

「はい……」


岩覚は、泣いている孝蔵主を見ながら、しばらく声をかけずに、心の整理が落ち着くのを待った。本当であれば、退出して休ませたいところではあったが、まだ、確認することがあった為、話せる状態になるまで待つことにした。

寧々の今回の行動について、根底には心の病と考えていた。しかし、寧々の人柄を考えればこのような事件を起こすことは考えられなかった。行動を起こしたとしても秀吉に対しての小言であり、幼子に危害を加えるとは考えられなかった。寧々の理性を無くすきっかけは何か。考えられることは、寧々の様子がおかしくなる前に使われていた香であった。寧々の奇行が見え始め、孝蔵主から相談を受け、調べていたが今一つ分からなかった。その香を届けていた使用人の娘やその親の商人にも怪しいところはなく、商人から届けだされた香を確認した際も、実物は南方の伽羅であり、怪しいところは見つからなかった。それにも係わらず、寧々の使った香は、確認した香と違っていたのである。念を入れて、孝蔵主にも調査の手を入れたが、問題となるところはなかった。

それ以外としては、忍びの仕業の可能性を考え、左近と共に、警備体制を厳重にしたが、今回の事件が起きてしまった。

岩覚としては、苦い思いでいっぱいであるが、起きたことを取り戻すことはできない。それよりも、これからの原因と対策が重要である。孝蔵主が落ち着くのを見て、声をかけた。


「孝蔵主様、お聞きしたいことがあります」

「……はい、何でしょう」

「寧々様が使われていた香の事です。あれから何か分かりましたか」

「いえ、持ち込んだ使用人も変わったこともありませんでしたし、その親御さんにも会いましたが、怪しいところはありませんでした。それに、持ち込まれた香の仕入先も、同じ香が残っており、確認しましたが、問題は見受けられませんでした」

「そうですか……」

「ただ……」

「ただ?」

「使用人の娘が言うには、香を持ってきた際、利休様に話しかけられたと」

「利休様に?」

「はい、その際、香を見せて欲しいと言われ、その場でお見せしたそうです」

「……怪しい動きはなかったのですか」

「箱を開け、匂いを嗅がれたぐらいだと」

「その際、香を隠す動きは無かったのですか」

「右手で蓋をして、嗅がれていたとは言われていましたが……」

「……分かりました、兎に角、今は、寧々様のお体の回復をお待ちしましょう」

「はい」

「施薬院全宗殿を呼びますゆえ、大事になることはありますまい」

「申し訳ございません」


退出していく、孝蔵主を見ながら、調べた内容と変わらない返答であったが、先ほどの利休の話を考える。

利休は、堺の納屋衆であり、信長に堺が下った際に、茶頭として仕えることになった。元々、武野紹鴎などに師事し、茶の道を究めていった。

信長の没後、秀吉に仕え、公義は秀長、内々は宗易と言われ、豊臣家一門筆頭であり、政権のナンバー2でもある秀長と並ぶ信用を受けている人物である。

それゆえ、岩覚としても、豊臣家に害する行動を取るとは思えないのであるが、寧々が香を使うまでに、接触した人物として、利休の名が上がる以上、調べる必要が出てきた。ただ、この事が公になれば、豊臣政権を揺るがす可能性があり、慎重に取り扱う必要がある。

施薬院全宗に、香を調べてもらい、原因を探す手配をした。

問題は山積しているが、ひとつ一つ取り除くため、岩覚も部屋を出た。






「佐吉よ」

「はっ!」

「早く、大坂に帰る必要があるが、此処で焦って、小田原を力攻めすることはできん。その様なことをすれば、多大な犠牲を出し、関東以西の者たちの不満が溜まり、関東の者たちや、その先におる奥州の者たちが蠢動しだすだろう。岩覚に書状を出しておく、対処してくれるであろう」

