表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
浪速の夢遊び  作者: 秋鷽亭


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

39/147

第三十話 直政

※二千十七年一月一日、誤字修正

家康の屋敷は、秀吉の来訪を告げられ、出迎える準備で慌ただしかった。

吝嗇な家康としては、華美な行為はなるべくしたくはなかったが、そういうわけにもいかず、食材などの手配を正信に命じていた。


「何をしにくるのか」

「殿下のことゆえ、偵察ついでの遊びでしょうな」

「お前もそう思うか」

「はい」

「はた迷惑な事よ」


苦虫を噛み潰したような表情で、家康は正信に愚痴をこぼしていた。

出自もあやしく、武家としての教育を受けていない秀吉を、家康は心の中で見下していたが、御恩と奉公、忠義という観念がなく、商人のように信用と利害だけで周囲を取り込んでいった手腕に、不愉快な気持ちと脅威を感じていた。

実際に会い、戦をした者たちで、敵わないと思った者たちは数多くいる。だが、恐怖を感じた人物は、薫陶を受けた太原雪斎、信長、信玄、そして、秀吉と数が少ない。

雪斎は、峻厳なる姿勢と、無尽蔵とも思える知識と知恵を見せたれた恐怖。

信長は、繊細な心を持っていても面に出さず、苛烈で、触れるだけで切り裂かれるような雰囲気と、揺るぎ難い信念への恐怖。

信玄は、調略や内政など静の入念さと、雪崩の如く動き出すと止まらない侵略に対する恐怖。

そして、秀吉の何もかも包み込むような、取り込まれそうになる恐怖。

秀吉も戦国を生き抜いた戦人である以上、反抗的なものへの処罰は、凄惨を極める。しかし、相対すれば、その表情や声は、初対面でも年来の友人の様に接し、来るものを魅了する才を有していた。

決して、自分にはない才能に、家康は嫉妬と劣等感を感じていたが、自身は武家であり、秀吉は下賤のものと心で見下すことにより、押さえつけて来た。

戦国の世で、友人など見つけるのは無理だと思っていた。祖父、父とも、信頼していたはずの近臣に殺害され、人質に入った今川家では、馬鹿にされ続けた。

家臣たちは自尊心が高く、忠義者と言えば聞こえがいいが、自分たちの理想の領主になるよう、家康に強要し続けて来た面があった。

一族の力も強く、その勢力を削るために、祖父も父も苦心してきた。現在は、昔ほど勢力は強くはないが、気を許せない状況には変わりがない。酒井忠次にしても、宿老であるがゆえか、軽んじられていた部分もあった。

後北条の後に関東に入るのは、故郷を離れる為、心では嫌ではあったが、家臣たちの領地を把握できる絶好の機会とも思っていた。これで、頭を押さえつけられなくて済むと、結果は、領地替えはなった為、実現しなかった。

秀吉のように譜代の家臣がいない事は、家としての強さはないが、自由に領地を変えることができ、不要な者、反抗心を持つ者たちを簡単に切り捨てる事もできる。家康が考えている家臣統制を、秀吉が行っていることも悔しかった。


「弥八郎、あの件だが」

「前にも言いましたが、無視すれば良いのです。下手に、殿下の機嫌を損なう必要はありますまい」

「わしをどう考えているか、量ることが出来るのではないか」

「危険な遊びだと思いますが」


前に、直政から言われた赤備えに関する話を、秀吉にぶつけてみて、反応を伺ってみてはと考えた。

赤備えを井伊家にだけ認めると言えば、気を使っているとなり、認めないとなれば、気を使う必要がないと考えていると判断できる。

些細な事ではあるが、些細であるからこそ、相手がどのようにこちらを見ているか、判断できる材料となる。

秀吉であれば、この程度のことで怒るとは思えず、罰を与えれば、逆に恥をかくのは向こうであると思っている。正信は、危険を冒す必要はないと考えているのだろうが、戯言として、秀吉なら気にしないと家康は考えていた。


