第二十六話 奥州
※二千十六年九月一日、記述内容を修正。誤記を修正。
※二千十六年九月三十日、文言を修正。
「江雪斎殿」
「どうかされましたか、氏規様」
「奥州の者たちは、下りますかな」
「さて、奥州武士は、堅物が多いとも言われておりますから、話してみない事には、何とも言えませぬな」
「我々は、豊臣家に歯向かうものたちの慰撫と鎮撫も担っているのは分かってはいますが、未だ収まっていない奥州の地は、敵地も同然、気が抜けませぬな」
「有力なもの達、最上家、伊達家、南部家、戸沢家、秋田家、津軽家、蠣崎家には、使者を出しております。一応、案内と、兵の後詰は頼んでおりますので、胡乱なもの達も抑えられるかと」
「その者たちが、襲撃して来たらどうなる」
「その家の者たちは、地上から消えることになるかと」
「どちらに転んでも、豊臣家の利となるか」
「はい」
江雪斎と氏規は、奥州へ向かう道すがら、奥州の事を話し合っていた。
己たちの行動が、今後の後北条家の復活の切っ掛けになるはずで、上方に居る一族、家臣たちの為にも命をかける心づもりであった。
目先のきく奥州の諸大名は、小田原に参陣し、豊臣家に服従しているが、それをよしとしない者たちも居ないわけではない。
また、服従しても、心の中では、納得していない者もいるだろうし、政宗のように、所領の一部を没収され、領地が減った者たちもいる。そのようなものたちが、どの様な謀を仕掛けてくるか、油断はできなかった。
そして、所領の没収を言い渡されたもの達も、不満もなく所領を明け渡すとは考えられない。その為、鉄砲隊を中心とした、兵一万五千を清正が率い、荷駄も含めれば、約二万の軍勢で奥州へ向かっていた。
「まずは、三春の地で、田村宗顕、小峰義親、石川昭光を呼び出して、進退確認ですね」
「留守政景は、どうされるので」
「政景は、政宗殿に完全に従属している気配がありますので、先ほどの三名の方々と分けるとの話です」
「江雪斎殿は、伊達家の繋ぎを、兄と共に行っておりましたね」
「そうですね、でも、この判断は、殿下からの指示と聞いています」
「……殿下は、伊達家にも手足を伸ばしていたと」
「そうかもしれません。特に、堺や博多の商人と繋がりが強いとも聞いていますので、情報源は、其処かもしれません」
氏規は、江雪斎の話を聞き、後北条家の情報網の未熟さと、情報量の少なさを今更ながら痛感し、負けるべくして負けたのかと考えた。
風魔党の活動範囲は、関東と隣接している周辺が主な地域であり、奥州や上方以西は、京の伊勢家や公家衆などからの情報が主で、商人や僧侶たちの情報網の活用も限定的であった。
今更ながらではあるが、長老であった幻庵の進言を聞いて、情報収集に力を入れておけば良かったと、氏規は後悔した。
「氏規様、幾ら精度の高い情報を仕入れても、それを活用するすべを知らなければ、意味がありません。幾ら新鮮な素材を仕入れても、それを調理する料理人の腕が未熟であれば、素材を活かせず、腐らせてしまうものです」
「……」
悩んでいる氏規の姿を見て、江雪斎が慰めた。
氏直、氏照、氏規は、豊臣家の力を把握し、降伏する事を氏政に進めたが、氏政はその進言を退けた。氏政としても、豊臣家の力は十分に把握していたが、対陣は、糧秣の問題があり、長期間は行われないだろうと考えていた。
勢力が大きければ、動員できる兵力は膨大なものとなるが、それに関わる費用や糧秣も莫大なものとなり、小田原城に籠城すれば、豊臣家も疲弊して、引き上げると経験から想定していた。また、長期の対陣は、気力も低下し、兵同士の喧嘩などの諸問題も起きやすく、風魔党による壊乱も行えると踏んでいた。
