第六十四話 家康
「弥八郎、大殿は体調がすぐれないと聞いているが、本当か」
「寝込むほどではないようですが、政務を行わない日があるようです」
「支柱が折れたことが原因か」
「かもしれません、秀長様は豊臣家にとって無二の存在であり、支えでありましたら。裏切らない背中を預けられる分身を失った大殿は、心を失ったかもしれません」
「そういう意味では、秀永様の存在は邪魔だな。心の支えになっている。居なければ、まだ幼少の子のみ、焦って心の負担が増えたものを」
「一か月ほど、関白の位を返上するとは誰も思いますまい。このまま長きに渡り関白の位を占有するものと誰もが思ったはずです。近衛様も含め、公家や陛下との関係も悪くはないようです。公家の中には、豊臣が近衛様と密約があり、関白を譲り受けるという噂があったようです」
「あの者たちは、己たち以外は下賤と蔑み、地位を脅かすものと忌避する。そのくせ、上位の立場であると勘違いし、金を無心する。貢物を治めれば、金銭での官位のやりとりをしたと蔑む。あきれた者たちだが、それ言え使いどころがあるのが悩みだな」
「金銭や物であの方々は動きますが、介入を嫌われます。しかし、大義や名目があれば喜んで受け入れる方々。気難しいですが使い勝手は良いです」
正信は苦笑をする。
「天下を取れば、あやつらを締め付けれるのだがな。大殿は出自が出自だけに、利用せざるおえまい」
家康はそう言い、秀吉を蔑んだ。その姿は公家衆と変わることないのだが、本人は気が付いていないようだった。
家康の徳川になる前の松平家は、出自が明確でなく、時々に応じて姓を使っていた。松平家の始祖も明確ではなく、松平家の名が知れ渡るのは、祖父清康からである。それ以前から三河の地に根を張っていたのは事実であり高祖父長親など名は知られているが、それから二代前の信光以前の系図は不明確であった。
鎌倉以後から続いている武家は違うが、戦乱の時代では明確なものが無くても、系図を捏造し都合に合わせて姓をうたう者は後を絶たなかった。
歴史が古くなればなるほど、枝葉も多く、どこの誰が、どこまでが氏支族なのかもわからない場合もあり、嘘が真になっていても、誰も気が付かないこともあった。
ただ、秀吉のように直ぐに遡れる系譜の場合、表立って批判されることはないが、陰では蔑まれていた。
藤原氏が独占する朝廷や、藤原氏以外の氏でも家職があり、新しい氏が入ることを極端に排除する閉鎖的な組織になっていた。
その為、血筋も系譜も家格も劣る秀吉の関白叙任は、公家社会にとって衝撃的であり、秩序を破壊する行為であった。。
猶子として秀吉を受け入れ、関白叙任に動いた近衛前久は批判され、罵倒もされた。しかし、各地の放浪し、戦場にも同行した稀有な公家である腹の座った前久には痛くもかゆくもなかった。
戦乱の現実をみて、朝廷にとって何が利益になるか、考え続ける前久の説得に公家衆も天皇も受け入れるしかなかった。
譜代も地盤のない秀吉は、朝廷を頼るしかなく、朝廷も強い庇護者を必要としていた。強い庇護者が必要な朝廷にとって、通常の武家よりも扱いやすい秀吉は使いやすいとの思いもあった。
「大殿が倒れるような事があれば、幼少の太閤殿下では天下も揺らぐ、朝廷も豊臣の扱いを変えるかもしれん。付け入れると思うか」
「……石田様、加藤様達が以前のように反目しておれば、煽って分断できたやもしれません。溝が深まるような出来事があればよいのですが、今はまだ難しいかと」
「銭勘定にたけるものと、戦働きが主体のものでは、必ず不和が起きる。お主と、平八郎たちとのようにな」
正信は何も言わず苦笑で返事を家康に返した。
「まあ、様子見しかないが。そういえば、秀康や直政から連絡はあるか」
「井伊殿からは順調に進んでいると書状は来ておりました」
「そうか、しかし、三成殿からは苦情を言われたぞ。独断専行が強く、周囲の大名と諍いになっていると。高山国では現地の者を慰撫しながら、南蛮を排除する方針が示されているが、直政は勝手に現地の者を支配下に置き、徳川の領土としているようだ。豊臣の調査も、他の大名からの救援もはねのけているようだ。よくやってはいるのだが、大殿がその勝手をいつまで許すかわからん。下手をすれば、こちらを処分する口実になりかねん」
「確かに、領地替えとして、日本の領地を取り上げ高山国に移封と言い出しかねません。秀康様からの書状では、直政殿の行動が身勝手すぎて困っているが、何とか調整していると書いてありました。秀康様がおられなければ、もっと事が大きくなっていたかもしれません」
「厄介払いで秀康を大将にしたのが良かったか。直政はもう少し周囲を見る目を養わなけば。戦働きも土地を治める力もあるが、まだまだ未熟だ。わしの亡き後、徳川の柱石になってもらいたいのだが」
