第二十五話 追加
※二千十六年八月一日、誤記を修正。
※二千十七年六月三日、誤字修正。
「殿下、元親殿、藤孝殿からのお話をお受けになりますか」
「……お主らはどう思うか」
鶴松の小姓として、元親が子親忠、藤孝が孫与五郎を仕えさせたいと、秀吉に伝えられていた。
ただ、鶴松に仕えさせるということは、鶴松の状態が知れてしまう。秀吉としては、もう少しだけ、情報を遮断させておきたいと考えていた。鶴松の年齢で、大人と同じようにしゃべれる事を知られたくないのではなく、大人ど同じような思考を持っている事が知れるのを恐れていた。
有能な資質を持っている君主を喜ぶ者たちも居るが、大半の者たちは恐れ、妬みを抱く可能性が高いと考えていた。己が有利になれるような、操りやすい、騙しやすい君主であることが、家臣たち、特に、外様たちには喜ばしいはずである。有能さを恐れる者たちが、鶴松を亡き者にしようと、刺客を送り込んでくる恐れがある。幾ら腕の立つ護衛を配置しても、完璧に守れない。刺客は、何時でも仕掛けられるが、守る側は、四六時中守らないといけない。その精神的負担は、何れ小さなほころびを生み出すものであり、刺客は、そのほころびをついてくる。
元服の年まで行けば、ある程度、自衛も出来るはずと、秀吉は鶴松の成長を祈っていた。
「断るのも難しいかと」
「岩覚殿の言われる通り、元親殿と関係の修復が出来たのに、これで断れば、悪化する事はないとは思いますが、距離が出来るのは確実ではないかと。それに、藤孝殿は、歌会での殿下の補助や、公家衆との交渉も行ってもらっています。関係強化を行っても悪くないかと」
「俺は、反対です。利家殿のお子であれば、信頼は出来ますが、元親殿、藤孝殿の思惑も分からない状況では、迂闊に受け入れるのは、鶴松様にとって、まずいと思います」
「市松の言っている事も分かる。しかし、断るとしても、納得させられる理由がなければ、相手も不満を持ってしまうぞ。何か納得させれそうな理由はあるか」
「む、佐吉は、この件、賛成なのか」
正則は、三成を睨んだ。関係の修復はある程度できても、今までが今までだけに、素直になりにくく、また、性格的にもすれ違っているため、反論されると、自己否定されたように感じ、反発してしまう。
その姿に、秀吉と岩覚は眼を併せ、微笑んだ。
「私は、元親殿と藤孝殿との関係強化を考えれば、賛成だ。しかし、元親殿の後継ぎの千熊丸殿がどう思うか分からぬし、忠興殿も心中もわからない。不確定な要素があるのも事実。鶴松様の事を考えれば、市松の言うように、断るのも良いと思っているが、先ほども言ったように、関係を拗らせないような断り方が思い浮かばないのだ」
「……」
三成の話を聞いて、睨むのをやめると、正則は、顔を上に向けた。
「官兵衛、お主は、どう思う」
「ふむ、受け入れても良いかと」
「ほう」
孝高の言葉に、三成、正則、岩覚が視線を向ける。
「鶴松様の事は、遅かれ早かれ、知られることになるでしょう。ただ、仕えるとするならば、その者たちに、緘口は必要でしょうな。後は、羽柴姓を与えますかな」
「官兵衛、お主……」
「羽柴姓は、冗談として、木下姓を与えても良いかもしれませんな」
「ふむ、ならば、信繁にも又若丸にも与えてみるか」
「ええ、今後の成長いかんによって、羽柴姓や豊臣姓を鶴松様から与えればよいかと思います」
