第五十五話 報告
※二千十九年二月二日、誤字、文章修正
「長きにわたる調査、ご苦労である」
「はっ、ありがたき幸せ」
大陸への調査を終えた藤孝の帰還の報告を、秀吉は受けていた。
秀吉が三成と一緒に報告を聞いていた。鶴松も同席させようと秀吉は考えていたが、三成と岩覚がまだ早いと反対があり、取りやめとなった。
ただ、人を介して聞くよりは直接聞いた方が良いと考え、隣の部屋で待機させて聞かせることにした。
藤孝と共に報告に上がったのは、嘉隆と政実の二人だった。
他の面々は、別に三成が報告を上げる事になっているが、藤孝からの報告は秀吉が直接聞くことにした。
長い期間の調査への労いと、藤孝に質疑も併せて行う意味もあった。
「話を聞こう。朝鮮はどうだ」
「朝鮮は、長き李氏の支配により、経済の停滞と腐敗により、民は困窮しているところも多いようです」
「ふむ、太平の世が続けば、政は弛緩し、民の生活が苦しくなるのはどこも同じか」
秀吉の言葉に、藤孝は頷いた。
「明も同じような状況で、賄賂の横行も酷いようで、民の怨嗟の声は明の皇帝は聞こえないようです」
藤孝の言葉を聞きながら扇を膝に、とんとんと、叩きながら思案に秀吉は耽った。朝鮮も明も支配できるのではないかと。
「朝鮮は脅せば、明への先陣を受けるのではない」
顔を左右に振り、藤孝は答えた。
「明と朝鮮の結びつきは強く、引き離すことは出来ません」
「ふむ」
「朝鮮は、前王朝の高麗の一族を殺害し、明に従うことにより王朝として認められました」
「その恩が今でもあると」
「それ以外にも、儒教に基づく思想、文化など、明の影響が強く、我々を下に見ている者たちが、従うとは思えません」
「ふん」
藤孝の言葉に、秀吉は不愉快な表情を浮かべた。儒教は支配層にとっては、政治の道具としては使いやすい部分も多いが、それによって、見下されるのは不愉快でしかない。
「民は苦しんでいるのだろう。ならば、それを唆せば良いのではないか」
「確かに策としては有効でしょう」
「ならば」
「不満を持った民を満足させなければ、その不満はこちらに向かいます。そうなれば、敵地にて、一向衆との戦いと同じ泥沼が待っております。どれだけの米と銭がいるか、想像するだけでも恐ろしいことです」
そう言いながら、藤孝は三成に向けた。
向けられた三成は、右の眉を少し上げながら、秀吉に話しかけた。
「殿下、藤孝殿のいうように、この国の米や銭の大半を使わねば、かの国の者たちを満足させ続ける事は難しいでしょう」
「逆らう者の首を跳ねれば良かろう」
「そうなれば、全ての民が刃向ってくるはずです。一人では出来なくても、集団であれば声を、武器を上げましょう」
「おもしろくないな」
秀吉は三成の言葉に眉を顰めた。
だが、この議論は、何度も繰り返され、鶴松とも話して、想定した内容ではあるが、不満には思ってしまう。
「豊臣家の兵たちや武将たちの統制はとれるかもしれません。しかし、諸大名はまだ戦国の気風も残り、乱取りは当たり前と考えている者も多いでしょう。まして、兵たちは、それこそ恩賞であると考えているはずで、統制がどこまで出来るか、疑問です。戦を始めたが最後、明も援軍をだし、抜け出せぬ戦になるのは、想像できます。民は貧しくても、迫害する者たちへ抵抗する力は失っておりません。まして、ひとつでも間違えば、不満の爆発先がこちらに倍になって跳ね返るでしょう」
「ふむ」
「我が国の者たちとて、元寇の際、幕府の命や恩賞のためとはいえ、立ち向かいました。それが朝鮮の地で起きぬとは言い切れません」
「李氏の者たちはどうだ」
「対馬の件や、シビル・ハン国への支援から、危機感を持っているようです」
「対馬は我が国だがな」
「朝貢していた宗氏の扱いに対する反発は多いようです」
「ふん、文句があれば、言ってくればよい、戦の口実にできる」
「対馬が我が国のものであるのは理解していますが、感情が許さないのでしょう。まして、それを理由に使者を出せば、言いがかり侵略したととらえられ、戦を仕掛けられることも理解しているので、何も言えないでしょう。まして、対馬の帰属であれば、明は朝鮮に非があると判断し、手を貸さない恐れもあります」
「つまらんな。あと、シビル・ハン国のことは」
「契丹や女真などの遊牧民を先導して、北から攻めるのではないかと、怯えているのです」
「何故だ、女真は明が支配し、朝鮮にはいくまい」
「対馬の件で、不信感が出ている状況での北方での活動に、疑心が湧いたのでしょう」