「……はい」

「分かっておる、お主は寧々のことを気にしているのだろうが、回復して話を聞いてから考えるから、心配するな。悪いようにはせぬ」

「……」


秀吉の言葉を聞きながら、三成は、安心したのか涙を流しながら、頭を下げた。

三成は、子飼いではあるが近江国出身であり、親戚筋の子飼いの清正や正則とは違い、寧々に心を寄せず、北近江国の大名だった浅井氏の血を引く淀に心を寄せていると見られていた。

秀吉が長浜を治めていた際、三成も小姓となり仕え、その際、寧々は清正や正則と区別せず、三成や吉継、嘉明、安治、且元などに分け隔てなく愛情を注ぎ、一廉の人物に育て上げた。

三成も秀吉を父、寧々を母のように慕い仕えてきた。世間の噂や見方など、気にはしていなかったが、寧々の心だけは乱したくはないというのが三成の思いだった。正則だけは、信じていない雰囲気であったが。

その為、今回の事件により、寧々が自害させられるような事があれば、所領や身命をなげうって、助命を願う気持ちだったので、秀吉の口から心配するなという言葉をかけられ、緊張していた心身が緩み、涙を流すことになったのだった。


「心配をかけたようだな」

「そ、その……そのようなことがこ゛さ゛い゛ま゛せ゛ぬ゛」



「寧々は幸せ者だなぁ。なあ、佐吉よ、寧々を喜ばせてみせよ」

「……」

「忍城を攻めよ。中々の堅城だぞ、ただ、落とさずとも、後方を攪乱させぬよう、抑えるだけでも良い。無理をする必要はない」

「……分かりました。身命を賭して、攻め落としてみます」

「焦るなよ、焦れば、術中に嵌る。紀之助をつける、よく相談せよ。紀之助の意見はわしの意見と思え」

「はい」

「お前は、市松と同じで、一度、頭に血が上って一つの考えに固執して、変化をつけようとしないところがよく似ておる。だからこそ、紀之助の助言は大切にせよ」

「……はい」

「ん?不満か」

「いえ、市松のような、猪と同じと言われるのは、あまりにも酷過ぎます……」

「それは、忍城攻めの結果でわかる。それと、真田の子倅を連れて行け、やつも良い経験になるだろう」

「はっ」

「ふむ、しかし、ただの城攻めでは、面白くないな、関東以北のものどもを驚かすほどの事をせねばならぬな……」


三成は、秀吉のその言葉とにやけた表情から嫌な予感がした。


「殿下?」

「……よし!忍城は、高松城のように水攻めにするか!」

「な!?で、殿下、水攻めは、莫大な費用と、周囲の田畑が使えなくなり、民も動揺するやもしれません」

「かまわん、まあ、忍城が開場すれば、それは、それでよい。ただ、わしがどれだけの力を持っているかを見せつける必要がある。関東以北の連中は、中央の支配への抵抗心が高いし、血統に拘る連中も多い。わしを未だに見下しておるに違いないわ。だからこそ、圧倒的な軍勢を見せつけ、大規模な城攻めを行う必要があるのだ。水攻めで忍城を落とすのが目的ではない。民には負担をかけることになるがな」

「……申し訳ございません」

「わしの、豊臣の力を関東の連中の記憶に刻み込ませ、反抗心を抑える。奥州の者共見ておるからな」

「……はっ」


秀吉は、戦場にでる機会がない三成に、武功を挙げさせようと思い、まだ、手を付けていなかった忍城を攻めるように言い渡した。忍城は堅城であり、力攻めをするにも周囲の沼地などもあり、多くの犠牲がでる可能性が高い。

後北条との戦いは必ず勝てるが、その状況で多くの犠牲が出てしまっては、城攻めに加わる者たちへの莫大な恩賞や、恩賞が少なければ不満を蓄積する可能性があり、さじ加減が難しくなる。

水攻めをすれば、落とせなくとも、関東以北の者たちに豊臣家の財力と威勢を見せつけることが出来る。困難であればあるほど、良い効果がでるだろう。水攻めのような計画をできるのは、官兵衛か三成、吉継あたりになるだろう。清正は辛うじて出来るかもしれないが、正則は水攻めや兵糧攻めのような根気の居る戦いは、まだ難しいだろう。正則は、自分にできないことをして賞される三成に嫉妬しているだけだろうが、それを自覚するのは何時になるだろうかと、秀吉は考えてしまう。

