第三十六話 要員
※二千十七年七月四日、誤字・文章修正
秀吉から朝鮮、中国沿岸へ調査する人員を出すように言われた鶴松は、誰に行ってもらうか悩んでいた。
鶴松の譜代の者たちは豊臣家にとっても新参者が多い。唯一、相談役でもある岩覚ぐらいが豊臣家と関わりがあり、一族や三成のような引き上げた者たちの子も傍にいなかった。
新参者同士の調整もあり、九戸と後北条から出そうかと考えていた。
後北条については使者を出しているため返事待ちで、政実、実親を呼び出し調査についての説明をした。
「すると、鶴松様我々にその調査に参加せよと」
「そうです」
「ふむ」
「兄上?」
政実は、顎鬚を撫でながら思案顔になる。
その表情を見ながら実親は嫌な予感がした。今の表情は、何かを思慮深く考えているというより、悪だくみを考えているように見えたからだ。
「兄上、分かってますよね」
「ん?おお、分かってるよ、分かってる」
その言葉に目を細め胡散臭そうに顔を見る。
「何を企んでるんですか」
「人聞きが悪いな、何も企んではないよ」
「いいや、何か企んでる」
「あのなぁ、俺が行きたいと思っていただけだ」
「それは分かりますよ、この話を聞いた時に行くだろうと、ただ、それ以外にも何か考えていますよね」
問い詰められると、政実は実親から顔を逸らした。
「で、政実殿は何を考えられているのですか。あまり予定にないことをすると、問題が起きるので先に話しておいてください」
岩覚の問いかけに咳払いをひとつ政実はする。
「そうですな、ひとり、おもしろい奴が居ましてね。そいつも連れて行きたいと思っただけです」
「政実殿が責任を持つならかまわないのですが、あまり身元が不明なものを連れて行くのは難しいですよ」
「ふむ、身元は大丈夫だと思います。それに、この話を聞いたら行かせろと煩いと思いまして」
「しかし、この話はごく一部の者だけしか話されてませんよ」
首を振りながら苦笑する。
「あいつは顔が広く、どこからか話を拾ってくるんですよ。だから、確実にこの話に食いついてくると思います」
「なるほど、身元が大丈夫と言うぐらいですから、どこのだれか分かってるんですよね」
「ええ、前田利家様の甥御です」
「ほう、利家殿ですか……しかし、甥にあたるかたで政実殿と会われたという話は聞いていませんが」
「出奔してきたって行っていたから縁は切れてるかもしれないですな」
「……出奔となると、利益殿ですか」
岩覚の問いに政実は頷いた。
(利益って誰だろう。利家さんの甥でやんちゃな人と言ったら慶次郎って人だけど、同一人物かな)
「なるほど、利益殿であれば嬉々として参加したいと言うでしょうし、声をかけないと不貞腐れそうですね」
不貞腐れるという言葉に、政実は大きな声で笑い出した。
「確かに、よい歳なのに子供じみたやつだから、不貞腐れそうですな」
「笑い事ではないですよ、兄上。家臣でもない者を参加させれるわけがないじゃないですか。それに、見聞きしたことが外に漏れる恐れもあります。いくら、利益殿でも連れて行っても良いとはさすがに思えませんよ」
「まあ、細かいことは気にするな」
「気にしますよ!それに、年齢を考えたら長旅に耐えれますか」
「大丈夫じゃないか」
「ねえ、岩覚さん」
「何でしょうか」
「利益さんって、慶次郎っていう人と同じ方ですか」
「おや、鶴松様も知ってましたか、あの傾奇者を」
(やっぱりそうなんだ……そういえば、歌とかの関係で藤孝さんとも顔見知りじゃないのかな)
「知ってると言うか、聞いたことがある気がしたんですが、まあ、問題ないと思いますよ。ただ、一度、顔合わせをした方が良い気がしますが」
「いえ、それは止めておきましょう。利益殿は信頼できますが、何分遊び心が豊かな方なので、どのような事が起きるかわかりませんので、政実殿の客将として扱って参加してもらいましょうか」
「……わかりました。仕えてほしいと言っても、仕えてくれないでしょうし」
「ええ、ただ、鶴松様に会えば、面白いと言って仕えてくれそうですが」
