第三十ニ話 利休
※二千十七年三月一日、誤字、文章修正
※二千十七年六月三日、誤字修正。
「ごほん」
「秀長殿、よろしいですかな」
「お入りください」
大和郡山城の秀長が寝ている部屋に、利休が入ってきた。
部屋に入ってくると同時に、秀長は、小姓の手を借りて、上半身を起こした。
その姿を見て、利休は気遣いの表情を見せた。
「ご無理されず、寝たままで」
「いや、大丈夫です」
利休の気遣いの言葉を断り、姿勢を正した。
「下がっておれ」
小姓にそう指示をして下がらせた。
小姓が部屋から出て行ったのを待ち、利休は話しかけた。
「して、この度どのようなご用件で」
「……」
秀長は、顔を利休に向け、目をまっすぐに合わせた。
しばしの沈黙の後、問いかけた。
「もう、良いのではないですか」
「……何の事ですかな」
秀長は、左右に首を振ったが、利休は表情を変えることはなかった。
「義姉上の件で使われた、薬を南蛮に手配したのは、貴方であることは調べがついております」
「……」
「どなたからの依頼かまでは、調べきれておりませんが、かといってあの事件での責は負わねばなりますまい」
秀長の問いに一切返事をすることなく、利休は目を閉じた。
「何をお考えか分かりませんが、兄上に弁明をされるならば口添え致しましょう」
利休は、ゆっくり目を開け、秀長の目を見た。
「遅かれ早かれ、鶴松様は調べ上げるでしょう」
「……」
「しかし、それを公にすることはできないでしょう」
豊臣政権下において、秀長は秀吉の分身とも言える立場であり、内々に謀る立場にあると内外に知られており、その一人が鶴松殺害に関わった事が世間に知られれば、豊臣政権を崩壊させかねない危険があった。
秀長の命も長くなく、己の後を継いで秀吉や鶴松支えるべき秀次は、若く経験も浅く、諸大名に人望はまだない状態であり、利休の問題に対応できるとは思えなかった。その為、秀長は、生きている間に、問題を処理する気であった。
秀吉が天下を取ったとはいえ、譜代も一門も少なく、諸大名の力もなくなったとは言い難く、利休の取り扱いを間違えれば、秀吉の死後、豊臣政権消滅の危険の芽が出てくる可能性が高い。秀吉が生きている間であっても、内々の事を相談するように紹介された利休が、二心を抱いていると疑われれば、諸大名が動揺しかねない。相談した内容が秀吉に正確に伝わっているか疑いだし安心が出来ず、疑わしい者を相談するように紹介した秀吉を信用できなくなり、豊臣政権の求心力低下は確実だと考えられた。
「信長様が、お隠れになった時に、私の夢は途絶えました」
「兄上の元では無理でしたか」
「確かに、信長様に比べ交易に関しては殿下の方がやりやすかったですが、世界への夢を見させてくれたのは……信長様でした」
「その夢を叶えられませんか」
「無理でしょうね。信長様は南蛮を含め、広い世を見て、私には想像できない発想をされましたが、殿下は天下を取った後の事は、信長様の発想の元に行動されており、聞かれたことを実現してしまえば其処で立ち止まってしまうことになるでしょう。新しい発想、新しい夢が産まれてくることがないのです」
「……」
「私は信長様がこの世から消えた時に、夢を見るのを止めたのです」
「だから、茶器を売り利益を上げ無断で南蛮と取引していたと」
秀長の問いに、利休は頷いた。
「資金を貯めて、南蛮へ行きたいと思うておりました。信長様が夢見た世界の果てを見るために……」
「信長様は、堺を締め付けていたと思いますが……」
「確かに信長様との商売のやり取りは厳しかったですが、それは商人としての戦場、不満はありませんでした」
言いながら思い出すように利休は、ほほえみながら話した。
「しかし、目先の利益だけを求める他の大名たちと違い、信長様は先の世界を見ておられました。それが淡い夢であっても、あのお方であれば、実現できる目標となると思えました。狭いこの国から私を連れ出してくれるお方だと思っておりました」
「……鶴松様ならば、それが出来るやもしれませんよ」
「未だ先もわからぬ、幼子では、難しいでしょう」
寧々の事件をきっかけに鶴松に会わせる人物は、ごく少数の信頼できる者のみに限られ、鶴松の言動や人柄は口外せぬように厳戒態勢がひかれていた。
諸大名などに知られれば、警戒対象になるか、気味悪がられ排斥の対象にもなりかねず、嫌っている淀君が騒ぐ恐れもあった。家康などがこれ幸いに巷に根も葉もない悪意のある噂をばらまき、豊臣政権を貶める恐れもあった。