「まあ、それは、鶴松が考えればよいが、それも手だろうな。鶴松に仕える以上、実家と縁を切って仕えてもらおう。誓詞を出してもらうか」
「それと、岩覚様に四書五経、武経七書を教えてもらい、護衛の者たちに剣の稽古をつけてもらいましょう」
「それは良いな、岩覚、差配頼むぞ」
「わかりました」
正則は話を聞きながら、口をへの字に曲げ、眉間に皺を寄せた。
それを見て、三成は首を傾げる。
「市松どうかしたのか」
「……何でもない」
「何かあるなら、言って置いた方が良いぞ」
「佐吉……いやな……」
「歯切れが悪いな」
岩覚は、正則の表情を見ながら、孝高に顔を向ける。視線を合わせた孝高は、頷き、秀吉に顔を向ける。
「どうした、官兵衛」
「豊臣家の家臣団の中の者も、希望する者がいれば、岩覚殿の講義に参加させても良いのではないでしょうか」
その発言に正則は、孝高に顔を向け、秀吉はそれを見て納得し、にやにやしながら答えた。
「構わんが、領地を持つ者、仕事があるものも多いだろうから、参加は難しいのではないか」
正則は、その言葉を聴いて、肩を落とした。
その姿を見ながら、にやにやしている秀吉に、三成は呆れた表情を向ける。
「殿下、建前を言って、市松をいじめるのは止めなされ」
頭を上げ、三成の顔を見た後、秀吉を見た。
秀吉のいたずらっ子のような表情を見て、正則は、自分が揶揄われたことに気が付き、口を尖らせた。
「殿下、俺は玩具ではありませんぞ」
「おお、許せ許せ、しかし、先ほど言ったことも事実だぞ、時間が作れるのか」
「問題ありません」
「市松、家臣に丸投げは駄目だぞ」
「分かっておるわ!」
その反応に、三成は首を左右に振り、福島家の家臣たちに黙とうを捧げた。他家の事であり、自分が口出すことはお門違いである為、何も言わなかった。
「殿下、私も、もう一度、学び直したいと思います」
「佐吉もか」
「はい、紀之助や信繁殿も同じことを言うと思います」
「さ、佐吉、お前はもう、学ばなくても良いではないか!これ以上、頭でっかちになる必要はあるまい!」
「頭でっかちとは、市松、お主は、私を何だと思っているんだ。まだまだ、私は未熟だ、武芸についてもな、お主の足元にも及ばん、差を縮めるにはちょうど良い機会だ」
「な!?」
三成の武芸に対するほめ言葉に、正則は言葉を詰まらせえ、顔を真っ赤にする。
孝高、岩覚は、にやにやとし、秀吉は爆笑し、その笑い声に反応して、正則は顔をきょろきょろ動かした。
「それに、岩覚様が話されていた複式簿記なるものも興味があります。勘定方にも学ばせれば、収支や物資に関する管理をしやすくなると思います。また、行長殿、正家殿、長盛殿にも教える必要があるかとも思います」
「分かっておるが、最初は、鶴松に仕える者たち、次に、わしの元小姓組が終わってからだ。岩覚の体はひとつしかないからな」
「分かっております」
「お主たちが学び、広めよ」
「はっ」
「とりあえず、元親、藤孝の進言は受け入れる。後、虎之助が連れ帰ってくる者たちと、鶴松が希望した者たちを仕えさせる」
「鶴松様が希望されるとは」
「それは、後のお愉しみじゃ」
いやらしい笑いをしながら、秀吉は三成を見た。その表情に三成は嫌そうな表情を一瞬したが、頭を下げる。
正則は、三成の姿や、自身がからかわれた事を考え、秀吉の近くに居る事を羨ましがった自分が、間違っていたのか、悩むのであった。