岩覚は笑っていると、後北条に使者に行っていたものが帰ってきたと報告を受けた。
返事を持ってくるように伝えると、使者と共に二人が続いて入ってきた。
「お勤めご苦労」
「はっ。氏政様より控えておられる二人を参加させたいとの返事を受け取りました。書状はこれになります」
使者は、懐から書状を出し岩覚に手渡した。
「書状は受け取りました。下って疲れを癒してください」
「ありがとうございます」
頭を下げた使者は、二人を残して部屋を出て行った。
頷いて見送った後、岩覚は書状を開き内容を確認した。
「そうですか、氏房殿、繁広殿でよろしいかな」
「はっ」
氏房が代表して答えた。
(北条氏は、氏康や氏政、氏直、幻庵、綱成あたりしか知らないから、どんな人物だろう)
「ご苦労様です。面を上げてください」
「はっ、御尊顔を拝する機会に恵まれて光栄でございます」
鶴松は氏房の言葉を聞き頷いた後、岩覚に顔を向けた。
「この二人はどのような方でしょうか」
「氏房殿は氏政殿のお子で、氏直殿の弟御にあたります。小田原の戦いにおいて、蒲生勢に一矢報いた武勇の者です」
「へぇ、あの蒲生勢と戦ったんですか」
「はい。氏郷殿も悔しがっておられましたが、その手際の良さをほめられておりました」
「ありがたき幸せです」
「繁広殿は、北条家の五色の一角をなし、知勇兼備と名をはせた綱成殿の孫です」
「ああ、地黄八幡で有名な人ですね」
「氏政殿の書状には氏直殿の補佐として、次の世代も考え経験を積ませたいとのことです。それに器量も良いと書かれておりますので、将来が楽しみかと思います」
「勿体ないお言葉です」
「北条家の家臣の方は付いて行かないのですか」
「はっ、家臣に支えられるのではなく、まずは一族の者が行動して規範を見せるとのことです。家祖である早雲庵宗瑞様も功を上げ、仲間を家臣として興隆の端緒をつけました。我々もそれに倣いたいと考えております。しかし、当主氏直は九度山で一族家臣を率いらなければならないため、私が名代として参加させて頂くことになりました」
氏政は、大坂に来て相談役兼人質となる予定であり、氏照など弟が一族を率いた場合、後々問題になる恐れがある為、氏直が九度山に居る事にあった。
氏直としては自身が調査団に参加して功を得て、豊臣家中の立場を少しでも良くしたいと考えていたが、後継ぎも居ない為に周囲が反対した。
正室であった督姫は、小田原攻めの際に徳川家に返されていたが、降伏後、助命されたことを受け九度山に来ていた。
督姫は、九度山に行く際、父家康が指示した者たちではなく、自身の気心の知れた者のみを連れて氏直の元に来ていた。氏直の立場上周囲は監視され怪しい動きをすれば、自身も氏直も処罰されると判断し極わずかな供だけにしていた。
正室ではあったが徳川家の姫であることで、猜疑の眼で見られたが、秀吉に確認し許可を受けたうえで氏直は暖かく迎え入れた。その為、周囲はまず後継ぎを求められ、氏直としても身動きが取れなくなってしまった。
名代として近い者をと考えて、氏政と話し合い氏房を派遣する事に決めた。また、小田原で敗れたことを鑑み、見聞を広める機会を若い者に与えようとして、繁広も一緒に向かわすことに決めた。
家臣の中には何名か希望したものも居たが、鶴松からはあまり人数を増やすことは旅先で素早く行動できなくなる恐れがあると言われた事を説明し諦めさせた。
「分かりました。紹介が遅れましたが、こちらに居るのが九戸政実さん、実親さんになります。政実さんが一緒に行くことになり、九戸の客将の方も行くことになります」
鶴松の説明に、政実、実親、氏房、繁広はあいさつしあった。
「乗っていく船と、船員は九鬼家が出すらしいですが、多分嘉隆さんが行くと思います」
「鶴松様、なぜそう思います。九鬼家の家臣が行くかもしれませんが」
「嘉隆さんって、向上心が高いというか、負けん気が強いというか、面白そうな事に嬉々として乗り込んできそうな気がします」
「……大陸の沿岸を廻れば、瀬戸内や北九州の海賊衆を押しのけ、取引相手を見つけて取引ができるかもしれませんね」
