第七十三話 準備
「宣教師の話を聞いたか」
「ああ」
月も出てない深夜に、物陰に隠れて、男たちが話していた。
「神の声だと言っていたが……」
「眉唾だろう、聞こえるなら何故今まで何も示してくれなかったんだ。神に祈り続けたが、親父は病でなくなったんだぞ。祈りも通じず、神の国の為に、神の敵、豊臣と戦えだと」
「それは、お前の信仰心が足りないからだ」
「なんだと!」
言われた男は、相手につかみかかろうとしたが、他の者たちが止めた。
「やめろ、争っても仕方ないだろう」
「ふん、信仰心のかけらもない愚か者がくだらんことをいうからだ」
「なにを!」
「だから、やめろと言っている。お前も煽るな」
「もういい、俺は抜ける。このばかと同じ場所にいると、吐き気がするわ」
そう言って、男は、去っていった。
「あいつ、裏切るんじゃないか」
「そうなったら、お前のせいだな」
「ああ」
「お前のような短慮なものが、輪を乱し、離れる者が増えるんだ」
「てめぇ」
「だから、やめろと」
周囲が止めようとするが、掴みかかろうとした男は、逆に殴られて膝をついた。
「おまえ、何しやがる」
「ほれ、右を殴られたんだ、左の頬を出せよ」
そう言って、男を蹴り上げた。
「もうやめろ、仲間で争っても意味がないだろう」
「そうだが、こいつが仲間か、仲間なら相手を蔑むことはないだろう」
「なら、お前は、どうなんだ」
「こんな、思慮の足りない者を仲間とは思っていないよ」
「もう一度行ってみやがれ」
倒れていた男は、起き上がって男を睨みつけた。
「今は、団結しなければいけないのに、わざわざ、亀裂を作って、離反者を出すなんて、ばかのやることだ。それを理解できないなら、こいつは始末した方が良い」
「お前こそ、同じじゃないか、その物言いは」
「まあ、そうかもしれないが、こいつより、現状は理解している」
「なに」
「黙れ」
起き上がった男が、声を上げたが、男が言葉と共に、殺気をぶつけると硬直し、口から泡を吹いて倒れた。
「はぁ」
「ふん、甘い考えのがきが知ったかぶりで、言いやがる」
「本願寺から宗旨替えしたお主だから、分かるが……」
「一人でも裏切り者が出たら、最後は崩壊して根切が待っている」
「だからと言って、もめる必要はるまい」
「ふん、もういい、それよりも宣教師が言っていたことだが、動きがあるのか」
「はぁ、そうだ。どうも、九州及び山陰の大名が支援があるようだ」
「どいつだ」
「わからん。そこまでは言われていない」
「こちらを利用して、切り捨てるつもりか」
「宣教師は、大丈夫だと言っていたがな」
「ふん、使い捨てにする気だろう、やつらはそんな連中だ」
「だが、信仰は許されるようだぞ」
「それもわからんがな。まあ、神が言うならば、そうなんだろう」
そう言い、皮肉を込めて笑った。
男は、伊勢長島に籠り、織田勢に根切にされる際に、なんとか逃げ出したが、深い傷を負って、山中で倒れていた。そこに、宣教師が通りがかり治療を行ってもらって処一命をとりとめた。
宣教師の話では、同じような境遇の者が何人かいたようで、全員が、耶蘇教に宗旨替えをした。
「一揆を起こすなら、指示するものを選んで、戦をするための体制を作らないとだめだ」
「分かってる。周囲と連絡を取っているが、まだまだ、戦働きをしたものも多い。何とかなりそうだ」
「それと、逃げ方も考えておけよ」
「戦う前から逃げることを」
「そうだ、死ななければ、何度でも立ち上がれる」
「……なるほど、そう伝えておこう」
九州、中国、畿内における耶蘇教徒の動きが活発化することになる。
「動きはどうですか」
「忠興様が、耶蘇教徒を煽っているようです」
「ああ、奥方は教徒でしたね。奥方が協力しているのですか」
「いいえ、奥方付きの侍女のつながりの様で、奥方は知らないようです」
「侍女が勝手にですか」
「はい、奥方は本能寺で信長公がお倒れになってから、屋敷に閉じ込められたり、不遇な状況です。その状況を変えたいようで、忠興様の話に乗ったようです。ただ、失敗した際、責を奥方に負わさないために、何も言わず動いたようです」
「侍女にすべてを押し付けて、発覚したら逃げるつもりですね」
「はい」
目先の事に囚われて、同じ失敗を繰り返したいのかと、秀永は忠興に対してあきれていた。
「法華経の宗門を利用し、本願寺を利用し、その結果が京の荒廃と、幕府の凋落、畿内の騒乱。忠興殿は、抑えれると考えているのでしょうか。手に余る力を暴走させた先に何かあるのか」
「岩覚殿、細川の倅では無理だな。藤孝殿でも無理だ。己の才で、己の頭の中で神にでもなったつもりになっているかもしれん。挫折もなかったかもしれんな」
「孝高殿、同じ信徒が……」
「致し方ありませんな。本願寺、法華の者たちの愚かな行動が、無辜の信徒を死へと追いやった。信仰の意味を問うと思っていた処、無私の施しをする宣教師を見た。赤貧で、己を犠牲にして活動するもの達に、今の腐りきった坊主たちとの違いを感じた。はるか昔、仏の道を目指したもの達も同じだったろうが、堕落した坊主を信じることは出来なくなっていた」
「……」
「これこそ、我が信仰の対象と思っていたんだが……、秀永様の話を聞いて、欲にまみれているのは同じかと、絶望しかなかったわ」
