第七十八話 逐電
十万弱の者たちは高槻城と、その周辺に集結していた。
集結できなかった者たちは、各地で賊となり村々を荒らしていたが、討伐軍により潰されていった。
蜂起した人数は多いが、一向門徒、耶蘇教徒、あぶれ者など、系統ごとに集まっていた。
指示系統が一つでなければ、数の力が発揮できないと忠興は考えていた。
最悪、内部分裂が起き、各個撃破の恐れがあると思い家臣を派遣したが、ひとつにまとめる事はできなかった。
その報告にイラついたが、家臣ごときでは無理かとも納得してしまった。
「私自ら行けばよいが、まだ動く時ではない……直政が使えればよかったが、家康如きに拘りおって……」
忠興は、己の思い通りにいかないことにいら立っていた。
「殿」
「なんだ」
「直政様からの使者が来ております」
家臣の言葉に、忠興は口角があがった。
「通せ」
「はっ」
直政の使者を呼びに家臣は走り去った。
しばらくすると、直政の使者が部屋に通され、直政の書状を忠興に手渡した。
忠興は書状に目を通した。
「承ったと、直政殿にお伝えください」
「はっ」
去っていく使者を見送り、家臣に命じた。
「準備は出来ているか」
「はい」
「では、我々も討伐軍に合流するか」
含み笑いをしながら、事がなると忠興は笑った。
「殿」
「なんだ」
「良いのですか」
「構わない」
家臣の言葉に、直政は返事をした。
「家督は、万千代に譲った。私は逐電する」
「しかし……」
「お主らはついてこなくても良い。井伊譜代の者たちは置いていく、万千代を助けよ」
「……」
「武田旧臣を連れていくが、若い者たちは置いておくから引き立てよ」
「何故ですか」
「武田旧臣にとっては、徳川も豊臣も武田を滅ぼしたものたちだ。若い者は記憶にないだろうが、年かさのものは覚えておろう。この戦いが武田の弔いであり、死に場所になる」
「ならば、小野家を息子に譲りますので、私もお供させてください」
「駄目だ、お主は井伊家の柱石として残れ」
「……」
「これは、井伊の名を残す戦であり、私の意地を通すためだ。それに、井伊家を巻き添えにする気はない。殿には承諾を得ている」
「しかし……」
「天下人相手に戦をすれば、井伊の名と意地を残せるが、家を滅ぼす気はない。寛恕してくれ」
「分かりました」
「井伊家は、万千代と弁之介に家を分ける。家臣の振り分けもここに記している。差配してくれ」
「はっ」
朝之を下がらせた後、直政は目を閉じた。
「この度の戦は、今までとは違う。井伊の者たちを無駄に失うわけにはいかぬ」
家康と正信は、直政との話を終えたのち、ふたりで話し合いを行っていた。
「直政は決断したようだが」
「井伊家の事は良かったのですか」
「構わん」
「殿下には、直政殿の逐電は早馬で知らせました。まあ、それよりも早く知りそうですが」
「だろうな」
正信の言葉に家康は苦笑した。
「万千代と弁之介に井伊の兵を率いらせろ。万千代には親吉、弁之介には元忠を目付としろ」
「分かりました。胡乱なことはしないとは思いますが、伊賀、甲賀の者を付けておきます」
頷きながら家康はため息を吐いた。
「我慢できなかったか」
「……そうかもしれませんが、そうでないかもしれません」
「では……」
「……」
「命を無駄にする必要もなかろう」
悲しそうな表情を家康は浮かべた。
「まあ、直政殿も戦いたかったのも真実かとも思いますが」
「平八郎、小平太やお主の亡き後、徳川家を支えて欲しかったのだがな」
「……」
「わしも行くことにする。直政の離反で疑われても馬鹿々々しい。三成あたりが難癖つけるかもしれんからな」
「はい」
「これで、大戦は日本では当分起きぬか」
「殿下、家康殿より書状が来ております」
三成の言葉に、頷いて秀永は書状を受け取った。
「……」
「小太郎さんの報告にあった事です」
秀永は三成に説明した。
「家康さんも討伐軍に参加するようです」
「……危険ではないですか」
