第三十八話 思惑
※二千十七年九月一日、誤字修正
秀吉の元を辞した行長は、義智と朝鮮についてどのように対応するか話し合うため、三成に声をかけた。
大坂城内では、話すのは難しいため己の屋敷に来てもらい、部屋の一室に入った。
「三成殿、如何致す」
部屋に入り二人とも座ると同時に行長は三成に話しかけた。
「此処に至っては、隠し立てする事は不可能、正直に報告する必要があります」
「しかし、それでは、我々が罰せられるのではないか」
行長の言葉に、三成は顔を左右に振った。
「殿下が、朝鮮を含め、大陸沿岸部の調査を行う時点で既にこの状況になるのは分かっていた」
「ならば何故、調査を止めなかったのだ」
声を荒らげながら行長は三成を責めた。
「どのようにして」
「調査は我々が行うと進言すれば良かったのではないか」
「行長殿、考え違いをしているが調査の件は、言いだしたのは殿下からでも私からでもない」
「……本当に鶴松様が」
三成はゆっくりと頷く。
「そんな馬鹿な、幼子の話を殿下が真に受け」
「行長殿」
秀吉を侮り、鶴松を見下すような言動に三成は目を細め、声の質を落として遮った。
「どういう意味かな」
行長は三成の態度に、背中に氷を入れられたような寒気を感じた。
三成とも親密な関係を築き、ある程度気心は知れていると行長は思ってはいるが、時折見せる三成の冷徹な視線と態度には戦慄を感じることが度々あった。
特に秀吉の事に関しては敏感に反応し、最近では鶴松の事でも過剰に反応する事があり、三成に近いとはいえ気が抜けないことが多くなってきたと感じていた。
「普通に考えられよ、鶴松様ほど齢の幼子が、其処までしっかりした物言いを出来るとは思えないぞ」
「分かっておる」
「ならば、其処は疑われるのは仕方あるまい」
その言葉に三成は頷いた。三成の雰囲気が軟化したことを感じ取り、行長は心の中で深くため息をついた。
「調査の件、鶴松様が言われたから殿下も受け入れられた。この事に関して、殿下に意見を言えるのは秀長様のみ。しかし、具合も悪く直に話し合われることは叶わぬ。書面でやり取りしたとして、説得は不可能であろう。長康殿では無理だろう、せめて、正勝殿が生きていてくれれば、状況が変わったかもしれないが」
「では、どうする。義智殿に責を取らせ、腹を切らせるのか」
「そうなれば、我々とて、責を取らねばならなくなる。そもそも、義智殿に疑いは持たれていた」
「誰にだ」
「考えてみれば、此処まで交渉が長く続き、以前に来た使節は殿下の天下統一の祝いであり、明への先導の許諾ではない時点で疑われても仕方あるまい」
「……」
鶴松からの指摘に、三成は冷や汗をかいたことを思い出した。行長に鶴松が疑っていた件を言うつもりはなく、言ったところで信じないだろうと先の話ぶりから感じていた。
「もし、使者が利休殿であれば、誤魔化しようがあったかもしれぬのに」
「それは難しいだろう。秀長様からの話では、政に関わるのは止め、茶と商売に専念すると明言した書状が来たと言われていたとあったので、政に関わることに関してはすべて隠さず報告されたと思う」
「商売と言うことであれば、そこは交渉の余地があったのでは」
「無理だな。商売に関わる事であれば話し合う余地もあっただろうが、義智殿については配慮すべきことでもないだろう。義智殿が居なくても次の領主なり、代官と交渉すれば良いだけだからな」
「それもそうか……」
「今更亡くなられた方の事を言っても仕方あるまい。それに、調査には藤孝殿以外にもついていく者もいる。隠しようがあるまい」
「……」
「義智殿は命まで取られることはないだろうが、罰せられるであろうな。そして、我々も覚悟をしておいた方がよい」
三成の言葉に、深いため息をしてから行長は頷いた。
「それに、この調査をうまく使えば、朝鮮への出兵を止めることが出来る」
「そう思うか」
強く三成は頷いた。
「鶴松様が、朝鮮や明への出兵を疑問視し反対している」
鶴松の名前に行長は内心眉を顰めたが表情には出さなかった。幼子の言葉に左右される秀吉に、衰えを感じるが朝鮮への戦争が回避されると思い言葉を飲み込んだ。
行長としては、行っている明や朝鮮との貿易に支障が出ないこと、無駄な出費が出なければ良いと考えていた。出兵は、国内にいる余剰の戦力を消費させる利点があると考えているが、収支が合わないと考えており、失敗すれば豊臣家が滅びる恐れがあるとも危惧していた。
