第五話 警備
「おい、此処に何の用だ」
「お勤めご苦労様です」
門番の兵から威圧的な言葉を投げかけられても、僧は慈悲を持った笑顔で、返答をしながら一通の書状を出す。
肩をいからせながら、その書状を受け取る。
「上役の方に、これをお見せください」
「これは、誰からの書状だ」
「殿下からでございます」
「お主のような僧に、殿下の書状があるとは思えん、嘘をつくと為にならんぞ!」
兵にしてみれば、供も付けず、現れた僧に対する不信感と疑問から、声を荒げて罵倒する。
僧は困った表情をして、兵の言動を見つめていると、ひとりの武士が現れた。
「何をしておる」
「はっ、この僧が、殿下の書かれた書状を持参したと言っていたので、真偽を確かめておりました」
「殿下の?」
「この書状でございます」
その武士は、その書状を受け取り、中身を読み進める。
「この書状は、殿下からの書状で間違いない」
その言葉を聞き、兵は自分たち態度を思い出し表情を硬くした。
「お勤めのご苦労様でございます。職務に忠実な兵に守られているからこそ、殿下も大坂城を出陣していかれるのですね」
「その通りです、岩覚殿。申し訳ございませんが、私の後を付いてきて頂けませんでしょうか」
「三好様、よろしくお願い致します」
その発言に頷き、三好笑岩は岩覚を連れて城内へ入って行き、それを送りながら、兵たちは話を始めた
「おい、あの僧は誰だ」
「ふう、しらんよ、態度が問題にならなくて良かったよ」
「そうだよな、下手すりゃ処刑されるわ。あの僧が取り成してくれて助かったよ」
「顔を忘れるなよ」
「判っているよ、組頭や他の連中にも話をしておかないと」
「ああ、しかし、人が多くなって、覚えきれないよ」
「気の荒い連中もいるし……」
一室に通され、岩覚は、笑岩と話をしていた。
「岩覚殿とお呼びした方がよろしいのですかな」
「はい」
笑岩は岩覚の正体を判っているようだった。羽柴秀勝であった当時、数度あった程度ではあったが、老境に入ったとはいえ、その記憶力は衰えては居なかったことに、岩覚は感服していた。
笑岩は、最初、三好義賢に仕え、三好長慶の躍進や、三好氏の興隆に貢献した。その後、三好氏が中央から没落していく状況で、三好三人衆と共に、織田信長に対抗し苦しめるも降伏。信長の死後、秀吉に仕え、秀次を養子とした。
老齢の為、小田原征伐には参加せず、大坂城の留守居役の一人となっていた。
「岩覚殿が、大坂城の警護を行うと、殿下の書状には書かれておりましたが、それで間違いありませんか」
「はい、殿下からそう言われております」
「分かりました。後で、鶴松様の警護の者と、役つきのものを紹介いたします。それと、秀長様の家臣の島左近というものが鶴松様の周辺警護の兵を率いてやってきますので、差配をよろしくお願いします」
「お手数をおかけしますが、よろしくお願いします」
「寧々様にご挨拶されますか」
「はい」
「分かりました。話はしておきます」
「これからよろしくお願い致します」
その日の夕刻、岩覚は、寧々を訪ねていた。
自分で何でもこなし、侍女にしてもらう事を嫌う寧々の周りには、数人の警護の武士以外は、孝蔵主のみが仕えている状態だった。
「寧々様、岩覚様が来られました」
「入ってもらってください」
孝蔵主が寧々に呼びかけ、返答後、戸を開き、岩覚を部屋へ通し、孝蔵主は部屋から離れて行った。
部屋の中は調度品も少なく、華美なものもなく、殺風景な部屋だったが、寧々の性格を考えれば納得できるものであったが、寧々の顔色が優れない事や、部屋の違和感があったが、それは言葉にできない感じだった。
「御無沙汰しております」
「久しぶりですね。岩覚と言った方が良いのでしょうね……」
寧々は、岩覚という名前に寂しさを滲ませていた。
「申し訳ございません」
「何を言っていますか、旦那様のせいで、あなたには要らぬ苦労を背負わせてしまって……」
その言葉に、岩覚は微笑みながら顔を左右に振った。
「この身だからこそ、生きているのです。殿下、並びに寧々様に、お世話になりっぱなしで申し訳なく感じております」
「何を言っているの、あなたは岩覚となっても私たちの息子です。忘れないでください」
そう寧々は言い、眼に涙を浮かべた。
「ありがとうございます」
お礼を言いながら頭を下げた際、岩覚は、不意に嫌悪を感じる匂いを感じた。
今まで、匂ったことのない、香木でも漢方でもない匂いを感じた。
「どうかしましたか」
「いえ、別に何もありません。それよりも顔色が優れていませんが、最近、眠られているのでしょうか」
