第五十ニ話 暗躍
※二千十八年十一月三十日、誤字、文章修正
「もう直ぐ、明に行った連中が帰ってくるが、首尾はどうなっている」
薄暗い壊れかけた小屋で、忠興はみすぼらしい男に問いかけていた。
問いかけられた男は、薄ら笑いを浮かべていた。
「上手くいっておりません」
その返答に、蔑んだ視線を忠興は向けた。
「ふん、大金を受け取って、その体たらくか。役に立たぬな」
小馬鹿にした言葉を受けても、男は薄ら笑いを止めなかった。
その態度に忠興は不愉快な表情を浮かべた。
「この国の者を使うと、ばれる可能性もあるので、明や朝鮮の者を使いましたが、全て、叩き潰されたようです」
「繋ぎを取った者たちは、役に立つものだったのか」
「ええ、まあ、大陸のやつらは銭に汚く、吹っ掛けられますが腕は確かです。それに、やつらは倭寇なので、海での戦いにも慣れていたはずです」
「その割には、成果がないではないか」
「武家とは言え、所詮は、使者を乗せる程度なので、軍船とは劣ると思ったのですが、乗っていた者が尋常じゃないものが居たようで」
その言葉に、忠興は利益の事を思い浮かべた。武辺者で、武勇伝に事欠かないが所詮は陸での話、海では役に立たないと思ったが、疫病神と心の中で罵った。
「船も表から分からないように、大筒や鉄砲などの武装も充実していたようで、頂いた情報とは食い違っておりました」
男の言葉に、忠興は己に非があると言われたようで、怒気をあらわにし柄に手をかけた。
「貴様、己の不手際を、私に問題があったと言うのか」
殺気を浴びながらも男は薄笑いを止めることなく、見つめ返した。
「そのようなことはありません。ただ、簡単な事と聞いておりましたので、あの銭で請け負ったまでで。こちらも、あちらから文句を言われていますよ」
「ふん、知らぬわ」
「まあ、刀を抜かれるのでしたら、こちらも存分におもてなしさせて頂きますよ」
今までの薄ら笑いから酷薄な笑いへと変わり、男からは濃密な殺気がにじみ出ていた。
忠興は、鳥肌を立てて、改めて男を見直した。戦場にいるような殺気ではなく、影から忍び寄る暗殺者の殺気と同じものを感じた。そのような殺気を持つものが一人でいるわけではなく、下手をすれば此方が消される可能性があると考えた。
自尊心が高く、高慢ではあるが、このような処で死ぬのは馬鹿馬鹿しいと、己に言い聞かせて柄から手を離した。
忠興を見ながら、男は元の薄笑いの表情に戻し、殺気もおさめた。
「女子も使い、若い男に何度か接触をしておりましたが、こちらも見破られたようで」
その話にも利益を思い浮かべ、忌々しいことと忠興は思った。
調査団を潰すことによって、秀吉の面目を潰し、藤孝などを始末できればと思っていた。やはり、己以外は信用できぬ。自ら差配すれば。上手く始末できると自信があるが、ばれれば責を負わされる。使い捨てにできる者にやらせるのが一番と考えて、任せたのが失敗だったと悔やんだ。
「まあ良い、帰国するまで少し刻がある。やり遂げて見せろ」
「はい」
吐き捨てるように言い捨てて、忠興は小屋から出ていった。
「頭」
忠興が出ていき、少しすると、屋根裏から一人の男が音もたてず降りて来た。
頭と呼ばれた男は、薄ら笑いを止めた。
「戦場でも、領内の事も才はあるが、上に立つには器が足りぬな」
「確かに」
二人が話していると、誰も居なかったはずの物陰から物音や気配もなく複数の者たちが湧き出るように現れ、小屋に入り座った。
「我々の存在に気が付いておりませんでしたな」
「お主たちの技量もあるが、少々、甘いところがあるお方だからな」
その言葉に、集まった者たちは、声を立てず笑った。
「あちらはどうなっている」
「倭寇は頼りになりませんな。金目のものがあると、噂を流して、多数の者たちが襲い掛かったのは良いですが、大筒と鉄砲で潰され、船に乗り込んでも瞬く間に切り伏せられたようです」
「船上での斬り合いなど、ほとんどの者が経験していないと聞いておったが……」
「前田の強弓によって、多数の者が射られたとか。柳生の者も船上でも者ともしなかったとか」
「倭寇は、大筒や鉄砲を持っている者もいたはず」
「はい、ただ、倭寇のものよりも、九鬼の船の大筒や鉄砲の方が距離も威力も強かったとか」
