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浪速の夢遊び  作者: 秋鷽亭


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第六十三話 逝去


空気が重いと秀永は感じた。死期の近いものが居る時の何とも言い難い雰囲気。

悲しむような、眠るような、そんな風を感じながら、岩覚と共に部屋に入った。

お付きの護衛は、部屋の外で待機した。


「叔父上」


秀永の声に、秀長は重たそうに瞼を少し動かした。


「おお、秀永様」

「叔父上、今は身内として来ております、お気遣いは無用です」


その言葉に、口の端を上げ嬉しそうな表情を秀長は浮かべた。

仰向けの状態で、天井を見るようにゆっくりと目を開け、顔を横に向けた。


「やっと、やっと、会えたな、藤一郎」

「はい」

「郡山まで来もらうこともできぬから、歯がゆかったが、立派な姿ではないか。兄とは似ておらぬ」


そう言いながら、笑い声を小さく上げた。

困った表情を浮かべながら秀永は苦笑した。


「私が元気ならば、元服はもう少し先でも良かったのだが、兄上も良い歳だ。死病の私の事を考えれば、早すぎではあるか致し方ない。豊臣家を託す。託すが、すまぬ、お主にはうれしくない重荷かもしれないが」


秀永は顔を左右に振った。


「父上には過分な愛情を頂きました。叔父上には左近を始め、有能なものたちを譲っていただきました。その恩をお返しできうれしいです」

「そうか」

「豊臣家は、安定していない。歴代の家臣が居ない。風見鶏の者も多く、野心を捨てきれないものも多い。まして、我らの血筋から言っても、権威は皆無に等しい。いくら関白なったとて、公家どもも、寺社も陰では笑っておろう。今は良い、兄上が抑えているから、兄上と共に戦った、従ったものが生きている。しかし、亡くなれば、その者たちが動き出す可能性がある」

「……」

「天下を治める気がなければ、公家衆に入って細々と生きても良いかもしれない。しかし、世間は許さないだろう。兄上のように人を生かして使い利を得ようとするものは、武家には無理だろう。将来の禍根を残さないために、豊臣家は滅ぼされるだろう。木下の家の者は生き残るかもしれないが、お主は確実に殺されるだろう。心せよ、油断はするな」

「はい」

「風魔党を使っていると聞いている。伊賀や甲賀は信用するな。はぐれ者であれば銭で使えるかもしれんが、徳川と繋がっていると考えた方が良い。特に伊賀につながる者たちはな。日本の外に目を向けている者が多いが、内しか見ていない者もいる」

「家康殿ですね」


秀長は頷き、一息入れた。


「家康殿は、苦労をしてきた。今川の人質、織田とは同盟だったが、浅井が裏切ったあたりから、信長様の周囲を見る目が変わった。身内には厳しくとも優しいところもあったが、お市様を嫁がせ、身内と信じきった浅井の裏切りよって、人を信じるという事をやめたようにも思える。そのあおりを喰らったのが家康殿だと思う。信長様の重圧に耐え、武田の猛攻をしのぎ切ったその運と粘りは無視できない。今回の外への派兵も秀康殿と家内の騒乱の元になりそうな井伊を使っている。協力をしているように見えて、実際は協力をしないことを考えれば、我らに従わぬと言っているようなもの。家康殿の考えだけではなく、虐げられた三河者の歪みを抑えることはできないかもしれない」

「はい」

「秀次を始め、一門はまだまだ育っていない。佐吉と市松たちを仲裁して、事なきを得ているが隙があるのも事実。兄上を支えた者たちは大半が鬼籍に入った。官兵衛殿が助けてくれると聞いてはいるが……」


そう言いながら、秀長は岩覚に目線を向けた。


「岩覚殿」

「はい」

「宜しくお願い致します」

「非才を尽くします」

「……ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」

「そのようなことはありません。太閤様のお力で、今があります」


秀長は悲しそうな顔をした。


「私としては、子を残してほしいと思っています。一家を立て、秀永を支えていただきたい」

「しかし」

「兄上も同じ思いです。還俗して、子をなしてから出家をし直しても遅くはありますまい。お身体も秀永の養生法で改善しているとも聞いています。私の最後をお聞き届けください。ご無理ばかり言って、申し訳ありませんが」


長い沈黙の後、大きく息を吐いて岩覚は答えた。


「……分かりました」


その言葉に、秀長は肩の荷が下りたように安堵の表情を浮かべ、顔を天井に向けた。


「これで、恩をお返しできる。あの世で良い報告が出来そうです。矛盾をしておりますが、養生しながら長生きをして、豊臣をお願いいたします。お頼みできるのはあなた様だけです」

「……はい」


秀永は首をかしげながら、二人の話を聞いていたが、岩覚がこれからも支えてくれると聞いて安堵した。


「叔父上、相談が一つ」

「何か」

「関白を返上しようと考えているのですが」

「ふむ」

「父上にも話はしています。好きにすればよいと言われておりますが、どう思われますか」

「何故、返上しようと」

「父上が、近衛家と約束もあると聞いているので、返上した方が良いと。あまり、恨まれても意味がないかと。あの人たちは何をしだすか、裏で暗躍しても驚きませんから」

「なるほど、確かに朝廷や公家には武力はないが、権威はある。力で抑えれば、いう事も聞くが暗躍もする。ほどほどに利を与えて、安定させれば問題はないとは思うが、確かに、関白を豊臣の家職として、摂関家から奪うことも考えてはいたが、伝統というのも侮れないからな」

