第六十一話 準備
※二千十九年八月三十一日、誤字、文章修正
「鶴松様の元服ですか」
「ああ、もう数えで八歳を超えた、来年に行っても良かろう」
三成、孝高、岩覚は、秀吉の言葉に首を傾げた。
元服を考えれば、早すぎるが、前例が無いわけではない。
だからと言って、まだ、戦国の生き残りも多い現状で、まだまだ幼い鶴松を元服させるのは、世が騒ぎ出す恐れを考えた。
元服したからと言って、大人になるわけでも、堅強な体になるわけではない。ただ、儀式に過ぎず、急いで行う必要を感じなかった。
秀吉の年齢を考えれば、急ぐ必要はあるとは思えるが、あと数年は待ちたいところだった。
「殿下、お気持ちはわかりますが、鶴松様はまだ幼子。その知恵は我らを超えているとはいえ、お身体はまだまだ未熟。急げば、殿下のお身体に問題があると、また、鶴松様のお命を狙うものも」
「分かっておる。だが、わしもこの先どれだけ生きれるかわからん」
「殿下」
「佐吉よ、お主の不安は分かる。しかしな、後継は示さなければ、豊臣は乱れるぞ。秀次は、小一郎に比べたら頼りはないが、内向きのことであれば、ある程度差配できるようになった。戦と女癖はあきらめた」
秀吉の言葉に皆苦笑した。
秀次は、日本の外へ派兵を始めると、秀吉の名代として、内向きを三成や、清正、正則たち、正家などの奉行衆の手を借りて、仕切っていた。
秀長であれば、安心して任せたが、秀次は頼りないと考えて、秀吉は、輔弼させるために、人の配置を行った。
それによって、輔弼したものたちの仕事量は増えたが、無難に秀次は任せられた仕事をこなしていた。
ただ、仕事が忙しくなり、女子を探しに行けぬとぼやいていた。
「それであれば、一時的に、秀次殿を後見役として、鶴松様を守護してもらえば良いのではないでしょうか」
「岩覚よ、確かにそうだが、さて、地位を得たものが、それを手放すかな」
「秀次様であれば、邪念はないかと」
「佐吉よ、秀次は善良な女好きだ。だがな、人は変わるぞ、わしのようにな」
その一言に、三成は口を閉じた。
秀吉自身が、信長の築いた天下を、継承し、天下を統一したのは確かだが、織田家直系の秀信に権限を委譲しなかった。
馬鹿な信雄に渡すことはあり得ないし、渡したとしてもまた戦乱の世に戻るのは眼に見えていた。
手にした天下を秀信に渡しても、その後、秀吉の扱いがどうなるかもわからない。まして、戦乱の世を知らぬ秀信では、天下の海千山千の大名や京を抑えるのは無理だし、破綻するのは眼に見えている。
何より、天下を奪おうと隠し持った野心を表に出した秀吉が、誰かに天下を渡すわけはなかった。
「それと、秀次の周囲も一度手にしたものを手放さんだろう。そこに、付け入る隙を見つけて、天下を奪いに来る奴らもいるだろう」
「鶴松様は、まだまだ、幼きお身体、ご無理はさせられません」
「元服したからと言って、直ぐに、政務をさせる必要はあるまい。しかしな、わしに何かあり、鶴松が変わったとして、誰が付いてくる。まして、あの才を見せなければ、誰も信用せん」
「しかし」
「お主の心配も分かる、佐吉よ。しかし、鶴松が差配すれば、その差配は疑われるぞ。幼子がそのようなこと、出来るはずないとな。裏にだれか操っている者がいると。疑われる筆頭は、お主だぞ」
「……」
三成は、眉間しわ寄せた。
清正達とは、かつてのようのような関係にはお戻れていないが、和解したことが意味が大きく、意思の疎通は取れているとは思っている。
そのような状況になって初めて、清正たちの考えや、吉継の助言が分かるようになってきた。
あまりにも杓子定規で、情もなく、厳格に物事を処理することが、いかに問題であるか、恨まれるかを。
身内や領民には、慈悲や理解も示すが、同僚とは仕事と割り切っていたこと。清正たちであれば、豊臣家の事を支える仲間だからと甘える気持ちがあったのも事実だった。
世間の目、それを理解するには、清正たいとの和解の意味が大きかった。
「家康ならば、隙を見つければ嬉々として触手を伸ばしてくるぞ。上杉、毛利、長曾我部、島津も油断できん。ああ、伊達の小僧もな。状況によっては、又左もどうなるか」
「まさか、利家殿に限って」
「だから、お主は甘いというのだ、佐吉」
「……」
孝高は、悔しさを滲ませた表情をする三成を見て、ため息をついた。
「三成殿のその考えは、尊いとは思うが、世の中ままならん。だからこそ、私はゼウスに慈悲を願ったのだがな」
「孝高殿」
「殿下、鶴松様を表に出すのは、危険だと思います」
「何故だ、岩覚」
「家康殿が危機感を覚えて、仕掛けを始める恐れがあります」
「あやつも良い歳だからな、若さに危機感を覚えるか」
「はい。それに三河者の暴発の恐れもあります」
「それはそれで、潰せる理由になるが、鶴松に被害が及べば……」
腕を組みつつ秀吉は、顔を歪めた。
