第五十八話 石川
※二千十九年五月十九日、誤字、文章修正
京の街は、豊臣が天下を取ってから治安も良くなり、活気が出て来ていた。
景気も良くなっており、住む者は笑顔が多くなっていた。たとえ、腹の中で秀吉を蔑んでいたとしても、豊臣の治世を受け入れていた。
商人は儲けが増えているものが多くなってきていた。ただ、それに伴い、盗賊に眼をつけられ蓄えを奪われるものもいた。
巡回などを増やしてはいても、京全域を監視できるわけがなく、少数の賊による犯行は捕まえる事が難しかった。
秀吉としても、治安が悪化するならば追加で対策を取るが、被害が少なく、死人が出てきていない状況では、他に行うこともあり、問題を先送りにしていた。
内心、商人が力を持ちすぎないよう、また、公家たちが盗賊に恐怖を感じていれば、こちらを頼りにしてくると考えてはいた。
対策も、大きな賊や忍びたちが侵入しにくいように京の周囲を整備もしており、現状、それ以上の対策は不要とも認識していた。
「親分」
「ん、無理だな」
「……」
京の街に来ていたが、京の街で主要な場所の警備体制、防諜が以前に比べ、格段に整備されていると感じていた。
忍びの数は少ないが、要所要所に配置され、兵の巡回も多くなった。主要な場所以外なら問題なく、忍び込む事も可能だが、それとて、手早く済ませないと警備が来てしまう。
大坂は、京以上に厳重で城の周りはおいそれとは近づけない。巡回の回数も人数も違い仕事が難しくなった。
「堺もさほどの稼ぎにはならん、さて、どうするか」
堺の街は、かつての面影はなく、商いは行われていたが勢いを落としていた。大坂の整備に伴い、商いの中心が移ってしまった。
京や大坂に比べれば、手薄ではあったが、うま味も少なくなった。
荷運びや、山での狩猟の方が儲けが多い。人が集まり、活気が出てくれば、人夫は引き手が多かった。手間賃も上がっており、盗人稼業を営む必要もなかった。
だが、それでは、身についてた技が廃れてしまう。
「まあ、もう少し、周囲を探っておくか」
「わかりやした」
そう言って、手下が離れていった。後姿を見ながら、どうしたものかと悩んでいたら、手下の肩越しから見知った顔がこちらに歩いてくるのが見えた。
まずいと思いその場から移動しようとすると、いつの間にか後ろに人が経っており、一瞬、硬直したが表に出さず何食わぬ顔で歩き出した。
「しばし、お待ち頂けませんか」
すれ違いざまに、そう声をかけられた。油断せずにはいたが、やり合えば無傷ではすまないと、心で感じて答えた。
「急いでいるので、悪いが無理だ」
そう言いながら、過ぎ去ろうとした。
「まあ、待て、久しぶりにあったのだから、少し話をしようではないか」
内心舌打ちをしながら後ろから声をかけて来た者に顔を向ける。
「誤魔化そうとしても無駄だぞ」
そう言いながら人懐っこい笑顔で再び声をかけて来た。
顔を左右に振りながらあきらめ気味に返答をした。
「将右衛門殿か久しぶりだな」
「お主こそ、今までよく生き残れたものだ」
「ふん、わしを誰だと思っているんだ」
「小汚い小僧だろ」
その言葉に顔を歪めた。
「いつの間にかこそ泥になって、声をかけてくれれば、登用したものを」
「首に縄を繋がれるなんぞ、まっぴらだ」
「それで、指名手配されるなんて、愚かだと思わんか」
「そうか、仕えた主人の気分次第で腹を切らされ、首を跳ねられる。そんな因果な話もないと思うがな。お主の立場も怪しいものだ。権力を持てば性格は変わる。昔のような付き合いはあの人とは無理だろ。まして、後見の坊主を見れば、跡目争いで追いつめられる可能性もあるんじゃないか」
痛いところを突かれて、長康は苦笑の表情を浮かべた。
「そんな話は此処では無理だ、少し付き合え」
「嫌だと言ったら」
長康は肩を竦め、視線を横に向けた。
「ちっ、将右衛門殿ならば、撒くことは出来るだろうが……、仕方ない付き合おう」
「素直ではないな」
憮然とした表情で、長康を見返した。
長康と一緒に、妓楼に移動した。
人払いされており、酒とつまみだけが置かれていた。
酒を注いで、二人は一気に飲み、空になった盃に再び酒を注いだ。
「将右衛門殿、あれはなんだ」
「さて、わしも殿下に言われて来ただけだからな」
「で、隣の部屋の御仁はいつ入ってくるんだ」
「だ、そうですよ、殿下」
やっぱりかと思い、肩を落として入ってくるのを待った。
襖を力いっぱい開き、大きな足跡をしながら部屋に入って来た。
「久しぶりだな、五右衛門」
昔から変わらんと思いつつも、権力を持った者の傲慢さを五右衛門は秀吉から感じていた。
