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浪速の夢遊び  作者: 秋鷽亭


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閑話(本多忠勝)

本編とは、直接関係はありません。


※二千十七年四月十五日、誤字・文章修正、文章追加

※二千十七年六月三日、誤字、文章修正。

「納得が出来ぬ!」


忠勝は、床に力任せに、殴りつけた。

周りの諸将は、同意しているのか、頷くものが多く、苦い顔をしているのは、数正のみであった。




元亀元年(1570年)に行われた姉川での朝倉・浅井の連合軍との戦いが終わり、浜松城での帰還後集まり、今後の事を話し合うために広間に集まった。

家康の今川家への侵攻が一段落し、領内を整える必要があるにも関わらず、信長の要請により、姉川に出兵したが信玄の動きにも注意をはらっていた。

今川家の領土は信玄と協議を行い、配分を決めたが、信玄は当初の話し合いを行った境界を守らず、小競り合いを仕掛けており、家康が抑えた旧今川家の領土への意欲を見せ油断が出来なかった。

対信玄として、北条氏康と協力を取り付けたが、永禄12年(1569年)の三増峠の戦いで敗れ、損害を受けたことにより動きが消極的になっていた。

駿河国を押さえた後、信玄は上野国や上杉輝虎への抑えのために、躑躅ヶ崎館に戻っていたが山県昌景が江尻城代に配置し、駿河国の国人衆の支配を強め遠江国へ侵攻への準備を進めている事が、忍びの知らせから分かっていた。

国人衆への慰撫が終わるまでは、まだ時間がかかると思われ、家康も遠江国の国人衆への慰撫や、防衛の構築を進めていた。その為、忠勝にとって、同盟を結んでいるとはいえ、信長の援軍要請など受けている暇はないと憤りを感じていた。

足もとを固めるべきと進言したが、家康は援軍を受託し、大久保忠世、忠佐達に、後を任せ、援軍を率いて近江国へ向かった。

内通など寝返り工作など、家康も信玄も行ってはいたが、信玄が遠江国への侵攻は行われなかった。幸いであったが、姉川で甚大な被害を受けていれば、即座に信玄が動いていたであろうと感じていた。


姉川では朝倉軍と戦い当初は、朝倉軍を率いる朝倉景健が手堅い戦い方で徳川軍を防ぎ、朝倉宗滴に鍛えられた兵を引きる朝倉景紀が酒井忠次、小笠原長忠を押し込んだが、石川数正が後詰をしたことにより押し返すことが出来た。

その後、立て直した忠次、長忠が攻勢を強めるが、前波新八郎と景紀が連携を取りながら徳川軍をさばき一進一退の攻防が続いていた。

景健は兵を消耗しないような戦いをしており、家康は攻めあぐねじりじりと時間だけが過ぎて行った。


長政は、織田軍に猛攻をしかけ、先鋒を坂井政尚が受け持っていたが、子尚恒が打ち取られ、陣が乱れたところを突破され、池田恒興、木下藤吉郎が戦いを進めていたが、浅井軍を押し返すことが出来なかった。

磯野員昌が恒興を攻め、浅井政澄が藤吉郎を攻めたて、左右に兵が押し除けされその隙間を、阿閉貞征、新庄直頼が切り裂き前進し、柴田勝家の軍と激闘を繰り広げた。


長政の攻勢に、織田軍が受け身になり防御していたが、横山城の抑えで陣取っていた稲葉良通、氏家卜全、安藤守就の美濃三人衆が、丹羽長秀を残して、員昌たちの後方にいた長政の本陣を側面から攻めたてた。本陣ののぼりが倒れたのを見た浅井軍が動揺し、直頼が長政へ救援に向かおうと軍を退こうとしたところ戦列が乱れ、勝家が退いた直頼を攻めたてた事により、直頼の軍の乱れに貞征の兵も巻き込まれ動揺した。

