第五十話 耶蘇
※二千十八年九月一日、文章修正
秀吉は深いため息をついていた。
目の前には、孝高が頭を下げていた。
三成は、秀吉を見たが、やれやれという表情をしていた。
「官兵衛よ、バテレン追放を解けとは、今更無理の話だぞ。それに商いの事もあるから、其処まで厳しくはしておらん」
「分かっております」
「なら何故だ」
「外へ調査へ出るならば、バテレンたちの協力が必要です。それに、対立すれば、進みも遅くなります」
鶴松の明や琉球、シベリアへの調査を知り、琉球以南も含めて調査が今後も行われると考えて、バテレンへの対応を緩めてもらえると考えて、孝高は頼みに来ていた。
孝高が今まで接してきたバテレンは、清廉で自己犠牲の強いものたちが多かった。バテレンの従者の中には、狂信的な雰囲気を持つものもいたが、それさえも好意的に受け止める事が出来るほど、バテレンの人柄に魅入られた。バテレンの教えは、戦乱のすさんだ世相や、欲にまみれた自社の者たちと違い心清らかだと感じた。
一向衆の強い播磨に居た孝高には、一向衆の強欲さを見せつけられてきた。信長に対する本願寺の蜂起の時に、知り合いの浄土真宗の僧からも呼びかけが来た。
『従わねば地獄に落ちる、従えば極楽浄土、仏敵織田信長と戦うべし』と書状を受け、一体、僧とは何なのかと。仏の教えに、そのようなものはない、人の命を奪う事が仏の教えなのかと苦悩した。
其処に、高山重友や蒲生氏郷からバテレンの教えを聞き、これこそが人を導く教えだと感じ、入信することになった。
自己犠牲、学校、病院など、行ったことを色々聞いていると、日本の寺社の世俗に汚れた宗教とは違う、だからこそ、子や家臣、領民にも入信を進めた。
それが、秀吉のバテレン追放により、追いやられることになる。
孝高にすれば、それもまた神の与えた試練であり、秀吉の行いを受け入れるべきだと考えたが、迫害されるバテレンや入信していた武士たちを見るのが辛かった。
今回の外への調査は、バテレンとの協力を持ち出せば、緩和できるのではないかと考えた。また、南蛮に間者を潜り込ませることも可能になると説明した。
「官兵衛よ、お主はバテレンの本質を理解していない」
「本質ですか」
「ああ、奴らは信仰心篤く清貧、民を思う姿に心打たれたのだろうが、策士たるお主にしては甘いな」
甘いと言われ、孝高は眉をひそめた。
「バテレンたちの姿は偽りと言われるのですか」
秀吉は顔を左右に振った。
「バテレンたちの姿に偽りはあるまい。ただ、その後ろにいる連中が同じと思うか。まさか、分からないと言わないな」
「それは……」
「日本に入って来た仏教もバテレンどもと同じだったはずだ。だが、権力や財が積み上げられれば、腐っていくに決まっておるわ。寺社でも末端の者たちを見れば、信仰心も篤く、民の為に働いておる。お主も知っておろう」
「……はい」
「それに、バテレン達は言っておらぬようだが、耶蘇教と言うのは宗派が色々あり、争っているようだぞ」
秀吉の言葉に、孝高は驚きの表情をした。バテレンは、宗派の事を言わず、ただただ、聖書の教えを説き、その教えに心を打たれた。
寺社のように、醜い宗派の争いがあったのかと。それでは、寺社と変わらないではないかと。
「バテレン達は、カトリックとい宗派で、プロテスタントという宗派と血みどろの争いをしているらしいぞ。バテレン達は押されていて、起死回生の為に、海外に活路を見出すためにアジアに来ているらしいぞ。耶蘇教の教えを広めると言いながら、実際は、耶蘇教内部の宗派争いと、利益を求めての事よ」
孝高は、信じられないという表情を浮かべた。
智謀に恐れを抱いている孝高の表情を見て、秀吉は楽しそうな表情をした。
「信仰のために来ているバテレンと、欲にまみれたバテレン、其処に寺社の者たちと違いがあるか」
「……殿下」
「何だ」
「そのような話は何処から」
孝高の言葉を、にやにやしながら聞いていた。内心、秀吉の話に衝撃を受けて、イラっと来ていたがぐっと我慢した。
「鶴松がな、文殊菩薩の御告げを聞いたと言ってな」
その言葉に、孝高は呆れた表情をして、怒りが込み上げてきた。
秀吉はその変化を見ながら、にやにやしていた。それを見て更に、孝高が怒りが増してきた。
