第二十九話 思惑
※二千十六年十二月一日、誤字修正
※二千十七年六月三日、誤字、文章修正。
「奥州の者どもが、豊臣の元に来るというが、弥八郎、どう思うか」
「……譜代の少ない殿下が、他家から引き抜きを図っているのと、鶴松様の周囲を固めるための布石かと」
「やはりそう思うか」
「はい」
小田原征伐において、参陣しなかった大名が改易された。今までであれば、改易された大名は、伝手を頼り庇護を求め、改易の取り消しなどを求めるなどの行動を起こす事が多かった。それが叶わぬ場合は、浪々の身となり、各地を彷徨い、寺に身を寄せたりした。
今回、北関東や奥州の者たちの中には、取りなしを頼んでくる者がいると考え、それをどう取り込むか、利用するかと考えていたが、秀吉の行動により肩透かしを食らいに苦い思いをした。
清正を使者として、奥州に向かわせたのは、改易の通達と、叛乱が起きたときの鎮圧であろうと推測していた。その過程で、何名かを取り立てる可能性は考えていたが、九戸など、有力な者たちを配下に加えるとは思わなかった。
「今回の奥州への仕置き、殿下の策略と思うか」
「殿下の状況を考えれば、無いとは言い切れませんが、まず、仕置きで誰かを取り立てる気はなかったかと思います。どちらかと言えば、有力大名の才あるもの、家中で重きを置いているものを引き抜き弱体化させる策を取るかと思います」
正信の言葉を聞き、口元を歪める。幼少時代から仕え、今川家に人質となった際も仕えた石川数正が、秀吉の元に離反したを思い出した。叔父である家成から西三河旗頭の地位を継承し、家康の嫡子であった信康の後見人ともなり、家中でも重要な役割を果たしていた。当時家康の家臣たちは、謀略や外交などに強くなかったが、数正が居た事により、その欠けた部分の大半を補っていた。
三河一向一揆が蜂起した時も、浄土宗に改宗し家康に仕え続け、何かにつけ気を配っている姿に、家中の武断派の者たちからの信頼も厚く、家康も信頼を置いていた。秀吉との交渉など難事を捌き、これからも必要な存在であると考えていた矢先、秀吉の元に出奔してしまう。その事により家中が混乱し、家臣団の再編成をすることになった。
その事を思い出し、家康は深いため息をつく。
その姿を見て、正信は数正の事と察した。
「数正様の事は、何れ家中の不和になったはずです」
「分かっておる。分かっておるから、我らで話し合いをして、数正は出奔したのだからな」
「殿下は、各大名の目ぼしい家臣に目を付けているようで、実際に大名に帯同させ、謁見しているようです」
「そうだな、ならば、この度の事、誰の指金だと思うか」
「……多分、殿と同じ考えかと」
「岩覚か……」
「それ以外にないかと」
「確かに、三成では考えつかぬし、吉継あたりであればありえないが、それ以外の者では無理だろう。孝高あたりが、殿下の傍にいれば、話は別だが、今はおらぬ。今さら、知恵を貸すとは思えぬ。まあ、良いだろう。引き入れた者たちは、武辺ものばかり。脅威とは思わぬ。それより、岩覚の動き、注意しておけ」
「分かっております」
「正体は掴めたか」
「いえ、いまだに素性が分かりませぬ。出家した寺までは分かりますが、それ以前は全く」
「ふむ……」
岩覚とじっくり話したことはないが、その顔を見て、どこかで見たことがあると家康は心の片隅で引っかかっていた。
だが、何処で見たかまでは思い出せず、歯がゆかった。
「仕方ない、引き続き頼むぞ」
「はい」
家康はその返事に軽く頷く。
「話は変わるが、万千代の件、どう扱うか」
「あの件ですか、取り合う必要はないかと」
「武田に倣って、赤備えを与えたが良いが、事を荒立てようとするとはな」
信長の死後、信濃・甲斐国へ併呑した際、旧武田家臣団を取り込み、井伊直政に預けられた。その際、武田家を引き継ぐものとして、軍団の象徴でもあった赤備えの軍装を直政は採用した。それによって、旧武田家の者たちも、直政に従う姿勢を見せた。
赤備えを纏った直政の軍勢は、小牧・長久手の戦いで目覚ましい活躍をし、戦いの後、秀吉も評価し、官位や豊臣姓を与えたが、直政は豊臣姓を使う事はなかった。
小田原征伐の際も、家康麾下として、出陣し活躍した。
征伐終了後、徳川家中で、赤備えの中に秀吉に寝返ったのではないかという噂が流れていた。直政は、父直親の死後、家臣からも裏切られ、孤独であり、誰も信用できない状況に陥っていた時期があった。家康に取り立てられ、井伊家の当主となった後も、家康の命により付けられた木俣守勝、近藤秀用、鈴木重好などの家臣、旧武田家の家臣など、直政に心服していない者たちが多かった。
家臣を統制するため、苛烈で冷酷な家臣統制を行い、家臣から恐れられ、恨まれていたが、寝返ったという噂は、直政を激怒させた。