利休は、信頼厚いとはいえ、茶人として諸大名とも繋がりがあり、情報を漏らす可能性を畏れ秀吉は接触させなかった事を、書状を受け秀長は理解していた。
「責を取って、腹を切りなされ」
「……」
利休は再び目を閉じ、四半刻、沈黙した。秀長は話しかけることなく、利休が話し出すのを待った。
己が手を出していないとはいえ、南蛮から取り寄せたもので、寧々が錯乱し鶴松が殺害されそうになったことは事実であり、関係ないとは言えないと理解していた。このままであれば、秀吉の怒りが利休のみならず、家族や茶の湯まで咎が及ぶ恐れがあった。秀長の腹を切れと言う話は、咎が及ばないように防ぐ手立ての提案であると思え温情であると考えた。
「致し方ありませんな」
目を開け、秀長に答えた。
「ただ、利休殿が意図していたわけではないのは分かっております。ですので、腹を切ったとして、表舞台から消えれば良いかと思います」
「それは」
利休の言葉を手で止めた。
「兄上からも了承を取っておりますので、問題ありません」
秀長の言葉に、複雑な表情を利休は浮かべた。
「それで、私に何をせよと」
「琉球や高山国を経て、それよりも先を見てきてもらいたい。そこで、拠点を作ってもらいたいと考えています」
「……」
「ある意味、追放のようではありますが、これから先、外に出ていく為の情報が必要になります」
秀長の話を聞き、若き日に目指したかった地を、見ることが出来るかもしれないと利休は心を躍らせた。家を継ぐ為に諦めた、事を先のない命をかける。この地に残っていても残るのは死ぬ未来しかない。
利休は二度ほど頷いた。
「分かりました。請け負います」
返答を聞き、秀長はほっとした表情を浮かべた。
「兄上には伝えておきます」
「よろしくお願いします」
「最後にひとつ」
「薬の行方ですね」
「はい」
「……」
利休は、上を見上げる。
利休という茶人はもうすぐ死ぬ以上、今更隠す必要はないと考えた。
「忠興殿にお渡ししました」
「……忠興殿」
「はい」
秀長は眉を顰めた。利休と淀君が廊下で会話をしていたという情報は入っていたが、忠興との関係の話は出てこなかった。
「隠すつもりはありませんが、淀君と城の中で話をされていたとか」
「はい」
「この薬の件と思いましたが」
利休は左右に首を振った。
「淀君から頼まれたのは、堕胎の薬と、子を宿しやすくする薬です」
「……」
淀君が秀吉を含め、豊臣家を嫌悪していることを秀長は気が付いていた。父長政、義父勝家が滅びたことに関わった事が原因であり、勝家の死に際して、母である市姫も自害している。
好色である秀吉に抱かれるのを嫌ったとも、長政の死で既に生きる希望をなくしており、兄信長も死んだことによりこの世に未練が無くなったとも考えていた。
堕胎の薬は理解できるが子を宿す薬に関して、秀長は疑問に思えた。
「そうですか、鶴松様の生母が関わっていなかったのは幸いです」
その話に、利休は頷いた。
「なんにせよ、利休殿はいったん戻って、身辺整理を行って、大坂の兄のところに向かってください」
「分かりました」
利休は、頭を下げ、部屋を出て行った。
秀長は、小姓を呼び、聞いた内容を纏め、秀吉に早馬を送った。
利休は堺の屋敷に戻り、子の道安、少庵を呼びだした。
「父上、どのようなご用件でしょうか」
「道安、私は隠居するゆえ、お主に千家の跡を継いでもらう」
利休の言葉に、道安は驚きの表情を浮かべた。母宝心妙樹と利休の関係は悪く、利休からも可愛がられた記憶は少なかった。後に、利休が宗恩と再婚すると、その連れ子である少庵を可愛がり親子関係は悪化し、家を出ることになった。後に、利休とは関係が修復したと言っても、千家の跡目は少庵が継ぐのではないかと利休の門弟も道安自身も思っていた。
「私にですか」
「そうです」
「ありがとうございます」
そう言い、道安は平伏した。少庵は、それを横目に見ながら落胆の表情をしていた。道安ではなく自分が継承できるのではないかと期待していた為、悔しく思った。
「それと、この屋敷を引き払う」
利休の言葉に、二人は目を見開いた。
「そ、それは、何故ですか」
「お主は独り立ちするのだ、この屋敷は邪魔になる」
「しかし、父上は、何処に住まわれるのですか」
「大坂に行くことになる」