「陸地ではどうだ」
「現地の者たちに銭を渡しましたが、全て見破られたようです。まして、女子はすべて前田に篭絡される始末で……」
「……」
表情を変えず、頭は話を聞いていた。
「致し方あるまい、此方に戻って来た時に仕掛ける」
「分かりました」
「ただ、無理をする必要はない。一当たりして無理ならば引け」
頭の言葉に、周囲の者は頷いて、音もなく小屋から男たちは出ていった。
忠興は、茶室に入ると、直政が座って待っていた。
「お待たせして、申し訳ありません」
忠興の言葉に、直政は会釈をして答えた。
「ご指南よろしくお願いします」
家康に話をして、了承を得たうえで、直政は、忠興から茶の手ほどきを受ける事になっていた。
忠興が直政に茶の才があると家康に言い、教養として鍛えても良いだろうと、家康が許可した。
直政は教えを乞う気はなかったが、忠興との繋ぎがあることは徳川家にとっても悪いことではないと思い受け入れた。
「直政殿には、才があるので教えるのは楽しいです」
「ありがとうございます」
「師としてもうれしい限りです。何かあれば言って欲しい」
忠興の言葉に、直政は頭を下げた。
逢う度に、忠興は直政に言葉をかけ続けていた。繋がりが強く成れば、直政を使って家康を動かすことが出来るかもしれないと考えていた。同情的な言葉で、直政の歓心を買うことを心掛けた為か、多少、警戒も緩んできたと感じていた。
家康を裏切らせる必要はないが、都合の良いように動いてくれれば良いと考えていた。
豊臣家に対する鬱屈に付け込む、忠興はそう考えて相手をしていた。
「そういえば、家康殿に南蛮への調査の話があったとか」
「私は聞いておりません。何かあればお話があるかもしれませんが」
徳川家中でも、噂があったが直政は聞いていなかった。その事を思い浮かべ、一瞬だけ不満な表情を浮かべた。
「お話はありませんか、ならば、噂だけかもしれません」
直政は軽く頷いた。
徳川家の状況を軽く話をしながら、茶室から直政は出ていった。
直政との繋ぎから、家康と協力することが出来れば、豊臣政権下で力を持てる。いずれは、豊臣家を傀儡にして、支配できればと夢想した。
秀長、利家に続く実力者でもあり、秀長はもう先はない、利家も体調が良くないようだし、家康が豊臣政権下の首座になるだろう。秀吉さえ死ねば、豊臣政権は張りぼてだと考えていた。
親族筆頭の秀次は、実力不足、あと、鶴松さえ死ねば、跡継ぎは……。
将来の事を考えて、忠興は表情を崩した。
鶴松が少し熱を出した為、薬湯を岩覚が煎じて飲ませていた。
秀吉は、政務が終わると毎日様子を見に来ていたが、あまり騒がないようにと、寧々に言われ、二日に一回に見舞いに来るようになった。
「鶴松様」
少し、身体を起こして、岩覚は鶴松に薬湯を飲ませた。
「ありがとうございます」
「顔色も良くなっております。ご無理されずに、寝ておいてください」
「はい……そういえば、もう直ぐ、藤孝さんが帰ってくるとか」
「ええ、今、朝鮮を経由して、博多に向かっているようです」
「長かったですね……、二年ほどで済むと思っていたのですが、三年ほどかかりましたね」
「襲撃や地元の役人とのもめごととか、色々あったようです」
そんな話をしながら、鶴松は、もう直ぐ大地震が起きると考えていた。
その対策も含め、今まで、食料の備蓄や避難など、色々提案してきた。食料は、現代農法を色々取り入れたり、ジャガイモなどを広めた為、多少の余裕が出来ていた。
ため池を増やしたが、地震が起きた時の対策と避難経路の確認も周知させた。
風邪から肺炎になって、死んだ事も経験しているが、出来る範囲の衛生管理と滋養強壮の対策で、今世は乗り切っている。
「寝てられないのに……」
鶴松の言葉に、苦笑を浮かべて岩覚は諭した。
「鶴松様がご無理されれば、殿下も落ち着きません。養生してください」
「分かってはいますが……」
やれやれと岩覚は思いながら、片づけを行った。
「秀長さんの具合はどうですか」
岩覚は沈痛な表情になった。
「もう、しゃべる事も難しいとの事。偶に、意識を戻すこともあるようですが……」
史実に比べて、秀長は長生きしている。
けど、現代医療とは違い、出来る事が限られている。
