第四十八話 遺言
※二千十八年七月三十一日、誤字、文章修正
「孫七郎」
「どうされました」
大和郡山城の一室で、病床で寝ている秀長に呼び出された秀次は神妙な面持ちで座っていた。
一時、意識を失い持ち直してから3年ほど経過した。
鶴松の薦めた医食同源を元として、漢方を使ったり、滋養強壮の食材を食すことにより、病状も安定していたが床から起き上がるのも難しくなってきた。
死を覚悟してはいるが、これからの秀吉、甥鶴松の事を考えると不安で体が締め付けられていた。
新しく産まれた甥拾丸は秀吉の子ではないと、集めた情報から秀長は思っていた。だが、鶴松とは兄弟であることは間違いない。
鶴松と良い関係を築いてほしいが、あの母親の元では、信長と信勝のような争いが起きそうで、豊臣家の未来に影を落としていた。
早々に、母親から離すべきと書を出していたが、まだ離されていない。いずれ離すと回答はあったが、早ければ早いほど良いのだがと、現状の報告を見るたびに深い溜息をついた。
「私が亡くなったら、お主が我が一族の長老となり、重しとならなければならない」
「分かっております」
秀長の言葉に、神妙に頷きながら秀次は答えた。
「長吉殿、定利殿、吉房殿もおられるが、殿下の血を同じくするのお主が中心となり、一族をまとめ上げよ」
「……」
「一族が反目し、諸大名や公家、寺社に付け入る隙を与えてはならん。お主の良いところは素直で、明るく、懐の広いところだ」
「ありがとうございます」
「……だが、殿下と同じように女癖が悪すぎる」
秀次は、ばつの悪い表情を浮かべる。
「血を残すためには仕方ない。しかし、お主は昔の殿下と同じく、手当たり次第だ。その中に、悪意のある手の者が入っていたらどうする。手を付けるのは構わん、だが、身元はしっかり洗い出せ、分かったな」
「……はい」
側室を増やすなと言われるかと思い、気持ちが沈んでいたが、認められた事で気持ちが軽くなった。身元に関しては、家臣が調べているので問題ないと秀次は思った。
秀次の表情を見て、秀長はため息をついた。
「女子を増やすなと、言うと思うたか」
「い、いえ」
秀長の言葉に、秀次は動揺した。
「はあぁ、まあ良いが。だが、ほどほどにしろよ。殿下も新しく側室を入れるのを止めた。あまり、お主が自由過ぎるといらぬ怒りを買う恐れがある。まずは、今いる者たちを大切にせよ。お主の家臣は有能だから注意しているだろうが、お主は軽すぎる。もう少し、危機感を持て。身内であっても、罰しないといけないときはある。泣いて馬謖を斬るの言葉ではないが、身を引き締めろ」
秀次は、恐縮しながら頭を下げた。
「それで、仙千代丸たちは元気か」
「はい」
「数年たてば、鶴松様に仕えさせよ」
「分かりました」
秀長は、秀吉に酷薄で冷酷な心があることを知っている。それが身内に対しても向けられる危険性があることを理解していた。
天下人になってから、人たらしよりも、酷薄な面が前面に出てきている事を理解していた。
鶴松が産まれて、多少その傾向は止まってはいるが、秀次に子が産まれた時には、喜んだ後に一瞬嫉妬の表情を浮かべていたことを思い出す。
小一郎が産まれた時は、秀吉は盛大に喜んでくれたが、寂しさと嫉妬の表情を一瞬浮かべたこともあった。
あの時は、秀吉もまだ子供ができると思っていたし、功績を稼ぐことに思いがいっていて、嫉妬に労力をまわす余裕がなかったと思う。
信長の子秀勝も養子にして、自己保身もあっただろうし、信長の家臣のままであれば、子が居なくても問題がなかったかもしれない。
「小吉はどうしている」
「殿下の作られた学校に、辰千代と共に通っております」
「元気か」