「今更、何の用だ」
「まあ、そうつんけんするな」
そう言いながら、秀吉は長康が置いた座布団の上に座り、置いていた盃を手に取って、自ら酒を注いで一気にあおった。
「不用心ではないか」
「なんだ、お主はわしを害する気か」
「……」
長康は、やれやれと思いながらため息をついた。
「お主がある者と接触したと聞いてな。殿下も昔馴染みだし、話でもして聞いてみるかと、無茶を言い出して、三成殿が激怒するわ、周りがあきれるやらで……」
疲れた表情の長康を見ながらご愁傷さまと、心で手を五右衛門は合わせた。
「ある者ってのは、細川の気狂いか」
「おや、あっさりと言うのぉ、もう少し、誤魔化すかと思ったが」
「はん、馬鹿馬鹿しい、誤魔化したところで既に分かっているなら無駄だろ」
「ふふふ」
秀吉は人の悪い顔をしながら、五右衛門を見た。嫌そうな表情を浮かべながら酒を五右衛門は飲んだ。
「それなら、どんな話をしたんだ」
「さすがにそれは言えんな」
「ほお」
そう言いながら笑顔で、秀吉は威圧をかけて来たが、五右衛門はそれを流した。
長康はそれを見ながらつまみと酒を楽しんでいた。話しかけるだけ無駄だとの思い放置した。
しばし、部屋が緊張した空気になったが、秀吉は威圧を止めた。
「雇い主への義理か」
「いや、依頼は受けてない」
「なんと」
「依頼内容も言わないのに、受けろと言われて受けるか。そんな馬鹿なことするわけあるまい」
五右衛門の言葉に、秀吉は頷きつつ、では何故、話したことは言えないのか疑問に思った。
「依頼を受けていないなら、話したことを言っても良かろう」
「さすがにそれは、義理を欠くんじゃないか。お主も、依頼以外で話した内容を他人に話しても良いのか」
「ふむ」
「どこぞに良い女子が居るが、いけるかとか、異人の女子はどうだとか、寧々殿に言っても良いか」
「いや、まあ、それはのぉ、若気の至りだ」
「何が若気だよ。ほんの数年前の話で、若気じゃないだろう」
長康が大きなため息をつき、それを横目に見ながら秀吉は天を仰いだ。
「だが、ひとつだけ答えろ」
「なんだ」
「わしと敵対するか、どうかだ」
「忠興がか」
「いや、お前がだ」
真剣な表情で問いかける秀吉に、五右衛門は真正面から目を合わせた。
「依頼があれば、そうなるやもしれん」
その答えに、秀吉は眉を顰めた。
「そうか」
「だが、そうなるとそれなりの大金が必要になる。さて、そこまで出す奴はいるかな」
秀吉は苦笑を浮かべた。
「お主らのような者たちを使い捨てと考える輩は多いだろう。はした金でも話をしようとするものもいるだろうが」
馬鹿にしたように、五右衛門は笑い飛ばした。
「馬鹿いえ、そんなもん引き受けるわけない。こっちを利用するなら、こっちも利用するだけだ。だから依頼を言わない連中から引き受ける気もなければ、殺しも引き受けない」
「殺しはしないとは」
「暗殺なんぞ、面白みもないわ。恨みつらみもあればするが、好きでするものでもない」
「戦場で幾多の命を刈った者とは思えないな」
「ふん、それとこれは別だ。欲しいのは銭で人の命ではないからな」
「そうか」
秀吉と長康は顔を見合わせ笑いあった。
五右衛門はそれが面白くない表情で酒を煽った。
「話は終わりか」
「いや、盗賊に落ちぶれる前に、何故、声をかけなかった。天下を取った後、忽然と消えたのは何故だ」
悲しそうな表情をしながら五右衛門に秀吉は問いかけた。
「天下を取れば、俺たちのような戦働きをする者たちは不要だ。まして、お主に使えるとなると、首だけではなく手足に縄をつけられるよなもので、何時始末されるか分かったものではない」
その答えに不機嫌な表情に秀吉はなった。
「わしがそのような者に見えるのか」
「権力を持てば、銭を持てば人は変わる。そんなやつお主も数多く見ただろう。己だけがそれから逃れられると思うのか」
「……」
「お主は、生粋の武士でもないから俺たちのような者でも大切にしていた。小六殿や将右衛門殿と同類だし、俺たちに近いから信用もする。だか、だからこそ、その地位にいたから過去を否定する恐れも考えたんだよ。情が深いものほど、残酷になれるからな」
五右衛門の話を、長康は心の中で頷いていた。
権力を持った秀吉は、我慢しなくなり、癇癪を起しやすくなっていた。昔であれば笑って許した失敗も、許さず罰することも多くなった。鶴松が誕生してから、その傾向は抑えられていたが、あのままだと、五右衛門の予想は外れなかっただろうと感じていた。