「雑談ついでに聞くことにする」


眉間にしわを寄せる正信を見て、苦笑を浮かべる。


「お主の気遣いはうれしいが、偶には隙を見せなければ、逆に猜疑心を持たれる。殿下と付き合うには、ほどほどに隙を見せる方が良い。隙を見せなければ、安心されぬ」

「分かってはおりますが……。直政殿は同席させるので」

「ああ、お褒めの言葉ももらっているし、礼を述べる必要があるだろう」


同席させるとの言葉に、更に眉間にしわを寄せた。

生真面目で忠義にあふれる直政だが、逆に言えば、融通が利かず、相手を激高させる危険をはらんでいるともいえた。相手が、家中や大名であれば、取り繕う事も出来るが、秀吉となれば、どのような事が起きるか、想像できない。

機嫌一つで、所領を失う可能性も否定できない。処罰に反抗して、蜂起したところで、腹の中で不平不満がある者たちも、天下を統一した秀吉に逆らってまで、味方になるとは思えない。


「殿、其処まで危険を冒す必要はないのでは」

「任せておけ、それに、増長しだしている直政には良い薬になるやもしれぬし、恨みは殿下が背負ってくれる」


家康の言葉に、正信は深いため息をついた。

その姿を見ながら家康は笑い、支度を急がせた。






昼を過ぎたあたりに、秀吉は、お供に三成、正則、清正と護衛を従えて、少数で訪れた。

門の前まで、家康は出迎え、屋敷に先導し、気遣いを見せていたが、家臣たちは、一様に表情が硬く無表情に近かった。

その前を、にこにことしながら秀吉は気軽に声をかけて、屋敷に入っていった。

部屋に入ると、秀吉は上座に座り、家康は左に、三成たちは右に座った。家康は、上座に近い場所から正則、清正、三成と座ったのを見て、表情には出さなかったが疑問を感じた。何時もは三成が秀吉の近くに座っていたはずで、その場所を譲るとは思わなかった。


「このようなむさ苦しい屋敷に、おいで頂き、ありがとうございます。大したもてなしもできませぬが、おくつろぎください」

「すまぬな!偶には、家康殿と話をしたいと思うてな」

「お心遣い、ありがとうございます」

「うむ」

「それと、申し訳ございませぬが、お願いがございます」

「何かな、家康殿の願いとは、ちと、怖いな」


大きな声で笑いながら、秀吉は頷いた。


「申し訳ござりませぬ。先の戦において、家臣の直政が殿下よりお褒めの言葉を頂いた礼と、願い出るように言われていた恩賞の件について、話をさして頂ければと思います」

「おお、あの武者ぶりは、見ていて惚れ惚れしたな。よかろう」

「ありがとうございます」


秀吉の言葉を受け、直政を呼ぶように控えていたものに伝えた。


「そういえば、鶴松に仕えている真田の倅も深紅の鎧をまとっておったな。武者として、清々しい姿であったわ」


にこにこしながら、信繁の話を出してきた事に、家康は、内心、こちらの意図を見抜かれたかと思ったが、平静を保って話を聞いていた。

信繁を褒めている秀吉に、少し面白くなさそうな表情をする正則と、笑顔で話しを聞いている清正とは違い、三成は、直政を呼び出す意図とつかめずに表情を変えず家康の表情を伺っていた。