そして、長くなればなるほど、動員された大名たちの国や、新しく治める事になったもの達が豪族や地侍たちと揉めるはずと、甘い見通しも立てていた。
氏政の考えていたことが、結果的に間違っていたが、今までであれば、考えていた見通しの通りになったであろうと、氏規は考えていた。それを覆したのが、秀吉の持つ莫大な資金であった。京、堺、博多を抑え、各地の金銀銅山を抑え、直轄地以上の財力を持って、戦にかかる費用を賄った。
また、対陣に飽きないように、遊郭を作ったり、各地に軍を送ったりと、兵たちに気を緩めないように配慮していた。風魔党の介入を排除するように、忍びや警備を増やし、防諜も行った為、混乱もなかった。
関東において覇者に手をかけていた後北条氏は、豊臣家に忍びの面で劣っていたと氏規は感じた。
「氏規様、ひとつひとつ片付けていきましょう」
「分かりました」
氏規は肩を落としながら、三春に向かった。
使者と言うより、鎮撫軍と言った方が良い軍を率いている清正一行は、三春に入った。
兵の大半は、城下町の外に野営を設置していた。設置後、警備の兵を入れ替えながら休息する予定となっている。
「秀範殿、兵の事よろしく頼む
「分かりました。ところで、殿下は、田村宗顕、小峰義親、石川昭光の三名の処遇について、何と言われておりましたか」
「ああ、所領没収後、鶴松様に仕えるなら大坂に移住しても良いとの事だ」
「鶴松様のですか」
「そうだ。豊臣家は譜代が少ない。その為、鶴松様を守る者たちを増やしたいとお考えのようだ」
清正の言葉に、秀範は首を傾げた。
「どうしたのだ」
「いえ、情勢判断が出来ず、小田原に参陣しなかった者たちが果たして、鶴松様のお役に立つのでしょうか」
「確かに、その疑問は俺もそう思った。しかし、殿下から話を聞いて、参陣しなかった理由も納得できた」
「それは」
「政宗殿が、宗顕、義親、昭光に関しては、参陣を止め、話しを通すとして、各々から殿下への貢ぎ物を渡されていたようだ」
「貢ぎ物については、伊達家からの者しか納められていませんが」
「そういう事だ。政宗殿が意図的に参陣を押し止め、貢ぎ物も伊達家のものとして、納めたのだろう」
「……」
「そう、眉間に皺を寄せるな。政宗殿にすれば、自身の配下として扱い、対外的にも示し、取り込む魂胆なのだろう」
「悪辣な……」
「仕方あるまい。騙される方が悪いのよ。政宗殿をどのような人物か知っていたはず。それを馬鹿正直に信じたことが負けよ」
秀範は、頭では理解したが、心では納得は出来なかった。
権謀策略を持って、他家を乗っ取り、取り込むのは戦国の習いとはいえ、一本気な性格の秀範には、それが許せなかった。
反目した父秀久は、良い言い方で豪放落雷、悪い言い方で猪武者ではあったが、卑怯な振る舞いもあったが、人を蹴落としてまで、出世しようとしなかった点は、認めていた。
清正は、秀範を見ながら、まだまだ若いと思い苦笑した。
秀吉自身、織田家家臣団を取り込み、織田秀信を家臣としていた。秀信自身は、幼く、秀吉が気を使っている事もあって、立場の変化を理解していないが、成長するにつれ、どのような姿勢になるか、不明確である。叔父の信雄あたりが、接触して、画策としているが、秀信やその家臣に嫌われており、今のところ成功していない。
弱肉強食の今の時代に、馬鹿正直に他人を信じるのは、危険極まりないと清正は考えていた。ただ、秀範のような年齢の時は、自分自身も、馬鹿正直に生きていた事を思い出し、ほろ苦い気分になった。
「騙された者たちを思って、殿下は救いの手を差し伸べようとしているが、さて、三人がそれを受け取るかどうか」
「受け取りませぬか」