道安としては、屋敷も継承する事が千家の当主になる証になると考え、少庵は、当主になれなくても屋敷は譲られると淡い期待をしていた。
「あと、道安、お主にはこの文を持って、長近殿の元に行くがよい」
「長近殿ですか」
「そうだ、長近殿から学び、茶の湯の真髄を目指すがよい」
秀長との話で、子ども達の安全は確保できると考えていたが、薬を渡した忠興の行動が読めなかった。気性が激しく過激な行動に出る恐れがあり、子たちの安全をはかる必要があると考えた。
利休は、信頼のおける高弟のひとりの金森長近に道安を預けることにした。
「少庵、お主は亀を連れ、氏郷殿の元に行くのだ」
「氏郷殿ですか」
「そうだ。氏郷の元で、道安とは違う茶の湯を見つけなさい」
「分かりました」
少庵は、頷いた。
「お主にも茶器を分け与える。お主ら兄弟で、我が茶の湯を磨き上げてほしい」
「「分かりました」」
道安、少庵に茶器をすべて渡し、屋敷を退去して、数日後、忠興が利休の屋敷を訪れた。
「師匠、この度の事、どうなされたのですか」
「私も歳だ。後進に後を譲るべきと思ってな」
「……そうですか」
眉を顰めながら忠興は頷いた。
「今日、呼ばれたご用件は何でしょうか」
「この屋敷を、お主に譲ろうと思ってな」
「ほお」
口の端を釣り上げ、笑い顔に忠興はなった。
「何故ですかな」
「他の物には既に、道安を通じて茶器を分け与えているが、お主にはこの屋敷をと思っている」
「それは、師匠の茶の湯を継ぐのは私と言うことで」
利休は首を左右に振る。
「茶の湯は道安に継がせた」
「少庵殿は」
「少庵には、少庵の茶の湯を作り上げてもらいたいと思っている」
「……」
「それは、全ての弟子すべてに言えること、お主にも新しい茶の湯を目指してもらいたい」
忠興は、利休の言葉に、疑問を感じた。これまでの利休は、自身の茶の湯に固執し他で行われる茶の湯に圧力をかける事もあった。茶器が売られないように手を回すこともあった。
「……師匠何かありましたか」
「私は私の茶の湯を誰に気にすることなく、精進したいだけだ。世俗に捕らわれれば、茶の湯を極められないと思っておる。ゆえに、隠居したかったのだ」
「では」
「殿下にも話をして、何処かに庵を作ることにする」
「ならば、屋敷は、道安殿に譲っても」
「それでは、道安も私の茶の湯に惑わされる恐れがある」
忠興は、表面上は納得したように見せているが、内心は疑心が渦巻いていた。利休が秀長の元に行ったことは報告が上がっているが、その時の話の内容は分からない。手の者をもぐりこませようとしたが、防諜が固く入り込むことが出来なかった。
戻ってきてから周辺を探った結果、利休の雰囲気が変わったと考えていた。秀長との話で、受け取った薬の話が出ていなかったか苛立たしい日々を過ごしていた。
「師匠」
「何か」
「あの件は話されていますか」
「話してはいない」
忠興の質問に、利休は即答しその答えに、満足した。
「屋敷の件、承りました」
「では、よろしく頼む」
忠興は、平伏したと同時に、脇差を抜き利休の腹を刺した。
「た、忠興」
そう呟きながら、利休は口から血を流した。
「師匠、あの件が表に出るのは非常にまずいのですよ」
「き、貴様!」
利休の言葉が発せられると同時に、忠興は力を込めて、脇差を深く突き入れた。
「す、すみ、ま……」
忠興の肩を突き出そうと利休は力を込めたが、引き離すことが出来ず息を引き取った。
利休の手を掴み、脇差を握るようにさせて、自害させたように見せかけようとした。切腹の儀式として、服の上から腹を切ることはおかしいが、気が狂ったとすれば、ありえないことではないともいえた。
判断するのは、己ではないから関係ないと考えた。
「生きていてもらっては、困るのですよ。屋敷に誰も居ないのは都合が良い。まあ、疑われても言い訳は出来るだろう」
そう呟き、日が落ちた空を見て、屋敷を後にした。
「秀長様」
「どうした」
「利休様が、腹をめされました」
「そうか……」
秀吉からどういう手筈で事を進めるかの連絡はなかったが、利休との打ち合わせ通りとなり秀長は軽くうなずいた。
「堺の屋敷にて、ご自害されたようです」
「……堺の」
「はい」
大坂に向い秀吉と打ち合わせをした後に手筈を決めるはずで、堺の屋敷で自害するとは思えなかった。
「殿下に文を出す」
「はっ」
秀長は、秀吉に確認を行うために、文を書き送り出した。