不満げな表情で、扇で肩を叩きながら、藤孝の顔を秀吉は見た。見られた藤孝は表情を変えることはなかった。
「嘉隆」
「何でしょう」
「朝鮮や倭寇の連中を、潰せるか」
実質的な豊臣での水軍の中心いる九鬼水軍の棟梁に秀吉は聞いた。
「難なく、潰すことは出来るでしょう」
その言葉に、秀吉は表情を明るくし、三成はしかめ面をした。
「そうか!」
「但し、鉄甲船を大量に作り、大筒も大量に乗せる必要はるでしょう。それに、相手も馬鹿ではないので、対抗策も考えるでしょうから、初戦のみの有利の可能性はあるでしょうな」
嘉隆の分析に、秀吉は口をへの字に曲げた。
「確かに、対策はたてるだろうな。うまくいかんか」
「甘い考えをすればいけるでしょうな。敵もこちらの生命線を海と考えるのは直ぐでしょう。そうなれば、仕掛けてくるのは考えつくかと」
「鉄甲船で、潰せるのではないか」
「さて、それさえも何時まで有利になるか」
「……やはり無理か」
「敵にも才のあるものも数多くいるでしょうしな。甘く考えない方が良いかと」
無念の表情を浮かべ、大きなため息を秀吉は吐いた。
三成は、こっそりと、秀吉とは違う安堵のため息を吐いた。
「朝鮮から無理となると、琉球はどうだ」
「あの国はもともと、兵も少なく、荒事は避ける為、頼りにはなりません」
「潰せるか」
「容易かと、但し、朝鮮と同じで支配の仕方を間違えれば、反発は起きるでしょう。まして、明の藩屏国、明の動き次第でしょう。我が国の支配をうけるという事は、明との手切れを意味します。利がないと考えれば、抵抗するかもしれません」
「島津が兵を出したがっていたが」
「代官を送り込み、間接的な支配は可能でしょうが、島津が行えば、過酷な支配をするかもしれません」
「それは、良くないな。王位を継ぐ者をこちらに来させることは可能か」
「……人質としては良いですが、認めないかもしれません」
「まあ、そうであろうが、こちらで学ばせるという事では無理か」
「相応の人物を、交換で向こうで送れば、あるいは認めるやもしれませんが……」
「ふむ、そのせんで考えるか、三成」
「分かりました」
「高山国は、どうなっている」
「かの地は、南蛮たちが町を作ったり、明の民が居たり、元々いた者たちと、直接明が支配してるようには見えませんでした」
「ほう」
「明でも、領地であっても、僻地であり野蛮なる地として、価値を見出しているようではないです」
「入り込めそうか」
「はい」
藤孝の初めての肯定的な発言を聞いて、秀吉は気色を浮かべた。
鶴松からも朝鮮へ進むなら、高山国へ行く方が良いと聞いていたが、実際に見て来た藤孝の言葉を聞いて喜んだ。
「高山国は、どうなっている」
「南蛮の者たちを追い出せば、明の商人は黙っていないでしょう」
「ふん、どこの国の商人も利しか考えないからな」
「それ故、南蛮以上の利を与えれば、黙るでしょう」
秀吉は何度も頷いた。
「明の民はどうだ」
「あぶれたものや、逃げて来たもの、罪を犯したもの、明の官僚など、様々です。扱いに失敗すれば、明が動くかもしれません。それ故、戦船の増強と強化が急務になるかと」
「分かっておる、今、進めておるから心配するな」
秀吉の話に、藤孝は首を傾げる。
「お主らを送り出す前後に、戦船の対策を考えて指示しておる」
「ふむ、それは南蛮船の事ですかな」
「九鬼にも声をかけているから、話を聞いたか」
「はい、南蛮船の建造と、それに鉄を張り付けることなど、話は聞いておりますが……もう直ぐ完成すると」
藤孝は、嘉隆の話に驚きの表情を浮かべて、嘉隆と秀吉の顔を見た。
「その通りだ、まだまだ、数が揃わない、もう少し時間がかかりそうだ」
にやりと孝高は笑みを浮かべた。
「また、おもしろい戦いが出来そうですな」
「主に南蛮と倭寇が相手になりそうだがな」
「ふふふ、倭寇とは手を結ぶのでは」
「結んだとて、裏切るかもしれないではないか」
「確かに備えは必要ですな」
秀吉と嘉隆は顔を見合わせ、笑いあった。
三成はやれやれとため息を吐き、藤孝は表情を曇らせた。
「どうした藤孝」
「いえ、私の知恵は殿下に遠く及ばないと思いまして」
藤孝に褒められ、機嫌を秀吉はよくした。
「まあ、わしの策ではないがな」
「では、どなたの策で」
「内緒だ」
にやにやしながら、藤孝を見ながら秀吉は鶴松のことを言わなかった。
困った表情をしながらも、藤孝は深く聞くことはなかった。
「あと、高山国にもともといた者たちは剽悍で、屈強なものたちで、何人もの南蛮や明のものたちが首を刈られたそうです」
