第三十一話 利益
※二千十七年二月一日、誤字修正
当時の大阪の街は、秀吉によって区画整理が行われ、京や堺に負けないほどの活気を見せていた。
大坂城は、大和川の水を利用し、水堀としていた。その大和川を利用した水運などが活発であり、物流の集積地として、大坂の街はにぎわっていた。
その街を、政実は見物に歩いていた。奥州と比べ、人の多さと、賑わいに驚きながら、色々なものを見て回った。
商いをしている店舗を覗いたり、茶屋に座って話を聞いたりと、情報を集めながら、上方の力、豊臣家の実力を肌で感じていた。
清正の話にのらず、信直に対し挙兵したら、捻りつぶされていたであろうと身震いしたが、そのような強大な力をもつ豊臣家と戦い損ねたことに、残念な気持ちも沸いていた。
負けたとしても、後世に恥じぬ戦いをしたであろうと、ありもしないことを考えながら、街をあるいていると、どこかで喧嘩をしている声が聞こえてきた。
声のする方向に歩いていくと、初老の大柄な男と、無頼の集団とが言い合っていた。
「てめぇ、ふざけるな!その少女は、借金のかたに引き取ったんだ、返しやがれ!」
無頼の頭と思われる厳めしい巨体の男がドスを聞かせて、怒鳴っていたが、言われた大男は、煙管をふかしながら、にやにや笑い、くだんの少女を背後に隠していた。
「いくら、武家の旦那とはいえ、こちらの掟を破ることは、許されることではないですぜ!」
頭の声に、周囲の配下の無頼の徒がはやし立てた。
「不義理なことをするようなら花街へ、今後入れるとは思わないことだ!」
「ほう、お前は、花街の翁殿と、知り合いか」
「何だとぉ」
大男の言葉に、片眉をあげ、頭は反応を示す。
政実は、翁とは誰の事かわからず、首を傾けるが、取り巻きの無頼は、顔を見合わせた。翁について、頭は知っていたようだが、取り巻きはしらないような感じに見受けられた。
「最近、あこぎなことで、堅気の少女を無理やり花街に引き込む奴らがいると嘆いていたが、おぬしらの事かな」
そういいながら煙管を、刀の柄にコンコンと叩いた。
「もし、そのようなものを見たら、わしが叩きのめそうといったが、掟を破った者の始末はこちらで行うと言われたので、とりあえず、おぬしら、おとなしくしておけ」
「ふん、知った風にいうな、翁などと、知ったことではないわ!」
「ほお」
大男は笑顔で、煙管を後ろの帯にさし、腹の帯にさした鉄扇を取り出して、扇ぎだし、大あくびをした。
馬鹿にしたような態度に、頭は顔を真っ赤にして、手下に命令をする。
「おめぇら、思い知らせろ!」
「「「「おう!」」」」
号令一下、手下が一斉に動き出した瞬間、政実は、大男の横に並んだ。
それを見た手下が一瞬、動きを止めた。
「なんだ、おめぇは!」
「仲間なら容赦しねぇぞ!」
手下たちは、一斉に政実を怒鳴ったが、それを無視して、政実は、大男に話しかけた。
「必要はないと思うが、あっちが悪者そうだから手を貸そう」
大男は、政実の顔を見て、男が惚れそうな笑顔を向けてきた。
「おもしろい、この状況で、俺が勝つと?」
「捻りつぶしそうだが、まあ、何かの縁だ」
「なかなか、酔狂な御仁だな」
「まあな」
二人は顔を見合わせ、普通なら笑える状況でもないのに、大声で笑いあった。
「てめぇら!なめんてんじゃねぇ!」
頭は、怒鳴り、巨体をおどらせながら、棍棒を持ち上げ、大男に振り下げてきた。
大男は、それを鉄扇で軽くいないで、鉄扇を持っていない手で、頭の顔面を殴り飛ばした。
頭は、それで気を失い、その後ろにいた手下を巻き込み倒れ込んだと同時に、政実は動き、残っている手下に攻撃を仕掛ける。
刀は使わず、組手を使い、手下を気絶させていく。
大男も、転がっている石を使い、逃げ出そうとしている手下にぶつけ、気絶させていく。
時間をかけず、手下も含め無頼の集団を鎮圧してしまう。
「なかなかの腕だな」
「そちらこそ、見立て通り、手助けがいらなかったようだな」
「そうでもないさ、楽が出来た」
大男は大笑いしながら答え、目線を政実からずらし、無頼の徒のいた後ろの方を見る。
大勢のみすぼらしい姿をした者たちが出てきて、倒れた無頼の者たちを引きずって行く。最後に、率いていると思しきものが、大男と、政実に頭を下げ引き上げていった。
「……あれ、先ほど言っていた」
政実に、にやりと大男は笑い、後ろにいた、少女に話しかける。
「親父の元に帰ってやんな」
「でも……」
「暴行を受けて、脅されて無理やり書かされた証文は、処分しておくから気にせず、帰って、看病してやんな」