「はい、彼らは家柄で地位や家職が決まっています。そこに、我らが割り込むには、千年の時が必要かもしれません」


岩覚や秀長は苦笑した。


「それに、ここ数年で、私の官位を急激に上げ過ぎています。不満も高まっているとは思いますが、他に頼るところも対抗馬もおらず、やり場のない怒りが溜まっていそうです。権威としたら、関白の位にあったことがあるという事で十分かと。武家の全盛期を誇った平清盛とて、官位を上げ権威を高めても、その一族は歴史から消えました。ならば、こだわる必要もないかと」


秀長は、権威の大切さは理解していたが、それが邪魔になることは理解していた。

寺社の力の強い大和を治めるには、権威をいくら高めても、最終的には武力に勝るものはなかった。郡山の石垣は寺社の石仏などを使い、力を見せつけ服従させた。

だが、権威によって、相手は体面を傷つけず従うことが出来るということもある。


「兄上と違い、まだ若い。関白という権威は、その若さを多少なりとも薄めると思うのだが」

「それはあるとは思ってます」

「近衛の者と話してみてはどうか。急ぐ必要はない」

「しかし、父上が近衛に譲るという約定を既に破っております。それに対する補償はしたようですが、納得はしていないと思いますが」

「ふむ、確かに。ならば譲るのも良いが、将来、一度は豊臣のものが関白に就く約束か、別の令外官を創設するか、必要かもしれない」

「はい、その辺は詰めたいと思います」


頷きながら秀長は納得した。


「あと、二代ぐらい過ぎれば、豊臣の地位も安定するかもしれないが、それまでは、朝廷の権威を利用せねばなるまい」

「はい」

「岩覚殿、後はお願いします」

「分かりました」


秀永と岩覚の言葉を聞いて、満足の表情を秀長は浮かべた。




秀永の元服の後、数日後に、秀長が逝去した。

ここ数年は、寝たきりが多く、表舞台に出てくることはなかったが、秀吉の弟しての存在の重さは、政権の安定に一役かっていた。

難しい事案が出た場合は、秀吉だけではなく、子飼いの三成達も書での意見交換を行っていた。

外様の大名は、お見舞い伺いの派遣も行っていたが、大半の者が寝たきりになっていこう、控えるようになっていた。

とりなしを頼むとしても、容態如何で日数もかかることもあり、それなら子飼いの者たちに執り成しをたむようになっていた。

世間の存在感が無くなっていいても、豊臣家にとっては替える者ののない唯一無二の存在だった。

柱石の死去により、派手好きな秀吉のこと、盛大な葬儀が営まれると世間は考えていた。

しかし、秀長の意向で、豊臣一門と利家、子飼いなど近しい者たちだけの葬儀をひっそりと行われた。


ひっそりとした葬儀に、大半の者たちは、秀吉が秀長を軽んじていた、疎んじていたなど、様々な否定的な噂が飛び交った。

だが家康など、一部の者たちは、その葬儀に込められた秀吉の悲しみと、豊臣家に隙が出来たことを喜んでいた。

秀長に代わる一門衆はおらず、頼るのは子飼いのみ、子飼いとはいえ戦乱の今、忠義を尽くすより家を守るため、平然と主家を裏切るものも多い。天下を狙うものたちは、付け入れると思案していた。




「この度は」

「又左」

「……」

「もう何度も聞いた、もういい、小竹は安らかに眠った。苦しむことなく眠るようにな」


秀吉の言葉に、利家は在りし日の秀長を思い出し、涙を浮かべた。

利家が信長に追放された際には、作った作物を秀吉に差し入れする時に、一緒に作物を持ってきてくれた。

家計が苦しい中、助かったと思い出す。それ以後も、松が寧々に相談した時に、助言したり支援してくれたりと、家族ではなかったが、身近な存在であった。

秀吉が天下に駆け上がり、立場が変わっていったが、秀長は変わりなく付き合いを続けてくれた。

政は冷徹だが、身内には心優しかったその姿と笑顔を思い出して、利家は顔を上げることが出来なかった。

利家の姿を見て、秀吉は深い溜息と悲しみが込みあがって来た。

これからの豊臣家と、秀永の事を考えると新図んではいられなかったが、失ったものの大きさは埋めることはできなかった。

乱世である、身内さえも裏切る時代に、いつも支えてくれた秀長。そんな存在が、秀永にはいない。

秀次も落ち着いてきたが、一歩下がって陰になり、功績を投げ捨てても秀永を助けるとは思えない。


「又左」


秀吉の言葉に、顔を上げる。


「何か」

「小竹のように、藤一郎を支えてくれ」

「はい」

「前田家としてと言いたいが、こんな時代だ、お主の代だけでも良い、頼む」


そう言い、かつての秀吉に戻ったかのように、利家に頭を下げた。

それを見て、利家は戸惑い、驚きながらも昔を思い出していた。秀吉は臆面もなく、場所を選ばず土下座をして、相手を驚かし心の隙を作り出す。大半の者は気分を直したが、秀吉嫌いの勝家や成政は苦々しく見ていたが、頭を下げたものを罵倒することも貶すこともできず、何もできなかった。