「そう言えば、近々、小姓として人が来ると聞いているのだけど、宗矩さん、何か知ってる」
「岩覚様から聞いているのは、元親様、藤孝様から進言があり、受け入れる事になるとのことです」
「誰かわかる」
「元親様のお子様の親忠様、藤孝様のお子様の興元様と、忠興様のお子様の与五郎様が興元様の養子となり、共に使えるとの事です」
(親忠って、元親の三男で、関ヶ原の合戦の後、久武親直の讒言で盛親が殺害した人だった気がする。それがきっかけで、領地が没収され、長宗我部家が没落したんだよな。それ以前にも、信親の死後の後継者争いで、盛親擁立を希望する元親におもねって、反対派を讒言で排除し、次男香川親和を殺害し、長宗我部家の弱体化させていたはず。盛親が取り潰された後、加藤清正に仕えて、のうのうと生きながらえたとか。でも、清正ほどの人物が、佞臣とも言われた親直を仕えさせるのか。何かしら裏があったのかな。後、興元は兄忠興と仲たがいをして、細川家を出奔したはずで、興元の養子で思い出すのは、大坂の陣で大坂方についた忠興の子どもがいたはず。助命の話もあったが、忠興が切腹させた人物かな)
「どうかされましたか」
「何でもないよ、どんな人物か知っている」
「長宗我部家の嫡男信親様が亡くなった際に、後継者の一人と考えられていましたが、元親様の強い後押しがあった千熊丸様が、後継者に選ばれ、後継者に選ばれませんでした。その後継者を元親様が強引に決められ、次男香川親和様が自害させられ、家中で反対していた者たちを粛正し、不満、不満が漂っています。納得できていな者たちが、親忠様を支持しており、もし、元親様に何かあれば、家中が分裂する恐れもあります。興元様は、武勇に優れており、兄忠興様に従って活躍しています。先の小田原征伐でも武功を上げられたとか。与五郎様は、幼少の為、あまり情報はありません。細川家は、忠興さまが家督を継いでおり、家中の乱れはありません」
「忠興さんって、どんな人」
「文武に優れ、教養もあり、信長様にも認められた驍将だと思います。また、公家衆にも交流もあり、一角の人物です」
「性格は」
「……冷酷冷徹です。信長様と似ている処があるとも聞いていますが、決定的に違うところは、情がないというところです」
「情がない」
「そうです、伝え聞いている信長様も、冷酷冷徹で計算高く、無駄を嫌う人物だったとか。しかし、認めた家臣には厳しい中にも甘さがあり、女子には優しかったとか。また、子ども達にも甘く、信雄様をみれば分かるように、家臣であれば、良くて追放、普通は切腹になるような失敗をしていても、許していました。だが、忠興様は、自身の子どもでさえ、冷徹に見ており、親子の情と言うものが見えないとか、それは、父藤孝様に対しても同じとも聞いています。家臣たちも気に入らなければ、斬り捨てられる事もあるとか」
「それで、家臣は付いてきますか」
「藤孝様が居ましたし、貢献に対しては、正当に評価するので、家臣の信頼もあります」
「そうです……」
「後は、信長様を崇拝しているような発言が多いようで、織田家の名を穢していると、信雄様を見下したり、秀信様を鼻で笑っている姿も見たものもいたとか」
「狂信者ですか」
「そうとも言えるかもしれません」
(嫁のガラシャさんに対するヤンデレだけではなく、信長さんに対する狂信者も発症しているのか、怖いな!)