「殿、およびとの事で参上しました」

「入ってまいれ」

「はっ」


家康の声に応じて、直政は部屋の中に入り、秀吉に対面するように下座に平伏して座った。


「直政、よく来た。面を上げよ」

「はっ、殿下のご厚意を承り誠にありがとうございます」

「で、おぬしが望む褒美とは何か、国持ち大名にでもなりたいか」


正則と清正は顔を見合わせ呆れた表情を浮かべるが、三成は、徳川家の時代を担う逸材を見極めようと注視する。

直政の主君家康が居るまで、堂々と引き抜きを行う秀吉に、苦笑を浮かべながら家康は直政に声をかけた。


「殿下からのお言葉だ、お主の希望をお伝えせよ」

「はっ、城持ち大名など恐れ多く、家康様に生涯忠誠を捧げる所存でございます」


あからさまな引き抜きを、きっぱりと断る直政に好感を持ち、秀吉の機嫌は良くなった。


「その忠義の心、あっぱれである。では、何を褒美と欲するのか」

「はっ、非才のわが身を家康様は引き立てて頂き、精強なる武田家臣団を家臣として、赤備えの継承者としてまとめることを命じられ、徳川家の先陣を司る役目を頂きました」

「うむ、そなたの働き、小田原でしかと見届けた」

「それゆえ、赤備えが我が井伊家の象徴となったと自負しております」

「それで」

「褒美として、頂きたいのは、赤備えは、天下で我が井伊家のみが使用できる許可を頂きたいと願う次第です」

「これ、直政、おぬしの気持ちは分かるが、鶴松様の家臣である信繁殿も赤備えである。無理を言うでない。殿下申し訳ございませぬ。直政の心意気を理解していただきたく、なにとぞ、お許しください」

「わしとしては構わぬのだが、鶴松がな。真田は赤備えじゃないとおかしいと言いよってな……」


言い切った直政は平伏する。秀吉は、首をかしげながら、試案の表情を浮かべた。

戦場で目立つのは、自分の活躍を周囲に見せつけるための者であり、赤備えだけにこだわる必要はないと思っていた。与えても良いとは思うが、ただ、鶴松が悲しむのではないかと思い言い出せなかった。


「殿下」

「ん?三成か、どうした」

「信繁殿の赤備えは、鶴松様のご意思であり、そのお気持ちを考えれば、願いが過ぎたるものと考えます」


その発言に、いらぬことを言うと、恨みを買うものをと思いながら呆れた表情で、正則と清正は三成を見つめ、直政は平伏した状態で顔に怒りの表情を浮かべた。その変化を感じ取った家康は、まだまだ、青いと内心残念に思った。