浅井軍の乱れを見てとり、景健はこれ以上の戦闘は兵を損なうと感じ、景紀、新八郎に引くよう伝令を走らせ、撤退の準備を始め、受け取った両名も軍を乱れさせることなく、兵を引き始めた。


退いていく朝倉軍を見た忠次、長忠、数正に朝倉軍の退きに合わせて、攻勢を強め、ここを勝負時と考え家康は、忠勝、康政の兵を朝倉軍の側面に回り込ませた。

側面からの攻撃により、景紀、新八郎の軍が乱れを見て、景健が真柄直隆、隆基親子に兵を与え救援に向かわせた。

直隆親子の援軍が忠勝・康政と戦いその隙をもって景紀、新八郎は兵を整え、直隆の兵が忠次、長忠、数正と戦っている間に退いて行った。殿となった直隆、隆基親子に徳川軍は殺到するが、直隆、隆基親子の振るう大太刀と武勇の前に徳川軍も兵を減らしていった。




「情けない!」


怒声を発し、忠勝は、直隆に単騎で突撃していく。慌てて本多軍は付いて行こうとするが、忠勝との距離が逆に開いて行った。

その姿をみて、康政はため息を付き、忠勝たちの側面を守りながら殿の兵を攻撃していく。


「父上、向こうから鹿角の兜武者が来ています!」

「……あれは、徳川の中でも武勇の誉れ高い、本多平八郎忠勝か、厄介な奴が来たな」


少し距離がある為、隆基が大声で直隆に話しかける。若いながらも武勇に秀でていると聞こえ及んでいる忠勝を、直隆は知っていた。

攻撃を防がなければ殿の軍は瓦解すると考え、直隆は駒を進めようとするが、隆基が止めた。


「父上、忠勝と言えば、私とあまり歳も違わないと聞いています。ここは私にお任せを」


隆基の顔を見ながら、しばし、考え頷いた。


「よし、討ち取って、真柄の武勇を徳川の田舎者どもに知らしめて来い。兵の差配はしておく」

「はっ」


隆基は大きく頷き、父と同じ大太刀を肩にひっかけ、忠勝の元に駆け出して行った。


「我が名は真柄直隆が子十郎隆基なり、本多忠勝尋常に勝負!」


そう叫びながら、本多の兵に突撃すると、にやりと忠勝は笑い。


「腰抜けの朝倉にも骨のある奴がいるようだ、お主達、邪魔をするな!」


忠勝は兵たちに指示を出し、隆基の元へ馬を走らせた。


「意気込みや良し!俺が、本多平八郎忠勝だ!」

「おう、勝負!」


忠勝が名をあげると、隆基は声をあげ、両者が交錯した。

蜻蛉切を裂帛の気合で、忠勝は躱し難い胸に突き刺したが、隆基は、大太刀を上段に構え、上から左に円を描くように振り落とし、蜻蛉切を右へ弾き返しぶつかり跳ね返された反動を利用して、大太刀を切り替えし切り付けるが、忠勝は体を反りかえし蜻蛉切を退き戻し石突で大太刀を弾いた。


「やるな!」

「お前こそ!」


交錯したのちに向かい合い、忠勝は蜻蛉切を素早く突き出し続けるが、隆基も大太刀で弾き軌道をそらし続ける。

武技も体力的にほぼ互角ではあったが、大太刀の長さは父と同じ五尺三寸(175cmほど)で通常の刀よりは長いが、蜻蛉切は2丈余(6m以上)もあり、間合いでは隆基が不利であり、蜻蛉切は長さと重さもあり、体力的には忠勝の方が不利であった。

忠勝は間合いの有利さを利用して、時々、突きながら途中で軌道を変えたり、引く時に斬りあげたりして変化をつけるも、隆基は動じることなく捌き切っていた。

捌くことが出来ても、勝利をつかむことが出来ないと隆基は考え、時がたてば立つほど不利になることを自覚していた。忠勝が一騎打ちを望み兵たちも理解しているからこそ、集中して戦っていられるが、そうでなければ周囲から攻撃を受け簡単に打ち取られることになっていただろうと、忠勝の心意気に隆基は感謝していた。