「はい」
「辰千代には悪いことをしたが、お主と違い戦の経験も、永禄・元亀の厳しき仕置きも分からぬ。家臣たちが支えてくれるだろうが、大領を治める器かわからぬ。それ以上に、殿下や鶴松様を支える武士になってもらいたい。お主もそうあってもらいたい」
「……」
「私の遺言だと思って聞いてくれ」
無言で、秀次は頷いた。
「殿下や鶴松様を支えるという事は、己を抑える必要がある。私心なき仕えをしなければならない。それは、お主の身を守る手段でもある。永禄・元亀は、身内が一番の敵であり味方であった。敵味方は判別付きにくいか為、猜疑心を産みやすかった。だからこそ、疑われてはならぬ。動かなければ疑われないという者でもない。宇喜多家では、先代の直家殿に会う時、実の弟である忠家殿は鎖帷子をまとっていたそうだ」
秀次は、直家の事を聞いていたので、眉をひそめた。秀吉を直家と同じ扱いにしてよいのかと思った。
「相変わらず、表情に出やすい。殿下と直家殿は違う。だか、人は変わるものだ。ゆめゆめ油断するな」
「はい」
「小吉、辰千代を頼むぞ。それに、家定殿の子らも頼むぞ」
「分かりました」
「それと、家康殿には気をつけよ」
「……律義者と聞いておりますし、悪い印象はありませんが」
「世間の評判と、会えばそう思うだろうが。あの方は、信長公と手を組み、永禄・元亀を生き残り、我らに一矢報いたものだ。野心がなければ、殿下が中央を制した時、すぐに従っただろう。旭や母上を質に出さなければいけなかったことを忘れるな。うわべだけを見るな。分からなければ、信じる家臣と話し合え、相談しろ。一人で判断するな」
「分かりました」
少し不満な表情をしながらも秀次は頷いた。
「ふぅ、疲れたわ」
「大丈夫ですか。ご無理されない方が」
「あと何度も、お主と会えぬだろう」
「そのような弱気なことを」
「当の昔に尽きた命よ、お主にも伝える事が出来た。残念なことは、鶴松様の成長を見られないことが残念だ」
「……」
「だが、お主が代わりに見てくれると思うと、心の重しも軽くなる」
「叔父上……」
秀長の言葉に、秀次は涙を流す。それを見て、頼りないと思う気持ちと、ほほえましい気持ちになった。
女癖は悪いが、心が歪むことなく成長している秀次を見ると、太平の世であればと思わずにいられなかった。
涙が落ち着いたのを見て、声をかける。
「将右衛門殿を呼んでくれ」
「分かりました。また、来ますので」
「ああ、待っている。そうそう」
「ん、何です」
「藤孝殿がもうすぐ戻ってくるが、大陸や琉球の女子が来るかと、浮ついた気持ちになるなよ」
「な、何を言いますか、叔父上。さっきの涙を返してください」
秀長の言葉に、大いに動揺して、顔を真っ赤にして反論した。それを見ながら笑いながら、秀次を送り出した。
しばらくして、長康が部屋に入って来た。
「お久しぶりです」
「ご病状はどうだ」
「先は長くないでしょう。ひろうた命ですが、尽きるとなると惜しいものですな。小六殿が来ないことを怒ってるかもしれませんね」
「いやいや、小六はまだまだ来るなと、逝ったら怒鳴られると思うぞ」
「ははは、そうやもしれませんな」
長康との付き合いも長く、秀長は懐かしい気持ちなり穏やかになった。
数少ない心許せる友ともいえる。
かつては、秀吉もそうだったが、天下を取り関係も変わっていったが、秀長との関係は変わらずだった。
「して、このおいぼれに何かようですかな」
「遺言を残しておこうかと」
「だから、縁起でもない」
「ははは、しかし、将右衛門殿もお忙しい、気楽に会うことも難しいでしょうから」
「確かに」
苦笑を浮かべつつ、長康は答えた。