豊臣家を支える者たちが反目すれば、家康や天下を目指す連中に付け入れる隙を与えることに気が付いてもらいたいと、ため息をついてしまう。

寧々に関しては、母なかを寧々の元に呼び寄せることを岩覚に指示することにした。


忍城攻めを聞いて、武功を挙げられると喜んだのもつかの間、水攻めという途方もないことを指示され、三成は気が重くなった。紀之助が居てくれるのは、ありがたいが、莫大な資金が消費され、膨大な人員と、後に残るのは汚泥にまみれた田畑。田畑の復興をしなければならない民のことを考え、気が重くなる。

備中高松城の水攻めは、官兵衛が計画し、秀吉が監督した為、三成自身の負担は、人員や作業の差配のみで済んだが、今回は、一人で、官兵衛や秀吉の役割も含め三人分の仕事をしなければならいと悩み込み、自分に出来るのかと、自問自答することになる。

何でも抱え込む三成の事を考え、秀吉は、吉継や信繁を付け抱え込まないように差配したのだが、三成はそれに気が付くことなく、水攻めの手配を始めた。





(……ん?頭が、ぼんやりするけど……生きている、今回は、此処での死は回避できたか……)


鶴松は、眼を覚ましたのは、寧々に首を絞められた翌日だった。何度も、経験している中の一つとはいえ、今までは、繰り返される死に諦めしかなかった。しかし、今回は、生き残る気持ちが強く、正直にうれしい気持ちだった。

今までの寧々の処遇は、この後、幽閉、自害のどちらかしかなかった。今回は、どちらになるのだろうか、出来れば助けたいと考えていた。


(しかし、お腹が減ったな……)


「つ、鶴松さま!?お、お、起きられ、え、しゃ、しゃべられた!?」


(声が大きい……)


「だ、誰か!岩覚様を!」


(何を慌てているのだろう?)




しばらくして、岩覚が部屋の中に入ってきた。乳母の慌てぶりに、岩覚がやさしく落ち着くように言い、労いの言葉をかけた。

乳母は、赤面して、顔を下に向けて、お礼を言っていた。


「して、鶴松様がお言葉を?」

「はい、しっかりと大人と変わらないように」


(ん?僕が言葉を?言った記憶がないが……)


「ほお、鶴松様……今は、話されています」

「え!?」


岩覚の言葉を聞いて、口を閉じたまま、鶴松は考え込む。


(頭で考えていた事を、口に出して話していたのか?今までならば、まだ、話すことが出来ないはずだけど。寧々さんに首を絞められて?いや、どうしてなんだろうか……)


「岩覚様、鶴松様は、お腹が減られていると」

「そうですか、よろしくお願いします。お食事の後、また、呼んでください」

「分かりました」

「鶴松様、また、後ほど参ります」

「はい」


鶴松の返事を聞き、岩覚は微笑みを返し、部屋を出ていった。




(何故だろう、このタイミングで話せるようになるなんて、今まで無かったのに、チート能力覚醒とか……超絶魔法が!武技が!って、そんなわけないか……話せられるようになったら、今後の事も変えることが出来るかもしれないか。まずは、寧々さんの恩赦を願おう。今回の実行犯は、分かるけど、何故、危害を加えようとしたのか不明なんだよな。この後も、寧々さん以外から命を狙われる事があったし、黒幕が何人か居そうな気にするけど……捜索は、岩覚さんに丸投げになるかな)




岩覚が、食事が終わった事の連絡を受け取り、部屋へと入って来た。数え2歳の幼子が、大人と同じように話せる事に、岩覚は驚きを感じていた。寧々の事件が原因かもしれないが、判断が出来ず、まず話してみてからと考えていた。