幼子の戯言に踊らされるのか、虚仮にしているのかと、強い視線を秀吉に投げかけた。
「不満そうだな」
「……」
「孝高様」
秀吉が孝高で遊んでいる事を気の毒に思い三成が声を描けた。
「何だ」
低い声で答え、三成を見た。
「鶴松様の言葉とは言え、裏どりはしております」
「……」
三成は、深いため息を吐き出した。
「殿下、あまりにも冗談が過ぎます」
「策士で鳴らした官兵衛の表情の変化が面白くてな」
「……」
睨んだ視線を、三成から秀吉に孝高はうつした。
「明の商人や南蛮船に乗っている者たちにも聞いている」
「真ですか」
「ああ、明の商人は、うわさで聞いているだけのようだったが、南蛮船の船員たちは南蛮の者も多い、銭と酒で話してくれたわ。それに、南蛮の者が連れていた奴隷を購入して聞き出した。南蛮の国も日本と同じように多くの国があるようだ。宗派の争いに国同士の争いが絡んでいるようだ」
「奴隷は、南蛮の者ですか」
「いや、奴隷はこちらに来る時に捕まえた者たちらしいから、全てを知っているわけではないようだが、船員の話を聞いたりしていて、それを教えてくれたわ」
「では、先ほどの話、真実ですか」
「そうだ。奴らは、耶蘇教に従わぬ、信じぬものは無知で野蛮な獣のようなもの。だから、自由に扱って良いという考えのようだ」
「……」
孝高の表情も落ち着いた。
「確かに幼子の鶴松の話を信じれぬと思うがな。しかしな、官兵衛」
「何でしょう」
「一度、話してみよ」
「殿下」
秀吉の言葉に、三成は止めに入った。鶴松の事を話していても、実際に合わせるのとは危険度は違う。
話だけであれば、親ばか、戯言で済ませれるが、会ってしまえば、その異質さを感じてしまう。
知恵者であるがゆえに、孝高がどのような行動を起こすか、三成は危惧した。
「構わん、鶴松の話すバテレン、耶蘇教の危険性は直接聞かせるべきだ。神道でさえ、仏の教えを受け入れるの刻が掛かっている。だが、耶蘇教は他の宗教を受け入れぬ。そして、神の教えの元に、南蛮が影響を及ぼす可能性もある。一向衆のようなことはもうこりごりだ。一向衆は本願寺が後ろにいたが、耶蘇教は南蛮の国が後ろにいる。もし、明と手をくんだら厄介極まりない。南蛮の連中は、耶蘇教を使い信仰で支配し、他の領土を支配していっているようだぞ」
「……」
「従わないのならば、根切りにしたり、奴隷として売り払っているようだ。そこに、信仰があるのか。お主が感じた慈悲の心があるのか」
「……」
「耶蘇教に入信しなければ、慈悲を与えず、殺戮する。思い描いているものと同じか」
秀吉の言葉に、孝高は俯いた。
若いころに行商で、育った地以外も歩き回った。そこで見たのは、民を助け導くはずの寺社が民を酷使し、年貢を搾り取っている地域があった。
大名からの命令で、兵糧を集めるために、民から収穫物を強奪していた武士。借金の方に、娘を売り払う農民や買い取る商人。
道端には飢えと病で死んだ者たちが倒れていたり、この世は地獄かと感じた事を思い出した。
神も仏もなく、現世を救うものはないのか。
秀吉に会った時、その太陽のような明るさと、心の闇を見た。心に救う闇は、刻が経てば、和らぐだろう。底抜けの明るさが、民を元気付けるのではないかと、その主ならばこの世を助けてくれるのではないかと期待した。
しかし、信長が横死したころから、心の闇が表面に出始め、明るさが薄まってきた。それを感じた時、この世は助からぬかと落ち込んだ。
その時に、耶蘇教の教えが、バテレンの生き方が心に響いたから入信し、救われた気がしたのだが。
「官兵衛よ」
「はい」
孝高は、先ほどとは違う低い声で答えた。
「鶴松が、この国を変えてくれるだろう、信じてくれぬか」
秀吉の言葉に顔を上げて、秀吉を見た。
「……」
「言ったことあるが、鶴松は何かが違う。公表すれば、魑魅魍魎に憑かれていると言われるかもしれんがな。話は出来るぞ」
「片言しか話せないと思うのですが」
「なればこそよ、異質なのだ」
「何者かと入れ替わっているという事はありませんか」
「ない」
「まことに」
「ああ、わしの子、鶴松に間違いない。なればこそ、岩覚をこちらに戻したのだ」
「……」
「お主の智謀は、鶴松に必要だ。利休もなく、小竹も助ける事が出来ぬ。わしもこの先分からぬ」