「十字軍、魔女狩り、神の名を使った所業ですね」
「ああ、神を信じても、それを語る人は信じることはできない。まあ、一揆を起こすもの達も、信仰があるだろう、哀れではあるがわしから施しをする気はない」
ロザリオを手にしながら、孝高は岩覚に話した。
「小太郎さん、監視を続けてください」
「はっ」
「こちらの手としては、米などを配布しましょうか。貧しさが幾分和らげば、不満も少しは減るでしょう」
「まとめて潰すのも手だと思いますが」
「確かに、孝高さんの言われる通りですが、人が居なければ田畑も朽ち果てるだけですからね。減らせる犠牲は減らした方が良いでしょう」
「そうですな。一揆が起きれば、素早くせん滅するべきですが、配置はどうしますか」
「あまり、目立つことなく、配置する必要がありますが……諸大名に協力は仰げないでしょうが、三成さんたちに、協力してもらいましょう。兵は、数十人単位で、寺社の警備や治安維持を目的として、配置しましょう」
「警戒されませんか」
「警戒はされるでしょうが、信仰という名の麻薬で寄っている人たちには、怖いとは思わず、戦意をあおる結果になるかもしれませんね」
「まったく、坊主が……世も末ですな」
「殺生を禁じているわけではありませんからね。耶蘇教を信じない者達は悪魔ですからね」
「笑うしかないですな」
孝高の言葉に、秀永は苦笑した。
「小太郎殿、九州はどうですが」
「島津の動きが活発化してます」
「前の話では、義弘殿が動いていると聞いていましたが」
「はい、義久様、家中も反対の様です」
「何故、そこまで強固な意志をもっているのでしょうか」
「歳久殿、家久殿、ご兄弟の死を悔やんでいるのかもしれません。豊臣家との戦を反対した歳久殿を結果的に、死に追いやったと苦しんでいるのかもしれません。可愛がっていた家久殿の死は、豊臣家によって仕組まれたものと疑っている可能性もあります。理性ではなく、感情で動いているのかもしれませんね。それに、勝てば良い、強さを見せつけて、こちらから琉球を含めた南方について、譲歩させようと考えているのか。それでも、忠興さんと手を結んでも勝てる見込みはないでしょう」
「忠興様は、家康様を巻き込もうと、徳川家家中の者を罠にはめようとしています」
「罠ですか」
「はい、豊臣家に無許可の南蛮や明との取引、無断での領地確保など、徳川家家中の者が行ったことを集めて、追いつめているようです」
「家康殿であれば、鼻で笑って無視するだろうが……小物では生きた心地はしまい」
「直政さんを煽っていたはずですが」
「直政様は、忠興様の言葉を聞き流しているようで、忠興様がじれたようで、最近は接触がないようです」
「……直政殿は、おちつかれたましたか」
「いいえ、井伊家ではいつでも動けるような体制です。ただ、それは国外への備えとして周囲には説明しているようです」
「何かを起こす気か、まあ、気の短い奴が、急に気が長くなることはない、何かを待っているかもしれんな。ただ、井伊家単独では無理だろうから、準備を怠ることはないといったところか」
「そうかもしれません」
「あとは、氏政様から、忠興様から書状があったと聞いていますが」
「ええ、氏政さんに、関東の所領を与えるので手を貸せと、何故か、上から目線の書状でしたね。伊勢家より、細川家の方が家格が上だとでも言いたいのでしょうかね」
「才あれど、もう少し経験が足りないな」
「九州の抑えを孝高さんに頼みたいのですが……」
「倅は、細川の小僧と同じで、まだまだ未熟。家康殿や忠興に声をかけられているようです。こちらには何も言ってこないですが、あやつも鍛え足りない。家中のものをうまく扱いきれていないようで、申し訳ない」
「……では、清正さんと宗茂さんに協力してもらいましょう」
「宗茂殿とは、立花の」
「そうです。こちらから頼めば、一本気な方のようなので、協力してくれるでしょう」
「ふむ、それは……」
「本当は、孝高さんに行ってもらいたいのですが、こちらが手薄になるのが心配で……」
「それなら、信繁と吉継を側に置けば良いでしょう」
「……分かりました。役職は、おいおい考えていきますが、旧に復し九州探題として、向かってください。清正さんや宗茂さんを補佐として配置します」
「分かりました。中国探題として、毛利か宇喜多ですか」
「毛利としてたいですが、広家さんが信用できるかどうか。秀家兄上は、信用できるのですが、家中に耶蘇教徒もいますし、家中分裂は防げましたが……」
「どちらともと言ったところですか」
「はい」
「関東はどうです」
「信繁さんと吉継さんが抑えてくれていますので、二人をこちらに呼ぶとなると……」
「派遣、抑えの者たちについて、もう少し考える必要がありますな」
「はい」
関東は、西国に比べ、キリスト教徒の数が多くはなく、抑えきれる気が秀永はしていた。
しかし、豊臣家に不満を持つもの達は居るはずなので、油断できないと考えている。
「呼応するように、南蛮も動きがあります。秀永様が言われた印度と言われるところと連絡を取り合って、戦船を増やしているようです」
「……どれぐらいかかりそうですか」
「来年には船も兵も印度に集められると思われます」
「ならば、そこからの移動を考えれば、再来年以降に動きがありそうですね」
「はい」