「ああ、俺たちとは違って、奥州の者たちは、土地に縛られている。先祖代々の土地にな」
清正たち、豊臣家の家臣たちは、百姓や土地奪われたものたちなど、先祖代々土地を持っていないものが多い。また、織田家の時代から、領地の入れ替えが行われており、一つの場所を長年治めない事もあり、土地を移る事への抵抗が少ないものも多かった。
しかし、それ以外で、豊臣家に降伏した大名たちは、土地に縛られており、領地替えに抵抗感があるもの多かった。
先祖代々の土地に縛られ滅亡した例としては、豊後の城井氏は、領地の移動を命ぜられたが抵抗した。減封ではなく、領地が増えての話であったが、頑強に抵抗し、籠城までした。温情を蹴られた秀吉は怒り、孝高になでき斬りを命じた。孝高の和議の話に騙され、一族郎党出てきたところを皆殺しにされて、城井氏は滅んでしまった。
奥州の大名や豪族たちも、城井氏と同じ価値観を持っていてもおかしくはなく、京から離れれば離れるほど、頑迷な価値観を持っている者たちが多いことを清正は知っていた。
もし、この話を蹴っても、皆殺しをすることはないが、秀吉の下で、大名に復帰する事は、ほぼ不可能になるだろう。
「何にせよ、三春城に行ってくるから、此処を頼む。数日たって、兵たちの疲れを取ってからの出立になるが、どう転ぶか分からないので、油断はするなよ」
「分かっています。奥州は敵地と考えています」
秀範の言葉に、清正は頷き、氏規、江雪斎が待っている場所まで歩いて行った。
「これより、殿下のお言葉を伝える」
清正の言葉に、三春城の広間に居る者たちが平伏した。
上座に清正が座り、左右に、氏規、江雪斎が座っていた。
清正の斜め後ろに、飯田直景が警護の為に座っていた。
広間の中央には、宗顕、義親、昭光が横一列で平伏し、その後ろにはそれぞれの家臣たちが平伏していた。
「その方たち、小田原に参陣する事を命じたにも関わらず、参陣を拒否した事は、許しがたい罪である。よって、所領を没収し、追放とする」
清正の言葉に、三人は、驚愕の表情で顔を上げ、清正を見た。
後ろで平伏している家臣たちも顔色は悪く、平伏しながら隣の者たちと小声で会話していた。
顔を上げた三人に対し、氏規が声をかける。
「お三方とも、控えてください」
その言葉に慌てて、平伏し直すが、動揺して体が震えていた。
「天下安寧を願う殿下のお気持ちを踏みにじった罪は深い、心せよとの殿下のお言葉です。では、皆の者面を上げよ」
その言葉で顔を上げた三人だが、顔色は優れなかった。
「何か申し開きがあれば、聞こう」
「清正殿、お尋ねしたい」
「宗顕殿、何か」
「殿下への取成しと、貢ぎ物を政宗殿に預けたのだが、それは如何なったのか」
「私も、同じく政宗殿に取成しと貢ぎ物を預けたが」
「……」
「確かに、宗顕殿、昭光殿、義親殿の貢ぎ物は、伊達家の貢ぎ物目録の中にあったが、政宗殿からの取成しはなかった」
「「なっ!」」
清正の言葉に、宗顕、昭光は驚きの表情を浮かべた。
「政宗殿は、参陣が遅れたことにより、弁明に追われておったが、お二方の取成しの言葉はなかった。政宗殿も切腹の危険もあったから必死だったのかもしれません」
政宗をかばうような清正の言葉も耳には入らず、三人は、政宗に謀られたと怒りが込み上げてきた。宗顕、昭光は、姻戚関係にあるがゆえに、信じたことを悔やんだが後の祭りだった。
清正は、三人を見て、江雪斎に顔を向けた。
「お三方よろしいですかな」
「……」
江雪斎の呼びかけに、顔面蒼白になった三人が顔を向ける。
「殿下から、お三方に提案を出されています」
「なんでしょうか」
震える声で、昭光が質問をした。