秀次の足りない部分を補いつつ、家中をまとめ上げる必要があり、秀長の処に顔を出すのも難しい状況ではあった。
それに、猜疑心のある秀吉が、何度も会う姿をどう思うか考えれば、会うのも控える必要があった。
「安心してください。兄上には、此処での話は書状で伝えておきます」
「お願いする」
再度、苦笑を浮かべつつお礼を秀長に言った。
「兄上は、鶴松によって、最近は穏やかになったと思いますが、何かあれば、豹変する恐れがあるのでお気を付けください」
「分かっている」
「拾丸については」
「それは言うな。こちらも情報は集めている。鶴松様の兄弟である事には違いがない」
「ええ、そうです。ですが、それを利用しようとするものもいるはず」
「手の者や、なじみの者に調べさせている」
その返答に満足そうに、秀長は頷く。
「本当であれば、鶴松に仕えてもらいたのですが、一族の長老となる孫七郎もしっかりしてもらわなければならないので、人が足りません」
「彦右衛門では、小六の代わりにならない」
蜂須賀家政は、壮年であり頼りにはなるが、股肱の臣であった正勝には及ばないのは仕方ない。
「命を賭してまで、使える事はあるまい」
「そう思います。外様よりは信用は出来ますが、胸襟を開くべきかは」
「俺とて、息子がどうかわからんよ」
二人は顔を見合わせて、苦笑しあった。
「忠康は、どうですかな」
「よく仕えてくれていますよ。死したら鶴松に預ける予定ですがね」
「辰千代は、大丈夫か」
長康の疑問に、秀長は困った表情をした。
「豊臣が滅びれば、我が家も滅びますよ。ならば、豊臣を強固なものにしなければいけません。辰千代も学び、経験を積ませた方が良いでしょう」
「まあ、そうなんだがな」
不承不承で長康は頷いた。武士であれば家を残すことに腐心するのに、秀長は腐心しない。そこに、長康は秀長の恐ろしさを感じた。
豊臣を残すためなら、己の家を滅ぼし、己の子や養子、家臣も潰す覚悟がある。
元が武士ではないからか、元からの本質なのか、己との違いをかみしめた。
「あと、家康殿を見張ってください」
「分かっている。あの古狸に油断する気はない。それに、あそこの家臣たちは悍馬だ。古狸さえ押さえ切れていない」
「井伊のことですか」
「それだけじゃないがな。世代が変われば、違ってくるかもしれないが、辛酸を一緒にしたものたちが残っている以上、家康も抑えずらいだろう」
「三河武士は忠義の武士」
「されど、頑固で意固地で節を曲げない」
二人は顔を見合わせ笑い出した。
「だからこそ、主を天下人にという思いは強いかもしれないな」
「今川、織田、豊臣、押し付けられ続けられましたからね」
「ああ」
「孫七郎は、甘い。太平の世であれば良いが、まだ、乱世は終わっていないことを理解していない」
「それは感じるな」
「なので頼みます」
「できる限りは、するがな」
はっきりと言いきらない処に、長康の真剣さを感じた。
「だが、殿下との橋渡しは、もう俺には無理だ。利休が亡くなり、小一郎が居なくなれば、人がおらぬ」
「岩覚殿がしてくれます」
その言葉に、顔を左右に振りながら答える。
「無理だな。岩覚殿であれば進言できるだろう。しかし、利休や小一郎のような信頼は置かれていないだろう。特に、お主のように唯一無二の存在でなければ、殿下は抑えれぬ」
「鶴松がもう少し成長すれば……」
「刻が足りぬ」
「仕方ありませんな」
深い溜息を二人は付いた。
「できる範囲では動く、だからお主は養生しておれ」
「そうさせてもらいますよ」
「秀次様には、小姑のように小言をお願いするがな」
「ははは、分かりました」
日本周辺の調査をどうするか、鶴松と岩覚は話し合っていた。
「岩覚さん」