「そんな博打的な事は、家康さんはしないでしょう。もし、そんなことしたら大半の大名にそっぽ向かれますよ。天下が定まっていなければ良いですけど、もし私を打てば、家康さんは朝敵です。京を押えても、各地の大名が逆賊討伐の名目で討伐の兵をあげるでしょう。味方になる大名はいないでしょう」
「しかし」
「警戒しておけば良いでしょう。配置を離せば問題ないです。反旗を翻せば殲滅するだけです」
「……分かりました。それと、やはり反旗を翻した者たちは殲滅しますか」
「一度、勧告します。それで離脱するようならば見逃しますが、そうでなければ殲滅します」
秀永は表情を変えずに断言した。
「それでは、信長様のように世間で悪評が広がりませんか」
顔を左右に振り、三成の言葉を拒否した。
「無駄な殺生はしたくありません。しかし、集まった人たちは、我々の法に従わず、神や仏に従う人たちです。その神や仏は、神仏を謀る詐欺師によって扇動されるものたちです。ここで助けたとしても、同じことを繰り返す可能性があります。それに、この度の蜂起は、幼子は含まれてません。詐欺師に洗脳された者、夜盗や追剥などを生業にする胡乱な者たち、そして、一向門徒の亡霊たちです」
「詐欺師、洗脳……」
「仏法のどこに、殺生を推奨するような言葉がありますか。耶蘇教であっても隣人を愛せよであって、奴隷にしても良いという言葉はないはずです。殺生を進めるのは詐欺、それが正しいと刷り込むことは洗脳ではないですか」
「……」
「真摯に向き合っている人たちも多いでしょう。しかし、盲目的に従う人たちは御しやすいですが、敵に利用されると厄介です。この度の顛末は、日本全国に知らしめます。愚かなるものたちの行為として、宗教を利用して戦を起こすものは許すことはできません。信仰は心の安寧をもたらすものであって、死をもたらすものであってはなりません。そして、宗教によって、政をしてもなりません」
「分かりました」
「出陣の準備は、どうなっていますか」
「終わっております」
「では、明日、出陣の儀を行います」
「はっ」
「神の為に、この地に神の国を作るのです。神の言葉を聞かぬ、豊臣という悪魔を滅することが、神の意に沿うのです。同胞を殺害する悪魔の軍団と戦う我々は、聖なる軍です。敵を一人斃せば、罪がひとつ免ぜられます」
「仏敵、信長の手先である卑賤の豊臣を滅するのです。天魔外道の血を引く、卑しい秀永を滅すれば、御仏のお心も安らかになります。皆の者、仏敵と戦い命を落とせば、極楽浄土へ行けます。逃げれば地獄に落ちると心得なさい」
胡乱な者たちは、遠巻きに小ばかにしながら、耶蘇教徒の宣教師の演説と本願寺の僧侶の話を見ていた。
そんなもの達と離れたところで、話し込んでいるものがいた。
「耶蘇の方は、重友が中心にまとめるようだ」
「ああ、門徒は教如がまとめるようだな」
「教如か、顕如から破門されても反信長で各地を彷徨っていたらしいからな。宗主を弟の准如に奪われたから必死なんだろうな。坊主が生臭すぎる」
「なんで、あんなくそ坊主どものいう事を信じたのか。数万の命があいつらの命令でなくなっていった。今すぐ撃ち殺したいな」
そう言いながら、手に持った鉄砲を男は撫でた。
「まあ、今はしないが、終わって俺もあいつも生き残ったら始末してやる」
「……」
「そういえば、徳川から逐電した井伊がこちらに来るそうだ」
「忠興が手配したらしいが、まとめられるのか。あの狂った連中を」
「さてな。ただ、このままだと、確実に分裂する。下手すれば、耶蘇と門徒が殺し合いをしてもおかしくない」
「そして、胡乱なあぶれ者は散っていくと」
「それでは、意味がない。豊臣に一泡吹かせることが出来なくなる。まあ、忠興は策士気取りで、秀永を打ち取って、天下を握ろうと思っているんだろうが、誰も付いてこれないだろう」
「管領の血筋だけで、まとめれるかよ。それに気が付かないとは、あれも狂ったか」
「かもしれん。そうなれば、家康あたりが謀反人討伐で忠興を討って、秀吉の次男を傀儡に天下を取りそうだな」
「別にそれでもかまわん。俺は、秀永を討てればよい。信長、秀吉を討てなかったから、秀永を討つ。あいつらの為に」