守勝達に、家中を調べ上げ、噂の真偽を報告するように厳命した。守勝達は、内心、直政の家臣に対する仕打ちを考えれば、あり得ると考えていたが、今のところ離反者の話は聞いていなかったが、調査し報告の書状をあげた。
書状には、真田軍の一部において、赤備えを用いていたというもので、忍城攻めを行っていたとあったとあった。忍城攻めで功績を上げたとして、昌幸が秀吉に恩賞を授けられ、赤備えも評されたと書かれてあった。
赤備えを率いたのは、昌幸の子信繁ともあり、忍城へ向かう姿を見た諸大名は、武者ぶりに感嘆の声を上げたとも書かれていた。
自分こそが、武田の赤備えの正統な後継者と自負が、信繁に対する対抗心と嫉妬が怒りがこみ上げ、床を殴りつけた。
噂自体は、新参者であり、急激取り立てられ、徳川家臣団の上位に位置するようになった直政に対する嫉妬妬み、反発からでた些細なことがきっかけだった書かれ、その事にも直政は怒っていたが、他の同僚たちは、油断すれば、足を引っ張り追い落とされると考えていた為、信頼していない事もあり、信繁に対する怒りを越えるものではなかった。
小田原征伐の褒賞で、家康から褒美を聞かれた際、直政の望みは、天下に赤備えは井伊家のみを認めて欲しいと願い出た。家康も家中の噂を知っており、赤備えを率いていたのが昌幸であることも聞いていた。
認めてやりたいとは思うが、真田家は他家であり、信繁は鶴松の側仕えである。昌幸が家臣であれば命令もできるが無理である。信幸を通じて話をする事は出来るが、秀吉を無視した交渉は危険すぎる。
それ以外の褒美を聞いたが、直政は頑として望みを変えなかった。関東に領地替えがあれば、所領を与えることで不満を解消さすことが出来たが、領地替えもなく、その手は使えない。
関東への領地替えは、領地開発や後北条氏支配地の領民慰撫を考えれば、拒否したいと家康は考えていたが、兵農分離や家臣に対する支配体制の確立、家中不和不満の解消を考えれば、領地替えも良いと考えていたが、実際には行われることはなかった。
「しかし、そのまま放っておけば、何をしだすか分からぬ」
「……では、殿下にお願いだけするのは、どうでしょう。先の徳川家の褒賞もさほど多いようにお思えませぬ。聞くだけ聞いてみても良いのではないでしょうか」
「ふむ、ものは為しか」
「はい。その際、直政殿も同席させれば良いかと。断られても、殿が気を使っている事を見せることが出来ますし、恨みは殿下に向かうはずです」
正信の言葉を聞き、一つ頷き、秀吉に会えるよう手配を正信に頼んだ。
「淀君」
「そのような軟弱な公家が呼ぶような言い方はしないで!」
朝から鶴松の成長している事を嬉しそうな表情で話す秀吉の相手をした後で、機嫌が悪く膝掛けを治長に投げつけた。投げつけられた肘掛けは、平伏した状態で動かない治長の額に当たり血が流れた。その流れ出る血を見て、怒りが収まった。
「……もう良いわ」
「申し訳ございません」
淀の地に城を貰う際に、近衛前久が、浅井家の出であることから、源氏物語の近江の君に準え、淀君と戯言で言い、秀吉が面白がって、はやし立てた事がきっかけだった。
その時は、近江の君とは何かわからなかったが、同席していた藤孝が苦い表情をしていたのを見て、後で調べさせれば、前久が小馬鹿にしていたことが分かった。源氏物語の中の笑われるものであり、公家たちが成り上がりの秀吉を小馬鹿にしている陰険さと、その側室となった自分に対する見方の表れだと感じた。
その時は、『君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな』と、藤原義孝の恋の歌を詠み、君と淀君を重ね、秀吉の想いとして、場を誤魔化した為、前久は扇子で口を隠し、にやりと笑った。
自分の境遇と、笑顔ですり寄ってくる公家たちを嫌い、淀君という名称を広めた秀吉を恨んだ。
後に源氏物語を読み、朝顔の姫君のような生き方が出来れば良かったのにと身の不運を呪い、淀君と呼ばれる際は、自分を朝顔の姫君になぞらえることにして、心を抑えていた。それに、公家の中には、姫に君を付けて呼ぶこともあり、淀君としては、公家どもをいい気にさせて、自分の野望を実現させるために、利用してやろうと考えていた為、呼ばれ方を受け入れていた。
「それで、何」
「忠興様が、面会を願い出ておりますが」
「ふん、会わぬ」
治長は、平伏しながら表情を変えることなく返事をした。
「今後、断るようにします」
「それでよい」
満足に頷きながら、己のお腹を労わるように撫でた。
「もう、あの者の役目は終わった。今後は、相手する必要はない」
その言葉を聞き、治長は表情を変えることなく平伏し続けた。