「ふふふ、孝蔵主にも言われたのですが、良い香があって、それで寝られているから大丈夫よ」
「そうなのですか。ならば、病かもしれませぬから、曲直瀬道三や施薬院全宗に相談してください」
「分かりました」
「ちなみに、その香は、どなたから頂いたものですか」
「侍女のひとりが渡してくれたものなの」
「なるほど……」
その後、近況を話し、しばらくした後に、岩覚は部屋を後にした後、孝蔵主に声をかけた。
「孝蔵主様、最近、寧々様が使っておられる香の事について、何かご存知ですか」
「いえ、侍女が持参したとしか伺っておりませぬが、どうかされましたか」
「どうも、何か違和感というか、嫌悪を感じるのです」
「嫌悪感ですか……」
「私は体が弱かった為、色々な薬草などを飲んできました。その経験からか心身に良くないものに対して、嫌悪を感じるのです」
孝蔵主は、その話を聞いて、香を持ってきている侍女を思い出す。侍女は商人の娘で、特に怪しいところもなく、まじめに役目を勤め上げている。しかし、このところ、寧々の行動や発言がおかしくなることもあり、原因となるものが見つからず、憔悴していた。
「その侍女を問いましょうか」
「いえ、それをすると、寧々様の心が壊れる恐れがあります。侍女については、こちらで調べますので、孝蔵主様は、侍女をそれとなく監視しておいてください」
「わかりました」
岩覚が入城してから数日後、百名ほどの兵が、大坂に近づいてくる。その様子を、町人が遠目で見ながら首をかしげる。人数的に小田原征伐の加勢にも見えなくもないが、本隊、後続はすべて出陣済み。賊にしては人数も多く、装備も統一されている。緊急事態の使者にしては、人数が多すぎる。
しきりに首を傾げながら、隣の嫁に話しかける。
「ありゃ、なんだ」
「知らないわよ、無駄口たたかないで、とっとと、そっちの大根運びなよ!」
「ちっ、判ってるよ。まあ、賊じゃないだろうし、ほっといても大丈夫か」
兵たちを横目で見ながら、仕事に戻っていく町人の横を一騎の武士が駆け去って行った。
大坂城の街に入ると、ひとりの老武士が立っているのが見え、左近は兵の進軍を止め立ち止まった。
「その旗印は、秀長様の家中の方で間違いありませんか」
兵たちを後ろに下げ、左近は老武士を見つめながら返事をする。
「その通りです。鶴松様をお守りする為に参りました」
「殿下より書状は受け取っています。島殿で間違いありませんか」
「はっ」
「三好笑岩と言います。城へ案内いたします」
「三好様とはつゆ知らず、ご無礼致しました!」
「お気になさらずに、行きましょうか」
笑岩に先導され、左近と大和の兵は大坂城へと向かった。
大坂城へ着くと、鶴松と対面するとして、大広間へ左近のみを連れ笑岩は登城する。
大広間には一人の僧が上座の近くに座っており、左近を見つめていた。
「笑岩様、無理をさせて申し訳ございません」
「岩覚殿、老人扱いは止めてもらいたい、まだまだ、現役ですぞ、わははは。さて、こちらは、秀長様の家臣の島左近殿です」
「岩覚と申します」
「はっ、島左近清興と申します」
「筒井家に仕えておられた島殿で間違いありませぬか」
「筒井順慶様に仕えておりました」
「おお、ご活躍は聞いております。鶴松様の守りが万全になりますな」
「そうですぞ、あの松永久秀と戦った豪のものですぞ」
笑岩としてみれば、三好氏の衰退を招いた久秀にはあまり良い感情を持っておらず。総じて、久秀と戦った左近への印象が良くなるのは仕方のないことであった。
言われた左近は、なんと答えて良いものか迷った表情をしていた。
そう話している間に、乳母に抱かれながら、鶴松は廊下を通って来る音が聞こえた。
(これから何処に行くのだろう、今までなかった気がするんだけど。誰かに会いに行くとか話していたけど、誰だろう。しかし、身動きが取れないと、何も動けないな。「知識でチートするぜ!」とかしたいけど、それも出来ないし、ってか、そんなに歴史得意でもないし、チートになりそうな知識もないから無理じゃん!俺、何をやってたんだろう、空しい……)
何故か悲哀を感じるような雰囲気を醸し出した鶴松だった。
鶴松を抱いた乳母と、護衛の剣士が二人ついてきて、大広間に入ってきた。
大広間にいる武士たちが一斉に平伏する。
御付の武士により、左近が紹介され、平伏しながら答える。
「豊臣大納言秀長様の家臣、島左近清興殿です」
「豊臣家の為に忠義を尽くすように」
「はっ」