「お三方がよろしければ、大坂に来られませぬか」
「……大坂ですか」
「そこで、我々は、腹を切ればよろしいので」
宗顕、義親がそれぞれ答える。
そんな反応に、清正は苦笑した。
「いえいえ、そうではなく、大坂で鶴松様にお仕えしませぬか」
鶴松と言う言葉に、昭光は、動揺が収まり、冷静になった。
「鶴松様と言うと、殿下のお子様の」
「その通りです」
「何故、我々が仕える必要があるのでしょうか。有能なものたちが支えているのではないのですか」
「確かに、そう思われるでしょう。しかし、人材を集めるのも中々難しいもので、有為の人材がいれば、登用したいとの殿下のお考えです」
「鶴松様に仕えれば、所領は復活するのでしょうか」
「それはないでしょう」
その言葉に、三人とも両拳を強く握りしめた。
三人とも、此処で兵をあげて、清正たちを討つべきか考えたが、引き連れてきている兵たちを見て、此処にいる者たちを討ち取っても、最後は、滅亡するだけだと感じた。
せめて武士の意地を見せるかと考えなくもないが、此処は生きて、家を残すべきと結論に至ったが、大坂に移ることに、抵抗を感じていた。
「今ここで結論を出さねばならぬのでしょうか。家中の者たちとも協議をしたいのですが」
「よろしいでしょう」
「我々は、これから、北上して行きますので、帰りに返事を頂ければ間に合います」
「はっ」
江雪斎の言葉に、三人と、家臣たちは平伏した。
「大坂に移る場合は、多くはないですが、そちらの方で所領は与えられると思ってください」
「氏規殿、それは、本当ですか」
その言葉に、平伏していた三人が、顔を上げる。
「はい、殿下より、そう伺っております」
三人の後ろにいる家臣たちは、ほっとした表情を浮かべるものも居た。
家臣たちは、所領を没収され、主が追放となると、一族や家族の生活が立ち行かなくなる。主も大切だが、己たちの身も守るのも大切だ。
家臣の中には、主を鶴松に仕えるように勧めた方が良いか、領地に残り他家に移るか、考え始めていた。
清正が、下がるように伝えると、三人と家臣は部屋を出ていった。
清正、氏規、江雪斎は、城を出て、野営している兵たちのところに戻って行った。
宗顕は、屋敷に泊まることを勧めたが、清正は、失礼にならないように断りを入れた。
恭順の姿勢を取ってはいるが、家中で胡乱なことを考える者も可能性もある。清正たちを害せば、結末は分かっていても、感情が抑えられないものもいることを危惧していた。
それに、清正としては、自分たちだけ、屋敷で寝るのではなく、兵たちと共に居たいと思う気持ちもあった。
これから先、敵地とも言える地に行く以上、兵たちとの結束は必要であり、不満が溜まれば、不測の事態もあり得る。奥州での略奪などの行為があれば、周辺の民が敵にまわる可能性があり、今後を考えれば、防ぎたいと考えた為、清正は戻ることにした。
清正たちを送り出した宗顕は、主だった家臣たちを集め、今後の事を話し合っていた。
政宗が取成しをしなかった事に対して、憤りを感じ、表情を怒らせているものもいた。
「政宗殿を信じたが、この仕打ち、許せませぬ」
橋本顕徳を睨みながら、長老格であり、田村顕基は、声を怒りに震わせ、宗顕に訴えた。その横で、顕基の子清道は、目をつぶっていた。
睨まれた顕徳は、気にも留めず、宗顕に問いかけた。
「宗顕様、政宗様に取成しをお願いしては如何でしょうか」
「……」
「政宗様は、小田原で諸大名や家康様、利家様、利休様など殿下に誓い方とも交友を深めたともお聞きしており、取成しも可能なはずです」