粘れば粘るほど、朝倉軍の退却の時間を稼げると、心を引き締めていたが、忠勝に勝ちたいという武人としての想いも心に沸いてきていた。

気が付くと、忠勝は槍の攻撃を止め隆基を凝視し後ろに大きく下がった。


「このままでは、埒があかない。この一撃で勝負を付ける!」


本心としては好敵手に巡り合い歓喜の想いが強いが、このまま一騎打ちを続ければ朝倉軍の追撃も遅れ、織田軍の救援にも向かえないと感じた忠勝が渾身の攻撃に出る覚悟を決めた。

咆哮のような声を上げ、忠勝は隆基に向かって猛牛のように突撃していった。


「こちらも望むところ!」


忠勝の熱気に応え、隆基も突撃する。

忠勝は神速で蜻蛉切を突き出す。

周りの兵たちはその槍筋を見ることが出来ず、空気を切り裂く音のみを聞くことが出来た。

隆基は左手を柄と右手を棟に手を添えて、蜻蛉切を上にそらすが、穂先が右肩を切り裂いた。それに気を留めることなく、刃を蜻蛉切の柄に沿わせながら忠勝への馬を止めることなくぶつかりに行く。

忠勝が大太刀の間合いに来た瞬間に、蜻蛉切を上に力の限り跳ね上げ、大太刀を横に切り裂くように振りぬいた。蜻蛉切を手元に引き、忠勝は柄の部分で大太刀を受け止め、左に逸らしすれ違う瞬間に力の限り前に出す。

大太刀の先端よりのところに柄が当たっており、隆基は力負けしてしまい大太刀を落とし馬上で体勢を崩して落馬してしまった。

それを見た忠勝は、馬から飛び降り蜻蛉切を地面に突き刺し、脇差を抜き隆基が立ち上がるのを待った。


隆基も脇差を持ち、互いに打ちかかった。

脇差がぶつかり合うと同時に、忠勝は隆基の足を引っ掛け押し倒し伸し掛かりながら隆基の脇差を持つ腕を抑え、首を取ろうとするが隆基も負けじと忠勝の脇差を持つ腕を押し返す。

押し返していた力を隆基が緩め体を横にそらす、忠勝の体勢が崩れたところで、体勢を入れ替え、隆基が今度は上になり忠勝を押さえつけるが、忠勝も負けずと体を入れ替える。

何度か体勢を入れ替えながら、攻防が繰り返されていたが、隆基が押さえつけ脇差を下ろそうとしたとき、蜻蛉切で傷つけられた方の傷の痛みが走り脇差を落としてしまう。

忠勝はその隙を見逃さず、隆基の胸に脇差を突き刺した。


「お、お見事……」

「お主のような強敵と戦えて、誇りに思う」


忠勝の言葉を聞き、満足げな表情をして隆基は口から血を流した。


「……大太刀は、お主に譲る。大切にしてくれ」


消え去りそうな声で、隆基は忠勝に言い、忠勝は頷いた。


「父上、申しわ、け、ありま……」


動かなくなる隆基を見下ろした後、忠勝は勝鬨をあげる。


「朝倉家の勇士、真柄十郎隆基を討ち取った!」


兵たちは、一斉に歓声を上げ、気炎を上げた。

そして、隆基が打ち取られたとき、父の直隆も討ち取られていた。




「戦場で勝つのに卑怯はないとはいえ、三人がかりで騙し討ちのようなやり方はすかぬな」


直隆が打ち取られる姿を見た数正はそう呟いた。

隆基が忠勝の元に行った後も直隆は大太刀を持って、兵を纏めながら徳川軍を押しとどめていた。

直隆を避けるように兵を進めようとするも、真柄の兵がそれを防ぎ一進一退を繰り返していた。兵では勝っているはずの徳川軍が直隆の武勇に畏れ士気が上がらなく、真柄の兵も強かった為、思ったように動けなかった。