何度も明や朝鮮と王朝や商人と交渉したことがある行長として、価値観が違うことを実感する事も度々あった。南蛮人や紅毛人もそこは同じであり、妥協点として見出せるのが商品であり、金や銀であった事を思い出していた。
南蛮人や紅毛人は契約を重く見る者たちが多く、高圧的であったり交渉で紛糾する事があっても一度決めたことは守る事も多かったが、明や朝鮮は契約が曖昧で情を絡めたり、口約束が多く金額を誤魔化すことも度々あったので、商品の受け取りで揉めることもしばしばあった。
国内の商人とも丁々発止やりあって鍛えられたからこそ、国外の商人ともやりあえたが、若いころは色々と苦い経験をしてきた。
「それで回避できるのか」
「分からぬ、だか、止められる可能性は高いと思っている。いや、止めなければならない。殿下の思いも分かる、あぶれ者たちを外に出して治安の安定を図りたいのも分かる。しかし、いま出兵すれば、戦が無くなり生活も豊かになると思っている民たちが、糧秣の徴収などで不満の声をあげるだろう。一部の大名たちは領地が増えると馬鹿騒ぎしそうだが、正常なもの達であれば、出兵に良い顔はしない。得てして良い顔をしない者たちは力のあるもの達ばかりだ。出兵すれば、その者達が不満を元に手を組むかもしれん。後に、豊臣家に災いが及ぶだろう、それだけは避けねばならない」
三成の言葉に、行長は頷きながら心で苦笑を浮かべる。秀吉の元で力を付け、豊臣政権の中で地位を確保はしているが、心の底から豊臣家に忠誠を誓っているわけではない。三成のように忠誠を誓っているものなど、行長の思っている範囲では、三成か正則か平野長泰ぐらいかと思っている。
他の秀吉子飼いの者たちも忠誠を誓ってはいるが、滅びないように動いたとしても豊臣家が天下を治める為に、自家を滅ぼしてまで守ろうとするような者たちは少ないだろうと考えていた。
行長とて、豊臣家が滅びないように動くだろうが、自身の利を考えた時、身を削ってまで守るかはその時にならないと分からなかった。
「義智殿には、私の方から書状を出しておく」
「私の方も、岩覚様を通して、鶴松様と連絡を取り合う」
二人は頷きあうと、部屋を出て行った。
岩覚に茶室に誘われた藤孝は飲み終わった茶器を置いた。
「岩覚様、この度のお誘いは忠興の事ですか」
その問いに、にっこりと笑顔を向けた。
「殿下は、私をお疑いですか」
岩覚は顔を左右に振り、藤孝の問いを否定した。
「では、なぜ、私がこの度の調査を命じられたのでしょう」
「重要な任務を、任せられるものが居なかっただけかと」
「殿下の元には、人はおりましょう」
「いいえ、この度の調査は今後の方針を決める重要なもの。確かな目で見極めるものでなければ勤まりません」
「孝高殿や秀次殿もおられましょう」
藤孝の元にも利休の死が伝わっており、その直前に忠興が会っており秀吉たちから疑われている事は知っていた。今回の調査において、命じられたのはある意味忠興のしりぬぐいに思えた事と、利休の死の責任を取らされたのではないかと思っていた。
「お二方は、領地を長期離れることは出来ません。孝高殿は、長政殿と言う嫡子もいますがすべてを任せているわけではありません。秀次様はまだまだ若輩の身、物事の本質を見極めるには厳しいのと、国内であれば未だしも国外の者とやりあうには力不足です」
「……」
「家督を忠興殿に譲り、領地も興元殿に任せておられ藤孝殿は他の方に比べ身軽であるはずです。義輝公や義昭公に従い、艱難辛苦を味わい人を見極める力も上から数えれる実力者。この難しい役目を果たしてくれると信じております」
藤孝は岩覚の話を聞きながら、眼を細めて真意を量ろうとしていた。
「異国の地へ行くことで、海上も含め危険なこともあるでしょう。塚原卜伝殿に剣を学び新当流の使い手である藤孝殿であれば危機も乗り切れると考えています。が、いくら言葉を重ねようと、藤孝殿は信じられませんか」
その言葉に、眼を藤孝は閉じた。
「殿下の深遠な考えは分かりません。ただ、ひとつわかるのは、この件は忠興殿と全く関係ないことは断言できます」
眼を開き、岩覚の眼を正面から藤孝は見た。
それに岩覚は微笑みながら言葉を続ける。
「まあ、藤孝殿を思い浮かべるきっかけは忠興殿の件かもしれませんが」
藤孝は苦笑を浮かべる。
「殿下は、頭では出兵は無意味であることは理解しています。しかし、心が納得できていないのです」
「心がですか」
「ええ、朝鮮や明を征服する事が、信長様を越える唯一の手だと思っているのです」
「……」