乳母より、そのように声をかけられ、左近は平服する。その後、鶴松が乳母に抱かれながら退出し、左近も大広間から退出していく。
(え?これだけなの?ちゃんと見えなかったよ。三成の家臣の前は筒井に仕えていたのは知ってるけど、秀長にも仕えていたのか。配下になったら嬉しいけど、そうなると、三成が……)
(でも、今まで、左近に会う事なんてなかったのに、何故、今世は会ったんだろう?ふぁ~、眠い、赤ちゃんになって寝てばっかりだ)
左近は退出後、笑岩と別れ岩覚と話し合いの場を設け、鶴松の周辺を警備と左近が近侍する事を打ち合わせた。
当初は、城や町の警邏が任務と考えていたが、秀長の家臣団譲渡の話しがあり、秀吉が警備を直接するように差配したのだった。
元々の警備をしていた兵達の心情を考えると、左近としては心苦しいことだったが、命令として気持ちを切り替えた。
話を終え、退出しようとすると、岩覚が呼び止めた。
「左近殿、しばしお待ちを。もうすぐ、護衛の剣士の鐘捲自斎殿と柳生兵助殿が参られる。他に、薄田兼相殿、柳生宗矩殿が居られるが、今警護をしておられるので、何れ顔合わせをして頂きます」
そう声をかけられ、再び座り直して、来るのを待った。
しばらくして、障子に人影が写り、障子が開かれる。それまで、足音もなく、気配も感じることが出来なかった事に、左近は驚きを禁じ得なかったが、表情には出さなかった。
初老の男性と、年若い男性が入ってきた。
「お待たせを致しました。鐘捲自斎、柳生兵助参りました」
「御足労でした。左近殿、護衛の四人のうちの二人です」
「豊臣大納言秀長様の家臣、島清興と申します。この度、鶴松様の周辺警護を命ぜられました。何卒、よろしくお願い致します」
「島様のご高名を聞いております。よろしくお願い致します」
自斎と左近のやり取りの間、兵助は、何も言わず後ろに座っており、左近を観察していた。左近から感じられる戦の匂いを感じ、緊張した面持ちと好奇心にあふれた瞳で見詰めていた。
その兵助の表情を左近は横目で見ながら、微笑ましい気持ちになっていた。自斎は、そんな兵助の雰囲気を感じながら苦笑しており、岩覚も微笑んでいた。
「左近殿、後で、一手指南をお願いしたいのですが!」
「兵助、お主は、場所を考えよ。そういう事を言う場ではないぞ」
「まあまあ、自斎殿、構いませぬよ。ただ、私は剣術ではなく戦槍でしか出来ませんよ」
「構いませぬ、自斎様にもご教授して頂いておりますし、色々と、経験したいのです」
「ならば、わかりました。空いている時間にお相手します」
「ありがとうございます!」
「……ふむ、それなら、某もお願いしたいのですが」
自斎のその発言を聞き、左近は驚いたような表情をした後、承諾の返事をした。
岩覚は、自斎の発言を聞き、やれやれと言った表情をしながら、天井を見上げていた。
左近が城に入り、何ごともなく数日が経ち、小田原城が包囲され、落城を待つばかりとなったが、秀吉は城を攻めることなく、周辺の城への兵を派遣し、落城・降伏させ、小田原城を孤立させていった。
奥州の武将へ呼び出しを行い統一への最後の詰めを行いながら、武将たちには愛妾や妻子を呼ぶことを勧め、兵達には色街をつくり、およそ、戦争が行われているとは思えない状況で、小田原城攻めを行っていた。
秀吉は、大坂城へ使いを出し、寧々には豊臣家、武将の妻子への統制・監視を依頼し、淀を小田原に呼び出した。
「淀君、出発いたしますが、寧々様への挨拶は本当に不要でよろしいのでしょうか」
「何故、挨拶する必要があるのですか、本来では見送りにくるべきではないの!」
護衛として付いている大野治長は、淀の発言を当然のごとく受け止め、年嵩の武士は、苦い表情でその返事を聞くことになり、寧々に挨拶することなく、大坂城を離れ、小田原城へ向かった。
「淀君が、小田原に向かわれたそうです」
「そうですか、別にかまいませぬ。別にあったとしても話すこともありませぬ」
寧々は、疲れた表情で答えた。
体調のすぐれない寧々の事を、孝蔵主も心配しながら見つめている。
秀吉が小田原に行った後、夜中に苦しそうな声が聞こえており、どうしたのか聞いても、大丈夫とだけ答える寧々に、孝蔵主は不安を増していた。
現在、寧々を止められる人物が大坂城には不在であり、大政所を聚楽第から来てもらう事が可能か、秀吉に書状を出したばかりだった。
「孝蔵主、香を焚くので道具を用意しておいてください」
「分かりました」
寧々に気にしながら立ち上がり、孝蔵主は部屋を出て行ったが、その際に「秀勝あなたにあいに行く」という言葉を聞き漏らしていた。