討ち取ればよい功名になると、向坂式部と言うものが進み出て、尋常に勝負と言い放ち一騎打ちを挑みかかかった。

武勇の差が大きく簡単に弾き返されていたが、それを見計らうように直隆めがけ背後から、槍が四本投げられた。向坂式部が飛び掛かると同時に、槍が投げられ弾き飛ばしたと同時に大太刀で、槍を切り落とそうとするが三本だけ成功し一本が左肩に突き刺さった。

槍を抜き取るが左腕が上がらない状態となり、右腕だけで大太刀をふるう状態となったのを見て、向坂式部と槍を投げた二人が一斉に直隆を切り付けた。


「卑怯なり!」


怒声を浴びせ大太刀を回転させ二人を弾き飛ばし、追撃を加えようと進みでるが背後から向坂式部が脇差を投げつける。


「小賢しい!」


大太刀で脇差を弾くが、その間に飛ばされた二人が槍を拾い上げ直隆に突き刺す。それに気が付き大太刀で弾くが、向坂式部が後ろから刀を持って突き刺してくる。

直隆が大太刀で、向坂式部の刀を弾いたところで、向坂式部が刀を手放し直隆の足もとにぶつかり押し倒される。直隆は立ち上がろうとするが、右腕しか使えず手間を取っているところに、槍を持った二人が飛び掛かり槍を突き出され躱すことが出来ず討ち取られてしまう。


「む、無念……」


そういい、直隆は血を吐いて、動かなくなった。


「……真柄十郎左衛門直隆、向坂三兄弟が討ち取った!」


向坂式部が勝鬨をあげるも徳川軍からの勝鬨は上がらず、殿を務めていた真柄の兵は、家臣がまとめ上げ撤退していった。


「戦は勝てばよいのだがな」


真柄直隆、隆基に敬意を表し数正は、追撃を行おうとしていた忠次、長忠に進軍を留め、兵をまとめた後、織田軍の救援に向かうように依頼し家康にも進言した。

忠勝、康政の軍は、真柄の兵に追撃を行わず、織田軍の救援のために浅井軍の側面を突くと数正達に伝令が来ていた。

忠次、長忠は不満はあったが追撃しても朝倉軍の本体は安全圏に撤退しており、これ以上の戦果は求められないと思い数正の提案に従った。






徳川軍と朝倉軍の戦いが終結していたころ、織田軍と浅井軍の戦いも終結していた。

良通、卜全、守就の攻撃に本陣も動揺したが、長政の指揮により跳ね返したが朝倉軍の撤退を見てとり、戦いの継続は不可能と考え撤退を指示した。

浅井軍は前線で優位に戦を進めていたが、勝家などの奮戦もあり、突破する事が出来ずこう着状態に陥っていたのも撤退を判断する材料となった。


撤退の伝令が来た員昌、政澄、貞征は、犠牲を顧みない突撃を行い、織田軍の隊伍を乱し後退する間に撤収を素早く行った。


「直経は、何処に行った」


直経が居ないことを疑問に思い、直経の子孫作に聞いた。


「はっ、織田軍を食い止める故、素早い撤退を進言せよと言って、出て行きました」

「なに、そのようなことは聞いてないぞ」


長政は、孫作に怒鳴りつける。


「いえ、父は、殿には話をしていると言っておりました」

「……、いつ出て行った」

「朝倉軍が、退きはじめた時です」


下唇をかみしめ、長政は悔しい気持ちで心がいっぱいになった。

信頼し相談してきた直経が謀ることなく動いたことに、裏切られたような気持になった。


当初は信長との同盟に反対し、同盟した後は信長との協力関係を重視していた。足利義昭の誘いに乗ることも強硬に反対した。誘いにのり朝倉家を攻める信長を挟撃することに積極的だった久政を押し込めるように進言されたが、長政は久政に説得され信長に反旗を翻した。その時の直経の悲しみの表情を思い出し、分かっていなかったのは己であったかと、わけもわからず長政は涙を流した。