「私が目の黒いうちは、前田家が秀永様の守護となります」

「頼む。本当であれば、拾をお主に預けたいところではあるが、家内に不和を持ち込むことになりえる」


次子の拾の傅役をどうするか、悩んでいた。

秀長が健康であれば、預けることも考えた。秀長の事で、秀吉の目が離れたすきに、勝手に淀君が傅役を決めたが、秀吉は即座に破棄させた。

秀吉に断りなく傅役を決めたことに怒り、拾を淀君から離した。そのことに、淀君が激怒し秀吉に抵抗したが、秀吉は無視し引き離した。

淀君の取り乱し方をみて、秀吉は不穏な気配を感じ、三成に監視を厳重にするように命じた。

父が己でないことを理解していたが、秀永にとっては異父弟であり、血の繋がった弟であることに変わりがない。

ある一定以上の身分の武家では、親の元で育てられることは少ない。それを理由に、淀君に控えるように命じた。半狂乱気味の淀君を周囲は抑え込み、大坂城の一室に閉じ込めた。

あまりの状況に、食事は一緒に取ることを秀吉は認めた。それにより淀君の少し落ち着きを戻したが、眼の奥は暗かった。


「拾の傅役は、誰が良いか。秀長が生きていれば……」

「秀次様では無理ですか」

「ん……それでも良いのだが、やつは少々」


秀吉の表情に、利家は苦笑した。


「太閤殿下と同じなので、女子関係が問題になりそうですな」

「お主は」


秀吉の言葉に、あきれた表情をした。


「女子の事より、傅役として二心なきものを育てれるかが重要だ」

「……女子の取り合いで、問題が起きるかもしれませんな。身に覚えありませんか」


秀吉は顔をそむけた。

過去の女性関係は、身近にいた利家に大半知られており、言い返すことは出来なかった。


「駒姫様に対して、秀次様がご執心だったという話も聞いたことがあります。確かに、昔の話ですが、それを利用する輩もおります。秀次様がそのことを排除できる心の持ち主か」

「確かにな」

「三成殿たち子飼いも難しいでしょう。岩覚殿のような身軽の方がおられれば良いですが」

「岩覚に任せる手もあるが……還俗させようと思っている」

「真ですか」

「ああ、藤一郎を支えるものが一人でも必要だ。それに、血を残してもらいたい」

「なるほど」


利家は、岩覚の正体を秀吉から聞いていなかったが、誰かが分かっていた。

公表することは難しいのは分かっているが、秀吉の気持ちは理解できた。


「無私の者がいないのも分かっているが、選定が難しいわ」

「確かに」

「ほどほどの野心ならば良いがな。その為には、藤一郎は教育が必要だと言っていた」

「ふむ」

「納得いっていないようだが、あれに言わせると思想教育だそうだ」

「思想とは」

「ざっくり言えば、国内での戦は無意味だと、豊臣家は朝廷を支え、この国を指導する家柄だという考えを覚えこませるということだ」


秀吉の言葉に、利家は嫌な気持ちになった。


「無駄な争いを避け、国力を下げないためには致し方ないと。かつて、朝廷は今のような存在ではなかったが、長い年月を経て、今の地位、形になったと。そして、朝廷を上層を占める藤原氏の地位も確定していった。まあ、そこまでの年数はかけられないが、この国の形はこういうものなのだと、思わせるのが大切なのだと言っておった。平氏や源氏が起こったように、いずれは同じことが繰り返されるだろうが、しばしの平和の世を実現するには必要なことだと言われたわ」

「急激な変化は、周囲の反発を受けます。急がれては」

「だからの教育だと、今は、外に目を向け景気が良いから不満も起きにくいだろうが、それが続くわけではない」

「確かにそうですな」

「今後は、藤一郎の考えを、政に反映させていく。反発もあろうが、又左も手伝ってくれ」

「分かっている」

「まずは、体制を朝廷を参考に組み替えていくようだ」

「それは、利を考えて反発するものが多いのでは」

「だからこそ、今の体制を元に、替えていくという事だ。今しか出来ぬ。わしが生きている間にな」


秀長の死によって、秀吉も己の先を考えるようになった。討ち死や病死ではない死によって、周囲の者も多く逝った。

利家もいつまでもとは思ってはいない。最近身体の調子も悪い。幸い、秀永の養生法により健康的ではあるが、先の事を考えるようになった。


「俺も先がどこまで残っているか、残っているものを藤一郎殿に使おう」

「すまぬ」


かつてのような人を引き付ける笑顔を見せ、秀吉は頭を下げた。


いつも誤字脱字のご指摘ありがとうございます。

私事が忙しい状況ですので、対応ができていなくて申し訳ありません。

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