第二十八話 移動
※二千十六年十一月一日、誤字修正
満月の光を受けながら、晴氏と政実は、縁側でふたり酒を酌み交わしていた。
「この月も、今日で見納めですな」
「……」
晴氏は、何も答えず、月を見上げた。
その横顔を見た政実は、感情を読み取ることが出来なかった。
「先の戦、ご助力感謝致す」
「お気になさらずに。それに、豊臣家の者たちは、予測していたようですし、どちらにしろ、戦は避けられなかったでしょうな」
「……」
「気が付いておられましたか」
「ああ、残られていた一久殿の態度から、こちらに来る前から手のものを忍ばせていたのだろう」
晴氏の言葉から、九戸の地で交渉が行われた後、出立の用意をしつつも、直ぐには動かなかった事を思い出していた。
南部家との話し合いの為に、留まっていたのかと考えていたが、和賀忠親の挙兵が入った後もしばらく兵の編成と、準備を整えただけで、無駄に時間を費やしていると思っていたが、鶴楯城に着けば、絶好の挟撃が行えた。
よくよく考えれば、都合のよすぎると思い直す。
「全て、誘導されていたと」
「……かもしれぬし、違うかもしれぬ」
政実は、晴氏の言葉に考え込む。奥州の地を荒らすことが目的とは思わないが、奥州の民が傷つく事には良い気がしなかった。
九戸の地から離れているとはいえ、上方の者たちにいいようにされるは面白くない。
しかし、戦乱の世では、騙され踊らされる方が悪いともいえる。豊臣家のやり方が正しくないとは言えない事が政実には歯がゆかった。
思い悩んでいる政実の顔を晴氏は見ていた。
「政実殿」
問いかけに、政実は晴氏の顔を見た。
「……晴信殿や義隆殿から聞いたのだが、今回の件。豊臣家が仕掛けたわけではないとは思っている」
「それは……」
「晴信殿、義隆殿から聞いたのだが、どうも、南部や伊達あたりが、裏で動いていた可能性がある」
南部、伊達の名を聞き、政実は片眉を上げる。
「領土を広げようとするのは、戦乱の世では当たり前。特に、伊達は、小田原への遅参もあり、領土が減る事は確実だろうから、南部と確執のある忠親を使って、南部の領土を削り自領に取り込みたいと考えていたのだろう。南部は、自領の安定のため、不平分子を煽って、豊臣家に潰させることが目的だったかもしれん」
信直の顔を思い出し、政実は苦々しい顔になった。
「其処の処も豊臣家は掴んでいるのではないか。伊達の小僧も自分の策で大崎、葛西の旧領が此処まで荒れるとは考えていなかったかもしれないがな。この一戦で、此処まで民が減ってしまうと、しばらくはまともな収穫は期待できまい」
忠親が兵力を集めるために、豊臣家の検地を悪しきざまに広め、それと同時期に、南部家や伊達家の扇動もあり、ネズミ算式に軍勢が増えて行った。その中には、強盗などの素性の問題のある者たちも入ってきていた。その強盗達が、移動の際に、村々を襲い荒廃する地域によっては起きていた。また、大量の人が移動するため、田畑は踏み固められ、作物が育たなくなった土地があり、元に戻すには数年の時間が必要であった。
大きなため息を政実はついた。
「しかし、忠親が万の兵を率いる才がないとは言え、敵の被害が多すぎますな」
「烏合の衆とは言え、大量の鉄砲や弓をそろえていたが、大軍で押し込まれれば、押し込まれていてもおかしくはなかったが」
「確かに、突撃した時に、兜首もなければ、指揮をしているものも見受けられなかった気がする」
「……思うに」
「何か、ありますか」
「豊臣家の手のものの仕業ではないか」
「城からの鉄砲や弓で撃ち取られたということで」
「いや、戦になる前に、忍びによって始末されたか、毒でも盛られて、満足に動けなかったかもしれぬ。戦が始まれば、ばらばらに攻め込むように、流言飛語をばら撒いたからこそ、あれだけの被害が出たのだろうな」
「首謀者達を始末できるなら、このような状況になる前に収めれたのでは」