伊賀の忍びという触れ込みで、河原者や流浪していたものを糾合し、戦場ではかく乱や後方を襲撃するなど、足軽衆として手伝いをしていた。
一度契約し、約束した銭を渡せば、仕事をきっちりとこなし、信頼できる者だった。
再三の秀吉の召し抱えを断り、忽然と行方をくらませた。数多く居た手下も河原者に戻ったり、山に入ったりして消えていった。
昔は五右衛門の考えが理解しにくかったが、今なら理解できた。長康の立場が危ういことも理解している。秀吉が秀次をどのように扱うかによって、己の立場も変わることを実感していた。
「そうか、わしには仕えられぬと」
「そうだ」
「ならば、鶴松に仕えないか」
「はぁ」
秀吉の言葉に五右衛門は呆れた表情を浮かべた。
まだまだ幼く、どうなるか分からない幼子に使えろとは、とうとう頭が狂いだしたかと呆れた。
「幼子だったな確か」
「そうだ」
「命を落とさず、元服できるかもまだわからんだろう。そんな状況で仕えるなど、血迷っているとしか思えないが」
そう言いながら長康を見た。
答えるように顔を左右に振った。
「分からん。まだお会いしたことはない。だから、何も言えん」
「話も巷に聞こえてこない、そんな者に仕えれると思っているのか」
「鶴松ならば大丈夫だ」
親馬鹿だな、話をするだけ無駄かと五右衛門は、無視しようと考えた。
「何度も言っているが、首に縄を括り付ける気はない」
「ふふふ」
「何がおかしい」
秀吉の笑い声に、五右衛門は眉を顰め不機嫌になった。
「いや、お主の思っている仕えると、鶴松が言った仕えるは少し違う」
「どういうことだ」
長康も五右衛門も首を傾げた。
「此処はどこだ」
「妓楼だな」
「そうだ、この苦界でもある妓楼は数か所ある」
「そうだな、だがそれがなんだ」
「それを取りまとめ、管理し、運営する者が欲しいと鶴松が言っておってな」
「ああん」
幼子が考える事ではなく、秀吉が考えたのではないかと五右衛門は考えた。何故、わざわざ鶴松の名前を出すのか、仕えさせるための方便かと思えた。
「そんなもん、町人から探せば良いだろう。俺みたいなものがするべきものか」
「そうだ、わしもそう思ったんだが……なあ、五右衛門、此処に何がある」
「酒と女だな」
「そうだ、此処に来る連中の目当てでもある」
「何を分かり切ったことを、馬鹿にしているのか」
「そんな顔をするな、酒と女があれば、男はどうなる」
「楽しむだけだろうが」
「そして、口が軽くなる」
「……」
秀吉の言葉に、意図することを五右衛門と長康は悟った。
酒に酔って口が軽くなる、女に溺れて口が軽くなる、連れ立ってくれば繋がりが分かる。様々な情報が入ってくる可能性がある。人の動き、物の動き、場合によっては、妓楼で日本の動きを読み取れる可能性もある。
その考えに戦慄を覚えつつ、尚更、幼子が考える事かと、疑問は深まった。
「どうだ、面白そうだろう」
「……」
「裏切らなければ自由にしても良いし、儲けはすべてお前のものだ。ただし、知ったことはすべて知らせてもらう。それだけだ」
「……やはり、信じられん。幼子の考えとは思えぬ」
「くくく、そうだろうな。まあ、普通はそう思うわ。だが、事実だ」
「……此処で話した話を、他に漏らすとは考えないのか」
「お前は義理堅い、言うまい。言ったところで、誰も信じぬだろうし、声を上げる者があれば、潰すだけだ」
長康は、秀吉の言葉に驚き、鶴松の正体を掴みかねた。秀次の後見人であり、将来対立する可能性もある。
有能な主人はうれしいが、有能さ故、地位を脅かす秀次の存在を危険視するかもしれない。
その心配した心を感じたのか、秀吉は声をかけた。
「将右衛門、心配するな。悪いようにはせん」
そう言われて頷いたが、将来の事は誰も分からないと心の中でため息を吐いた。
「五右衛門、答えは直ぐには出んかもしれんが、仕え忠誠を誓うならば、鶴松に合わそう。忠誠と言っても、命を預けろとはいわん。秘密を守れという事だ」
「……考えさせてもらう」
五右衛門としても、何時までも盗賊を続けられるとは思っていなかった。天下が治まれば、兵が向けられるのは盗賊だろう。そうなる前に、銭をためて、山に籠ろうと考えてはいたが、秀吉の話は悪くないと思えた。
銭は入るし、情報も入る。その情報を元に商売もできるだろう。かつての仲間や配下も追われることもなく仕事ができる。
だが、勝手に決める事は出来ない、皆と話し合う必要があると考えた。
「これで話は終わりだ、酒を飲もう」
そう言い、秀吉は酒を注ぎ煽って、つまみを食べだした。
それを見つつ、長康も五右衛門も酒を煽った。




