第六十五話 変化
正月を迎え、諸大名が新年のあいさつの為に、大坂に集まった。
上座には秀永が座り、諸大名が居並び、一斉に頭を下げた。
「皆の者ご苦労」
「「はっ」」
例年であれば、秀吉が挨拶を受けていたのだが、今年は出席していなかった。
諸大名は疑問に感じてはいたが、口には出さなかった。
隠居も明言されていないし、秀永が豊臣家の当主を譲られたという話もない。
噂で漏れ聞いた秀長の死によって、気落ちし寝たきりになったという話も広まっていた。
秀長の死後、表舞台にあまり出てこなくなった事も、噂の信憑性を高めていた。
「大殿も皆の忠誠を喜んでいる。今は、叔父秀長の菩提を弔う為に、心を静めて籠られているが、天下の仕置きは私が請け負うことになっている。もし、不満があるのであれば、訴えるように。訴えを精査する。ただ、理不尽なものであれば、取り上げることはないと心得てもらいたい」
秀永の言葉により、諸大名にざわめきが広がった。
その言葉が真実なのか、それとも、押し込めたのか、判断が出来なかった。
「お静かに」
三成の言葉に、ざわめきが止まった。
「殿下のお言葉は、我々も同席し聞いております。次代を担う為に、後見をし、殿下の成長を見守るとのことです。その場には、近衛関白様も同席しておりました。殿下のお言葉は、大殿の言葉でもあります」
諸大名は神妙な面持ちで聞いてた。
しかし、一部の者たちは不敵な表情を一瞬だけ浮かべた。
本当に一瞬だけであり、周囲は気が付いていなかったが、秀永や三成はしっかりと見ていた。
「大殿、無事終わりました」
「そうか」
三成の報告に、秀吉は軽く頷いた。
「お加減はどうですか」
「問題はない、まあ、まだ体は怠いが頭は動いてもいる、心配するな。それにしてもこの布団というものはよい。良すぎておきたくない」
そう言いながら笑った。
秀永によって、綿花の生産が行われ、綿を使った布団を秀吉や朝廷への納品した。
その快適さに、公家衆や諸大名も興味を惹かれ問い合わせが多くなった。それを売るのではなく、贈答品や下賜していた。
もらった方は非常に喜んでいた。
「反応はどうだ」
「大殿のお言葉を伝えたところ、数名、冷笑を浮かべたものが居ました」
「そうか、家康か」
「はい」
「ふむ、後は伊達の小僧、細川の馬鹿者、南部、大友あたりか、後は、心の中でほくそ笑んでいるかもしれんな」
「その通りかと。家康殿は、流石にあからさまではなく、無表情ではありましたが、そのことに違和感しかありませんでした」
「まあ、そうだろう。狸っぷりは、どうが入っているからな。やつの苦労は並大抵のものではないからな。感情を読ませないように、笑顔になるか、無表情になるか、分かりずらい」
「ええ、違和感があったので、殿下に確認してみたのですが」
「なんと言っていた」
「ご自身が若輩なので、小ばかにしているんでしょうと。また、纏めることが出来ず、豊臣家の支配が揺れると思っているのではとのことです」
「豊臣には歴代の譜代は居ない。政務の運営も安定した組織がまだ確立していない。足利や信長様のやり方を取りこんでいるが、まだまだ、作り始めた組織だ。わしに何があれば、揺らぐ可能性は高いと思われるのは仕方ないか。ただ、秀永の異才にはまだ誰も気が付いておらんし、隠していたからな」
「はい」
「市松や虎之助と、お主の関係も良くもなければ悪くもない。付け入る隙は非常に小さい。まして、秀永がいれば、反目することもあるまい。わしの後を襲うのは、家康か又左ぐらいだろう。毛利であっても隆景もいなくなれば、若輩の広家では纏まるまい、まして、天下を放棄した家だ。伊達の小僧では、田舎者過ぎて、諸大名も従うまい。上杉は直江は居るが、天下を治める器ではない。島津も日本の端過ぎる。そういえば、又左も体を崩していたな。そうなると家康だが、外への協力が消極的過ぎて、諸大名から白い目で見られているな。わしの目があるから交流もできず、孤立気味か」
「はい」
「ただ、島津にしても、兄弟を殺され、琉球の利益を取られた。伊達の小僧もそうだ、わしを恨んだ居るものも多い。どう転ぶかはわからんが、外に人を出している限り、反抗できんだろうが。家康は、出し惜しみをしておるな」
「はい、現地の秀康様は当初は勝手に動いておりましたが、地元の反抗や補給など苦労したせいか、周囲と強調しているようです。ただ、そこに付けられた井伊が勝手なことをしていると苦情が数多く入り、家康殿に伝えています」