「……そうか、直経はあの時、既に死ぬ覚悟をしていたのか」

「殿」


呟きに、不思議そうに孫作は見返していた。


「直経が撤退のときを作ってくれる、皆の者急げ!」


長政の指示の元、浅井軍は素早く撤収していった。


「すまぬ」


長政の呟きだけがその場に残された。




「あの者は、遠藤直経です!」


竹中重矩の声に、不破矢足が斬りつける。

戦の忙しない状況にあった信長の本陣に、直経は忍び込み信長にあと一歩のところまで近づいていたが、旧知の中であった重矩に見つかった。重矩と一緒に本陣に詰めていた矢足により斬りつけられ、避けようとして飛び退いたところを、信長の護衛にあたっていた者たちによって取り押さえられた。


「確かに、直経だな」


信長は、直経の顔を見て頷いた。


「わしの命を狙ったか」

「……」

「長政に、降ることを進める気はあるか」


信長のその言葉に、周囲は驚きの表情を浮かべた。

金ヶ崎の戦いで命の危険にさらされ、現在の苦境に追い込まれる原因となった長政を苛烈な信長が赦すような言葉に周囲は驚いた。


「無理でございましょう」

「無理か」

「はい」

「……」


直経は信長が本心で、長政の降伏を期待していることを感じていた。人柄を気に入り、信頼し大事な妹の市姫を嫁がせた長政を滅ぼしたくはないのだろうと、それに市姫を悲しませたくはないのだろうと推測できた。だが、苦境に追い込まれた信長の家臣たちは長政を赦さないだろうし、降ったとしても追い落とすため足を引っ張ってくるだろうことは予想できた。


