第七十話 停滞
「国内の動きはどうですか」
「大きな動きはありません。大殿が重体といっても、亡くなっていません。もし、回復したことを考えて、目立つ動きを避けているように思えます」
「そうでしょうね。では、動きのあるところはどこですか」
「細川は、周囲と小まめに接触しているようです」
「同調する人はいますか」
「いません。ただ、接触しているのが、大名ではなく重臣、側近などが多いようで、大名たちがどのように考えているかは不明です」
「それは、家臣を取りこみ、大名を動かそうとしているのでしょうか」
「そうですね。大名がいくら反対しても、家臣の大半が賛同すれば、拒否することはできません」
「確かに、そこまで強権を持った大名は少ないでしょう。あの家康さんといえども、無理でしょうね」
三河武士は忠誠心が高く、主君に忠実で、愚直に従う。そういう印象だが、家康が今川家から独立し、三河を統一した後も、三河一向一揆や松平一族による反目など、かつては決して一枚岩ではなかった。
現在は、酒井忠次も隠居し、家康がほぼ家中を掌握しているとは言え、忠勝など有力な家臣たちが団結して、反対すれば、家康も従わざる得ないだろう。
絶対王政ならぬ、絶対大名というのは、存在しない。
中央集権を確立するには、家臣の所領を取り上げ、金銭などを支給する体制にしないかぎり、難しいと思った。
「忠興さんとしては、大名を動かすよりも、家臣を動かす方が楽なんでしょうかね」
「そうだと思います。貴種であることを過剰に意識している方ですので、成り上がった大名と話すのも嫌なのかもしれません。家康殿も見下した視線を向けることもありますから」
「無意識にしている感じですね。家康さんは気が付いてるでしょうが、軽くいなしてますね」
「あの方の忍耐力は、戦乱を生き抜いたものの強さを感じます。それだからこそ、今は動かず情報を集め、分析をしているのでしょう」
「本当に動いてませんか」
「家康殿も、懐刀の正信殿も動いていません。ただ、直政殿が頻繁に忠興殿と書や茶などをしているようです」
「煽ってそうですね」
「そのようです。ただ、直政殿が動いたとしても、現状では家康殿は動かないでしょう。場合によっては、直政殿を見捨てるかもしれません」
「寵愛があついと聞いていますが」
「家康殿ならば、情に流されることはありません。身に危険が及ぶと思えば、切り捨てるでしょう。まして、勝手に動いてるならば、なおさら」
「そうですか」
「情で家を滅ぼすことは出来ません。勝手に動いているならば、家康殿もあまり気持ちが良くないでしょう」
「あとは、居ますか」
「信繁殿からは、島津、南部が怪しい動きをしている聞いています」
「島津は、琉球の事が後を引いていますか。南部は、津軽の件ですか」
「琉球の事だけではなく、三弟歳久殿、四弟家久殿の件もあり、豊臣にはいい感情はない気がします」
「歳久さんは、父上と戦うのに反対していて、それを義久さんも含め、開戦派に押し切られ戦うことになったと聞いています。その後、一揆の責任を取って自害したと聞いています。家久さんも急死ときいていますし、歳久さんや家久さんの死を恨まれるのはどうなんでしょう」
「それはそうなんですが、豊臣が九州に来なければ、九州を統一し、二人も死ななかったと思っているかもしれません。今回動いているのは、義弘殿が動いているようで、義久殿は止めているようです」
「勝手に動いていると」
「そのようですが、表立って動いているわけではなく、朝廷や商人などと書をやり取りし、不満をためている者達の情報を集めているようです」
「煽っていますか」
「いいえ、情報のみの様です」
「そうですか、南部はどうです」
「奥州で改易された大名の家臣たちに声をかけているようです」
「一揆をおこそうとしているのでしょうか」
「可能性はあります。ただ、呼びかけに応じるものはいないようです」
「何故です」
「外に活路を見出すものが多く、改易されてその地に残るものが少ないことが幸いしました。津軽為信殿に話をして、注意するように要請しています」
「分かりました。しかし、思った以上に動きがないのが不安ですね」
「大殿が亡くならない限り、大きな動きはないでしょうが、逆に、動かないことで各大名の心情も見えてきそうです」
「なるほど」
「それと、政宗殿から殿下と会談したいとのお話がありました」
「政宗さんからですか」
「はい、外の事をお話ししたいとのことです」
「何が目的でしょう」
「殿下を見定めること、それと、好奇心」
「好奇心ですか」
「以前から、殿下と話がしたいと周囲に話し、願い出ていたそうです」
