第七十九話 高槻
高槻城には、畿内で敗退した者たちが集結しつつあった。
その数は、十万を超える人数となっていたが、そのうちの3分の1は、女子供で兵として戦えないものも含まれていた。
流民なども吸収した為に、数が多くなっていった。
女子供でも、長槍や長い竹やり、石のつぶてぐらいは使えるだろうと合流を許していた。
その為、兵糧が足りなくなり、近隣の村々や商家などを襲ったり、高槻城に来る道中に道すがら村々を襲い食い扶持を集めていた。
忠興からの送られてくる物資もあるが、到底数万を養えるほどのものがなく、高槻城内で空いている場所に作物を植えて、急場をしのごうとしているものもいた。
「やはり兵糧は足りぬな」
「殿の予想されていた通りでしたな」
直政は、側近の中でも老齢の者たちを選び率いて高槻城に入った。
直継、直孝に若手と老齢の中でも忠義に篤いものを残していた。
「われらが持ってきた兵糧も焼け石に水でしょうな」
「忠興殿の目算は甘すぎる。戦乱を生き抜いた御仁だが、やはり、細川家のお人よ。苦労を知らぬ」
直政は、忠興を小ばかにするように吐き捨てた。
小荷駄による数日の兵糧と、現地での兵糧の徴発などが主体であったが、今では秀吉によって、近代の兵站に近い考え方が導入された。
しかし、それは、秀吉とその家臣である三成や増田長盛、長束正家などごく一部が理解しただけで、他の大名は以前通りの兵糧集めの考え方のままの者たちが多かった。
忠興も兵糧については理解していたが、ここまでの人数が高槻城に集まるとは予測していなかった。それに、雑兵がいくら死のうが気にしなかった。
「忠興様は、この戦に勝ったとして、天下を取れると思っておられるのでしょうか」
「忠興殿の天下取りがどうなろうと知らぬが、殿下が討ち取られたしても無理だろう。殿がそれを許すまい。朝廷を意のままに動かせると勘違いしている。朝廷に顔が利くのは父である藤孝殿であって、忠興殿ではないことを理解していない。耶蘇教徒も操れると思っているようだが、笑止。一向宗や叡山がどうだったか。坊主どもは、どこでも変わるまい、狂っているか、金儲けしか考えておらん」
「奇特な僧も居ますが」
「いるな、いるが、その者たちは、このような事を起こさん。民の為に、信者の為に念仏を唱え、質素にしているか学問を納めておるわ。此処に集まった坊主どもを見よ、戒律や仏法の何処に人を殺めよ、殺めねば地獄に落ちると書かれているか。無知な民を煽るくそ坊主どもだ」
「……」
川手良則は、直政の言葉に何も答えなかった。
一向宗によって、三河が分裂し血みどろの争いの記憶もまだ新しく、故郷が大きく荒らされた。
一向宗の坊主によって、煽られた民が、武士が暴徒となり暴れまくった。それによって、世が良くなったわけではなく、荒廃した田畑が残されただけだった。人は消え、民の心が分裂し、猜疑心が残った。
信じぬものは悪鬼羅刹、悪しきもので滅すべき、そんな坊主の言葉が耳に残る。ただ、三河などでの大規模な動きは一向一揆だけだが、畿内においては法華宗も神社も同じようなものだった。
末世という言葉がよく似合うと良則は思っていた。
「忠興様からは、なんと」
「高槻城に集まったもの達をまとめろ、無理なことを言う。話は通していると言っているが、教如殿がいう事を聞くとはおもわんな。あと、右近殿がどれだけ理性的か。あぶれ者どもは力で抑えるしかあるまい。従わなければ切り捨てろ。好き勝手に暴れるクズどもはいらん」
「分かりましたが、教如様や右近殿が何か言いませんか」
「言えば切り捨てる、邪魔者はいらん」
「……」
良則は、直政の言葉に危惧を覚えた。高山右近であれば話せば分かるかもしれないが、耶蘇教徒が害されたらどういう動きになるか予測がつかない。教如に関しては、まず、間違いなく反発するだろうと考えた。
それが分からない直政ではないはずなのに、切れとはとはどういうことなのか悩んだ。
「ここに集まった者たちは烏合の衆だ。一つのほころびで分裂する」
「ならば、対応を誤り強引にすれば、分裂して内部で争う事になりますぞ」
「かまわん、不要なものは城の外に追い出せばよい。籠城で一番問題なのは勝手に動くことだ。駒として動いてもらわねば、守ることは出来ぬ。それに出て行ってくれれば、兵糧にも余裕ができる」
「……」