出来うる限りの事はしたが、回復することはなかった。
秀長の後は、秀次が豊臣親族筆頭になるが、未だに頼りない所があった。
軍事面は凡庸、内政面は悪くはないが、女癖が未だに治っていない。昔に比べれば、落ち着いているとは言えるが、何度か問題も起きていた。
見染めた者が、人妻であることを知らずに声をかけて、その夫が差し出そうとして慌てて、秀次が断った事もあった。それを知った寧々に殴られたらしいが。
すり寄ってきた女性を見て気に入って、傍に置こうとしたら間者であった事が分かり、秀吉が秀次を怒鳴りつけて引き離した事もあった。それを知った寧々に、また殴られたらしいが。
間者は、発覚した時点で自害し、調べる事が不可能になってしまったが、女に弱いところを攻められたら、秀次は失敗する可能性があった。
人柄的には問題ないのだが、女の失敗によって、豊臣の機密が漏れたり、悪意のあるものに操られたら、豊臣政権にとって良くない事になる。
父である三好吉房も呼び、秀吉は親族で話し合いを行った。
秀次の女癖を直さなければ、豊臣家の禍根になりかねない。いっそ出家させて、山に閉じ込める案まで出た。秀長の願いもあったので、自害までは考えなかった。
まだ、豊臣政権の未来が不安定な現状で、秀次の失脚や自害は、良くないとは思ってはいるか、皆頭を悩ましていた。
人格や能力に問題があれば、排除できるが、其処までもないので、難しいと秀吉はぼやいていた。
秀吉も可愛がっていたので、厳しい処分はしたくはないが、鶴松や拾丸を考えると、少しの瑕疵も残したくはなった。
「秀次さんは、相変わらずですからね、秀長さんにもしものことがあれば、気持ちが入れ替わってくれるのを祈りたい」
「……期待しましょう」
望み薄と思いながらも岩覚はつぶやいた。
「弟は、どうなってます。父上が母上から引き離すと言っていましたが」
「今はまだ、引き取っていませんが、寧々様にお預けになる事は決めておられるようで、既に伝えているそうです」
「反発はありませんでしたか」
「嫌がっては居ましたが、跡継ぎではないとはいえ、武家の男であれば親元で育てない事もあるので、拒否は出来ないでしょう。まあ、完全に引き離すことはないでしょうが、淀君の影響を受けないようにする為でしょう」
「母上は、私を嫌っていますからね」
鶴松の言葉に、岩覚は答える事はなく、寂しそうな表情をした。
歴史ある武家に比べれば、秀吉の親族は多くなく、有力な者たちも少ない。それは、一族で争うことも低いという点では、良いことだが、歴代の譜代もおらず、一族で周囲を固めれない事は、豊臣家の弱さでもあった。
だからこそ、捨丸には、己を支えた秀長のように、成長して鶴松を支えてほしいと秀吉は考えていた。
このまま淀君に預けていては、要らぬことを吹き込みかねないと危惧もしていた。鶴松を嫌っている事は秀吉も気が付いており、淀君周辺もそれに同調している気配があった。そのような環境では、兄弟で殺しあう可能性もあり、己の子がそうなってほしくないと、秀吉は心から祈った。
捨丸に傳役として、誰を付けるか、まだ早いが、秀吉は悩んでいた。岩覚がもう一人いれば、捨丸に着けるのにと、ため息交じりに愚痴をこぼしていた。
「捨丸がもう少し大きくなれば、私も協力します。なんせ、かわいい弟です」
その言葉に岩覚は笑いながら頷いた。
「捨丸様の身近には、自斎殿の弟子や、柳生の者を付けています」
「風魔も配置していますよ」
「そうですね。守りはしっかりしています」
笑顔で二人は頷きあった。
捨丸が、秀吉の血をひいていない可能性を、岩覚は薄々気が付いていた。鶴松から医学の話を聞いていると、妊娠時期がおかしいと疑念を持った。
秀吉が自らの子であると認めた以上、それが事実になる。それに、母親は同じであることは間違いがないので、鶴松にとっては、実の弟である事に変わりがない。
己の兄達のように反目しあい、殺しあうことがないように、岩覚は願い、鶴松と共に対策を考えていた。
「あれ、いつの間にか、時が経ってない。俺の海外への野望はどうなっているだ」
「いや、誰に何を言ってんだよ、梵天。怖いぞ」
そんなやり取りが、伊達屋敷であったとかなかったとか。