「なんでしょう」
「茲矩さんのことですが」
亀井茲矩は、藤孝の調査団の話を聞き込んで、乗船させてほしいと、何度も嘆願に来て、仕舞には三成の屋敷前に座り込むほどの意気込み。
結局は、乗船を諦めさせたが、海外への思いが強いという印象を、秀吉に与えた。
「何か問題がありましたか、どうされましたか」
「琉球と真逆ですが、北方の調査をしてもらったらどうでしょうか」
「しかし、それでは、奥州や羽州の者たちが不満を持ちませんか」
「あくまで調査ですし、人を送り込むなら関東以北から出してもらうことになると思います。それ以外は環境が違い過ぎて、生活できるかどうか」
「奥州の更に北、雪深いでしょうね」
「ええ、そう思います。現地に住んでいる人たちも取り込む必要がありますので、言葉や風習なども調べつつ、取りこまなければいけません」
「そうですね」
「そして、明や蒙古より以北も調べていく必要があります」
「……手が回るのですか」
「わかりませんが、手をこまねいていては、他国に支配されることになります。ならば、ある程度の領地を確保して、日本への防波堤にすべきだと思います」
「住まう者たちはいるんですか」
「蒙古のような騎馬を主体としたような人たちが住んでいると思いますが、それを調べるのも必要なのです」
「作物は育ちますか」
「人が住んでいる以上、生きる術はあるはずです。ならば、それも取り込みつつ、影響力を広げていくべきです。南は異国の国々がありますが、明、蒙古の北部や東にある大陸は、まだ国が成立していません。交流を深めつつ、影響する範囲を広げれば、異国の国々にも対抗できると思います」
「不平不満のはけ口にはなりますが、離れた場所にある者たちが従いますか」
「それは、今の日本とて同じこと、遠く離れても一つの行政区分として、扱えばよいのではないでしょうか」
「……」
「手をこまねいていては、異国の国々に力を与えるだけです」
シベリアにロシアが進出すれば、北日本の脅威になり、アメリカ大陸に西洋の力が及べば、将来、日本にとって脅威になる。
最終的に、日本以外の支配した土地が独立したとしても、友好国として同盟を結べれば良いのではないかと鶴松は考えていた。
未来のことは、未来の子孫に任せるとして、選択肢は増やした方が良いと鶴松は考えていた。
「領地を取り上げられたものも、外に向かうと思いますが、現地にいる人々と協調するように教育すべきです」
「うまくいきますか」
「最終的に、鎮圧するとしても、被害は少ない方が良いと思います」
「……わかりました。しかし、茲矩殿は頷きますか」
「さて、どうでしょう。とりあえず、父上に相談して、打診だけでもしてください」
「わかりました」
岩覚が秀吉に確認を取ると、任せると返事をもらった。
その後、茲矩を呼び出して、話をすると最初は南が良いとごねていたが、蝦夷北部の広さと、それから続く、北アメリカの話を聞いて、狂喜乱舞するように承諾した。
北アメリカと日本の間にあるハワイ諸島に特に興味を示し、是非ともここにもと前のめりで言われ、岩覚は引きながらも考えておきますと返答した。
茲矩は、飛び跳ねるように屋敷に帰り家臣に話をしたが、領内をどうするのかと家臣が一斉に茲矩を責めた。
大小丸が居るではないかと家臣を説得しようとしたが、まだ幼子ではないですかと、反論を受けたが聞く耳を持たず、調査の準備を命じた。
呆れつつ、諦めつつ、家臣は準備を始めた。
防寒や航海する時の食料や、武装など、鶴松からの情報を元に、岩覚が伝え準備を始めることになった。
「俺に話は来なかったのは、何故だ」
そう、伊達家の屋敷でつぶやかれた声があったとか。