清正に率いられた奥州の者たちが、大坂に着き、宿泊場所に分かれていった。
到着した翌日、清正と共に政実たちは、秀吉に謁見した。
部屋には、岩覚、孝高、三成、正則、幸長、信繁が同席していた。
大広間に通されて、秀吉の入室を告げられ、全員平伏しながら待つ。
「面を上げよ」
秀吉の声に、全員が面を上げた。
上げた先には、秀吉の膝の上に幼子が座っており、清正以外は、驚いた表情を浮かべた。
「殿下、ご命令通り、奥州の武辺ものを連れてまいりました」
「良くやった、清正!」
にこにこしながら、秀吉は清正を褒めたたえ、三成に合図をする。
三成は用意されていた国行作の刀を恭しく持ち上げる。
秀吉は、鶴松を横に座らせ、立ち上がり刀を受け取り、清正に手渡す。清正は恭しく受け取る。
「誠にありがとうございます」
「うむ、これからも励め!」
「はっ」
清正の言葉に頷き、元の場所に秀吉は戻り座り直す。
座った秀吉を見て、三成が言葉を続ける。
「九戸政実殿、実親殿、河内に所領を与える。そこで、牧を開き、軍馬を整えよ」
「「はっ」」
「黒川晴氏殿、摂津にて、所領を与える。今後、鶴松様の御伽衆として仕えよ」
「はっ」
「田村宗顕殿、小峰義親殿、石川昭光殿、武蔵国にて所領を与える。大谷吉継と協力し、関東の静謐の為に協力せよ」
「「「はっ」」」
「各人、豊臣家の作法を教えるゆえ、しばらくは、大坂に留まること」
(政実さん、九戸討伐軍に一歩も引かず、徹底抗戦した人か……、野性味あふれる顔しているな、サングラスして歩いてきたら思わず、道を譲りそうだ。実親さんは、兄さんの陰に隠れて、存在感薄いけど、しっかりした感じの人だな、政実さんのせいで苦労してそうだ。晴氏さんか、白髭が似合っている好々爺な感じだけど、あの政宗を追い詰めた勇将なんだよなぁ。信繁さんを含め、兵助を鍛えてくれたらうれしいな。宗顕さん、義親さん、昭光さんは、その政宗さんに騙された被害者か。でも、奥州で地位のあった人たちだけど、ゲームでは目立たなかったけど、助けてくれるはず)
「政実殿、明の商人、伴天連を通して、軍馬を購入する事になっている。勝手が違うとは思うが、上手く育ててもらいたい」
「ほう」
政実は、三成から海外の軍馬が来ることに興味を示した。伝え漏れてくる伴天連の馬は、馬躰も大きく力強いと聞いていた。
奥州武士として、馬に対する思いは強く、名馬を育てられるかもしれないという思いに、政実は体が震えた。
(蒙古、欧州、中東あたりの馬を、岩覚さんにお願いしたけど、日本で活躍できる場所があるかな。馬の事あんまりわからないけど、日本の国土、風土に合う馬が来てくれる事を祈るしかないか……、知識が無くて歯がゆいけど)
鶴松が、じっと政実を見ていると、目が合った。ふと、幼子に目を向けただけであったが、政実は、普通の幼子には見えない感覚に陥った。紹介はされていなかったが、幼子が鶴松である事は推測していたが、此処での会話を理解できていないだろうと考えていたが、その表情は、しっかりとこの場の事を理解していることを見て取れた。
面妖な事だが気のせいとも思えなかったが、この場で確認する事は出来ないため、心に留めておく事にした。
「後で、褒美を届けるから受け取れ」
「「「「「「はっ」」」」」」
秀吉の言葉で謁見が終了するかに思えたが、清正が秀吉に願い出た。
「殿下」
「なんだ、清正」
清正の言葉に、秀吉は首を傾げた。
「申し訳ございません」
「かまわん、他に何かあるか」
「はっ、実は、大崎義隆殿、葛西晴信殿の事について、お願いしたきことがあります」
「ふむ、確か報告では、大崎、葛西の家臣たちも扇動して蜂起したが、それを抑える事が出来なかったと聞いたが」
「その通りではありますが、両名は、鶴楯城に押しとどめられており、主導的な行動は起こしておらず、蜂起が起きる際には、その事をこちらに伝えております」
「……」
「また、蜂起を押し留めようとしておりましたが、うまく行かなかったようです」
秀吉は清正の話を聞きながら、どうしたものかと考えた。
(晴信さん、義隆さんって、あまり記憶にない。どんな人なんだろう、晴信さんなんて、武田信玄と同じなのに、名前負けな気がする)
「それで、お主は、どうしたいのだ」
「はっ、今回の蜂起に関しては、罪に問わない事をお願いしたいかと」
「……良かろう」
「ありがとうございます」
秀吉の言葉を聞き、晴氏は、肩の荷が下りた表情をした。
養子の義康は、義隆と兄弟であり、大崎氏に仕えた身としては、家名が残る事に安堵した。
「義隆、晴信の身柄、清正、お主か引き取れ」
「……はっ」
秀吉の命令に、一瞬動きが止まるが、平伏して受けた。
「皆の者大儀であった」