「九戸に行く前に、潰すことが出来たかもしれんが、さて、蜂起が起きる確証があったわけではなかったかもしれん。可能性を考えて、調べていたら実際に蜂起が起きて、それを利用しただけかもしれぬ」
「しかし……」
「納得いかないのは分かるが、遅かれ早かれ、所領没収を考えれば、この地は騒がしくなるのは想像できる。蜂起が早いか遅いかの問題だ」
「……」
「其処まで、上方を恨むか」
晴氏の言葉を受け、政実は苦笑する。
「安倍貞任が破れ、藤原泰衡が破れ、上方に黄金も人も奪われ塗炭の苦しみを味わった事を、古老から聞かされ続けた。北畠顕家が上方から赴任し、足利尊氏討伐の為に、南部師行以下精鋭を率いて、打ち破ったのは奥州武士の快挙であり、誇りであるとも。九戸氏も南部の祖光行とも、小笠原や二階堂とも言われているが、その祖は、奥州にあったかは不明なわけで、それでも、奥州の地と水で育った俺は、奥州の想いを背負っていきたいとは考えてはいますよ」
しばし晴氏は眼を閉じた。
「奥州武士の意地を、上方の奴らに見せつけることにするか」
「そうですな」
二人は顔を見合わせ、酒をあおって笑いあった。
一久が、清正、秀範の顔を見て頷いた。
「この度の蜂起、南部と伊達の動きについてのご報告です。亥助」
「はっ」
一久の後ろに座っていた風魔忍びの亥助が説明を始める。
「ご指示により、葛西、大崎の者たちの動向を探っておりました処、やはり接触がありました」
「まことか」
「忠親には、政宗配下の者が接触していることが確認できました。一部、武器や資金も渡していたようです。書状は押さえています」
そう言いながら、数枚の書状を清正に手渡した。
受け取りながら清正は、政宗の花押を見つめている姿に気になって、秀範は話しかけた。
「清正殿、何か気になる事でも」
「ああ、鶴松様からの書状にな、花押を確認してほしいとありましてね」
「花押ですか」
「ええ、針で花押に穴を開いているかと」
「それは……」
「どうも、政宗殿は、花押を使い分けているようで、針で花押に穴を開けているものを殿下へ提出し、それ以外のものには、穴が開いていないようなのだ」
「事が露見しても、責を逃れるためにですか」
「おそらくそうでしょうね。ふむ、穴は開いていないか。言い逃れされそうだな……」
「申し訳ございません」
「いや、亥助を責めているわけではない。現場を押さえ、政宗殿の配下を確保したとしても、配下に責を負わせるだけだろう。判断は、殿下次第だとはしても、安易に処罰すれば、諸大名たちが不信を募らせる危険もあるからな」
「歯がゆいですな」
「まあ、証拠が手元にあるだけでも良いとするか」
秀範は悔しい表情を浮かべた。それを見ながら清正は苦笑する。
「しかし……」
「どうかしたのか」
「いえ、鶴松様がなぜ、政宗殿の花押の事を知っていたのかと思いまして」
「それは分からんな……」
二人は首を傾げた。
「今考えても答えは出ないだろう、あと、南部の方は」
「そちらは、特定人物に接触するというより、反抗的な民を焚きつけていた程度ですが、清正様とお会いになった後は、動くのを止めたようです」
「そうか、焚きつけた以上は、それ以上は危険と判断したかな」
「そうかもしれませんね」
「そうであろうな、九戸の地に代官を置く以上、探られれば、調べがつくだろうからな」
「そちらも厄介ですね、九戸に仕掛けてくる可能性もあるのでは」
「あり得るが、手を引いたことを考えれば、家臣たちは危機感をもっているだろう。だが、信直殿がどのような判断をするかだな」
「政実殿を恨んでいるとの話ですからね……」
「亥助、風魔の方はどうだ」
「まだ手のものが増えておりませんので、人数を割くことが難しいところです」
「そうか……、其処は殿下と相談するしかないな。できる限り頼むぞ」
「はっ」
清正と話し終えた信愛、政栄は、三戸城に戻った後、葛西・大崎の地で、信直の指示を受け、扇動を行っていた利直を説得し、現地で指揮をしていた石亀政頼、毛馬内政次を呼び戻した。その後、桜庭直綱を従え、不満を持っている南部家家臣たちを説得してまわった。