「殿下」
縁起でもない言葉に、三成は秀吉を注意した。
三成は手を振って、三成をいなして言葉を続けた。
「どうだ、官兵衛助けてくれぬか」
「九州の抑えはどうなります」
「長政は、無理か」
「無理ですな。我が子ながら、まだまだ見通しが甘い」
「手厳しいな」
「あの地の者どもを抑えるには、戦歴も格も足りませぬな」
「ふぅ、やはり、豊臣家は人がおらぬ。弥九郎も先の対馬の件で信用が出来ぬ。虎之助では押さえれぬだろう。紀之助は関東の事がある……」
「熊之助を鶴松様に仕えさせて下さい。繋ぎに使います」
「ふむ、年的には良いか。兵助と同じぐらいの年だし、良かろう」
孝高は、顔を天井に向けてから、大きく息を吐きながら顔の位置を戻した。
「どうした」
「まだまだ、吉兵衛に家督を譲って楽隠居が出来ぬと思いましてな」
「ははは、わしが現役でいるのに、まだまだ、お主に楽はさせぬよ」
その言葉に、孝高は苦笑の表情を浮かべた。
「若い者に頑張ってもらわなければ」
孝高はそう言いながら、三成に顔を向けた。
「殿下の事で、手いっぱいです」
「佐吉、お主な……」
三成の言葉に、秀吉はジト目で恨み言を言った。それを見て、孝高は笑い声をあげた。
これからも、秀吉に振り回されるのか、それもまた楽しいかと思いながら笑い続けた。
「殿」
「入れ」
正信が、家康に声をかけて部屋に入って来た。
「殿下より、書状が来ております」
そう言いながら出された書状を受け取り、家康は読み始めた。
読み続けていると、眉間にしわを寄せはじめた。
「如何なされた」
不機嫌な表情で、書状を正信に渡した。受け取った書状を読みながら正信は困った表情を浮かべた。
「お受けなさるので」
「いたし方あるまい」
「機嫌が悪いようですが」
「分かっていて言うな」
返された書状を受け取り、壁に投げつけた。
「このような旨味のない話をもってきおって」
「大陸への調査を行っているのであれば、こちらにも話は来るのはおかしくありますまい」
「誰が喜び勇んで、調査に行くというのだ」
「茲矩殿は行っていましたよ」
「あれは変わりものだろう、まともな奴は考えぬは。土地も手に入れれるか分からぬ、補給もままならぬのに、損しかないではないか」
「考えがあるだけで、藤孝殿が返ってきてからの話になると書かれているではありませんか。断る事も可能です」
正信の言葉に舌打ちをした。秀吉からの話を断るには、相応の理由が必要になる。そうでなければ、領地が削られるか、取り上げられてもおかしくない。
現状で蜂起しても勝てるわけがない。負け戦など論外だと、家康は考えた。
「それに、徳川家以外にも参加する大名も居るでしょう。全てを徳川家が負担する必要はないでしょう」
「確かにそうだが……」
「それよりも、誰に行かすかが問題です」
「……秀康では駄目か」
「駄目でしょう。秀康様は、殿の血を引いていても、今は豊臣家のものです」
「直政はどうだ。外に出れば、変わるかもしれぬぞ」
呆れた表情で正信は顔を左右に振った。
「直政殿では、要らぬ諍いが起きます」
「やはりそうか……」
顎をさすりながら、正信は直政について話をした。
「直政殿と言えば、忠興殿と最近文のやり取りをしているとか、聞いておりますか」
「ああ、直政から話は聞いている」
直政としては、文のやり取り程度で家康に疑われたくないと思い、忠興との事は話を通していた。
「気になる事でもあるのか」
「いえ、忠興殿は少々性格に癖があるかた。直政殿がこれ以上拗らせないかと心配しております」
「……ふむ、しかし、文の内容まで確認できまい」
「そうですな」
「注意はしておくべきか」
「ええ、忠興殿に煽られて、要らぬことをされても致し方ありませんので」
家康は正信の言葉に頷いた。
「とりあえずは、殿下から言われたら誰を行かすか、考えておいてくれ」
「分かりました」
「まったく、めんどうな事を」
「考えようによっては、邪魔な一門や面倒な者たちを送り出せる可能性があるやもしれませんよ」
家康の愚痴を、正信は苦笑をしながら相槌をうった。
伊達家の屋敷では、政宗の鼻歌を歌っていたとかなかったとか。
「次こそ、わしに来るはずだぁ~、わしの時代だぁ~、海原に打って出るぅ」