「城外に出たところで、殿下は許すはずもない。一度、降伏の使者ぐらいは出すかもしれんが、それを拒否したり、期限までに退去せねば、一人残らず切り捨てるだろう」
「信長公のようにされますか。そこまで、非常な決断を幼子ができますか……三成様が指示されますかな」
良則の言葉に、直政は否定の言葉を発する。
「あれは、傀儡ではない。殿や周囲からの情報からも自ら決断されている。元服するような齢でもない幼子がよ。物の怪にでも取りつかれたと言われた方が納得するわ」
苦笑を浮かべて直政は、疑問を顔に浮かべた良則に話す。
「では、この戦は負けますか」
「戦は水物だが、まず負ける。殿下が討ち死にしたとて、蜂起した者はすべて討ち取られるだろう。九州では、黒田のご老人が嬉々として動いているようだしな」
「殿下を討ち取れば、こちらの勝ちでは」
「我々にとっては勝ちだろう。しかし、蜂起した者たちにとっては敗北と滅亡が待っているだけだ。いや、島津義弘は違うか、死に場所を求めているだけだな」
「死に場所ですか」
「ああ、琉球を手に入れれなかった事、日向、大隅、薩摩の三州を手に入れれない事、そして、体の衰えによる戦の働きができないことへの無念の思い。ある意味、私に似ているかもしれないな」
次代の宿老として直政が秀忠を支えてくれるように家康が願っていると、良則は伝え聞いていた。そして、その事は、直政も知っているはずと思ってはいたが、口には出さなかった。
「殿は、この度の戦、どのようにおさめようとお考えですか」
「……殿下を討ち取る」
「分かりました。われら一同、その為に命を賭けさせていただきます」
良則の言葉に直政は頷いた。
直政が高槻城に入った後、大広間にその足で向かった。
大広間には、上座には誰も座っておらず、左に右近に従うもの、右に教如に従うものが分かれて座っていた。
左右に分かれた真ん中に空いた場所を通り、直政は上座に座った。
それを見て、教如は不愉快な表情を浮かべたが、右近は表情を動かさなかった。
「直政殿、何故、上座に座られるのか」
教如の言葉に、直政は答えなかった。
「我々は、豊臣を倒す同志として、上下のない関係のはず。まして、味方になったわけでもない徳川殿の陪臣である貴殿がその場所に座るのはおかしいのではないか」
直政は上座から立ち上がって、教如の顔を見下ろした。
上座から立ったことによって、下座に移動すると教如は考えたが、直政は教如の前に素早く来ると、刀を一閃させ教如の首元で止めた。
それに気が付き、教如は腰が抜けそうになったが、刀が首元にあり動くことが出来なかった。
後ろに付き従う一向宗の僧が非難の声を上げたが、それと同時に、井伊の家臣が彼らの後ろにある障子をあけ槍や刀を構えて威嚇した。
その為、僧たちは身動きが取れなくなり、非難の声を止めた。
「直政殿、この場での刀や槍を携帯する事は、仲間内への不信を高めることになる為、禁止しています」
右近は、静かに直政に話かけた。
「私は、此処をまとめる為に呼ばれたと聞いております。右近殿はどのように聞いておられますか」
「私もそのように聞いていますが、刀での脅しは、流石鬼と言われし直政殿と関心しましたが、初めての顔合わせで少々行き過ぎではありませんかな」
「ふむ……しかし、まとめる者を陪臣と言い、貶めるような言い方をされる方を許せと」
「誰にでも間違いはあります。神はそのような間違えを許されます。どうぞ、直政殿も教如殿をお許しになされては」
「私は、あなたの信じる神は知りませんが、まあ、良いでしょう」
そう言って、直政は刀を鞘に納め上座に座りなおした、家臣たちも下がり障子を閉めた。
その事により、教如をはじめ僧たちは胸をなでおろしたが、虚仮にされた教如は顔を真っ赤にし、怒りの表情を浮かべた。
「教如殿は如何に聞いておりますか」
「ふん、直政殿がまとめるとは聞いている。しかし、脅すような真似をするのは如何なものか。まずは、話し合うべきではないか」
教如の言葉に、直政は目を細め教如を見つめた。
右近は呆れながらも、教如に話しかけた。
「教如殿、同志と言いながら、蔑んだような物言いをしたことに対して、詫びはないのですか。まあ、刀を抜いたことで相殺しても良いとは思いますが」
右近の言葉に、教如は苦虫を嚙み潰したよう表情をした。
教如としては、耶蘇教などという外の国の神の教えに対して、嫌悪感があり、耶蘇教徒の右近の言葉を嫌味と受け取った。