「……信用できないですね、野心がある人だと思いますし」
「そうなんですが、外に兵を出すという話を聞いて、茲矩殿以外では、一番喜んでいた方が政宗殿らしいので、そのあたり、外の情報などが欲しいのかもしれません」
生まれてくるのが遅かったとか、早ければ天下争奪戦に絡んでいたとか言われる政宗のことを、秀永は考えた。
早く生まれたとして、政宗が生まれた時よりも、因果因習が強い前世代に生まれたとしても、天下を取るなんて無理じゃないかと思っている。隣には上杉謙信、北条氏康、芦名盛氏、佐竹義重など、そうそうたる大名を相手に、政宗一人が気勢を上げたところで、押しとどめられるだろうと。そして、家臣も政宗の考えについていけない者が、更に多くなり、身動きが取れず、押し込められる可能性も否定できない。
政宗は、活躍できる時代に生まれ、そして、天下が取れない宿命だろうと思っている。もし、畿内、その近くに生まれていれば、変わったかもしれないと考えるが、信長のように幸運が積み重ならないと難しいだろうと思う。
「分かりました。会いましょう。どう転ぶか分からない人ですが、その人となりを見てみたいと思います」
「手配しておきます」
「どうだ」
「確かに、体調は良くないでしょうが、重篤ではないようです」
「なかなかしぶといな」
「……」
「家臣どもにせっつかれて、天下を取るというのもしゃくだが、目障りなものを排除したら天下が見える。今までの苦難を払しょくするにはそれしかないだろうが、まだ、かかりそうだな」
そう言いながら、家康は親指の爪を噛んだ。
「そういえば、細川の小僧が、動き回っているようだが、周囲も気にせず愚かなのか」
「さて、忠興殿にしてみれば、今の豊臣の中枢は下賤の集まり、そして、殿もそれに含まれているようで、気にするほどの価値もないのでしょう」
「言いよるわ」
苦笑を浮かべながら、爪を噛むのをやめた。
「万千代にしきりに接触しているようだが」
「はい、頻りに豊臣をあざけり、貶め、直政殿の自尊心をくすぐろうとしているようです。うまく行かないので、帰り道で直政殿の事を悪しきざまに言いながら歩いております」
「家柄だけを誇りにしているものも哀れだな。それさえなければひとかどの武将であるのに、愚かなことだ」
「管領細川家に連なる家柄ではありますが、本家ではありません」
「そうだ。父藤孝ほど評価しているわけではないが、それが己の評価と合わず、腹立たしいのだろう。それを腹に納め、時期を待てないのが、武将としての限界だな。侍大将になれても、大名たちを束ねる力量はない」
「しかし、このまま、直政殿との関係を放置していると、直政殿が暴発するおそれがあります。あの方もなかなか、心が歪んでおりますので」
「そうだな、万千代も、それを心に納めれれば、大きくなれるのだがな」
「最悪、切り捨てることを考えねばなりません。殿が言っても、さて、暴走した時止まるかどうか」
「……難しいやもしれん。秀忠を支えてほしいのだが、犠牲にして、徳川の為になってもらうことも考えるしかないか」
「はい。後、南部や島津の者が、接触をはかっております」
「南部は津軽、島津は伊集院や死んだ弟たちのことか。どうだ」
「こちらの腹を探っているだけのようです」
「使えそうか」
「南部は使いつぶせるかもしれませんが、島津は難しいかと」
「ふむ、義久と義弘か。分断するか」
「分断したところで、当主は義久殿は押さえているようです」
「ならば、義弘か」
「はい、ただ、何かをするわけではなく、動きがあれば同調できるように準備をしているだけのようです」
「準備だけでも、三成あたりが知れば騒ぎそうだが……」
「まだ、機は熟してはおりません。今は、各大名の家中で引き込めるものを調べる時期かと」
「ならば、吉川はどうなっている」
「広家殿とは繋ぎは出来ております。上杉、前田、佐竹にも繋ぎを取れるものを探しております」
「引き続き頼むぞ」
「はい」
「くそっ」
忠興は、うまく行かない状況に腹を立てていた。
襲撃させようとしたもの達とも手切れになり、手下のめどが立たなくなった。
家臣たちに命じようとしても、藤孝と繋がっている可能性もあり、命ずることが出来なかった。
河原者の顔役に話をつけたが、何故か、秀吉のことになると全員が断りを入れて来た。
金を積み上げても諾と言わない状況に腹を立てて、刀を抜こうとすると、周囲の河原者が集まってきて、忠興を囲み威圧してきた。
その為、何もできなかったことにはらわたが煮えくり返っていた。
「誰かいないか、禿げ鼠と、そのどぶ鼠を始末する手練れが」
そう言いながら、木刀を木に打ち付けていた。




