第三十九話 追加
※二千十七年十月三日、誤字修正
藤孝は屋敷で、渡海へ準備をしていた。
一年以上にもなる長期の旅の為、後の事を指示しながら慌ただしく動いていた。
「父上」
「どうした」
書状などを整理している藤孝の元に、興元が話しかけた。
興元は大陸調査の話があってから悩んでいる事に気が付いていた。だが、藤孝は興元自ら相談に来るか、乗り換える冪と考え何も聞くことはなかった。
「私も行くことは出来ないでしょうか」
その言葉に、藤孝は顔を興元に向けてその真意を見抜こうとした。
双方言葉を発することなく、沈黙がその場を包んだ。
その沈黙を破るように、興元が話し出した。
「これまで私は、父上、兄上の陰に隠れ、今までの武功も細川家のものです。私の評価は武辺者であり、いち家臣でしかありません。このままでは、長岡家を引き継いだとしても、細川家の分家としか周囲は見ないでしょうし、兄上もそう扱うのではないでしょうか。ここで、父上の補佐を務めあげ、周囲の諸大名を認めさせるような証が欲しいのです」
「殿下や鶴松様が認めれば、軽く扱うようなものはいないだろう」
「それこそが私の評価を下げる事になるのです」
古今東西権力者が引き上げた家臣は、能力の有無を関わらず周囲からの嫉妬を買い不協和音の元になる事が多かった。
三成と正則、清正の対立は沈静化したが、鶴松の事がなければ悪化して、豊臣家分裂の危険性があった。
「一緒に行って何かあれば、長岡家はどうなる」
「与五郎が居ます」
「まだ幼子。忠興の手ごまになる恐れがあるぞ」
「殿下や岩覚様がお許しになることはないでしょう。それに、何かあったとして、苦難の道へ行くも与五郎の力量次第」
どれだけ強大な権力、武力を持とうが、いずれ人は死ぬ。あの信長さえ、非業の死を遂げている。その事を理解した上での興元が発言していると感じた。
そこまで理解した上での決断であれば、受け入れるしかないと藤孝は考えた。
たとえ、興元や与五郎が死んだとしても、忠興の子もおり、細川家は残る。それに忠興も子に長岡性を与えている。
藤孝にすれば、どのような形であれ家が、血が残れば良いと考えていた。
「分かった、殿下へはお願いしておく」
「ありがとうございます」
「供は、二人ほど選んでおけ」
「はい」
そう興元に声をかけ、藤孝は直接説明するために、岩覚に会いに屋敷を出て行った。
「岩覚さん、藤孝さんの用件はなんだったんですか」
藤孝と話をしていた岩覚が鶴松の部屋に戻って来て、鶴松の前に座った。
「興元殿も同行する許可を得るために来られていました」
「え、そうなると、与五郎さんだけが残るということに」
「そうなります」
「二人に何かあったら与五郎さんだけになるのに、問題ないのですか」
「その時は、与五郎殿を頼みますとお願いされました」
「そうですか」
鶴松は、頭の中で参加者の名前を整理する。
[鶴松]
九戸政実、北条氏房・繁広、柳生宗章、風魔党
[三成]
渡辺勘兵衛、大音新介
[正則]
足立保茂、可児吉長
[秀吉]
九鬼嘉隆、長岡藤孝(正使)・興元
[その他]
前田利益
整理してみると、どちらかと言えば武辺者が多い気がした。
交渉事を考えると、藤孝一人に負担を懸けそうだと思ってしまった。
「岩覚さん」
「何でしょう」
「行く人たちを整理したんですが、大丈夫でしょうか」
「何か問題でも」
「ええ、藤孝さん以外、武辺者が多い気がするのですが」
「……氏房殿、繁広殿もいますから大丈夫です」
岩覚は、眼を逸らしながら答えた。
「そうですか……」
「若い二人を鍛えるにはちょうど良いかと」
「でも、二人の名前しか出さないんですね」
鶴松の指摘に、更に岩覚は目をそむけた。
その姿に、鶴松は心の中で藤孝に黙とうをささげた。
「まあ、それ以外に、商人や供の者もいます。藤孝殿の負担も分散されると思いますし、将軍家、信長様の元、公家、諸大名を相手に交渉を粘り強くしてきた方です。役目を果たしてくれます」
良い笑顔で、岩覚は言った。その笑顔の裏に何かありそうな気をしつつも鶴松は、頷くことしかできなかった。
「分かりました。岩覚さんを信じます。それとお願いしていたことは大丈夫ですか」
「はい、藤孝殿には、新鮮な野菜を必ず常備し、船上では必ず食べることを説明しています」
「長い間船に乗ることは少ないとは思いますが、体調を崩さない為にも、健康のためにも野菜は食べさせてください。柿などあれば、積み込んでおいてください」
「干し柿でも」
「いえ、生の柿です」