「ほう、手元に置けば、おもしろそうだが、話はできそうか」
「分かりません」
「話をしたものは居ないのか」
「居るのですが、首を手に入れるのは成人の証とする風習もあるようで、交渉によっては」
「雇い入れをして、首を刈れる場を与えれば、喜々とするやもしれんな」
「ありえるかもしれません。敵にすれば、どこから襲ってくるか、分かりませんゆえ、根切にするか、懐柔するしかないでしょう」
「分かった。高山国が取れる可能性が高い。そうなれば、琉球の扱いも考えなければいかないな」
「南にでるには、琉球の動きが重要になります」
「早急に決めるか。三成」
「はっ」
朝鮮の事は思い通りにいかなかったが、シビル・ハン国との間にある北の大地、南の高山国、この二つを手に入れる事が出来れば、十分の補填できると秀吉は考えた。
「最後は明だが、兵を動かせそうか」
「寧夏の欄は鎮圧されましたが、楊応龍というものが、兵をあげて騒乱となっておりますが、明は広く、限定された地域でしかありません。女真との争いもありますが、李成梁やその子李如松が十分に抑えております」
「広がることはないか」
「今のところはあり得ませんが、亡き宰相張居正の死去後、明の政は乱れております。回復した経済も乱れ始めておりますので、この混乱が続けてば、混乱は明を覆うことになるやもしれません」
「ふむ」
「皇帝が政を顧みることができれば、立て直すことも可能ではありますが、佞臣と宦官により、耳目は塞がれ、享楽を満たすことのみに目を向けている現状では、まず無理かと」
「あの国の王朝の崩壊は、似たり寄ったりな気がするが……まだ、刻はかかるか」
「はい」
藤孝の言葉に、秀吉は肩を落とした。
鶴松からもあまり良い話はなかったのだが、信長を越える思いの強い秀吉には落胆しかなかった。
あくまで考えだけの鶴松の言葉だけではなく、実際見て来た、現地で情報を集めたものの言葉は重い。
「のう、藤孝」
「何でしょうか」
「信長様であれば、どうしたであろうな」
「……」
「たわ言であったかもしれんが、唐天竺まで支配すると信長様は言った。わしと同じ状況であれば、動いたかのう」
「信長様は、お待ちになるかと」
「……やはり、待つか」
「はい、信長様は、危険があれば周囲を考えず即断で動きましたし、激情を持つお方ではありました。しかし、勝てる状況になるまで、耐え忍び、機を持ちました。そして、ほころびのある処を攻めました」
「……そうだな。周囲が思っているような方ではなく、慎重で忍耐強い方だった」
「さればこそ、この度は、攻めれるところを突くべきかと、さすれば、信長様が行えなかったことを実現できるはずです」
「……ふぅ、分かった。きっぱり諦めよう」
秀吉のその言葉に、三成、藤孝は頭を下げた。
嘉隆はにやりと笑い、政実は我関せずという表情をした。
「嘉隆、楽しそうだな」
「ええ、朝鮮や明、倭寇を相手にするより、南の方が面白そうですな。広い海が広がっていますからな」
嘉隆らしい返事に、気分良く秀吉は笑った。
「東も広い海が広がっているぞ」
「そっちは、広い海が広がっていますが、陸が遠すぎますな。今の船では無理でしょう」
にやりと秀吉は笑い返した。
「南蛮船と、道しるべとなる方法があるとしたらどうだ」
秀吉の言葉に、嘉隆は眼を細め、獰猛な表情をした。
「ならば、獲物は大きそうですな。これは、まだまだ死ねませんわ」
「そう思うだろう」
また、二人で笑いだし、三成と藤孝は呆れた表情をした。
「だが、九鬼だけでするには手が足りませんな」
「その通りだ。なので、諸大名の水軍を一括で管理する」
「それは、諸大名が反発しませんか」
「かまわん、提供しない者たちは潰すか、利益は分配せん。利は与える、理解できぬものは切り捨てるしかない」
「ふふふ、恐ろしいですな」
「まあ、外に出るための人員と将を提供させるだけで、取り上げるわけではない。海は広いし、南蛮も強大だ。諸大名が此処で動けば分かり切っている。利を与え、栄誉を与える、十分であろう」
「確かに、まだ見ぬ土地は広そうですからな」
「そうだ。政実よ、興味はないか」
「私は、鶴松様の臣下ですので、その命に従うだけです」
「確かにな、確かに、だが、それが一番つらいぞ」
不敵な表情をして、政実は笑い返した。
「でも、おもしろそうでしょう」
一瞬唖然とし、秀吉は爆笑した。
「そうか、そうか、おもしろいか、励めよ」
「はっ」