「殿下にとって、信長様は憧れであり、越えれない大きな山であり、越えなければならないと思い込んでいるのです。既に、天下を統一する事によって、信長様が果たせなかった事を果たしたとしてもです」
岩覚を見ながら、藤孝は信長の面影を見ていた。歳を重ね顔も雰囲気も変わってはいるが、岩覚の正体を藤孝は察していたが、それを問うこともなかった。
岩覚にとっても、信長の存在は大きかったであろうし、秀吉の想いも多少は分かるのかもと思った。
偉大すぎる人物を乗り越えることは難しいが、それに囚われれば家が滅びる可能性もある。秀吉の行動に危険な匂いを藤孝は感じた。
「藤孝殿は、出兵についてどう思われます」
「……」
「此処での話は、他言いたしません」
「いえ、別に殿下にお話しして頂いても構いません。私は、今の時期での出兵は反対です。商人たちの話を聞く限り、長期に一つの王朝が支配した弊害か、不正や緩みが聞こえてきます。朝鮮を攻めれば確実に勝てるでしょう。しかし、そうなれば、明が援軍を出してきて泥沼にはまると思います」
藤孝の話を聞き、岩覚は頷いた。
「諸大名は戦国の世を戦い抜いた古豪ばかりです。その作法に乗っ取り、朝鮮で乱捕りをするでしょう。国内であっても民は死に物狂いで反抗します。他国の者に対してならば、より一層の反抗をする可能性が高いでしょうし、支配出来ていないのに支配者としてふるまう者たちも出てくるでしょう。そうなれば、朝鮮の地が泥沼ではなく、毒沼に変化しましょう」
「かつての一向宗との戦いを彷彿とするかもしれませんね」
「ええ。それに、海上も九鬼や村上が居れば制する事が出来るとは思いますが、死に物狂いで体当たりしてくれば多くの船が沈められ、補給も途絶えることでしょう。現地での徴収も収穫量の話を聞く限り難しく、そうなれば、略奪です。結局は朝鮮の地が死地になることに変わりがないでしょう」
「補給の難しさを、理解しているものが三成殿ぐらいしかいないのが難しいところです」
「国内が安定し、余剰の食料と、海上戦力が整えば難しくはないでしょうが、失うものが多すぎて、得るものが少なすぎます」
藤孝にすれば、やせ細った土地と一揆を繰り返す民と明の援軍という負担を得るだけで、得をすることが一切ないと考えていた。
ただ、秀吉が命じれば、従っている立場としては、不満があても従うしかないと悩んでいた。
「なればこその今回の調査です」
「殿下の思いと逆の報告をすることを畏れています」
「問題ありません」
「……」
「聞き及んでいるかもしれませんが、今回の件は、鶴松様の発案です」
「……信じられません」
岩覚は苦笑する。
「そうですね。今回の調査が終わった後、報告も兼ねて鶴松様にお会いして頂く予定ですので、その時、分かると思います。まずは、与五郎殿を鶴松様のお側に置きます」
「ありがとうございます」
与五郎が鶴松の近くに行くことは、藤孝、興元が一応信用されている証となる。
忠興が危うい状況である以上、家を残すために信任されることが第一と考えた。
「与五郎殿事はお任せください。対馬、朝鮮、明の沿岸部の事を調べ隠し立てすることなく報告して頂ければ良いです」
「分かりました」
「それと、鶴松様からの依頼で、明の陶工、漢方医など技術者を雇ってきてほしいとのことです」
「陶工や漢方医ですか」
「ええ、この国で役立ちそうな者たちや食物などをお願いしたいとのことです。いろいろ試したいことがあるようです」
「……分かりました」
「あと、琉球の先にある東蕃も見てきてください」
「東蕃ですか」
「ええ、明の支配地域ではありますが、南蛮や紅毛の者たちも蟠踞し、明確に支配されている気配がないかもしれないようです」
「朝鮮へ行くよりは、まだよいですね」
「そうです、もともといる者たちを組み込むことが出来れば、朝鮮よりも益になるでしょう。それと、琉球にも殿下からの書状を渡してください」
「琉球ですか」
「そうです。島津の圧力を受けているようで、琉球は明の冊封を受けていますが、明が乱れた状況で支援も受けれず困っているようです」
「島津ですか」
「なので、こちらの庇護下に入ればどうかとの話です」
「難しいのではないでしょうか」
「長年冊封を受けている状況で、即決は出来ないでしょうが、まずは下準備です。それに、島津を牽制することが出来ます。琉球から流れる富を島津が手にしないようにすることも考えの中にあります」
「なるほど、分かりました、最善を尽くします」
「よろしくお願いします」