鶴松に危険が及ぶのは避けたいと考えた。
「私は、元服をしても良いかと、年齢的には早いですが、大地震の復旧も進んで居るところ。政の刷新とまではいかずとも、先の事への明るい方向を見せるのは悪いことではないと思います」
孝高の言葉に、岩覚は軽く頷いたが、三成はなおも厳しい表情を浮かべていた。
「それとな、佐吉」
「はい」
「小一郎の状態が芳しくない」
秀吉の言葉に三成は沈痛な表情を浮かべた。
大地震の時には、家臣に指示を行い、秀吉とも文でやり取りはしていたが、それとて、側近が代筆してのこと。
もう、一人で起き上がることもできていなかった。
「鶴松の元服をさせれば、小一郎に逢わせたい」
「……」
沈痛な表情で、三成は頷いた。
皆、秀長の事は覚悟していたが、それが現実に近づいてくると、心に重しが押し付けられたように感じた。
「分かりました。まだ、秀長様が意識のあるうちに、元服しましょう」
「すまんな」
顔を左右に振り、三成はいえと言った。
「玄以殿に、朝廷への交渉をしてもらいましょう」
「うむ、元服は京で行い、大坂に寄らずに郡山に向かう」
「……」
元服を京で行うのは、朝廷への示威行動であり、天下に知らしめる意味は分かる。
しかし、本拠地である大坂城に寄らずに、郡山城に向かうのは異例である。しかし、秀長の容態を考えれば致し方ないと三成は納得した。
秀長の状態も公表はしていないが、主要なものたちは知っている為、隠す必要はない。
「紀之助を関東から呼び戻して、源次郎と共に、京での差配を玄以と行うように。正家と氏政には、大坂での準備を行うよう。虎之助には京の兵の差配と、市松には郡山に引き連れる兵の差配を行わせよ」
「はい」
「寧々には、女子たちの差配を任せよう、秀次には名代として、統括させよ。岩覚は鶴松に、官兵衛は秀次を助けてやってくれ」
秀吉の言葉に、三人は頭を下げた。
「前久殿、関白殿の子が元服するとのこと、本当か」
「そのようですな」
「どうなされるつもりで」
「ふむ、様子を見るしかありませんな。主上も関白殿を頼られているので、なかなか」
近衛前久は、扇子で顔を隠しながら目をそらした。
関白の地位は、摂関家の家職として扱われ、代々受け継いできた。
それをどこの馬の骨ともわからぬ、成り上がりものに、位を明け渡し、何の動きもしない前久に周囲は冷ややかな目を向けていた。
だが、秀吉が天下を取ってから、朝廷への支援も厚くなり、安定したことにより、帝は秀吉を頼っていた。
信長や足利家と違い、地盤のない秀吉は、帝の朝廷の庇護を必要としていた。
当初は義昭の養子となり、源氏の氏長者として、幕府を開こうとも考えていたが、素気無く断られた。
その為、前久と交渉し、のちに、前久の子に関白を譲ることを約束し、秀吉を猶子として関白に就けた。
その行為が、前例主義の貴族社会には受け入れがたく、陰では秀吉を侮蔑していた。
所領など、増やしてもらって、経済は安定したが、自尊心は傷つけられたままだった。
「そういえば、そちらに、徳川殿の者たちが出入りしているとか」
「……」
「当然、関白殿も掴んでおられるでしょうな」
前久の流し目に、苦い表情を浮かべる。
「挨拶に来ただけだ。問題あるまい」
京での権力争いは経験しても、大名たちのやり方を経験していない。
前久は謙信や、家康の元に行ったり、京を離れながら、大名たちの争いや行動を見続けて来た。
その厳しさや、汚さも見ている。
朝廷での暗躍とは違うものを見続けて来た。
それ故、周囲にいる者たちの甘さに苦笑を浮かべる。
武家は、敵だと、邪魔だと思えば、簡単に始末をする者たちであることを理解していない。
己たちは問題ないと、命を奪われることはないと、根拠のない思いでいることに心で嘲笑していた。
「目立たぬ動きはせぬことだ。今は良い恩恵を受けているのだから、それを失う必要はない」
「……」
前久の言葉に不満の表情を浮かべるが、今は、日本の外に出ていくものたちが増え、それに伴う貿易も増えた。
その利益の一部が、朝廷にも流れており、かつての生活苦から一息ついたものも多い。
また、経済的に余裕が生まれた武士たちが、和歌などの教えを乞うものも増えた。
下位の者たちにも依頼が来ることにより、全体的に収入が増えて来た。
この状態で、豊臣と対立すれば、下の者からの突き上げがくるかもしれない。
「足利の世が、終わると思っていたか、信長殿が消えると思っていたか」
「……」
「また、何かあるか分からない。待てばよい。それもまた、戦いだ」
前久の言葉に、扇子で隠しながら周囲は重い溜息を吐いた。
豊臣の世は安定していない。家康のような古豪もいる。古強者が一掃されないと、世は定まらない。
天下を取った武家が消えても、我々は残る。どのようにしてでも、帝を守り、生き残ると、前久は心で思っていた。