「そのことはもういいでしょう。これからの事を話しましょう」
「それが良いでしょう」
「分かった」
「それで、兵糧はどれぐらい持ちそうですか」
「そうですな、ひと月持てば良い方でしょうかな。予想以上に人が集まってきておりますからな」
「ふん、流民など、仕えぬ連中は城から出せばよかろう」
「出したいところではありますが、そうなれば、暴れるでしょうな」
「ちっ、食えん者たちが群がりおって。これでは籠城もできぬ」
「一向宗の寺から兵糧は送られてきませんか」
直政の問いかけに、教如は苦渋の表情を浮かべた。
蜂起をする前後で、畿内の一向宗の寺に兵と兵糧の提供を求める使者を教如は送っていたが、大半の寺に拒否された。
准如によって、蜂起の禁止と教如への協力禁止が通達されていた。
一部の過激な門徒がいる寺は教如に同調して蜂起し、高槻城に入っているが、一向宗の兵の大半はあぶれもの達だった。
「ならば、打って出るしかありません」
「しかし、やつらの鉄砲は強力だ。無駄に死人を増やすだけではないか」
「教如殿の言われるとおりなのですが、籠城しても兵糧がなくなれば、餓死するだけです。三木城、鳥取城のようになるしかありませんな」
「致し方ないが……」
「教如殿の元には根来か、雑賀の者はいませんか」
「いる、腕利きが何人かいる」
直政の言葉に、教如は目を細め、考えをまとめた。
「秀永を狙撃するのか」
「そうです、乱戦になり気をこちらに向けている時であれば、周囲も意識がそれるかもしれません」
「乾坤一擲とすれば、それしかありませんな。敗れれば、そのまま城を捨て、各地に雌伏すればよい」
「……門徒はそれができるかもしれませんが、耶蘇教徒は難しいのではないですか」
「難しくともせざるを得ない」
右近はそう言いながら、首からぶら下げたロザリオをいじった。
「南蛮の軍船はどうなっていますか」
「こちらに連絡はきておりません。九鬼などの水軍を考えれば、無傷でこちらに来ることは不可能でしょうな。神は試練を我らに与えておられるのです」
教如は、右近の言葉を鼻で笑った。己たちも同じように仏の名を借りているにも関わらず。
「南蛮の軍船は強力ですが、九鬼の水軍はその上を行くでしょう。数もそうですし、補給も考えれば、まず、勝ったとしても右近殿の言われる通り無傷では無理でしょう。沿岸に配された大砲で叩き潰されそうです」
「やはり、豊臣の大砲は、南蛮を上回りますか」
「上回ります。飛距離が違います」
「それで、打って出るということか」
「ええ、大砲が水軍ではなく、こちらにもあるはずです。それを考えれば、籠城したところで城は砲撃によって潰されるでしょう」
「ちぃ、忌々しい。ならば、打って出るしかないが、今出たところで、秀永はいない。かといって、集まった後に打って出ても……」
「致し方ありません。教如殿には、狙撃をする者たちと支援するもの達を早々に城外に出して、潜伏させてください。ただし、あちらの忍びも優秀ですので、気を付けてください」
「分かっている。根来には忍びの者もいるから一緒に行かせる」
「お願いします。打って出る時は、分散せず集中して突撃するしかありません。右近殿は耶蘇教徒を率いて北を、教如殿は門徒を率いて西を、私は何処にも属さないものを率いて、東か南から打って出ます。打って出るのは同時です」
「秀永を狙撃できれば、敵も乱れるはず、三成など中枢の者たちをまとめて討ち取れば、豊臣の世も崩れるだろう」
「神の試練を乗り越えてみせましょう」
直政、右近、教如は、豊臣軍が集結し、城攻めが始まる前に打って出ることで話をまとめた。
教如は、狙撃するもの達を場外へ送り出したが、その際、秀永の狙撃以外に、三成などの豊臣の中枢のものも、狙えれば狙う事。そして、事がなれば、直政や右近も狙撃するように命じた。
直政に与えられた恥辱と、耶蘇教徒に対する嫌悪感で狙撃を命じたが、あくまでも秀永や豊臣のもの達を討ち取った後と念を押した。
直政が高槻城に入場した数日後、秀永率いる豊臣軍が高槻城に到着し、城攻めの準備に入った。
その軍中には、当初の考えを変えて、軍を率いた家康の姿もあった。
※誤記のご指摘ありがとうござます。
※対応しきれておらず、申し訳ございません。
※あけまして、おめでとうございます。
※今年もよろしく、お願いします。