壊血病などの危険性は、船の日数を考えても必要は少ないかもしれないけど、認識させておくべきだと鶴松は考えていた。
生野菜自体日持ちしないので、寄港の度に積み込む必要があるが、問題を起きないようにするには命令の形で従わせた。
今後、太平洋を渡ることや、南方への進出を考えたら習慣づける必要性があるとして、秀吉にも話をして船団には常備する事を決定した。
「それと、父上の食事はどうなりました」
鶴松の言葉に、岩覚は苦笑した。
「しぶしぶですが、一日のうち一杯は食べると約束してくれました。食事方や三成殿などにもお願いしておりますので、約束が破られることはないと思います」
その話を聞いて、鶴松は胸をなでおろした。
秀吉の死は、梅毒によるものや癌であったり、色々な説がある。その中で、脚気によるものも死因と言われていて、もしそうであれば寿命を延ばすことが出来るのではないかと鶴松は考えていた。
食事が、白米が多くなり、公家のような食事が多くなった。公家の中では、死因が脚気によるものが多く見受けられ、秀吉の死因や死ぬまでの経緯を考えると、脚気の可能性も否定はできなかった。
それに、秀吉が体調を崩したときは、曲直瀬道三は傍に居らず、治療も受けることが出来なかった。現在は、施薬院全宗と共に、鶴松の下で医療研究をしてもらっており、秀吉に何かあれば対応が出来るので心強く感じていた。
「皆さんにも、なるべく、玄米を食べるように言ってください。毎回でなくてよいので、一日一回、一杯は食べるように」
「脚の病が治癒すると聞いた時は驚きましたが、道三殿が脚の病に苦しむ公家たちに玄米を与えたところ、治癒できたと報告を聞いた時は驚きましたが……」
「これで、苦しんでいる人を救えることが出来ます。まあ、裕福な方々ばかりですが」
「それでも救える命は救うべきです」
「そうですね」
「鶴松様の言われた通り、購入した芋などを広めていけば、貧しい者たちも豊かになるでしょう。稲も言われた通り、間隔をあけて植えることやたい肥などにより、収穫量が増えればすべての民も飢えることは減るはずです」
「先は長いですが」
「農は、一日にしてならず、長き年月が必要です。焦ってはいけません」
深いため息を吐きながら、鶴松は頷いた。
気持ちは焦るが、幼いこの体では何もできず。ましてや諸大名へ技術支援はしにくい。諸大名へ技術を流せば力が蓄えられ、抑えることが出来なくなるかもしれない。
そうならないように、まずは豊臣家が力を持つことが急務であると思った。全国の金銀山を支配したとしても、まだ、諸大名には勝てない。地力を蓄え、鉄砲を改良して、軍事力を蓄え諸大名を圧倒する必要がある。
西洋からは最新の鉄砲や大砲を購入するように依頼している。
まだ、農業も軍事の改革も始まったばかり、実を結ぶまで家康を抑えれるかが気がかりだった。
「焦れば、失敗します」
鶴松の表情を見て、岩覚は諭すように声をかけた。
「分かっていますが、気は急いてしまいます」
「それも若さです」
そう言いながら、岩覚は微笑を返した。
「正信よ」
「はい、殿下が大陸へ藤孝様を送るようですね」
家康に声をかけられただけで、正信は応えた。
家康と正信は、言葉を交わさずとも、何処かで通じているのか、双方が言いたいことが分かっているようだった。
周囲から見れば不思議であり、一度、出奔した正信に対して、嫉妬にも似た視線を送ることが古参の家臣には多かった。その視線の意味を、出奔した後の艱難辛苦を味わい、男の嫉妬の怖さ、人の心の醜さを理解している正信は、再三の家康の加増の話を断っていた。
現状で加増を受けると、嫉妬が酷くなり、どれだけの讒言が家康に伝えられるか分からない。讒言などに迷わされる家康ではないが、受け入れられなかった家臣たちは、正信だけではなく家康にも憎しみの眼と心を向けるかもしれなかった。そうなれば、家臣団は分裂する恐れがあり、正信としては周囲を注視ながら身辺を御していた。
唯一の気がかりは、後継ぎである正純がその事を理解していない事だった。苦しい時代を知っていても、周囲の嫉妬を気にせず、己の言動が周囲にどのように受け入れられるかも理解していない。本多家が潰れるのは良いが、それで徳川家まで潰れてしまっては意味がないと考え、何度も言っているが納得する気配はなかった。
「大陸を攻めると思うか」
「五分五分かと」
「信長殿の亡霊に憑りつかれているかな」
「そうですな、己に劣等感を持っている殿下であれば、信長様を越えたいと強く思うのは致し方ないかと」
