第四十話 思惑
※二千十七年十一月四日、誤字修正
細川藤孝達が、大陸へ向かって行くことは表向きは、九州への慰撫として発表された。
朝鮮や明へ調査に行くことが表ざたになれば、相手も警戒し調査を攻めるための先触れと相手が勘違いして、最悪の場合、捕まり斬られる恐れがある。
使節団を送るとしても、朝鮮に関しては祝賀の使節団に対し高圧的に対応した為、怒り心頭で帰国していた為に送りにくい。送ったとしても、更に高圧的に出れば決裂してしまい使者が帰還できない可能性がある。逆に友好に接しようとするならば、先の対応を詫びることから始まるため、立場が弱くなってしまうため使者を出すことは出来ない。
そもそも、朝鮮に対し秀吉は明への道先案内を要請したことを、仲介した宗義智が朝鮮との決裂することを恐れて、秀吉の命令を無視して、祝賀の使者を送るようにと送ったことが、秀吉と朝鮮との齟齬の原因であった。
明へ攻める手伝いをすることをそのまま伝えていれば、朝鮮が使節団を送ってくることはなかったが、結局は関係は決裂していたと考えられる。
明も朝鮮からの情報を受け取り警戒を強めている。倭寇が押し寄せてくると危惧する者も宮廷内ではいるようで、沿岸部の警戒を厳重にするようにと命令が出され、朝鮮と接する遼東の軍事力の増強の動きがあった。
周辺の女真族にも召集をかけているが、女真族内部の対立と明への不信感から反応は鈍く、逆に明へ反抗的な動きが活発になっていた。
女真族や豊臣政権を蛮族として蔑み、見下していたが、落日の明には強気に出ることが難しくなりつつあった。
そんな中で使節団を送ったところで、北京に入る前に拘束されるか、皇帝と謁見するために莫大な袖の下を要求されるか、金品を渡したとしても皇帝に会える確証はない。
朝鮮や明へ使節団を送ることにより諜報をすることは、多大な労力と金品が無駄に費えることになる。その為、表向きはまだ落ち着いていない九州への慰撫と貿易港の現状確認をするとした。
朝鮮や中国沿岸には、商人として商品の買い付けに向かうとして、堺や博多の商人たちから商品を仕入れ向かうことになった。
堺や博多の商人たちは文化人であり高い教養を持っている者が多かった。また、戦乱の世で商売をする為、武士にも負けない胆力と兵力を持っていることは周辺の国でも知られていた。
藤孝は武士であり、一流の剣士である為、普通の商人にはない雰囲気はあったが、当代でも一流の文化人であり公家にも負けない教養があることで、商人として身分を隠して活動することになった。
海禁になってる明に密航してる為、情報が漏れないように気を使っていた。
「どうだ、正信」
「朝鮮や明への藤孝様が向かわれることは、商人を通じて情報は流しています」
「向こうは食いつくと思うか」
正信は顔を左右に振った。それを見た、家康は頷きながらそうであろうと呟いた。
「知ったとしても、袖の下を通せばすべて見て見ぬふりでしょう」
「其処までか」
静かに頷きながら正信は話す。
「我らでも大なり小なり同じようなものでしょう。明も朝鮮も成立して長く、老朽化した国はあと一押しで崩壊するような状態です。こちらが流した情報も取り合わないか、金で解決されてしまうでしょう」
「まあ、駄目で元々だったから良いが、豊臣の力を削ることが出来ればよかったがな」
「調査に向かった者たちが殺害されたとしても表ざたにすることもできますまい。出来たとしたら、明や朝鮮を根城にしている倭寇が殺害したとして、討伐名目で攻め入ることぐらいでしょうね」
「殿下の命で行ったことで、藤孝殿が命を落とせば、藤孝殿と交流の強い公家どもも騒ぐはずだったがな。唯でさえ成り上がり者に関白の位を取られたことに不満を持っている公家どもは多い。殿下に失態があれば、朝廷もぐらつき亡き後には切り崩しが容易になるだろうがな」
「焦りは禁物です」
「分かっている。一日でも長く生きてやるわ」