「……はい、ありがとうございます」
少女は、深々と二人に頭を下げて、駆け出して行った。
「ふむ、そういうことだったのか」
「ああ、親父さんとは、飲み仲間でな、顔を見なかったから家に行ったら寝込んでいて、事情を聴いたんだよ」
「縁もゆかりもないとは言わないが……」
普通ならば、無頼の徒との争いなど、手出しすることもない。後の仕返しが怖いからだ。武士であっても、立場の高いものでもない限り、護衛のものもいない。暗殺や襲撃の恐れがある以上、手出しをしかねるのが当たり前なのに、何が楽しいのか、笑顔で手を突っ込むのは、酔狂なのか、馬鹿なのかと悩むところだった。
「ああ、名乗るのを忘れていたが、九戸政実だ」
「おお、こっちも忘れていたな、前田慶次郎利益だ。ここら辺で見かけたことがないが、最近来たのか」
「そうだ」
「ふむ……」
利益は、政実の顔を見つめた。
「奥州から来たのか」
「……」
「まあ、そう警戒するな。この年になると色々なものに会う。京、堺、大坂、色んなところから人が集まってくる。おぬしを見ると、奥州から来たものと同じ雰囲気を感じただけだ」
「そうか」
「奥州と言えば、南部駒は優秀なものが多いというが、おぬし所有しておらぬか」
「相棒はいるが……やらぬぞ」
眉を顰めていう、政実の表情を見て、利益は笑い出す。
「取らぬ取らぬ、ただ、馬を見れば、おぬしの事がわかると思ってな」
「そうか、では、おぬしの馬も見せてもらおう」
「おお、いいぞ、それと、俺の事は慶次郎と言ってくれ」
「ならば、わしは、政実と呼んでくれ」
「分かった、それならば、縁を結ぶために、一献飲みに行こうか。京や堺ほどではないが、大坂にも良い店がある」
「……」
悩む、政実を気にせずに、背中をたたきながら、行こうと誘う。
「気にする必要はない、明日、戦で死ぬかもしれぬ。飲める時に飲み、食べる時に食べ、女は抱けるときに抱く、それでよいではないか」
明け透けな物言いに、悩んでることが馬鹿らしくなり、政実も付き合う気になった。
「良かろう、これから此処にもよく来るようになるだろうから、付き合うとするか」
「そうそう、初めから、そういえばよいものを」
利益は、楽しそうに笑いながら、政実を連れて、花街に向かって歩いて行った。
「直政」
徳川家の屋敷の廊下で会釈してすれ違った際、忠勝に、直政は呼び止められ振り返った。
「何かありましたでしょうか」
「やりあったらしいな」
「何のことでしょうか」
「しらばっくれるな。正信とやりあったのだろう」
「……」
直政は、何のことか分からず眉を顰めて、忠勝を見た。
忠勝は口を釣り上げて見つめ返す。
「殿下に、赤備えを他に使わないようお願いしたらしいな」
「……はい」
「それで、殿に叱責されたと、ここは、もう話が広まっている」
「……」
赤備えの事について、忠勝が言った際、能面のように表情を変え直政は消した。
表情の変化を見て、内心にある悔しさを忠勝は感じて、苦笑した。
「まあ、それは良い。武功を誇り、恩賞を聞かれ答えることは問題ない」
その言葉を聞いて、怪訝な表情を直政は浮かべた。
にやりと笑い、忠勝は言葉を続ける。
「殿下とのやり取りと、殿の叱責を考えれば、そのあと、正信を含め、三人で話す場があったはず。そこで、正信がしたり顔で、おぬしを窘めたのは想像できる。あの数正殿でさえ、袖にふったおぬしが反論しないはずがないであろう。違うか」
「……」
問いかけに表情を変えることはなかったが、否定する言葉も言わなかった姿を見て、忠勝は軽く頷く。
「正信とやりあうなら力を貸すが……」
言うと同時に、目を細め、殺気を放ち、直政は身を固くする。他の者であれば、腰を抜かすほどの殺気であったが、踏みとどまる。
直政とて、武勇に優れ、敵に恐れられるほどの武士であったが、忠勝の武勇には、まだまだ及ばなかった。
「今の世で、豊臣家の不興を買うのは危険だ。やりあうのならば、死力を尽くすが、その理由が、貴様の欲求を満たす為が発端なぞ、馬鹿馬鹿しくて、死んでも死にきれぬわ」
言葉を受け、直政は顔を下に向け、下唇をかみしめる。
「己の言葉が、お家にどのような厄災が降りかかるか、わからぬのか。家中ならば良い、だが、殿下や他家であれば、責を取って、腹を切る覚悟を持て」
「……」
「お主には、わしらが死んだあと、殿を、徳川家を支えてもらわなければならぬ。軽はずみなことはするな」
「……ご助言、感謝します」