「藤孝さん達は、忠興さんと縁を切るとは思えないのですが……」
「細川家としての繋がりは切れないでしょうが、藤孝様が最近、忠興様の行動を叱責したという噂もあり、家を分けることで、生き残ることを考えているのかもしれません。興元様が与五郎様を養子として、分家を作るようですので、しばらく監視が必要でしょう」
「そうですか……、お願いします」
「分かりました」
(興元さんは年齢的に難しいだろうけど、与五郎さんを教育すれば、忠興さんと手切れできるはず)
家の繋がりは、表面上は手切れしていても、裏で繋がり、情報のやり取りをして、家を残すために模索する者たちも多い。
表面では判断できない為、注意深く監視する必要がある。
「親忠さんはどうですか」
「親忠様は、跡目争いの火種を消すために、送り出されるのだと思います。吉良親実様も一緒に来られることからも、推測できるかと」
「でも、見る人によっては、豊臣家の後継者介入を許すとか、親忠さんが、豊臣家の力を背景に干渉してくるのではないかと思われませんか」
「確かにそう考える人が居てもおかしくありません。だから、その誤解を生まないように津川家当主として、鶴松様の下に来ることを明言したのだと思います。疑う人は、何をしても疑うものです」
「そうなると、千熊丸さんが、当主に付いた以降、どのような関係を構築できるかにかかっていますね」
「その通りです。それに年齢的にも教育し直すのも難しいかもしれませんが、手足として使える人材として、育てるしかありません」
鶴松としては、学問所の設置を急ぐ必要があると思った。秀吉からは、再教育を行うという話は聞いているが、もう少し詰める必要があると思った。
しばらくしたら、後北条家の人たちも来るし、編成をしないといけないけど、信繁も含めて、協議したいと考えていた。
「小太郎にも、監視を命じますが、宗矩さんも調査をお願いします」
「分かりました」
「そう言えば、又若丸さんはどうなってます」
「もうすぐ来られると言うことです」
「分かりました」
「そう言えば、狭山池を見に行きたいという話はどうなりました。本当は、満濃池も行きたいけど、海を渡るのは、まだ難しいかな」「狭山池の方は、且元様が差配されているので、問題ないかと思いますが、今しばらくお待ちください」
「この国最古で、記紀にも載っているため池、樋も含めてみてみたい」
「どうして、其処まで見に行きたいのですか」
「水をためないと作物は育ちません。雨の少ない讃岐や播磨などは特にです。古代の土木技術ですが、食糧を増やす為に、どうしても、その技術を取り込み、ため池を増やして、田畑を増やし、安定した食料の供給が出来れば、人びとが飢えることがなくなります。また、堤を作る技術などを応用すれば、河川の堤防にも応用できるはずです。商業による経済の活性化も必要ですが、人が生きるには、食糧が必要です。農業なくては、国は成り立ちません。そこで、河川の付け替えやため池の築造をする必要があるのです」
「しかし、あえて、身を危険にさらす必要もないかと」
「まあ、其処は確かにそうですが、百聞は一見に如かずとも言いますし、ため池も河川も時間がかかるので、開始するのは早い方が良いのです。ため池は地域の憩いの場にも、水辺に生きる動植物も、食糧にもなるでしょう。共存共栄を身近に感じられる場所になります」
宗矩は、鶴松が何を言っているか、良く分からなったが、食糧を増産する為だけは理解できた。
ただ、其処まで、ため池を見たい熱意が良く分からなかった。
「後、大和川の氾濫が良く起きているそうですが、そこの付け替えも考える必要があるかもしれません」
「しかし、付け替えは、付け替え先の調査と、大和川を付け替えると、大坂城の堀の水の供給にも影響がある為、軽々には出来ないと思います」
「そうですね……・」
大和川の付け替えは、江戸時代に行われたが、それ以前は、大和川流域は氾濫が度々起き、流域に被害を与えていた。その為、付け替える為運動を始めたが、付け替えられる先の地域では、反対の運動を起こした。その結果、大和川は付け替えられることになるが、それにより、大和川があった地域は、豊かな農地になった。しかし、付け替えられた地域にあったため池は取り壊され、地域の農業に影響を与えた。また、狭山池の水下の地域を新大和川が横切った為、供給する範囲が狭くなり、その重要性が低下する事になった。