「人は育つには刻が掛かります。まして、周りに助ける者もなく、家臣もごくわずかな幼少を過ごされた直政殿は、人の手を借りることや人を使うことに慣れておりますまい」
「一皮むけてくれれば良いがな」
「支配した領地は、詮議の後分配されるはず。今の直政殿の行為は、危険ではあります。殿から書状を出してもらえませんか」
「致し方ないな」
家康は大きない溜息を吐いた。
「岩覚さんは、何時還俗されるのですか」
「秀長様の喪が明けてからになるかと」
「そうですか」
「関白を返されて本当に良かったのですか」
「はい、前にも言いましたが、関白であったことだけで十分です」
「しかし、まだ、幼少の殿下であれば、関白という名は必要かと思いますが」
「力なき名分に実行力はありません。古来より、力を持ったものが正道です。力のないものがいくら叫んだところで、何も変わりません。力が衰え、けり落されれば、官職は直ぐに取り上げられるのが現実です。まずは、豊臣単独で力を持つ必要があります。商売、貿易、兵など足りない部分が多いです」
「力を得るまでの権威付けをとも思いますが」
「持ちすぎれは、公家衆も敵に回るでしょう。公家衆とは付かず離れずで良いかと。余剰の兵力を外に出し、各大名も外に活路を見出しています。大陸の北方では、土地はえれましたが、作物などの定着はまだです。南方も手を緩めることは出来ません。東方もまだ、送り出した人たちが帰ってきていません」
「余剰兵力や大名が外への貿易や侵攻に目を向けているので、国内は安定しています。一人を除いては」
「家康さんですね」
「はい」
家康は、秀康を大将に、直政を副将として、己に従っていないものを付け送り出したが、出した人数は他の大名と比べて少ない。
「三成さんは、もっと人数を出させなければ、力が残り危険だと父上に訴えたけど、家康さんに何も言わなかったようですね」
「協力している状況で、家康殿に増員の命令を出し負担を増やすことは、協力しても負担を更に求められると思われれば、他の大名も動揺する恐れがあります。三成殿の考えは分かっても、大殿は言うことは出来ないでしょう」
「致し方ないですね」
「はい、目付として北条家の方々が何名か外で調査していますが、豊臣家の者たちを大名は警戒している者が多いようです」
「支配した土地を取り上げられるかもしれないと思っているからですかね」
「はい、取り決めでは、切り取り次第ではなく。功績に応じて配分しなおすとのことでしたが、無視を決め込む算段かもしれません」「追認になる土地もあるでしょうが、豊臣の代官が派遣されるのは認めさせなければなりません」
「そうですね、勝手に動かれると大変ですから」
「はい」
支配地が離れれば離れるほど、統制が利かなくなる。
豊臣政権としては、諸大名を統制することが出来ず、諸大名は遠隔地の土地を統制することが出来ない可能性がある。
まだ、そのことを認識している者たちは少ないが、秀永は懸念を岩覚や秀吉に話していた。
足利幕府の事を思い返せば、勢力を増した諸大名の統制の困難さは想像でき、秀吉は理解した。
手として考えられるのは、教育による教化しかないと秀永は説明したが、効力について、秀吉は首を傾げた。
その際の例として、一向宗による統制を出した。秀吉は嫌な顔をしたが、その意図を理解し納得した。
だが、豊臣家やその係累以外の大名や家臣にも波及させる必要があり、困難が予想できた。
手始めに、諸大名やその重臣の子弟を大坂に集め、作った学校に通わせることにした。
京でも良かったが、京であれば公家衆と交流を増やし、よからぬことを考える者も出ると考え、大坂に集めることにした。
秀永が作成した資料を基に、教師になる下級貴族や僧侶や神官などが集まり、三成監修の元、教科書を作成し教育を始めていた。途中、地震により中断した時期もあるが、概ね問題なく進められていた。
人質と考えていた諸大名も学校の事を不思議に思っていたが、今は受け入れられてはいる。一部、反発している者もいるが、抵抗することはなかった。
「最近、父上も叔父上がなくなってから、気力が落ちてしまって、少し心配です」
「秀長様の事で、気が落ち込んでいるのでしょう」
「乗り越えるには、今しばしの刻が必要ですが……」
「秀永様が心の支えになっています。大丈夫です」
岩覚は、優しい声で断言してくれた。
利休、秀長の死が、秀吉の歯止めが効かなくなり、秀次の死、豊臣家の崩壊につながったともいわれている。
「私が支えになれれば良いのですが」
「なっております」
「そうですか……」
「今は一つ一つ、問題を片づけていく事です」
「わかりました」