直政は顔をあげ、会釈して去って行き、忠勝は深いため息をついた。
「これはこれは、無鉄砲で、周りに迷惑をかけた平八郎とは思えないな」
その声に、忠勝は振り返る。
「小平太か」
声の主が、康政と気が付きばつの悪い表情を浮かべる。
「何だ、問題あるか」
「別にない」
そう言いながら、笑いながら忠勝に近づいてきた。
「お前が言わなければ、俺が言うことになったであろうな」
「そうか」
「本来ならば、数正殿の役割であったのだがな」
「……」
調整役であった数正が居なくなった徳川家の損失の大きさを感じて、忠勝は左右に顔を振った。
「忠次殿は既に隠居されたし、正信殿では、難しかろう」
「ふん、正信如きにできるわけがあるまい」
正信に対する反感に、康政は苦笑を浮かべる。
同じ一族ではあったが、忠勝は三河一向一揆で敵対し、家康を苦しめた正信に対して反感を持っていた。
康政としても、正信に対して、良い感情は持ってはいないが、知略謀略で不足している徳川家には必要であると考えており、自身の感情は抑え込んでいた。
ただ、同じ一族である忠勝や重次などからは、唾棄されるほど嫌われていた。いつも愚痴を聞く立場の康政は、正信が家中を乱したり、分断したりした形跡もなく、その謀略は常に外に向けられていた為、愚痴が感情的過ぎて、共感できなかった。
忠勝、重次が、三河一向一揆や謀略面で、毛嫌いしているから嫌ってる部分もあるが、意見を出しても、常に正信の方が重く用いられていると感じ、嫉妬しているのではないかと考えていた。
正信も苦労してきたからか、己の立場を理解しており、所領も少なく、戦術については、意見を聞かれなければ発言することなく、忠勝などの意見を尊重している。だが、その姿も鼻に付くのか、忠勝は悪態をついている。
家中分裂は、避けるべきであるのだが、それを抑えるべき、数正も忠次もすでに家中から居なくなっている。頭の痛いことだと、康政はため息しか出なかった。
「まあ良いが、直政は、昔の事を消化できておらぬのか」
「そうであろうな」
井伊家が今川氏に翻弄され、家臣の裏切りにあって、逃亡し流浪し艱難辛苦を味わい、己の非力さを悔やむ日々を送っていた事が、直政の心の傷となっていると、二人は見ていた。
家康とて、祖父清康、父広忠が家臣に殺害され、今川氏の属国になった為、人質となり、織田氏、今川氏に行き、独立後も織田氏の属国のようになり、艱難辛苦を味わった。三河以来の家臣たちも忸怩たる思いで、奥歯を噛みしめ、耐えてきた。
直政だけが苦しんでいるわけではないし、戦乱の世にあって、どこにでもある話であるが、それが徳川家の危機に陥らせることに怒りを覚えていた。
「直政は、わしらと距離を置いている。新参の譜代であるからだろうが、どこかに対抗意識を持っているのが見える。かといって、正信には敵対心を持っている。己自身で、家中で孤立しているようにしか思えない。家臣に殺害されそうになった過去があったとはいえ、周囲を信用しなさすぎる。小平太、おぬしは、話をすることがあると聞いているが」
「確かにあるが、かといって、おぬしのように、胸襟を開いた関係ではないぞ。歳が離れておるしな」
「そうか、このままでは、あやつの歪みが酷くなっていく気がする」
「歪んだ結果、お家の破滅だけは避けなければならんな」
「まあ、大丈夫であろう」
二人は顔を見合わせて、苦笑しあった。
「そういえば、直政が言った赤備えをしていた真田の倅は、おぬしの娘婿の弟だとか」
「ああ、そうだ」
「どういうやつか聞いているか」
「ふむ、婿殿の話では、父に似ていると」
「昌幸殿にか」
「そうだ、ただ、父とは違い、真面目であり、忠義もあついと言っていた。味方にすれば、心強いが、敵にまわれはやっかいな存在であると」
「なるほど、だが、信幸殿も優秀だと聞いているぞ」
「そうなんだが、婿殿と違い、機略に優れ、こちらの意表を突いた動きをするので、行動が読みづらいと言っておったな」
「ほう、正道と詭道の違いか」
「負けぬまでも、勝てないとも言っておった。真田の二人の息子は面白いわ」
「そうなると、豊臣家の後継者の元にいるのは、お家にとっては、喜ばしいことではないな」
「確かに……、だが、この先、どうなるかはわからん。あの信長でさえ、本能寺で炎に消えた」
「ああ、確かに、この先の事はわからんな」
「不測の事態も考え、息子も含めて、若い連中を鍛えねばならん」
「そうだな、まだまだ忠次殿のように隠居できぬわ」
康政がそういうと、忠勝が笑いだし、二人で笑いあった。