大和川の付け替えをせずに、ため池を作り水量の調整を行うか、灌漑を整え、狭山池の水の供給範囲を広めるか、色々考える必要がある。
後、江戸時代にあった、水の供給に関する番水制度などを入れ、水の供給を時間単位で調整するなども必要と考えている。
また、地震により、堤が決壊しないように強化も必要だし、日照りなどによる水不足の対策など、防災対策も必要となってくる。
考えだけを出して、得意そうな三成とかに振ろうとは考えてはいるが、とにかく時間がかかる為、早めに進めないと行けないと焦っていた。
「鶴松様、まだ、世情は安定しておりません。着工したとしても、また、戦乱が起きてしまえば、全ては無駄になります。まずは、安定させる事から始めなければいけません」
「……分かっていますが……」
「焦っては、私のような失敗をしますよ」
宗矩の苦笑に、鶴松はため息を吐いた。
「着工は、まだでも、計画を立てるのは問題ないと思います」
「そうですね」
「そこら辺の調査もお願いします」
「人使いが荒いですね……」
「期待しています」
にっこりと笑い、鶴松は宗矩に顔を向けた。
藤孝が転居した屋敷に、忠興が不機嫌な表情で訪問していた。
「父上、どういうことですか」
「忠興か、何のことだ」
「興元と、与五郎の事です」
「与五郎を興元の養子にすることは、お主も認めたではないか」
「それを言っているのではありません」
「では、何だ」
「白々しい物言いは止めて頂きたい。興元、与五郎をあのような者の小姓にするなど正気ですか」
「その不遜な物言いは止めよ」
忠興は、藤孝の注意を鼻で笑って返し無視する。
「興元も与五郎も細川家当主となった私の物です。勝手に使わないでください」
「あの二人は、長岡家として別家を立てた私の跡目を継ぐのだ、お主の手の者ではない。それと家臣たちは駒ではあるが、物ではない。心が通っておる。そのような物言いと接し方は止めよ」
「何を言われる。そう私に教えたのは父上ではありませんか」
「駒であり、手足であるとは教えた。必要ならば切り捨てる非情さも持てとは教えた。しかし、馬具や衣服のようなものと同じとは教えた覚えがないぞ」
「何をいまさら。保身の為に、義昭様を見捨てた父上の言葉とは思えませんな」
藤孝は、その言葉に深いため息を付いた。
藤孝は元々、幕臣として足利義輝に仕え、信任も厚かった。三好家との争いで落ち延びていた朽木郷にも従い、艱難辛苦を共にし、義輝とは兄弟のように信用し合い、協力し合っていたと思っている。
剣の腕を塚原卜伝に師事した関係もあり、二人で競い高めていった。気性が荒く、鬱屈し心が荒んでいた義輝も藤孝の諫言には、しぶしぶでも受け入れていたが、三好三人衆と松永久秀の襲撃を知った時、義輝に朽木郷へ落ち延びることを進言するも拒否された時の衝撃は今でも藤孝は忘れられない。
逃げて、攻められることの恐怖と、不安をもう味わいたくないと、どこか寂しく、どこか吹っ切れた表情をした義輝の表情は未だに脳裏に焼き付いている。義輝からは、出家していた弟の義昭(一乗院覚慶)を擁立して、幕府を残せと言われ、兄三淵藤英や一緒に仕えていた幕臣たちと共に、幽閉されていた義昭を救い出し、六角氏、武田氏、朝倉氏などの諸大名の元を頼り、最後に織田信長に身を寄せることになった。
義輝の側室で、身籠っている者がおり、どうするかとの質問に、別に護衛を付けて、讃岐国に落ち延びさせるが、他言無用と言われていた。義昭が将軍となった場合、存在が邪魔になり、刺客を送られる可能性や、対抗勢力に擁立され、お飾りの存在になり、どう扱われるか、義輝には想像できたのだろう。出来れば、義輝は己のような生き方をしてほしくなく、穏やかに生きてほしいと思っていたのではないかと、藤孝は想像していた。義輝とは、心の繋がりもあり、その思考も理解できていたと自負しているが、義昭は、そうではなかった。