一度裏切ったものは、信頼されることはない。いや、身内には甘い信長であれば、許すかもしれないが降った所で、所領が削られれば浅井家の家臣たちも不満がたまるだろう。

双方に疑心の種が蒔かれてしまった以上、どちらかが滅びるまで続けざる得ないと直経は考えていた。直経の想いが別にあったとしても覆ることは難しいと考えた。

信長も直経の考えが理解しているが故、次の言葉を続けることはしなかった。


信長の安否を確認する伝令が前線から本陣に次々にやってきた。


「お前の手の物か、わしが討ち取られたと言い回っているのは」

「……」


伝令からは信長が奇襲で討ち取られたとのうわさが飛び交い兵が動揺しているとあり、折り返し無事であると伝え追い返した。


「ちっ、これでは、追撃どころではないな。兵をまとめよ」


信長は、浅井軍の追撃をあきらめ、兵を引きまとめるよう伝令を走らせた。


「直経、浅井を滅ぼす。直経の首を刎ねろ!」


言葉を受け直経は、目を閉じたまま返事を返すことはなかった。






姉川での戦いが終わり、徳川軍は兵をまとめ、損害の確認や負傷者の治療にあたっていた。

朝倉軍が思っていた以上に強く、死傷者は1割ほど出ていたが織田軍の二割弱に比べれば低いと思えた。


「……」

「平八郎どうした」

「殿は」

「数正殿、忠次殿と共に、信長様に挨拶に行っておられる」

「そうか」


浮かない表情の横顔を見ながら、康政は、忠勝の胸の中にある悲しみと不満を感じていた。

ただ、此処では、不満を聞くことは出来ない。どこに、織田の者がいるかわからないためだ。


「……又八朗が、討ち取られた」

「そうか」

「孫が出来たと、長生きせねばと言っておったのに」

「……」

「このような地で、討ち死にするなど」


呟いた後、奥歯をかみしめ握りこぶしの力を強めた。

又八朗は、忠勝の父忠高から仕えているもので、康政の知己でもあり何度か戦場で一緒に戦った仲であった。

三河者らしく武骨で、忠勝への忠義の篤い武士だったと康政は死を悼んだ。


「このような戦いで死ぬことはなかったのだ」

「……」

「これは、徳川家の為になるのか、織田に磨り潰されるだけではないのか」

「……」

「明日には陣を払い、浜松に戻ることになる」

「分かった」


呟きに言葉を返すことなく、康政は予定のみを伝え、忠勝はそう返事を返し、戦いのあった姉川に向けて、忠勝は手を合わせた。


信長と会談したのち感謝の気持ちとして、兵糧や金などの物資を送る約束を取り付け、家康は徳川軍を率い帰路についた。

帰路の軍の中、忠勝は、空を見つめていた。









元亀3年(西暦1572年)、武田軍が西上の為、総力を挙げて進軍を始めた。

それと呼応するかのように、本願寺、三好・松永、浅井、朝倉などが蜂起し信長はその対応に追われた。東美濃の遠山氏が武田家に降り、本拠地の岐阜や尾張国も安全とは言えなくなっていた。

信長と同盟している家康の遠江国へも武田軍が侵攻してきた。信長の窮地は理解していたが、家康としても単独では信玄に勝つことが出来ないと考え援軍要請を行ったが、信長から援軍については、送るがしばし待ってほしいと返答があってから、既にひと月は経過していた。


「何故、即座に援軍が来ないのだ」


信長が即座に援軍を出さないことに、忠勝は激高した。

徳川家の領土より、信長の援軍を優先し、浅井・朝倉家との戦い何度も援軍として出陣し犠牲を出し続けていた。先の東美濃の戦いでも援軍を出したにも関わらず、徳川家が危機になっても援軍を直ぐに出さない事に、忠勝は我慢の限界が来ていた。

それは、忠勝一人ではなく、程度の差はあれ他の同僚も同じ気持であった。数正など、一部の他国との交渉を行っている者たちは、信長の状況を理解しており同調する事はなかった。