政実の離脱は、南部家家中でも同調する者たちも少なからずおり、信直に不満を持っている者たちの中には、九戸の地へ逃れるものがいたが、信愛は手出し無用とし、不平分子を外に追い出し、信直の家中統制を強固なものにするために奔走した。
もし、葛西・大崎の蜂起の事で、秀吉から問責が来た場合は、政頼が責任を取る事が決められた。当初は、信愛が上洛し、秀吉に釈明し、受け入れなければ、腹を切ると言い出したが、信愛は南部家の柱であり、その存在は変えることが出来ないとして、指揮していたものとして、責任を取ると政頼が言い、周囲の説得もあり、信愛も納得せざるおえなかった。
九戸党が居なくなったことにより、南部家の戦力は低下したが、逆に、家中がまとまることができ、政宗の南部領への介入を防ぐ体制も整えたことを考えれば、南部家として良かったと信愛は考え、信直に書状を出していた。
鶴楯城で、後始末を終えて、清正一行は、関東に向かって出発した。
途中、田村宗顕、小峰義親、石川昭光が家臣を引き連れて合流してきた。
行軍速度は遅くはなったが、特に急を要する事ではないため、混乱や落伍者もなく江戸城に入ることが出来た。
江戸城では、吉継が軍勢を迎えるために待っていた。
「紀之助!」
「虎之助、よくやったな!」
「当然だ!」
そう言いながら二人は顔を見合わせ大声で笑いあった。
「秀範殿、氏規殿、江雪斎殿、清正殿のお守り、大変でございましたな」
「紀之助!」
「あはははは、吉継殿、清正殿は見事、お役目を果たしました。私など必要ないほどでした」
「氏規殿、あまり、清正殿を褒めないように、調子に乗ると、手が付けれません」
「おい!」
「まあまあ、清正殿。吉継殿もその辺でやめたほうがよろしいかと」
吉継が、清正をいじっていると、江雪斎が間に入っていた。このままでは、兵や各家の家臣や家族たちも腰が落ち着かない。
「江雪斎殿、申し訳ございません。少々、年甲斐もなく、気分が高揚したようでした」
「いえいえ、友の活躍はうれしくもあり、悔しくもあるものですからな」
江雪斎の言葉に、吉継は微笑を浮かべた。
「秀範殿、兵を所定の場所に案内させるので、休ませてください。氏規殿、屋敷を用意していますので、率いて来た各家の者たちを案内してください。今後の話は、夕餉の時にでもしましょう」
「分かりました」
夕餉の時になり、広間に、吉継、清正、秀範、氏規、江雪斎、政実、実親、晴氏、宗顕、義親、昭光が集まり座っていた。
「この度の件、受け入れて頂きありがとうございます」
吉継は、政実以下、鶴松の臣下になる事を了承した者たちに感謝の言葉を伝えた。
「清正殿を含め、この度のことお疲れの事と思います。細やかではありますが、食事を楽しんでいただければと思います」
その言葉を合図に、手のものが酒を注ぎに回り始め、食事も配膳し始める。
政実は、それほど緊張はせず、酒を矢継ぎ早に飲み干していたが、初めての地である関東の地で緊張していた実親達は、緊張で酒が進んでいなかった。
敵地ではないが、まだ、豊臣家を信じ切れていなかった部分もあり、先の事を考え、食も進んでいなかった。
「実親、何をちまちま食べているだ」
「兄上は、気にはなりませんか」
実親のその言葉で、大きなため息をついた。
「今さら何を……」
「分かってはいますが」
「うだうだ考えるな、腹を決めろ腹を。どうせ、あのままいてもじり貧なのはわかっていただろう」
「はぁ、分かりましたよ……」
「ご同輩になる、そちらのお三方もとりあえず、この夕餉を楽しみましょう」
政実の言葉に、苦笑を浮かべ、宗顕たちは頷いて、酒を一気に飲み干した。
それを見て吉継は微笑み、酒の壺を片手に、酌をして回った。
その姿に、緊張していた表情も柔らかくなっていき、最後は、笑い声が聞こえるような夕餉になった。