顕徳の元には、政宗から家康や利家、利休などと交友を深めた旨の書状が送られており、田村家家中が、乱れないようにと指示を受けていた。顕徳は、政宗と通じているわけではなく、衰退した田村家が生き残るすべは、伊達家の麾下に入ることが正しい選択だと信じていたが故の行動で、顕基の発言は、現実を見ない老醜の姿と思ってみていた。
「ふん、政宗殿が交友を深めたと嘘をつくでないわ。都合の良い話ばかり聞いて信じおって」
顕基は、小田原に参陣した相馬義胤、佐竹義重より、書状を受け取っていた。田村清顕の死後、伊達派と相馬派に分かれて家中が乱れた。顕徳は伊達派筆頭であり、顕基は相馬派筆頭となっていた。その際に行われた郡山合戦で、相馬家が敗れた為、伊達家に従うようになったが、顕基は義胤や義重とも書状のやり取りを行っていた。
小田原での政宗の処遇についても話が来ており、遅参により所領没収や切腹の可能性もあったと、義胤や義重の書状に書かれてあった。処遇については、大坂に戻ってからの為、詳細は分からないとしながらも、所領が削られるのは確実だろうとも書かれており、決して、政宗が好意的に豊臣家に受け入れられたとは考えられない。
政宗は、体面上は余裕を見せながら、諸大名への訪問や、利休へ茶を師事していたが、見えない処では、家臣たちが弁明に奔走し、義胤や義重に取成しを頼んできたとも付け加えられていた。
「宗顕様」
宗顕は、清道に顔を向ける。
「父の言うとおり、政宗殿は信用できません。小田原に遅参している時点で、殿下の評価も高いとも思えません。その状況で、取成しを頼んでも上手くいくとは思えず、まして、政宗殿の事です、田村家の所領を伊達家の支配地として、手配する可能性もあります」
「清道殿、それは、疑りすぎではありませんか」
顕徳に顔を向けず、清道は話を続ける。
「郡山合戦の事もあり、政宗殿は、田村家を完全に自家のものにする好機と捉えているのではないでしょうか。それを考えれば、今から取成しを頼んでも、手遅れ、もしくは、取成しの話を握りつぶす恐れがあります」
「……」
「何を言われているのか、当家は、政宗様に既に従っております。それを反故にする事は、愛様のお立場も悪くなる恐れがあります」
「そして、その子を田村家に入れて、乗っ取りが完成し、お主は、家宰に収まるという事か」
顕基の言葉に、顕徳は怒りの表情を浮かべ睨みつける。
先ほどと変わり、顕基は鼻で笑い相手にしなかった。
「顕基殿、あまり、顕徳を責めるな」
その言葉に顕基は眉間に皺を寄せる。
「顕徳の言葉は分かる」
「では、政宗殿に取成しを」
「それはせぬ」
顕徳は顔を歪め、顕基、清道は、眼を細めて宗顕を見る。
「一度裏切られているのに、今更取成しを頼んだところで、事が成るとは思えない」
「しかし……」
「この戦乱の世で、謀を巡らすことを非難する気は無い。だから、政宗殿を責める気は無い。責めるならば、己で小田原に行かなかったことだ。あの政宗殿を信じるのではなく、己で動くことこそ、道が開けることを忘れておったわ」
言葉を聴いて、顕徳は顔を下に向けた。顕基は眼を瞑る。
「どちらにせよ、この地に戻る事は出来まい。政宗殿に従えば、いち家臣として、仕えることになるだろう。殿下のお言葉に従えば、鶴松様に仕えるとはいえ、所領も与えられ、家臣であっても大名に復帰する可能性はある」
「……」
「……」
「私は、大名に戻る可能性にかける」
「……しかし」
「顕徳は、納得できないか」
「……」
顕基も清道も顕徳を責める事なく、見つめていた。
「顕徳」
「はっ」
「政宗殿の下に行け」
宗顕の言葉に、眼を見開いて、顕徳は顔を上げる。
「……追放と言う事ですか」
「いや、お主は愛殿に仕えよ、そして、お子が生まれれば、伊達家の家臣としての田村家を興して仕えよ」