「忠勝殿、怒りは分かるが、今は、武田の者たちの対応を考えねばならぬ」

「数正殿!」

「怒鳴ったところで、兵が増えるわけでもありますまい」

「くっ」

「かといって、織田のやり方は!」

「親吉殿」


平岩親吉の顔を見ながら数正は顔を左右に振った。数正の表情に言葉に出せない想いを感じ、親吉は握りこぶしに力を込めた。


「我らは、これまで幾度となく、織田に力を貸し、兵を出し犠牲も払ってきた。それにも関わらず、この度のこの仕打ちは如何なものか!」

「忠勝殿、織田は四方から攻められ、援軍を出せる余力が少ない状況なのは分かっているだろう」

「織田を庇いだてするのか、お主は織田家の家臣か!」

「その通り!織田が頼りに成らぬなら、武田と手を結ぶの仕方あるまい」


本多重次の言葉に、鳥居元忠が同調するような発言をすると、何人かが同調して大きく頷く。


「武田に降りますか」

「このままでは、致し方あるまい」


重次の言葉を聞き、無表情で数正は顔を向ける。


「そして、織田家との戦いの先鋒を任され、武田家のための捨て石にされますか」

「……」

「たとえ、先鋒となったとして、織田にそれを防ぐ手立てはない!四方から攻められてる以上、こちらに向かう兵は少ないわ!」

「確かに、今、攻撃すれば勝てないこともないだろう」


重次、元忠、大久保忠世の言葉に、数正は顔を左右に振る。


「この度の事で、織田が倒れますかな」

「我らが手を貸せば、倒れる!」

「では、倒れたとして、我らが何を得ることが出来ますか」

「武田と交渉すれば、尾張を割譲させる事は出来るのではないか」

「その通り、三河武士の武威を見せれば、武田とて無下にはするまい」

「重次殿、元忠殿、本当にそうなると思われるのですか」

「お主であれば、それぐらいの話纏める事が出来るであろう」


数正は、元忠の言葉に、口の端を少し上げた。


「無理ですな」

「なに」

「ご自身で、交渉の場に向かわればどうか。口で言うがやすし、出来るなら元忠殿がやられればよい」

「お主、俺を馬鹿にするのか!」

「別に馬鹿にしておりませぬ。他人に責任を押し付けて、ご自身は気楽なものだと思いまして」


元忠は、刀に手をかけ立ち上がろうとするが、それを康政が抑えた。


「いい加減になされよ」

「貴様!」

「お家が危機に陥っているときに、味方同士で争って何の益があるのか」

「……」


窘められた元忠は、大きく息を吸って吐いた後、座りなおした。

それを見ながら数正は言葉を続ける。


「武田の強欲さを軽く見てはなりません。駿河を得たとはいえ、甲斐はやせ細った土地が多く未だに国内を満たすほどの作物はないでしょう。信濃の民は過酷な取り立てが行われているとも聞いています。その武田が、肥沃な尾張を我らに渡すと思われるか。やつらは奪った土地は己で支配するでしょう。最悪、遠江の領土を渡せと言われるかもしれません」

「まさか、それでは降ってくるものが居なくなるぞ」

「刃向ったうえでの降伏するのです。何かしらの罰があってもおかしくありません。それに、長年の同盟を捨てる我らを、猜疑心の強い信玄が何事もなく受け入れるとは到底思えません」

「人質を出せと」

「ええ、出さなければなりますまい」

「信用されるためには、殿の親類以上の者を出さねば納得されないでしょう」

「しかし、今まで徳川の者が犠牲となり血を流してきた。同盟というならば、織田も血を流すべきではないか」

「確かに、我々は多くの血を流しましたが、それに見合うだけの利を与えてくれました。だが、武田はそのような配慮をしてくれるでしょうか」


数正の話を聞き、怒りに声を荒げていた重次達も苦い表情をして沈黙した。

怒っていた者たちも武田に降っても、良い未来が待っていないことは薄々気が付いていた。既に領土を侵食され、降った所で返してくれることはありえない。信濃や駿河における苛烈な対応を見ていても、重次達も降るのは難しいと考えていた。

ただ、今まで尽くし協力していたにも関わらず援軍を即座に送ろうとしない信長の対応に怒りが爆発した過ぎない。


「では、どう」


忠世が数正に聞こうとした時、部屋の外から近習の声がした。


「失礼します」


その声に、眼を閉じ黙って聞いていた家康が答えた。


「如何致した」

「織田家からの使者が来られました」

「別室へお通しろ、すぐに向かう」

「はっ」


近習が離れる音を聞きながら、家康は立ち上がった。


「数正、ついてこい」

「分かりました」

「皆は、しばし待っておれ」

「はっ」




四半刻後、家康が数正を連れて戻ってきた。


「殿、どのようなことで」


忠次の言葉を聞きながら、家康と数正は座った。


「信長殿が援軍を出してくれるそうだ」

「おお」


家康の言葉に、皆、安堵の表情を浮かべた。


「それで、如何ほどの兵力を」

「都合二万ほど出すと言われておる」

「それは……」


二万と兵力は多いが、武田相手では心もとないと、忠次は感じ数正に顔を向けると眼が合った。


「今の織田が出せる限界でしょう」

「そうか……で、率いられる大将は」

「佐久間信盛殿です」


忠次は深く頷いた。信盛は信長と信勝の家督相続争いでは一貫して信長を支持し、信長の信頼も厚く用兵も手堅く信頼がおける。林秀貞が家臣筆頭であったが、織田家中では実質的に信盛が家臣の中で一番上位であった。それほどの者が援軍としてくるのであれば、徳川家の事を信長が大事にしていると理解する事が出来た。