「それに、今後の事を考え父上から船を造る為の資金も追加で手に入れることが出来るかもしれませんし」
「なるほど」
九鬼水軍が影響力を持っている地域は志摩を中心とした伊勢近辺と、紀伊沿岸、大坂湾あたりになる。そこまで広く影響力を及ぼせたのは、淡路島を本拠地とした安宅氏が三好氏の没落と内部抗争と信長や秀吉との戦いで勢力が衰えたこと、熊野水軍の堀内氏善は嘉隆の養女を妻としていた為、協力関係にあったためだ。
だが、瀬戸内海は村上水軍、塩飽水軍が勢力を張り、北九州は豊後水軍、五島水軍などがおり、嘉隆としても大陸は手が出しにくい状況であった。
秀吉の許可を得て、大陸へ船を出しても良いが無理をすればもめることになりかねないと考え、嘉隆はあきらめていた。
志摩周辺の伊勢地域だけでも十分利益が上がっていたので諦めていたが、機会があるならば食い込みたいと狙っていたので、今回の話は渡りに船だった。
嫡子守隆は行くことに反対だったが、嘉隆は成隆を連れて船を動かすと秀吉に願い出て許可を受けた為、守隆は大いに呆れた。
「それと、宗章さんも参加します」
「ふむ、どうしてですか」
「藤孝さんも新当流の剣を習っており、参加する面々も武勇は問題ないですが念のための保険です」
「分かりました。鶴松様からは、政実殿、利益殿、氏房殿、繁広殿、宗章殿の五名でよろしいでしょうか」
「はい」
「殿下に伝えておきます」
「よろしくお願いします。あ、そうそう、大陸での注意事項もあります」
「何でしょうか」
「生水はなるべく飲まない、遊女などと関係を持たないことです。……後は、漢方や消毒酒なども持って行った方が良いかもしれません」
「生水は分かります。何処であっても注意すべきことだと思いますが、遊女はなぜでしょうか」
「古血になるかもしれないからです」
「古血ですか」
「そうです。危険性が高いと思っています」
「その情報はどこから」
「わが国でも見つかっているものです、向こうにないというわけではないでしょう。まして、異国の地である以上、情報が不足しています。国内でも情報伝達が遅れ手遅れになる事もあるのに、異国の古血に関する情報はほとんどありません。商人たちは知っているかもしれませんが、危地に飛び込む必要はありません。まして、古血になって戻ってくれば、広まる恐れもあります。防疫の観点から出来るだけ接触は禁止したいと思っています」
「そうですか……政実殿、何か言いたそうですが」
「いや、奴がそれを聞いたらなんていうか……危険を楽しんであえて飛び込みそうで」
そう言いながら政実は苦笑いした。
「約束できなければ、帯同は禁止します」
政実は左右に顔を振り、肩を落とした。
「仕方ありませんね、説得します」
「別に、無理に行く必要はないんですけどね」
「無理でしょう」
笑いながら政実は肩を竦めた。
「異国の地である以上、どの様な病気が蔓延しているか、隠れているか不明です。人であれば、跳ね除けることは出来るやもしれませんが、目に見えない物は防ぎようがないですから気を付けてください」
「わかりました」
「では、こちらの要員は伝えておきます」
「お願いします」
「そうか、鶴松の送り出すものは決まったか」
「はい」
秀吉の元に、岩覚が調査に参加する者たちが決まったことを報告に来ていた。
利休の事が解決しておらず、不機嫌な表情のまま参加する者の名前を聞いていた。
傍らにいる三成は、眉間にしわを寄せており、何かあるのかと岩覚は内心首を傾げた。
「分かった、藤孝にも話をしているので、一度、顔合わせも含めて集めよう」
「分かりました」
「……」
応諾してから秀吉は何も語らず、眼を閉じた。
しばらく後、岩覚は問いかけた。
「殿下、何か悩みの事があるのですか」
「……」
岩覚の声にも反応を示さない為、三成の方に顔を向けた。
岩覚の視線を受けた三成は、顔を左右に振り理由がわからないと無言で反応示した。
「殿下、下がってもよろしいでしょうか」
「……岩覚」
「はい」