秀吉は、成り上がっていくたびに、食事や健康にも気を使わなくなり、今では公家や商人のような食事をして、酒を飲み贅を尽くしている。
しかし、家康は今でも玄米や雑穀を食べ、腹八分で酒も抑えていた。漢方も学び薬草も育て、煎じて飲むなど健康を気を使っている。その家康の生活に家臣の中には、艱難辛苦を乗り越えても、自戒を崩さない姿に感銘を受けて真似をする若い三河者が多かった。所領が増えても贅沢をしない姿に古参も敬服しているが、正信は酒のご相伴にあずかれない事が残念だといつも思っていた。
「義元公、信玄公、謙信公、信長殿も落命した。一日でも長く生き残った者が天下を握ることが出来る……そうしなければ、殺されるか引きずり降ろされて隠居させられるわ」
「そのようなことを仕出かすものは、もう、徳川家にはいません」
「ふん、分からぬわ。一門衆も今でこそ大人しいが、何かあれば何をしでかすか分からぬ」
祖父清康、父広忠は家臣に殺害され、家康のやり方に不満を持つ家臣が、信康を担ぎ上げ家中を割りかねない状況まで行ったこともある。その時は、信康を切り捨てることで家中が乱れることを防いだが禍根は残り、後の数正の出奔にも繋がった。
だが、世代交代も進み、家中をまとめやすくなったことは家康も実感しているが、かといって、油断することは出来ないと身を引き締め、正信に監視を命じている。
「ただ、家臣団と一門衆は、豊臣家とは比べ物になりません。それが徳川の強さを支えております」
「其処は痛しかゆしだな。そういえば、あれはどうなっている」
「忠興様も、淀様も動きはありません」
一向衆であった正信は、一向一揆に参加し出奔した過去を持つが、徳川家家中のだれよりも家康の言葉を、思いの先を読むことができ、不思議な繋がりを持っていた。その事が、忠勝など一向一揆の前後も一貫して従ってきた者の嫉妬にもなっていた。
「あの二人は、自尊心が高いため、煽れば勝手に動いてくれるでしょう」
「淀君は、産後で心が安定していない処を煽ればよいだろう」
「それと、秀長様が最近は起き上がれなくなったとか」
「やっと逝くか。一時は、回復したようだったから焦ったが、利休とやつが亡くなれば、殿下にとっては損失であろう。次が、秀次だ。政は良いが戦は駄目だから人望がいまいちないところが良い。今までであれば、鶴松様が死ねば次の関白だったがそれもかなわんか」
「元々、秀次様は、関白に興味を持っておられません。持っているのは女子だけです」
「ぷっ、わはははは」
正信の言葉に、家康は爆笑した。
「しかし、あれは、本当は殿下の子ではないか。女好きがそっくりではないか。他の一門や秀長殿は違うのに不思議なことだ」
秀吉の弟である秀長は兄とは違い身近にいる女性はそれほどでもなかった。だが、秀吉と同じように子宝には恵まれていないことを考えると、兄弟であると感じてしまう。
秀次の弟たちは幼い者が多いが、兄秀次や秀吉と違って漁色家ではないように見受けられた。
「秀次様の子の多さは、殿下の嫉妬や疑心暗鬼につながる可能性もあります。それに、次の世代では殿下の本家より、秀次様の分家の方が一門衆が多くなり、豊臣家が歪になる可能性もあります」
「確かに、割り込む隙は多くなるだろうが、それを分断するまで生きているか分からん。秀忠達では無理だろう」
正信は軽く頷く。
家康の後継者として秀忠が内定していたが、正信は秀康が後継者としてふさわしいと考えていた。家康は次は戦よりも政の比重が重くなると考えており、周旋の才がある秀忠が良いと考えていた。その為には、己が当主のうちに天下を取り、秀忠で安定させてもらおうと考えていた。
秀康は、信康を慕っており、自害させたことで恨みを持たれていることを家康は感じていた。何より、秀康の激情を見るにつけ、己の見たくない処や若いころの失敗を見せられているようで不愉快な気持ちにさせられた。苦労を重ねた結果、激情を抑える術を手に入れたが、秀康は苦労をしていない激情を抑えることが出来ない状況で家督を譲れば、徳川はつぶれると家康は考え後継者から除外している。