「それは」
「家を分けておいても良かろう。どちらが本家かで揉めるかわからぬが、どちらかが倒れても家は残るであろう。お主と心同じにする者たちを率いて、行くがよい」
「……」
聞きようによっては、厄介者を家中から追い出すとも聞こえる。しかし、政宗の処遇についても今後どのようになるか分からず、また、鶴松も幼少である為、仕えたとしても夭折する可能性もある。夭折すれば、秀吉も高齢、その先に何があるか分からない。
家を滅ぼさぬ為、家を分ける事も必要であり、家中の乱れを抑える事も出来ると宗顕は考えた。
「顕徳、お主はお主の忠義をつらぬけ、愛殿の子を助けてくれ。今までご苦労であった」
「はっ」
顕徳は、涙を流しながら平伏した。
「顕基、家中を纏めよ」
「はっ」
「清道、顕長に清正殿の軍に加われと伝えよ」
「弟に兵をつけなくて良いのですか」
「兵を付ければ、疑われる恐れもある。顕長と数名で十分だ」
「はっ」
顕徳は、家中で伊達派の者たちで、付いていくものたち集めた後、伊達家の愛のもとに旅立つことになる。
宗顕は、秀吉の提案に従う旨を清正に伝え、顕長が同行する許可を取ることになった。
昭光、義親も家中で話し合いが行われ、政宗の行動に怒るものも多く、提案に従う旨を伝えてきた。
清正一行が戻ってきた際に合流するとして、それまでに、家中で残るものと残らないものを話し合うと併せて伝えられ、清正は満足そうに頷き、氏規、江雪斎は、上手くいきほっとした。
清正一行は、伊達家や最上家の歓待を受けながら北上を続け、黒川晴氏の居城鶴楯城に入った。
晴氏は、政宗をあと一歩の処まで追い詰めた名将であり、清正は会えることを喜んでいた。
その気持ちを持ちながら部屋に入ると、老将がひとり座っており、清正、氏邦、江雪斎が入ってくると平伏した。
「顔を上げてください」
清正の声で、顔を上げた晴氏の表情は好々爺としたものであり、とても政宗を追い詰めた名将には見えなかったが、体から溢れる覇気を感じ、その姿に、清正は尊敬の眼差しを向けた。
「殿下のお言葉を伝える。小田原に参陣しなかった罪により、所領を没収する」
「はっ」
晴氏は、所領を没収されることを予測しており、また、どのような手を尽くしても、政宗が妨害する事が予測できた為、淡々と、所領没収の命を受け入れた。
大崎合戦で散々政宗を苦しめた為、その後、政宗から商人が領内に来ないように手配され、嫌がらせを受けており、所領没収後、政宗が命を狙ってくるのではないかと考えていた。
半ば、生きることを諦めており、養子の義康が黒川家を残してくれれば良いと諦観していた。
「次いで、殿下よりの提案である」
「……」
晴氏は、提案と聞き、何のことが疑問に思ったが、質問せず話を聞いた。
「その命、鶴松様に捧げてくれとの事」
「どういうことですかな」
「残りの命、鶴松様に使ってもらいたいとのことです」
秀吉の出自を考えた晴氏は、子飼い者たちだけではなく、譜代や一族が少ない事を思い出した。
「政宗殿との事、うわさで聞いております。もし、鶴松様の下に来られるなら、安全であると思います」
氏規の言葉に、晴氏は引っかかった。もし、鶴松に仕えるなら、それは、政宗が怖いから逃げたのではないかと言われるのではないかと思った。
それは、自身の矜持に関わることで、すんなりと、受け入れることを躊躇する言葉であった。
雰囲気が変わったことに、江雪斎は気が付き、言葉をつなげた。
「豊臣家には、長老と言うべき重石となる方が居られません。我が北条家には、幻庵様が居られ、調整と重石となって、発展の礎となりました。晴氏殿には、その役割を引き受けて頂ければと思っています」