「他に来られる方々は」

「平手汎秀殿、水野信元殿と聞いているが、まだ、増えるかもしれません」


汎秀は、信長の傅役であった政秀の子であり、信長が目をかけている者であった。また、信元は家康の母於大の事で関係は良好ではないが、勢力は大きく援軍としては期待できると忠次は考えた。


「信長殿は、現状、出来うる限りの援軍をよこす約束をしてくれた。後は、我々が奮起するだけだ」

「はっ」






援軍を得た家康は、信玄の侵攻を牽制するために信盛など織田の援軍を率い三方ヶ原へと布陣した。

決戦するか家康も迷っていたが、そのまま武田軍の進軍を止めなければ、国人の中で離反するものが出る可能性があり浜松城から出陣した。

武田軍と対陣しながら、持久戦を仕掛けようとしたが、小山田軍の投石攻撃を受け一部の兵が暴走し小山田軍に攻撃を仕掛けた。

それが発端となり両軍が戦い始める事となるが、信玄への畏怖や忍びによる流言飛語により徳川軍が浮き出し立ち、士気が高くなかった織田軍が崩れ敗走することになった。


「くそっ!」


忠勝は、浜松の城の柱を殴りつけた。


「平八郎無事であった」

「小平太か」

「殿は」

「無事……とは言い難いが、戻られている」

「傷を負ったのか」

「いや、恐怖のあまり脱糞されただけだ」


忠勝の言葉に、強張ったからだと顔が緩んだ。


「そうか……忠真殿は見かけないが」

「叔父上は、殿のために残った」

「……」

「俺も残ると言ったのだが、殿を守れと」


そう言いながら、こぶしを握り締め、唇を噛み締めた。


「平八郎、こぶしを緩めろ、血が出ている」

「くそぉぉぉぉぉ!」


崩れ落ちるように膝をつき、涙を流しながら床を殴りつけた。


「又一も叔父上と共に残った。又八朗に頼まれていたのに!」


その姿を康政は何も言わず見守り、落ち着いた頃に声をかけた。


「又八朗とは、姉川で討ち死にした」

「そうだ」

「……」

「織田が、信長がもっと兵を出してくれれば、こんな無様な負けは!」

「平八郎」

「……分かっている、分かっている。己が未熟であったことも、八つ当たりでしかないことも!俺に力があれば!徳川に力があれば!」


そう言い忠勝は身動きせず、涙を流し続けた。







「どうした平八郎」

「ん、ああ、直政の恩賞も、我らがあれらを上回っておれば通ったのかと思ってな」


忠勝は、康政に酒を注ぎながら答えた。

苦笑しながら注がれた酒を口に運ぶ。


「どうだろうな。赤備えと言ったところで、金のあるところであれば見栄えが良いから家臣に与えているものが居てもおかしくあるまい」

「ふん、それならば、天下を取れば問題ないということか」

「そう簡単に行くまい。織田家崩壊の時に、介入し主導権を握れなかった時点で逃したわ」

「まだどうなるかわかるまい」

「確かにな」

「ただ、殿のお考えがどの辺にあるかわからん」

「……それが分るのは、正信だけだろう」


正信の名前を聞き、忠勝は苦虫をつぶしたような表情をした。


「その名前を出すな、酒がまずくなる」

「くくく」


忠勝の表情を見て、愉快そうに康政は笑った。


「笑うな、貴様を嫌ってるだろうが」

「まあそうだが、しかし、やつの忠義は疑っておらん」

「ふん、刃向い裏切ったものを」

「信仰の恐ろしさだな、流浪し一向宗の本質を見て、信仰を捨て忠義に目覚めたのだろうよ」

「……もうよい、この話は酒が不味くなる」

「わかったわかった」

「もう二度と、後悔はしたくないわ」

「そうだな。その為には備えをしておこう」


康政の言葉と共に二人は、酒を一気にあおった。



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