「あやつか、有能だろうが、心底が歪んでいる。ひとかどの者は、歪みが強制されるか、その歪みを飲み込んで成長する。家康が良い見本なのだが、まだ若いな」
「家康殿は、国に戻すと言っていました」
「ふむ、それはそれで早計だとは思うが、他の大名に恨みを買いたくはないか。先々、その恨みが効いてくるからな」
諸大名の苦情が三成に多数入り、正信を通じ家康は改善を要請されていた。
申し訳なさそうな表情をしていたが、心の中では面倒なことだと思っていた。天下どりを考えた時、なるべく敵を作らず、多数をもって豊臣を潰すことを考えていた。単独では勝てないのは分かっており、他の大名を利用することを考えていたが、直政の行動はそれを潰していた。
性格の矯正と、器を成長させる為に外に出したことが裏目に出たと家康は正信の言葉にため息をついていた。
「佐吉よ」
「はい」
「わしも歳だ、もう、昔のように動けまい」
「大殿」
泣きそうな表情で三成は答えた。
「市松たちにも伝えたが、藤一郎を支えてくれ、まだ、死ぬ気はないが、今のわしでは力不足だ」
「……」
「戦乱を生き抜いた者達が鬼籍に入れば、安心できるんだがな」
「……はい」
「寺社の力は落ちた。比叡山、本願寺、五山、銭を支配していた者たちは没落した。しかし、油断はできないぞ。やつらは人の弱みに付け込み、支配する。藤一郎の言うように、生きる希望が無くなれば、また、力をつけてくるだろう。気を付けよ」
「正家殿と共に、対策を立てます」
「うむ。公家衆も気を付けよ、やつらはこの国に住まう物の怪よ。力を与えるな、権力がなければ、恐ろしくはない」
「玄以殿、藤孝殿に協力してもらいます」
「そうだ、己出来ぬことは他者を協力させ、利用せよ」
「はい」
「夢でな、小竹にもまだこちらに来るなと言われたわ」
「……はい」
「直政殿」
「忠隣殿か」
「殿から書状が来ていると思うが」
「召還のことか」
「そうだ」
「……」
家康からの書状を読んでから直政は不機嫌になった。反抗する地元の者たちは、秀康によって交渉をして、決裂してから鎮圧に行っていた。
秀康も元は、反抗的なものは有無も言わさず鎮圧していたが、そうなると、支配する地域に人は居なくなり、治めることが出来ない状況が続き、単純な鎮圧は無駄であることに気が付いた。
日本から人を移住させるにも船が必要であり、徳川の持つ水軍では耐えれるものではなく、豊臣にしか耐えれる船がなかった。
その船も数に限りあり、希望が十全には通らない。まして、移住に関して、家康は非協力であり、老人や子供など即戦力にならない者達を送ってくることが多く、秀康は頭を抱えていた。
その秀康とは違い、直政は鎮圧と根切を繰り返していた。秀康の制止も、徳川家のものではないとして、無視し続けた。
その事により、徳川軍は指示系統が統一されず、一致した行動がとれなかった。
直政はそれ以外にも、他の大名とも領地の争いを起こしており、秀康は苦慮していた。
秀康は直政の行動を見て、後始末をしたことにより、己の行動を反省し、大将として成長することになった。家康の非協力的な行動は、不信感を秀康に植え付けるだけだった。
「秀康様に話をしに行く、案内してほしい」
表情を歪めながら頷き、秀康の元に歩き始めた。
その姿を見て、忠隣ば肩をすくめて後に続いた。忠隣からは見えなかったが、直政は鬼気迫る表情になっていた。己を否定されたと、償還の書状を読んで怒りを覚えていた。
忠興は屋敷に帰り、部屋に入ると高笑いをし始めた。
やっと邪魔な秀吉が衰え、表舞台から消え去るのももう少しだと考えていた。
「あとは、秀永をどう始末するか、消えれば、我が子が天下人よ」
忠興は都合のより未来を想像してほくそ笑む。
己の子が天下人になれば、その親として天下を差配できると妄想した。
実の親であることを伝えれば、認められると、淀も口添えすると考えた。ただ、淀が既に、忠興を切り捨てていると夢にも思ってはいなかった。
「ちっ、淀も何も伝えてこない。やはり女子は仕えぬな。だが、私が天下を差配すれば、何もかも問題は解決する」
不気味な様子の忠興に屋敷の者は、部屋を避け、近づかなかった。
そのような状態であるから、誰が忍び込んでもばれることはなかった。
忙しく、修正が出来ておりません。
余裕が出来れば行います、申し訳ありません。