「私は、一門衆ではありませんが」
「分かっております。ただ、重石となるものは必要です。お願いできませんか」
「……」
「晴氏殿、我々は、もう少し北へ向かう予定です。その後、帰還する際に、答えを聞かせて頂ければ構いません」
「申し訳ない。清正殿」
清正は、晴氏の返答を急がず、鶴楯城を出て、北上を再開した。
(どうしたものか……)
晴氏は、清正と会った夜、月を見ながら秀吉からの提案を考えた。
提案を受ければ、政宗から逃げることになるのではないか、いや、政宗であれば、そう誇張して周囲に伝えていくのは目に見えていた。
自尊心が高く、自己評価を高めるために、周囲の評価を下げる。そのような武士の矜持を、黒川家を辱められるのであれば、自害すべきではないかと思い悩んだ。
清正の向けた眼は、純粋な尊敬の眼差しであり、真摯な態度であった。氏邦、江雪斎も貶めるようなことなく、誠意ある態度であった。
奥州ではなく、京で名を成すことを勧める事を別れ際にも伝えてきた。
だが、何故、奥州の奥に住む晴氏の事を知ったのか、評価しているのかが、理解できない。豊臣家であれば、情報を集めることも可能ではあると思うが、かといって、先の短い己に何を求めているのか、疑問は尽きなかった。
「月が綺麗だ」
今まで、己の人生を振り返り、決して恵まれたわけではなく、大崎氏や伊達氏に圧され、婚姻や養子縁組、黒川家が置かれた状況は決して良いものではなかった。
だが、領民や家臣の支えにより、黒川家を残してこられた。そして、増長し、我が物顔で周辺を荒らした政宗を追い詰めた事も良き事柄であると思い出す。
その時の悔しがる政宗の顔を思い出し、口を綻ばせる。
「そうか、まだ、政宗の鼻っ柱を折っていないか」
そう呟くと、満面の笑みを浮かべ、このまま、政宗に屈するのも面白くないと笑いだす。
傍らの酒を飲み干し、決断した。
鶴楯城を出てから北上しつつ、葛西晴信、大崎義隆、和賀義忠、稗貫広忠など、鶴松の記憶にある後に一揆をおこすものたちに所領没収を伝えると共に、武装解除させ、見張りの兵を残して、北上し九戸に至った。
九戸城の手前に兵を止め、休む場所を造らせ、兵を休めた。翌日、清正は、氏邦、江雪斎を供して、九戸城に向かった。
九戸城から、九戸政実、実親兄弟が清正の率いた軍勢を見て、話し合っていた。
「兄上、何の用で来たと思う」
「信直あたりの差し金と言いたいところだが、そんなことをすれば、信直の能力が問われ、所領が削られるか、最悪没収もあるからその線は薄いかもしれんな」
「確かに。だが、兵の数が多い、こちらを攻めてくるかもしれないぞ」
「いや、先ぶれも来ているから、問答無用はないだろうし、まだ、奥州は完全に豊臣家に伏しているわけではないから、威圧する意味を含めて、軍勢が多いのだろう。逆らえば、根切にするとな」
政実が見る限り、兵力は二万弱、鉄砲が充実しているが、九戸の兵を集めれば五千ほどになり、戦えば負けることはないと見積もっていた。
しかし、豊臣が小田原に集めた兵力は、二十万を超えると聞いている。今回打ち破っても、最終的には負けるだろうと結論付けた。
座して死ぬ気も、屈辱を受ける気もないが、まずは、向こうの出方を見るべきと考えた。
「実親、まずは、何を言ってくるかだ。信直が小田原に行っているから所領没収の話ではないだろう。それに、こちらに来るのは、率いているものと数名と言う話だ」
「分かった、兄上、出迎えの準備をするか」
そう言って、実親は、清正を迎える準備のために、下に降りていった。
「風向きは、悪くないが……」
呟きながら豊臣軍を、政実は見つめた。