「今回の大陸沿岸の調査をするべきだと思うか」
「それは」
「鶴松が言った事も分かる。しかし、この度の利休の事、調査の事がなければ起きえぬかもしれなかった
「……」
「いや、鶴松を責めるわけではない。利休も諸大名に影響力が強くなっていく事を考えれば、何れ処罰せざるおえなくなったであろう。茶器など、高値で売りつけたりしておったからな」
「……」
「小竹が居れば調整も可能だろうが……いや、それはよい、朝鮮へ兵を出すことを決めておれば、今回の件はなかったのではなかったか、もし、調査など考えず出兵の事を進めておけば、いらぬ介入も受けずにすんだのかもしれん」
「殿下、確かに調査の件が出たことにより、利休殿取り巻く環境が変わったのは事実だと思います。しかし、利休殿の死とは関係ないかと思います。秀長殿のお命を考えれば、利休殿が殺害すれば豊臣家の柱が消え屋台骨が揺らがせる為の策略とお考えですか」
秀吉は無言で頷き、三成は眉間のしわを一層深めたが、岩覚は笑顔になった。
笑顔を不審に思い秀吉は首を傾げた。
「殿下、悲観されますな。豊臣家には鶴松様がおられます。それに、鶴松様の希望により年若い一族の者たちも足利学校を手本に、学び舎を作り育てようとしております。また、殿下の元に居た三成殿、清正殿、正則殿などの関係も、鶴松様の存在により和らいでおります。」
「……そうか」
「今回の調査の件も、決して悪いことではありません。戦乱の世が収まり、民は安堵しております。大陸への出兵は確かに諸大名の力を落とせる効果はあるかもしれませんし、所領が増えれば大陸へ不満を抱える者たちを移すことも可能でしょう。しかし、大陸は広大で、物量も膨大です。短期で終わるとは思えませんし、我々を見下している大陸の者たちが簡単に膝を屈するとは思えません。圧政を敷き、賄賂など汚職が蔓延し民は不満を抱えているとも商人からは聞いていますので、案外民が雪崩をうって従うやもしれません」
「ふむ、出兵も良いのではないか」
岩覚は首を振りながら否定した。
「短期的には支配できるかもしれません」
「短期か」
「はい。すべての領地を豊臣家が支配し、どこの門地も出身者も平等に扱い、民を労われば末永く支配できるかもしれません。でも、そこを進軍するのは戦乱の法になれた諸大名です。略奪や人さらいなどを行う可能性があります。そうなれば、現地の民は怒り狂い一揆を起こすでしょう。住みやすくなると期待し、裏切られた反発は一向衆のような騒乱になるかもしれません。」
「死兵になると」
「はい、生きる望みが絶たれれば、死も恐れないでしょう」
「其処に明や朝鮮の支配層が絡めば、安易に勝てぬか」
「そうです。ただ、民は支配していた連中に素直に従うかは分かりませんが」
「恨みが募っているということか」
「それもありますが、野心の持ったものが新たな支配者になる為に蠢動することもあるので、混沌とした状況が続く可能性も高くなり、こちらに意識を向けることもなくなるかもしれません。国内的には、出兵を命じられた諸大名が得ることもなく、損失しかなければ不満が高まるでしょうし、負担をかけられる民も恨みを持つでしょう。それは決して、豊臣家に益にはなりません」
「……」
「出兵が成功すればよし失敗すれば恨みは豊臣家に向けられ、その隙を突かれる可能性は高いでしょう」
岩覚の話を聞き、秀吉は深い溜息を吐いた。
秀吉にとっては、大陸への進出は立場の強化、諸大名の弱体化、そして、偉大な信長を超える為の行為だと考えていた。
鶴松に指摘され、こうして岩覚に言われると自分の考えに間違いはなかったかと、考え直してみる。
絶対的権力者として、自己否定は自我の崩壊にも繋がる為、秀吉は眼を背けて来た。だが、鶴松という後継者を得て、岩覚を表舞台に戻し身近に置くことにより、考えも変わって来た。
今後の豊臣家を、生きているうちに何とか盤石に近い状況に近づける為には、失敗は少ない方が良いと考え直していた。
「そうだな、調査の件は進めよう」
秀吉の言葉に、岩覚は頭を下げた。