「表立った行動は今は出来ん。不和の種をまくための情報を集めておけ」
「はい」
「藤孝殿が失敗してくれれば良いがな」
「……」
「岩覚さん、前に話したことどうでした」
「確かに、言われたことを調べていますが、地域により謎の奇病があるようです」
鶴松は、日本に生息する寄生虫が、癌を誘発したり、栄養失調になることを聞いたことがあったので、岩覚に調べてもらっていた。
サナダ虫などの寄生虫は、現在の日本でも身近な問題であった。
お尻の穴から出て来たり、咳で吐き出したものが寄生虫を大量に含んでいたりと、戦前も含め身近にあったと言われている。
中には、川の貝や鳥などに寄生していた寄生虫が内臓などに入り込み、癌を誘発して死に至らしめた可能性があった。それは、農民たちだけではなく、武士も含めて脅威だった。
蒲生氏郷や前田利家もそれが原因で死んだとも言われていた。
「奇病が出ている地域では、絶対に生水は飲まない事、排泄物は離れたところで廃棄し、付着した場合はしっかり洗い流してください。あと、雪も緊急時以外はそのまま口にしない方が良いです」
「腹を下すからですか」
「いえ、眼に見えないものが体に入り、病を起こす恐れがあるからです」
「……」
「こればかりは、今証明するのは難しいですが」
「それで、藤孝殿に色々なものを頼んだのですか」
「はい」
顕微鏡はさすがにすぐ作ることは出来なくても、レンズの研磨技術などがないかも調査してほしいと頼んでいた。南蛮人などにも頼んではいたが、時間がかかりすぎるので身近にあれば、それはそれでよいかと思って頼んでおいた。
「眼に見えないものは恐ろしいですね。ですから、政実殿たちに生水の事を何度も注意していたのですね」
「はい、後、彼らを心配するのは、性病ですね」
「確かに、良い女子が居れば、利益殿などは喜び勇んでいきそうですからね」
「ははは」
鶴松と岩覚は顔を見合わせ笑いあった。
「なんにせよ、南蛮は遠い。南蛮と言っても、はるか南にある国ではないですが」
「国の場所が、遥か西になるのに南蛮というのもおかしなもの。彼らの呼び方も変えた方が良いでしょうね」
「確かに」
ヨーロッパと言った方が良いけど、国名に関しては、現代日本と違う者もあり、鶴松は把握しきれていなかった。
そこらへんも整理する必要があると思っているけど、先送りにしようと鶴松はそのことについての思考を停止させた。
「南蛮と言えば、耶蘇教に土地を寄進してるようですね」
「寺社と同じ感覚で寄進しているのでしょうが、やめさせる方が良いですね」
「やはり、寺社と同じになり、不介入などの問題を起こすと」
「それもあるのですが、その寄進された土地が、この国の決まりで動かない恐れがあります」
「動かないとは」
「その土地の持ち主が、領主、ひいては、朝廷の法の下ではなく、寄進された国の法によって運営されるかもしれません」
「まさか」
鶴松の言葉に、岩覚は否定的な思いをする。寄進された土地は、耶蘇教や所属国の者たちが来るかもしれないが、本拠地は遥か遠くであり、近辺に居る戦力もそこまで強大なものではないはずで考え過ぎではないかと思った。
「耶蘇教の自己犠牲の献身は称賛されます。治療や施しなど、寺社などはほとんどしません。そこに希望や赤貧に心を打たれるのでしょうが……」
「それだけではないと」
「ええ、もし、自己犠牲の献身があるならば、何故、奴隷売買を止めないのでしょうか。末端は正しき思いがあったとしても、上層部は腐敗して世俗にまみれていることでしょう」
「……」
岩覚は、今の寺社の在り方を頭に思い浮かべ反論する言葉はなかった。
信長に焼き討ちされた比叡山は、平安の世から思い通りにならないと強訴を繰り返し、女や酒におぼれた。尼僧も、身体を売らなければ生活が出来ないぐらい困窮していた。致し方ないとは言え、仏門にあるものの姿としてどうかと考えさせられた。浄土真宗のように、妻帯を認めるなど、例外はあるが何が正しいかは自問自答を繰り返すばかりであった。