不可思議な事が起きるのは現世でもあることであり、それが、鶴松にとって、良からぬ事にならなければ、気にする必要はないと割り切っていた。


「鶴松様、ご加減は如何でしょうか」

「大丈夫」

「お話は出来ますでしょうか」

「問題ないよ」

「それは、ようございました。では、あの時の事は覚えておいででしょうか」

「うん、寧々様が入って来た時の事だよね」

「はい」

「寧々様が入って来た時は、正気を失っていて、眼の焦点が合っていなかった」

「そうですか……」

「あの状態は、薬物か、精神的な問題でなるような状態だと思う」

「……鶴松様、そのような知識を何処から……」


岩覚は、鶴松の返答に戸惑いを隠せなかった。何せ、数え2歳で、誰に教えも受けたことのないはずなのに、冷静な分析を返してくることに違和感しかなかった。もしや、物の怪でも取ついたのかと眉間にしわを寄せた。

その表情を見て、鶴松は、不味いと考え、適当なことででっちあげることにした。


「今の話は、夢に薬師如来様が表れて、御告げをくれたんだ」

「薬師如来様が?」

「うん、なので、詳しいことは分からないんだけど、寧々様が常なる状態ではなかったのだと思う」

「そうですか……」


岩覚としても、鶴松の話に疑問があるが、神仏や迷信が信じられていた時代の為、疑問を押し込み納得することが出来た。


「そのような状態だったと思うから、寧々様に恩情を頂けるよう父上にお願いしたいんだけど」

「殿下にですか?」

「うん、お願いします。寧々様は豊臣家の土台です。何かあれば、豊臣家が潰れる」

「……鶴松様、殿下には、そのように手紙にて、伝えておきます」

「お願い致します。それと、岩覚様……」

「私の事は呼び捨てで構いません。なんでしょうか」

「なぜ、このようなことが起きたんだろう。寧々様の事を考えれば、おかしいと思う……」

「今、調べている処です。何かわかりましたら、また、お伝えします」

「お願いします。それと、先ほどの夢の話で、薬師如来様が、心の奥底に眠っている負の感情が、外からの刺激により、表に出てきて正気を失うことがあると話していた。寧々様のような心強き方にも、何か、苦しまれていたことがあったんだと思う。それを誰かが利用したのではないかと」

「外からですか……」


鶴松の話を聞き、考えられる香の事を岩覚は最初に頭に浮かべた。香について、調べたことで怪しいのは利休の動きのみ。利休と接触した人物や動きを見る限りにも怪しいところはない。それ以外の処で怪しい事がなかった。考えられるのは、寧々が独自に行った可能性だが、孝蔵主の話を聞く限り、ないと判断できる。


「岩覚?」

「……すみません。少し考え事をしておりました」

「物事を今の関係性だけではなく、過去の繋がりなども調べると違った角度で物事が見えるはず」

「過去ですか?」

「はい」


鶴松としては、計画した人物を言ったとしても、証拠も、根拠もなく、戯言と言われそうだったので、回りくどく説明をした。それによって、今まで知らなかった黒幕達が分かるかもしれないという期待もあった。この事件により、豊臣家の大黒柱が無くなれば、政権が揺らいでしまう。そして、一番大きな支えの秀長が亡くなるのは確実で、此処で、寧々も居なくなれば、政権の根幹が揺さぶられることになる。安定してきた豊臣政権が崩れだす切っ掛けが、この短期間に続き、豊臣家滅亡に繋がっていくと思っているので、何とか、防ぎたいと考え始めていた。


過去の繋がりと聞き、岩覚は、再度、利休の過去と、過去の繋がりを調べる必要性を感じていた。香の事を考えるあまり、現状のみを調べていた事に、己の失敗を感じていた。事件を防ぐことはできなかったが、再発を防止するために、動く必要がる。


「鶴松様、私はこれで、失礼いたします」

「はい、寧々様のこと、よろしくお願い致します」


(よし!話すことが出来る!今度こそ、生き残るぞ!でも、秀吉さんも心配なんだよな、病気や心の事が……)

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