当初は、幕府権威の復活を願い、真摯に向き合っていたとみていたが、京に戻り、征夷大将軍に任じられた後、自分が命じれば、全ての者がひれ伏して拝命すると勘違いし始めた。信長居てこその幕府であることを理解できず、側近などの強化と、有能な武将の取り込みを行わず、権威強化だけを目指した。都合のいい時だけ、信長を使い、目障りになれば、排除しようとする。そのようなことを繰り返し、阿諛追従をするものを近づける。信長と対立している勢力を畿内に呼び、本願寺の蜂起を唆し、信長を苦しめる。義輝のように諫言を聞き入れず、幕政から排除させられた。あまつさえ、兄藤英を唆し、殺害しようともした。このまま義昭の側に居れば排除されるか、巻き添えで信長に処分されるか、先が見えていた為、義昭から離れることを決めた。忠興が言うような、単純な理由ではないが、その事を言ったとして、鼻で笑って、聞くことはないと藤孝は思った。
「父上の優柔不断でだらしない行動をしているから、細川け……」
「忠興」
藤孝が怒気の籠った低い声で、名を呼ばれ、忠興は身を固くして、言葉を止めた。
「其処までにしておけ、確かにお主は細川家の当主となった。そしては、私は隠居の身ではある。しかし、まだ、侮られるとは、思っておらぬが」
先ほどまでとは違い、殺気の籠った視線と、威圧により空気が重くなり重圧が、忠興を襲った。
忠興とて、数多くの戦を経験し、命の危険を何度も経験した。少々の威圧では、怯える事もひるむことはなかった。しかし、藤孝は数多くの戦場を経験しただけではなく、義輝に仕え、義昭を信長に預けるまで、数多くの刺客の襲撃を受けるほどの修羅場を潜り抜けてきた。
「興元、与五郎の事についての反論は認めぬ。細川家をお主の好きな通りにすればよいが、だが、長岡家は、お主の指図は受けぬ。分かったな」
「……」
藤孝から受けた威圧に、忠興は、答えを返すことが出来ない。
それを見た藤孝が、威圧を緩め、再度、話す。
「分かったな」
「……わ、分かりました」
酸素不足のような状態で、息を荒くしながら、忠興は返事をした。
「話は、それだけか」
「は、はい」
そう答えた、忠興は、体をふら付かせながら、部屋を出ていった。
その後姿を見て、深く大きなため息を藤孝は、隣の部屋に顔を向ける。
「興元」
それと同時に、襖が開けられる。
「お呼びですか」
「分かっておるな、忠興の事は気にするな。親しくする必要はない」
「はっ」
「お主は、長岡家の当主として、鶴松様に仕えよ」
その言葉と同時に、興元は頭を下げ、承服したことを伝える。それを見ながら藤孝は、文武に優れた武将として忠興を育て上げたと思っていたが、どこでどう、精神的な未熟さを正すことが出来なかったのかと後悔した。
藤孝の屋敷から、帰ってきた忠興は、肩を怒らせて細川家の屋敷に戻ってきた。
細川家の当主となり、家内を差配し、藤孝にも負けることはないと自負していたが、未だに、己の上に居て、頭を押さえつけられていることを見せつけられ、はらわたが煮えくり返っていた。
屋敷には、家人はいたが、忠興の姿を見て、見つからぬように、姿を隠した。もし、見つかれば八つ当たりされるか、最悪、理由をつけて、斬られる恐れがあった。
公平ではあるが、怒りをぶつけられる方は、たまったものではなかった。
「誰かおらぬか」
忠興の怒鳴り声に、屋敷内が静かになった。
「殿、お呼びでしょうか」
家臣としては、呼び出しに応じなければならなし、応じなければ、何をするか分からなかった為、近くに居たものが、対応した。
「ん、お主は」
近寄ってきた家臣の顔を見て、忠興の密命により動いているものだと気が付いた。
「何故、此処にいる」
「はっ、報告がありまして、参上しました」
「分かった、ついて来い」
そういうと、忠興は、屋敷の奥の部屋に向かった。
「して、どうしたのだ」
「はっ、警備が厳重になり、接触が難しくなっております。無理に動けば、捕縛される恐れもあり、どうすれば良いか、ご指示を頂きたく」
「それほどまでに厳重か」
「通常の兵士だけではなく、忍びも隠れている気配が致します」
「どちらもか」
「はい」
話を聞き、忠興は、天井に目を向け思案した。
無理は禁物であると、強引に進めれば、着け入れられる恐れがある。忍びも動員しているとなると、危険すぎると考えた。
「分かった。無理をせずに、監視をしておけ。捕縛されるなよ」
「分かりました」
家臣は、頭を下げ、部屋を出ていった。
その後姿を見て、使える家臣ではあるが、危なくなれば、始末すればよいかと、忠興は考えた。