神社にしても、血の汚れを嫌うはずが、兵力を有し血を流すことも厭わなかった。
そういう状況を振り返れば、宣教師の献身に心を打たれなかったと言えばうそになる。
「耶蘇教は、他宗教を認めません。邪教として見下し蔑視します。我が国のように仏教と神道が融合し共に歩むようなことはできません。まあ、仏教でも宗派や派閥が違うと殺伐としたものになりますが」
「そうですね」
「そうなれば、寄進された土地に住むものや法は、この国のものと違ってくる恐れがあります。価値観が違ってくると、争いが生まれ南蛮の者たちの力を借りようとするかもしれません。そして、彼の国はそれを奇貨として、侵略する恐れがあります。彼らが支配すれば、改宗を強要されるか、拒否すれば異教徒と奴隷として扱うでしょう」
「それは……」
「ないとは言えないのです。彼らは武力によって、近隣の地域を支配してきたのですから」
「しかし、諸大名やその家臣にも信徒は居ます。それを今更改宗を求めれば、一向一揆の二の舞になるおそれがあります」
「そう、それが問題なのです……」
「……」
「とりあえず、彼らの行ってきたことの情報を集めてもらっています。藤孝さん達にも同様にお願いしてますので、それをまとめて、諸大名や庶民にも配布しましょう」
「わかりました」
「前にお願いしていた文字を金具で作るのをお願いします」
「まとめ終わるぐらいには、平仮名、片仮名を仕上げるように職人には伝えています」
「ええ、あれがれきれば、印刷物が色々楽にできるようになりますから」
鶴松は岩覚に中国にある木版印刷と、南蛮商人に活版印刷を取り寄せるように依頼をしていた。
その話を聞いた時、岩覚はとある寺に仕舞われている木版印刷を思い出し取り寄せたが、長年放置され朽ち果てていて仕える状態ではなかった。
ただ、分解して構造を調べることが出来る為、職人に調査して、複製する事を依頼している。
木製の判子では朽ち果てる可能性があるので、金属で作ることを依頼したが、型取りが難しく手間を取っていると報告は受けていた。
その為、まずは平仮名と片仮名を作らせ、それから漢字を増やしていこうと決めていた。
「印刷機が出来れば、側仕えや諸大名の子弟、庶民を教えるための教本を作りましょう」
側に控えていた兵助が嫌な顔をした。それを見て、岩覚は笑いながら疑問を口にした。
「諸大名の子弟を教える必要はありますか。そんなことをすれば、諸大名が力をつけてしまいませんか」
「そうではないのです。ひとつは、豊臣家が存在する事を認識させ、騒乱や戦を起こさないことを教え込むのです。まあ、妄信的にしても問題が出るかもしれませんが……重要なのは、戦乱を再び起こさないことを、幼いころから教え込むということです」
「幼子から教え込めば、それが当たり前になると。しかし、それぞれの屋敷に戻れば、その家の教えがありうまくいきますか」
「完璧に出来るとは思いませんが、ある程度の抑止力になるかと思います」
「そうですか。庶民はどうですか。学びに来る為には生活の余裕も、刻もありますまい」
「諸大名の子弟の教えは、徐々に行っていけば良いかと思います。庶民に関しては、無料で行えばよいか」
「無料ですか」
「ええ、寺社の協力を要請すれば良いと思いますし、協力してもらった寺社には米などの配給すればと考えています」
「庶民にとって、必要ですか」
「文字や簡単な計算ぐらいは生きていく上では必要だと思います。見どころがあれば、引き立てればよいです」
「そうですか……」
「一気にはできませんが、徐々に進めていきましょう。疑問は都度話していけばよいですよ」
その言葉に、岩覚は頷いた。己にあった今までの価値観と違う鶴松の考えを実現していけば、今の世も変わるかもしれないと考えた。
鎌倉幕府崩壊後の騒乱にて乱れた世をただし、天下を治めるには今までの価値観のままでは問題があるのかもしれないと岩覚は思案していた。