「それに付き合わされるこちらにとっては、迷惑な話だな」
「関東に移されたならば、出兵を断ることも可能だったとは思いますが、現状では難しいかと」
「痛し痒しだな。三河を追われるぐらいならと思ったが、最後に取り戻せば問題はなかったが、いまさら言っても仕方ないか」
「はい」
家康、正信にしてみれば、後北条家に支配されていた関東を治めるには、かなりの労力と資金を投入する必要があり、湿地帯を占めている土地を使い物にするには長い間の開発が必要になる。
それを理由に、大陸への出兵は断れただろうが、転封がなかった以上、兵を出せば出さねばならないと苦い表情を浮かべた。
「藤孝殿であれば説得できるのではないか」
「殿下の気性であれば、決断すれば無理でしょうな」
正信は顔を左右に振りながら否定した。
「出兵と言われたら、反抗的な者たちを纏めて送り込むことも可能だと思えば、良いかもしれんな」
「そうですな」
盤石ともいえる家康だが、一族や家臣の中には、反抗的なものや頑固一徹で説を曲げず、家康にもかみついてくる者はいる。
徳川家を作り上げたのは我々だと言う家臣もいる。その筆頭は、酒井忠次だったが今は隠居し身近に居なくなった時、家康は政務がやり易くなったと実感していた。そのため、早く世代交代が起きないかと家康は思っていたが、そうなると戦経験の浅い者が増え、戦力低下につながる事もあり、うまくいかぬと思い悩んでいた。
「鶴松様周辺はどうだ」
「難しいですな。忍びの者を送り込んでいますが、防がれています」
「風魔は手ごわいか」
「はい、武芸者もですね」
「柳生はどうだ」
「無理でしょうな。宗矩殿の件以来、情報は流れてきますが鈍いですな」
「まあ、今度問題を起こせば、柳生一族だけでなく門弟たちも根切りにされるだろうからな」
扇で膝を叩きながら家康は思案していた。
鶴松へ直接接触できなければ、間接的に接触できないかと。
「小者を含め無理であれば、淀君の方はどうだ」
正信は顔を左右に振った。
「かのお方は周囲を信じておりません。大野治長あたりは近づけるようですが、治長周辺も近づくのは難しいようです」
「治長の母親はどうだ」
「治長の父定長は息子ほど緊張感がないのか、接触はしやすく繋ぎがとれるようになり、其処から大蔵卿局は接触をはかり、淀君に近づこうとしております」
「そうか、接触できれば知らせよ」
「はい」
豊臣家に関する謀略は、正信以外の家臣には一切相談していなかった。
三河者の中には、謀略に対して忌避感や卑怯な振る舞いと言ってはばからない者もおり、相談できるものが正信ぐらいしかいなかった。
政務面や軍事面であれば、人材も豊富だが謀略面では手薄なことが家康の悩みの種だった。
「藤孝殿が戻ってきたときに宴でも開こうか」
「それならば、茶会や連歌会の方が良いかと」
「確かにな。まあ、無事に帰ってくればの話だが……そうだ、秀康も行かせることは出来ないか」
「秀康様ですか」
正信は、家康の後継者とされた長松よりも、秀康を評価しており危険な役目をさせようとすることに顔を顰めた。
「そのような顔をするな。奴が一緒に行けば、情報も入ってくるだろうし、良い経験になるだろう」
家康の言葉を正信は素直に受け止めれなかった。
何とかして、命を落とさないかと考えていないかと。伝え聞こえてくる秀康の言動では家康に対する非難も多かった。それは目を向けてほしいという思いであるとも正信は思っていたが、家康は秀康の存在を無視続けている。家臣に対しても厳しく、度を超す場合もあると言う。家康に苦言を言う家臣もいるが、既に秀吉に養子に出した故、関知できないと苦言を退けている。
その事が、秀康が怒り狂う原因になっている分かっていても、家康は何も対策を取らなかった。
「まあ良いでしょう。岩覚様には私の方から伝えてみます」
「よろしく頼む」
家康の返事にため息を正信はため息をついた。その姿を見て、家康は苦笑する。
正信にしても、このままでは秀康のためにならないと思っており、一度、外の空気を吸ってみるのも良いだろうと考え直した。
家を出て、家臣たちから離れ、自分を見直す良い機会だし、藤孝と言う一流の武士を身近に見るのも良い経験だろうと考え、家康の意見を受け入れた。
ただ、一緒に行く者たちの中に、悪影響を及ぼしそうな者たちが居ると分かっていれば、正信も考え直したかもしれない。
岩覚へ正信は秀康の話を伝え、秀吉から許可が即日出されることになった。