直政の心には、自分とは違い苦労も知らず、恵まれた環境に居る鶴松に嫉妬心が湧き、怒りがこみ上げてきた。


「殿下、なにとぞ、我が身命に賭した願いでございます」


その願い出る声は、怒りがにじみ出ており、音量は大きくはなかったが、怒号に近い言葉になっていた。

秀吉は、眉を顰め、家康を見た。


「直政、いい加減にせぬか」


家康は、秀吉の機嫌が損なわれないように、直政を一喝した。直政は、唇をかみしめ、悔しさをにじませる表情を浮かべた。


「すまぬが、直政、その願いは駄目だ、他はないのか」

「……ございませぬ。我が願いは、その一点のみでございます」

「ふむ、それでは心苦しいから、真っ赤に染め上げた鎧兜を褒美としてやろう」

「いえ、既に、家康様より頂戴しておりますので、申し訳ございませぬ」


秀吉からの褒美を受け取らないという直政の発言に、笑顔の秀吉以外の四人は顔を歪めた。

忠義として、主君の鎧兜が大事なのはわかるが、秀吉の気持ちを拒絶するのは、行き過ぎていた。


「直政!」


家康は先ほどの一喝とは違い、怒気のこもった叱責を与えた。

それを笑顔で見つめながら、秀吉は声をかけた。


「まあまあ、家康殿。忠義の家臣をもって、うらやましいな」


家康は頭を下げ、詫びの言葉を伝える。


「先の戦いで活躍して、増長しているようです。きつく言い渡しますので、なにとぞ、ご容赦のほどを。直政、下がれ!」

「……はっ」


家康の言葉に、直政は、平伏した状態で、廊下のまで下がり、そのまま面を上げることなく、部屋を出ていった。


「殿下、大変申し訳ございませんでした」

「良い良い、気にするでない。ただ、褒美を与えぬのも気持ちが収まらぬから、家康殿に後で、黄金を送り届けよう」

「あのような失態がありながら、ご厚意大変申し訳ございません」

「正則、清正、三成、おぬしたちもあのような気骨をもって、鶴松に仕えてくれよ」

「「「はっ」」」


機嫌が良さそうな秀吉の表情を見て、家康は、必要とされていることを実感し、直政にも良い薬となり、豊臣家への憎しみが植え付けられたと内心ほくそえんだ。

その後、食事などを運ばせ、歓談をして恙なく秀吉の訪問は終わった。






「殿、冷や冷やいたしましたぞ」


正信の小言に、苦笑で返す。


「まあ、言うな、無事に終わったではないか」

「しかしですな」


何を言っても無駄と思い、正信はため息をついた。


「直政殿、殿下への無礼は、殿のお立場が悪くなることを理解していただきたい」

「黙れ!貴様と違い我は、体を張って殿をお守りしておる。こそこそ物陰に隠れているお主に言われる筋合いはない!」


忠告をする正信の言葉に、直政は激高して反発する。


「戦場を知らぬ、お主に何が分かるか!」

「直政、いい加減にせぬか」


呆れた声で、家康は直政を諭した。


「しかし!」

「弥八郎が戦場を知らぬとお主は本当に思っておるのか」

「前線に出てきた姿を見た事はありませんが」


その言葉に家康は首をふり、正信は無表情になった。

今でこそ、正信は兵を率いて前線に出ることはないが、かつて、家康の支配地域で起きた一向一揆では、正信は家康に叛旗を翻し、故郷を追われることになった。

その後、門徒として、信長勢力と各地で戦いながら、加賀や長島で、死闘の中に身を置き、信長の家臣たちを苦しめた。直政が経験した戦よりも過酷であり、数日まともに食べることが出来ない事が何度もあった。三河の出身というだけで、他の門徒や土豪から猜疑目で見られ、真面な装備もなく前線に回されることもあった。

正信の経歴を正確に把握しているのは、家康と大久保忠世や石川数正ぐらいであり、他の家臣たちは虎の威を借りる狐としか見ておらず、直政が知っているのも家康に付き従っている姿しか見ていなかった。

正信は柳生に剣をならっており、武辺ものには及ばないまでも、腕は立ち、あとは鉄砲の腕も高かった。

剣で戦えば、短期勝負がつくなら正信が直政に勝つと家康は思っていた。

力や若さでは正信の上を行くが、技術や老獪さでは、まだまだ、勝負にならないとみていた。


「直政、お主は、まだまだ、見る目がないな」

「何のことでしょうか」

「物事の本質を見ようとすれば、偏った情報や感情にとらわれるな」


その言葉に不機嫌な表情を、直政は浮かべた。

今は何を言っても無駄だと思い、家康は退室を命じた。


「資質はあれど、まだまだ、経験が足りませぬな」

「確かにな」

「わしが死ねば、直政に、徳川家の柱石を担って欲しいが、このままでは難しいか」

「豊臣家への不信を植え付け、離反せぬようにするのは成功されたようですが、成長するには至りませなんだな」

「仕方あるまい、もう少し、時が必要か」

「はい」


自分を恨んでも、憎んでも、正信にとってはどうでも良く、敵対している徳川家の家臣たちが、家康や徳川家を支えてくれれば、文句はなかった。自分の立場をわきまえ、権限は大きくとも所領を抑えることにより、他の家臣の不満が爆発しないように配慮はしていた。爆発して、徳川家を割ってしまっては元も子もないからだが、周囲はその想いを理解しておらず、唯一、家康だけが理解していた。無私の忠誠心を持つのは、家臣団の中で正信だけであると認識していた為、信頼して傍らに置いているのである。

それと比較すれば、直政の行動は幼過ぎて話にならなかった。苦労していた事が、心の中に歪みを生んでいるようだった。己が心を見つめ直し、家康は直政が自分と同じ状況であることを理解しており、歪みを飲み込むまでには、まだまだ時間がかかると考えた。


「まあ、良いわ、一つ問題は片付いた」

「片付いたのでしょうかね……」

「終わったことだ。晩酌の用意をしているから、飲んでいけ」

「おや、珍しい、吝嗇な殿としては」

「ふん、先のあまりものだ」

「やっぱりそうですか、殿らしい」

「ぬかせ」


言い合いながら、家康と正信は晩酌を共にするのであった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